前回からの続き。
物心付いた時にいた町“西新井”。
久々に訪れ、大師や通っていた幼稚園、小学校を訪ねた。
その小学校から、当時の下校の道順で住んでいた家に向かうも、道路封鎖にて慌てふためく私。
なんせ、その頃の記憶を元に行こうと思ったうえに、その他の迂回路なんて記憶のどこを掘り返しても出て来やしない。
それでも地図を見ながらようやく到達!
団地住まいでした。
このC-6号棟402号室が物心付いた時にいた家だった。
団地ってなんか哀愁を感じます。
一時期はそれこそちょっと前のタワーマンション並みの人気だったが、月日を経て今のライフスタイルだとちょっと手詰まりな感じで、人気が落ちていった。
でも、幼児期にここで過ごした時はもう隣近所みんな家族のような付き合いだったのは今も覚えてる。
平気で米や調味料の貸し借りなんてお願いできたし、両親が共働きだったので近所で預かってもらったり、夕食時だけお邪魔したり…。
人と人が、世帯と世帯が、いい付き合いをしていたと本当に痛感する。
通風孔だろうか?屋上に出る階段室にある4つに四角い穴は今も覚えてる。
ちょっと失礼して団地内を拝見。
懐かしいものがありました。
階段の踊り場にあるダストシューター。
ダストシューターと壁が白いが、あの頃は壁は灰色でダストシューターは濁った薄緑色だった気がする。
そして、階段の踊り場から毎日見ていた光景。
木がずいぶんと育った。
前の団地の庭が見えない。
そしてこの団地に住んでいた時、上掲とは反対側にある景色は、この団地群の生活の要、“給水塔”。
ベランダを開けると、この給水塔が正面に見えた。
給水塔の正面に回ってみる。
給水塔の前にある電話ボックス、これもまだあるんだ?!
懐かしい。
最も、昔の電話ボックスはこんなんじゃなかったですが。
そしてここから回れ右すると児童遊園があった。
児童遊園に上がる3段の階段はそのまま。
ラジオ体操用のステージ(?)もあるが、昔はもっと遊具があったのだが、ほとんど取り払われていた。
その中で変わらぬ懐かしいものを発見。
ベンチです。
他にもベンチがあったが新しい塩化ビニール製のような今時のもの。
でも、このベンチを支える鉄製部に明らかに見覚えがある。
こんなベンチの裏側を覚えてるなんて、我ながら子供は変なところを見てるものだと可笑しかった。
あの頃は、この辺りもまだまだ貧しくて、でもそれが普通で、いい家なんて見かけるほうが珍しかった。
今ではこの辺りも、綺麗な家やマンションも多いが、それでも当時をしのばせる家屋があった。
このトタンが壁や屋根に使用された家屋ばかりだった。
ん?こちらのお宅は昔からあった家屋ではないか…?
長屋とかも普通にあったし。
ホント、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』みたいだった。
そしてその頃は、駄菓子屋が子供の百貨店のようだったが、この町で百貨店のような働きをしていたのが「田口屋」さんだった。
今ではタバコ屋さんと飲み物の自販機があるだけだが、現在のコンビニのようで生活雑貨を中心に、煙草、お菓子、文房具、切手、等々、何でもあった。
記憶にあるのは画用紙を1枚5円で買って大きな絵をクレヨンで描いたこと。
そして、この並びには「沼田ストアー」があった。
食料品がメインのマーケットだった。
肉屋さん、八百屋さん、魚屋さん、乾物屋さん、等々が入っていた。
一度、「モヤモヤさまぁ~ず2」でもここを紹介していたが、その時はお肉やさんが1軒残ってたんだったけかな?
でも今は、1軒も営業していない…。
そして、この田口屋、沼田ストアの道路挟んで正面には当時「愛児館医院」というのがあった。
しかし今は高齢者用養護施設になっていた。
ここにあった愛児館医院で何針も縫う簡易手術を受けた。
ガキの頃からアホで、滑り台で顔から地面に落ちて、目の上をパックリ切ってしまった。
子供としてはかなりの出血で、泣きながら家に帰ってドアを叩くと母親が「何、泣いてんの!」と言ってドアを開け私の顔を見るや真顔になり私を抱きかかえるや走ってこの医院へ飛び込んだ。
近所の人達も、話を聞きつけて(また目をやってしまったと思い込んで節もあったようで)仰向けになった幼児期の自分の視界には母や近所のおばさんたちが映っていたっけ。
さて、あの頃は駄菓子屋さんが何軒かあったが当然当時通ったあの店たちはもう無い。
しかし、周辺をブラついていたら、年季を感じる駄菓子屋さんがあった。
ガチャガチャ(あるいはガチャポン?)と言われる玩具の自動販売機が並ぶが、自分が子供の頃はこんな感じのでした。
これでも、自分の記憶として第2期のものだと思うが。
あと、アイスクリームを買う時はこんな什器から取り出しました。
懐かしいね。(笑)
こちらのお店の方に訊くと、自分の幼少期には無く、私が成人したあたりに開業したようだ。
でも、子供が何人も集まってゲームしたり何を買うか迷ってる情景はいつの時代も変わらない。
ビンにビー玉のラムネは無かったので、ペットボトルのラムネを買って店を出た。
昔通った駄菓子屋のあったところへ向かう。
この辺りの右手にあったような記憶なのですが…。
当時はその店の名など無くみんな「ジジババ」と言っていた。
文字通りお爺さんとお婆さん2人でやっていたからだ。
そうそう、この歩道部分はあの頃はドブというか用水路と言うか、そんな感じでしたが今の時代しっかり暗渠化されています。
さて、そろそろ現在の自宅へ帰宅しますか。
あの頃は、バスに乗って池袋に出て、そこから目的地へ向かうという感じだった。
帰りは舎人ライナーではなく昔ながらの方法で帰宅。
バス停は「阿弥陀橋」。
「あみだ橋」という交差点がある。
当時の印象は電線の鉄塔。
あの頃は、この辺りで高いものと言えば団地とこの電線鉄塔くらいしか無かった。
そして、バス停の「阿弥陀橋」はここからさらに1つ先の交差点にあった。
いつもの散歩から帰るのと違い、タイムスリップで過去から現在へ戻るような気がした。