山本達彦、ムッシュかまやつへの愛を歌う | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

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不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

本日(おっともう昨日に日をまたいでた…)、山本達彦氏のライヴへ足を運んだ。

前スレッドでボズ・スキャッグスが日本でも流行り、A.O.Rという音楽ジャンルが生まれ、さらにそれらから日本独自のジャンルで「シティ・ポップ」や「リゾート・ミュージック」なんてものが大いに賑わったと記した。

まあ、その辺りの流れで言うと、大瀧詠一、山下達郎、角松敏生、稲垣潤一、寺尾聰、あたりが代表格となるのだろうか?(リゾートって感じだと、あの頃はサザンやTUBEもね、その類でした。)

とりあえずそんな感じの音楽。

それと、先日友人と「そんなジャンルが、なんか流行ったねぇ~」ってな思い出話の延長で、大ヒットまで出せなかったが時代に乗ったアーティストの名前が色々出てきた。

安部恭弘、宇佐元恭一、黒住憲吾、村田和人、等々…。

しかしそんな中でもっとも代表格の近くまで行ったのは“山本達彦”だろう。

当時のシンガーソングライターの中では、抜きん出てルックスが良く、ジャニーズ系というか風間トオル的な当時の男性モデル顔というか、そんな見栄えでとにかく女性ファンが多かった。

個人的には自分の好きなNOBODYが何作もプロデュース&楽曲提供があったのでその流れで知ったんだったっけ。

 

で、本題。

山本達彦氏が今どんな活動してるのかな?って何気なく検索したら丁度都内でライブをやるというので話の勢いで行ったという次第。

80年代は夏をテーマにしたタイアップ曲やヒット狙い楽曲がめちゃめちゃ多かった時代でもあり、この山本達彦もそういった楽曲は多かった。

今日(もとい昨日)は東京も30℃を越えたので、そんな曲が多く聴けるかな?と期待。

 

会場は南青山MANDALA

開場直前に着くと、お洒落をしたおばさま達がうじゃうじゃ(おっと語弊があるか)と周囲に屯している。

すかさずアウェイなところへ来てしまったような気になる。(苦笑)

整理番号順に整列入場するとのことでざっくりと列に並ぶとお隣に並んだ女性が話しかけてきてくださった。

番号の確認もあるが、どうやら野郎の客はあまり見かけないらしく珍しかったようだ。

確かにこの時点で男性は他に10人いるかいないかで、女性客が100人近くいたのではなかろうか?

この方はもう当時からずっと追いかけてるファンで、静岡から毎回東京へライヴにいらっしゃるとのこと!

一途な思いを抱き続けてる女性が、山本氏には多いようです。(羨ましいですねー)

 

入場してドリンクバーで白ワインを頼み、席に着く。

ステージ上には、生ピアノと、ウッドベース、そして紫陽花が花瓶に挿されてあった。

開演までまだ40分以上はあるだろうという時点で店内は着飾ったご婦人たちで満杯。

着物を着込んだ方々もいて、バーカウンター前で立ち見!

開演時間を少し回り、山本達彦さんが登場し、ピアノの弾き語りでオープニング。

そしてMCで今日はベースと2ピースで多く曲をやりたい、そしてゲストも登場して演奏しますと挨拶。

2曲目から登場のベーシストは、先日の青木まり子のサポートをした方でした!

そして、彼のレパートリーが次々歌われていくが、私が知ってる楽曲は1曲も無い…。(苦笑)

途中、山本氏がMCで「トロピカルな曲だった~」という件りで、「トロピカルなんてもう言わないか」というようなことを言われてたが、そうですね“トロピカル”ってのも“リゾート”や“シティ”なんてワードと供に80年代はイケてるキーワードでしたっけ。(笑)

知らない曲が続きますが、ピアノとウッドベースで演奏すると軽んじられる傾向にあったシティ・ポップスも耳当たりの良いジャズ・テイストの楽曲群に聴こえる。

 

そして、3度目だったかのMCで「暗い話になりますが…」と先日他界した“ムッシュかまやつ”氏の話に。

なんと山本氏は学生時代にかまやつ氏のステージ・サポートで初のミュージシャン仕事を得て、楽曲提供もかまやつ氏が最初だったとの事。

ムッシュの人柄が滲み出るエピソードがいくつか語られた後に彼のスパイダーズ時代のナンバーをやりますと。

個人的には夏だし、「サマー・ガールズ」が来るか!と思ったが「ノー・ノー・ボーイ」だった。

でも、やっと知ってる曲が。(苦笑)

そしてその後に「サマー・ガールズ」がやはり来たー!

多分この会場で一緒に口ずさんでいたのは私だけだったでしょう。(笑)

この直後にゲストが登場。

ムッシュかまやつが生前最後にレコーディングしたユニット「雷門プロジェクト」の相棒の井上日徳氏だ。

実は「雷門プロジェクト」は80年代にレコーディングを始めたムッシュのソロ・アルバムが基で、当時まだプロではなかった井上氏をアレンジャーに抜擢し制作したが当時の色々な事情でお蔵入りに…。

しかし、昨年完成させよういうムッシュの意地で何十年ぶりかで2人が合流し再レコーディングを始めるもかまやつ氏の体調不良が激化し、2曲だけ歌入れをしたところで力尽きたらしい。

今回はムッシュかまやつを偲んでムッシュが歌った2曲を山本氏が歌い、井上氏がギターをプレイ。

1980年代に作った「深紅の地軸」、「架空の陶酔」の2曲。

非常に危機感を先取りしたような歌詞が胸を痛くする。

ここでムッシュかまやつ氏を偲ぶコーナーは終了するが、思いがけない出来事で個人的にはとても良いものを見たという気になった。

改めて、かまやつひろしという人物の人徳と音楽性を痛感した。

 

ショーの終盤は、これまで発表した自身の作品の歌詞から男女の出会い~終焉までを勝手にこじつけたストーリーにしたと言い(場内はめちゃめちゃ受けまくってました)4曲披露しこの日の本編が終了し、アンコールも2曲応えた。

ちなみに、記憶の範囲でこの日演奏されたご自身のナンバーは「イン・サマー・デイ」、「レイディ」、「前奏曲」、「きみはいない」、「スウィート・トラヴェリング・ハーツ」、「密室のタンゴ」、「街角」、「センチメント」、「ヒズ・ウーマン」、「紫陽花」、「夜を抱きしめて」、「雨に想いを」、等々。(ヒアリングの記憶なので、誤曲脱曲あるかも。。。)

 

残念ながら自分が覚えてる楽曲群は無かったので、数曲映像で。

まずは、NOBODY提供で彼ら自身のナンバーでもあった「WELCOME TO MY PARTY」。

 

80年代のちょい切な気なポップス(こういうのが手ごろなオシャレ感だったんだよね)の「LAST GOOD-BYE」。

 

あと1曲、激情な思いをしのばせるハードなバラード曲「パシフィック・ブルー」。

 

60代にもなったイケメンでシャレた音楽を奏でるかつての“シティポップスの貴公子”は今ではちょっと職人のような厳しさも感じるお顔立ちでしたがやはり女性客を虜にしていました。

そして真摯に音楽と向き合ってる姿を拝見でき、故・ムッシュかまやつさんへの愛情もひしと伝わってきて、嬉しい気持ちになりました。

本日(6月10日)も同会場にて行なわれます。