一文字隼人の手料理を喰らう~居酒屋「バッタもん」 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

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不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

前スレッドで板橋へ花見散歩へ行ったことを記した。

散歩後、一度行きたかったお店へ向かう。

板橋は、以前にも行った“板橋しっとりチャーハン”が有名グルメだが、あともう一箇所絶対に行っておきたかった店が「居酒屋バッタもん」である。

すでにこちらの常連の域に達していると言う知人と待ち合わせて向かう。

バッタもん…て店名ってどうなのよ?と思われる方もいると思うが、実はこのお店、今なお続くTVヒーロー「仮面ライダー」シリーズの初期“仮面ライダー2号こと一文字隼人こと佐々木剛(ささきたけし)さん”のお店で、当時の仮面ライダーは昆虫のバッタと人間の改造手術で生まれたという設定から来ている。

リアルタイムで憧れて大好きだった当時のライダーファンからしたら、この名前だけで顔がニヤけてしまう。

ビルの地下へ降りる階段をくだり、店の前に立ち、「この向こうに一文字隼人がいる」かと思い緊張度が上がったその瞬間、いきなり後ろから「お、来たね!」という声に振り返るとなんと一文字隼人が佐々木剛さんが階段を下りてきたところ。

焦るじゃんかー!

フェイントを喰らった感じでのファーストコンタクトにたじろぎながら、お店へ入る。

知人がわざわざ前日に予約をしてくれていた。

 

そうそう、一文字隼人覚えてますか?

と言うか、どんな人?という世代の方が多いでしょうね。

当時は、

こんな感じでした!

現在は、

こんな感じ。

だいぶ容姿が変わられたが、実は佐々木氏、過去に自宅が大火事になり死と隣り合わせになるほどの重度の火傷を負ったこともあり、変貌が大きなところもあるのです…。

何しろ、あまりの重症具合にベッドに寝かすことが出来ないという病院の判断で、ずっと宙刷り状態での入院~治療だったそうで、まさにショッカーの改造手術並み、いやそれ以上の壮絶な手術だったようです。

 

店内は仮面ライダーに関するグッズやサイン色紙、等々、がいっぱい!

もうテンション高く、興奮と発汗に浮き足立つ自分がよく判る。(苦笑)

でも、居酒屋さんですからね、オーダーしましょう。

まずはビールで乾杯後、知人が入れていた焼酎のボトルをいただく。

コースターもかわいいの。(笑)

そして、一文字隼人お手製のフード。

山芋のしそ肉巻き、

そして、人気のだし巻きたまご焼き。

どれもリーズナブルなお値段ながらも、美味しいです!

そんな中で、このお店で一番単価が高いのは?と言うと…佐々木さんのサイン色紙!

一枚1000円するのですが、まず、あしなが育英会への募金に当てます。

したがって、サイン代はレジに入れずに専用のケースに各自が入れ込むことになります。

そして、サインもまっさらな色紙にその場で実に時間をかけて丁寧に書いて下さるのです!

味のある素晴らしいサイン色紙ではありませんか!!

 

このサインを書いてもらってるときに、ふざけて知人に「(「柔道一直線」の)風祭右京でサインしてもらったら?」と云ったら、佐々木氏その場で「俺が明和高校の風祭右京だ。」と劇中の台詞を言ってくれて大感激!

佐々木氏は「柔道一直線」にも出演されていて、実はこの演技が目に止まり、仮面ライダーの出演をオファーされた。

そして、仮面ライダーの代名詞とも言える変身ポーズは、この2号ライダーからスタートし、その変身ポーズも「柔道一直線」で演出用に大げさに付けたファイティング・ポーズが元ネタである。

周知の通り仮面ライダーは主演は藤岡弘でスタートしたが、アクションシーンで大きな怪我を負い長期降板となる。

そこで急遽別な主演=佐々木剛を立てて「仮面ライダー」を続行させた。

佐々木氏は、決してちょっと見は親近感薄い朴訥としてざっくばらんで多少毒舌な感じではあるが、客からの質問にひとつひとつ答えてくれる。

私もひとつ質問した。

「どうしても仮面ライダーや一文字隼人だと騒いでしまいますが、当時は主演とはいえ、穴埋め登板で子供向け番組というあたり、どう思ってらしたのですか?」

佐々木氏曰く、「とにかく当時は他に「お荷物小荷物」、「繭子ひとり」とレギュラーを抱えていたので、(ライダーの)撮影は週に3日くらいしか出来なかった。なので(物理的にも)やりたくなかったし、折角大人の見る作品への出演が増えたところへまた子供向けの番組のオファーで逆戻りだろ!と思った」と教えてくれた。

そうでしょうねー。

ご自身はあくまで俳優、しかも知名度が上がってきたタイミングでもあったのですから。

しかし、氏の人生の中で一番の代表作が「仮面ライダー」2号、一文字隼人となったのですから、面白いものです。

他にも他愛無い話にお付き合い下さり、最後はライダーベルトを巻き2号の赤い手袋を着けた私と変身ポーズを一緒に取って記念撮影に応じて下さいました。

 

もう、初老になろうというおっさんが小学3年生のテンションでおおはしゃぎしたにも拘わらず、お付き合い下さいましてありがとうございました!

是非、また伺わせていただきたく思っております。

 

 

追記)

2018年12月に再訪しました。

その際のブログはこちらへ。