モヤモヤ ブラ 散歩~下心、おっと物心ついた時には西新井(前編) | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

今年の自身の誕生日に、生まれそして最初に住んだ町“大塚”を訪ねた。

今回は自分に下心、いえ物心が付いた時にいた町を訪れることにした。
その場所は、東京都足立区は“西新井”というところ。
西新井と言えばお大師様。
西新井大師西駅に降り立った。
西新井大師西駅
自分が住んでいた頃は、この舎人ライナー線は無かったですね。
初めて舎人ライナーに乗りましたが、なんかお台場のゆりかもめに乗ってる感覚にも似た路線。

さて、駅名も駅名だしすぐ西新井大師へ向かいたいところだが、その前にどうしても寄りたいところがあり、足を運んでみた。
黒田幼稚園1
ここです。
って判らないでしょう。(苦笑)
私が通っていた幼稚園です。
黒田幼稚園2
「黒田幼稚園」というところ。
幼稚園名でも存在するが、何故か「黒田学園」という名でも登記されている。
まだあったなんて嬉しいものです。
ある程度土地のある幼稚園なら今時どこでも見かけますが、当時はこれがカッコ良く思えてねぇ。
何かと言えば、2階から降りる階段の横に備えつけられた「滑り台」。
黒田幼稚園3
自分が通っていた頃は、こんな滑り台のある幼稚園や保育園など、近場には無かったと思う。
実に卒園以来のご対面でした!

それでは、西新井大師へ行ってみましょう。
当時から、大師参拝客が使う駅は、東武大師線の「大師前駅」しか無かった。
大師前駅1
ここも綺麗になりました。
でも、横にあるバスの待機スペースはなんか当時の面影を感じた。
大師前駅2
コンクリの地面でなく砂利でしたけどね。
そしてお大師様へ。
西新井大師参道
この参道と言えば、脳裏にあるのは、おせんべい、
浅香家
そして、だるま、
だるま
それから、団子。
山門前の団子屋
特に団子は山門直前で向かい合う2つのお店がしのぎを削っていた。
山門に向かって、右が「中田屋」で文化2年に創業したのが売り。
中田屋
そして左側が「清水屋」で歌舞伎座などでにも団子を提供しているのが売り。
清水屋
いつも、各店のおばちゃん同士の客引きの仁義無き戦いが繰り広げられる。(笑)
それにしても、昔はもっと煎餅も、だるまも、団子も、店が多かったイメージがあるのだが…。

まずはお参りからと言うことで山門を潜る。
幼児期はこの仁王像が怖くて、目をつぶるか、下を向いて山門を潜ったものですが、今見るとそれほど迫力があるほうではないか…?
西新井大師仁王像1
西新井大師仁王像1
経年劣化も激しいし…。
ってか、どっちもピンぼけじゃないですか!(涙)
本堂へ向かうと、この日は縁日で出店が多い。
西新井大師
本堂前の広場で何やら太鼓のパフォーマンスが行なわれている。
太鼓パフォーマンス1
まだ10代20代と思われる若い女性も何人かいて袈裟を着て力強く叩いている。
太鼓パフォーマンス2
まずはお参りということでお賽銭を投げ入れ上掲画像を撮った直後にパフォーマンス終了…。
んんん、モヤモヤ…。
ま、自分の中で西新井大師と言えば、池や木々の印象。
境内を周ります。
西新井大師境内1
西新井大師境内2
西新井大師境内3
縁日ということもあり、本堂の裏も何処も出店と参拝客で賑わっておりました。
西新井大師は正式には「五智山遍照院總持寺」と言い、西新井大師は通称。
弘法大師(空海)が天長期(平安時代初期)に関東巡錫の途中、ここに立ち寄り悪疫流行に悩む村人たちを救うため、自ら十一面観音像と自身の像を彫り、これを枯れ井戸に安置し護摩祈願を行なったところ、枯れ井戸から清らかな水が湧き、病はたちどころに平癒したと伝えられる。
その井戸がお堂の西側にあったことから「西新井」と呼ばれるようになったらしい。
そしてその言い伝えの井戸は今もある。
加持水1
加持水2
加持水と名付けられている。
今も現役の井戸なのかは不明。

参拝・散策を終え山門を出ると、中田屋のおばさんから団子お一つどうぞ攻撃を受ける。(笑)
中田屋の団子
(ありゃ、団子がピンぼけ…)
よもぎの香りと上品な甘さの餡と団子の弾力がバランス良いです。
せっかくなので土産に買うべく頼もうと思ったら、3人しか客がいないのに店員さんがテンパって機能していない。
1人おっちゃんの客がすでに頼んでいたようなのだが、どうも大量に購入したようで、幾つも包装を続けており、新たな客の応対どころではないようだ。
しばらく待つも、いっこうに埒があかないので泣く泣く断念…。
かと言って、試食させてくれたので清水屋さんで購入というのも仁義に欠ける。
そこで、大師前グルメといえば、もう1つ先のお煎餅がある!
煎餅の浅香屋に行くと、なんてこったい!
こちらも客が溜まっている!!
浅香屋繁盛
ついてない。。。
それにしても、この大きな丸い煎餅を入れるガラス瓶、懐かしい。
懐かしい煎餅瓶


最初に自分が通った幼稚園に行ったので、次は入学した小学校へ向かう。
西新井小学校正門
足立区立西新井小学校。
ここに入学し、小学3年の途中まで通っていた。
もう面影は何も無いほどに立派に変わっていた。
こんなところに校舎無かったし。
思えばこの正門前の道路は当時大きな道路だと思っていたが、今見ると1車線づつの小さな道路だ。
雰囲気は随分と変わった。
上掲の画像は正門側だが、当時住んでいたところからだと裏門が近いので、毎日使っていたのは裏門。
西新井小学校裏門
こちらも全く面影は無い。
あの頃は、裏門出ると目の前にはだだっ広い広場だった。
それこそ、サザエさんやドラえもんに出てくる土管が積まれてたりしたこともあった。
原っぱでなく土と小石の広い空き地だった。
裏門横で、よく学研の『科学』と『学習』をおばちゃんがゴザ引いて売りに来ていた。
付録次第でどっちを買うかちょっと悩むのが楽しかったりしたもんです。(笑)
でも、その広場も今じゃ…、
裏門前
もうすぐ目の前に集合住宅が並ぶ。
このアパートだって、今となっては古いほうに入るでしょう。
それよりももっと前の時代だったんだなぁ、あの頃は。。。

当時を思い出しながら、かつて住んでいた家まで下校(?)すべく歩き出す。
が!
なんとその道を水道管工事のため全面通行止めに…。
登下校道
くっそ、人の思い出を記憶をぶち壊しやがって!
モヤモヤ…。
もうパニックですよ。(苦笑)
この道以外、知らないんですから。
仕方なく、この場に座り込んで地図をつぶさに確認。(笑)
恐る恐る、通ったことのない登下校道で、かつての住まいへ向かうのでした。


続く