訃報、ジミー・スヌーカ | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

思い入れのある著名人の訃報はなかなかタイムリーに記せなかったりすことが多いのだが、今回はタイムリーに…。

 

元プロレスラーのジミー・スヌーカ氏が昨日15日他界した。

原因は胃がんのようで、73歳でした。

 

フィジー出身で、ハワイでボディビルディングで身体を作ってたのちに、プロレス界入りする。

画像のように、マッチョなポリネシアンで、コーナートップからダイブしての体落とし技「スーパーフライ」は、そのスピードとキレで一躍彼の印象を強く植え付けた。

この技は今や日本マット界の頂点にいる棚橋弘至選手の「ハイ・フライ・フロー」に受け継がれている。

1980年代、当時日本マットは猪木新日本マットと馬場全日本マットの抗争激化時代で、ストロングスタイルを全面に打ち出した新日本プロレスのファイトスタイルに対し、全日本プロレスは馬場のイメージさながらスピード感よりも巨漢のぶつかり合いで、スピードやキレに関しては新日本に軍配が上がっていた。

そんな中、このジミー・スヌーカと“超獣”ブルーザ・ブロディのタッグは、当時の全日本マットでは目を見張るファイト・スタイルだった。

 

在りし日のジミー・スヌーカ選手を偲んで、そして盟友でありライバルだったブルーザ・ブロディ、テリー・ゴディの2人の故人をも偲び、新日本マットから日本内で電撃移籍を果たしたスタン・ハンセンの外人四天王が激突した1987年の「世界最強タッグ戦」をどうぞ。

 

RIP…。