もう先月のことだが、迎賓館一般公開に行ったことを記した。
せっかくなので、迎賓館見学後にフラリ徘徊。
迎賓館界隈、いわゆる「四谷見附」近辺を歩いてみた。
迎賓館は、JR、東京メトロの四谷駅を降りてすぐのところにある。
それにしても四谷駅前の穴?(大きなくぼみ)は何か有効活用しているのだろうか?
そんなことをふと思いつつも、まずは四谷駅東側へ。
橋を渡るのだが、この橋も今となっていい味だと映る。
この橋は文字通り「四谷見附橋」と言う。
そして橋の下は川ではなく、電車が流れる。
それにしても「見附」とは何か?
「見附」とは、街道の分岐点など交通の要所に置かれた見張り所のことで、この四谷やお隣赤坂は江戸城お堀の要所でもあったので見張り所=見附があり、そのまま地名になっていった。
四谷駅は、新宿区四谷が住所なのだが、この四谷見附橋を渡るとそこはもう千代田区。
橋を渡り終え右折すると有名な土手があるのだが…。
なんと…!この日は工事のため歩行不可だった。。。
ああ、モヤモヤ。。。
この土手、「真田濠上部園路」という名前があったんですね、知らなかった。
仕方ないので下の道を行く。
そしてこの道にも「ソフィア通り」なんて名前があったんだ?
まっすぐ行ってみます。
こちらは何故「ソフィア通り」と言うのか?
それはこの道路沿いに「上智大学」があるから。
上智大学はカトリック系大学の大手ですね。
ソフィアとは上智を意味します。
ああ、懐かしき我が母校!(嘘)
高校入試模試会場だった時に一度だけ入ったことがあるだけ。
さて、この上掲画像を撮ったポジションから真後ろを向くと、
土手をくり抜いたトンネルが。
そうです、この土手下に見えるグラウンド、上智大学グラウンドへ降りていく通路です。
都内の方ならご存知と思いますが、地下鉄丸の内線四谷駅から見えるあのグラウンドです。
(地下鉄なのに、何故か丸の内線四谷駅は地上にある。)
そしてソフィア通りをさらに進むと、「尾張名古屋藩屋敷跡」の柱と案内板が。
江戸時代、尾張徳川家がこの一帯を治めており、当時は紀伊家、水戸家と並び御三家と呼ばれていた。
現在は「福田家」という料理店がビルを建てて福田ビルとなっている。
さらに進むと大きなカーブを描くとともに三叉路になっている。
そこにはホテルニューオータニがそびえる。
独特のフォルムが印象的です。
映画「人間の証明」の謎を提示する建物にもなりましたっけ。
さて、ここで右折してみたいと思います。
右折してちょっと進むとかなり眺めの良い場所に出た。
ここは「喰違見附」と言うらしい。
ここも“見附”だったんですね。
「喰違見附」とは気になる名称ですな。
これは、江戸初期の兵学者の小幡景憲によって縄張りされたと伝えられ、江戸城外郭門の一つのだが、土塁を前後に延ばして直進を阻むという戦国期以来の古い形態の虎口(城の出入口)構造としたことから。
(通常の江戸城の城門は枡形門という石垣を巡らしたものだったそうである。)
ここを振り返ると、
先ほどの上智大学グラウンドが一望できる。
さてさて、今度は駅の西側へ行ってみましょう。
西口の名所と言えば「しんみち通り」でしょう!
相変わらず、入口にある「たかだ」(とんかつ家さん)は混んでます。
ちょうど時間的にランチタイム突入のタイミングだったこともあり、昼食をとるため会社勤めの方々が通りに溢れていました!
私もどこかで昼飯を、などと思ったがこれだけ混んでるのでは、と諦める…。
しんみち通りを抜けた先にもいいお店が多いですが、その路地ひとつ入ると、いまだに昔の風情を残す四谷が垣間見れます。
なんかいいですねー。
この先を彷徨うともっといい情景も多いのですが、それはまた別の機会にでも。
最後に1箇所だけ、個人的に寄ってみたいポイントへ。
四谷小学校裏にあるマンション。
「ランテンヌ四谷」と言うらしいのですが、かつてここには戦後に大きな教会が建ち、その佇まいをそのまま買い取った放送局がありました。
「文化放送」です。
このマンション入口横に当時を偲ばせる碑がありました。
大学受験期に予備校で知り合った1人が当時この文化放送のネタ作家のアルバイトをしていて、私がいつもふざけたことばかりほざいていたので「お前、面白いから、番組にちょっと協力してくれないか?」と言われ、「吉田照美のてるてるワイド」という番組の新コーナーの一発目をまかされ出たことがありました。(苦笑)
懐かしいなぁ。
そんなこともあったが、当時はこの文化放送の佇まいとその横にある坂の眺めが好きだった。
「東福院坂」または「天王坂」と言う。
画像から判るでしょうか?
この坂を下り終え、その先を上がる坂は階段坂なんですよねー。
この眺めが好きでした!
そして文化放送跡地は近代的になってますが、この周りも昔とあまり変わっていない。
そして、この辺りにかつては「温州軒」という町によくある中華屋さんというかラーメン屋さんというか、お店があったんだよなぁ、とシャッターを切った。
すると上掲画像のベージュ色の壁の雨戸が閉まっているその家の雨戸が空いた。
ちょうど私がその真ん前にいたもので、この御宅の方とお互いちょっとびっくり。(笑)
せっかく目があったのでそこの家人に「突然すみませんが、昔この辺りに温州軒というお店があったと思うのですが?」と尋ねてみた。
すると、この家人の女性が「はい、ここですよ。」と言うではないか!
そうかぁ、やっぱりここだったんだぁ。
つい、「昔ここ(温州軒)でラーメンと餃子をセットでよく頼んだんです。」などと話したら、こちらの方も突然の怪しい者の不躾けな話にも丁寧に応対してくださって、ついぞ嬉しくなってしまった。
どうもありがとうございました!
ちなみにその「温州軒」は当時こんなお店でした。
前述のように、ここのラーメンに餃子を入れて食べるとアラ不思議!深い味わいになるのでした。
もちろん最初から入れるのではなく、それぞれラーメン、餃子と食べ始めて途中から餃子を1つ2つラーメンの中に入れて解しながら食べるのがツウ!(って何のツウだか…。)
せっかくなので駅に戻る道すがら、四谷で有名なお店の前を通っていくことに。
まずは「わかば」。
「たいやき」の老舗です。
ランチをここでという方が列を作ってます。
相変わらずの人気店ですね。
続いては「鈴傳」。
酒屋さん、リカーショップなのですが、画像のコカコーラの自販機の左に見える小さなドア。
そこを開けると中は立ち飲みスペースになっていて、いわゆる「角打ち」ってやつですね、買った酒やつまみをそこで味わえます。
ここは空いてそうだったんで入りたかったですが、イカン、イカン、平日のお昼。
まだ、仕事が残っています。
後ろ髪を引かれながら移動…。
四谷見附交差点へと戻り、四谷駅から帰途へつくのでした。