革命終焉~天龍源一郎引退試合 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

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不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

昨日は、「ミスタープロレス」の異名を持つプロレスラー“天龍源一郎”の引退興行へ行った。
天龍引退興行
場所は、両国国技館。
元々は力士だった天龍源一郎の最後の興行は、相撲場であるこの国技館を選んだ。
今回、一番安価な席でも¥5,000とかなり強気の値段設定。
しかしながら長らくプロレスを牽引した選手の引退興行なので、ご祝儀代わりに購入。
でも、当日会場でパンフレットが付いてきた。
記念パンフレット
かなりしっかり作られたパンフレットです。
普通ならこれだけで2000円くらいするし、こういった大きな大会なら3000円くらいで売る団体もあるだろう。
それを考えると5000円のチケットはずいぶんと安い値段設定と言える。
このパンフレットの表紙をめくると、いきなり天龍選手の自筆のあいさつ文が。
天龍挨拶文
もう、これだけで、ぐっと来てしまいます。
でもでも、実は今回のチケットが自宅に届いた時点で目がウルウルしてしまった。
現在、天龍のマネジメントをしている「天龍プロジェクト」の代表で、天龍選手の実娘である嶋田紋奈代表の自筆の手紙。
嶋田代表の手紙
もう、父を、プロレスラーを、プロレス・ファンを、リスペクトしている愛情が滲み出てるもん!

最近では、滑舌の悪い変なオジイさんみたいな感じでテレビに出ることが多いイメージですが、改めて、天龍源一郎というレスラーを紹介すると、1963年13歳で角界に入門し格闘技人生がスタート。
あの名横綱“大鵬”が勧誘に来たというのだから凄い。
ここで「天龍」という四股名を貰い、前頭筆頭まで進むと所属部屋の師匠が死去したことで、角界から撤退し、1976年ジャイアント馬場率いる「全日本プロレス」に入団。
ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、という偉大な両看板がいて、往年の海外有名レスラーが多数参戦する当時の全日本プロレスでは、いつまでも天龍は3番手以降のポジションであった。
しかし1989年、師匠であり団体の大看板のジャイアント馬場をフォール。
また、当時アントニオ猪木率いる「新日本プロレス」がストロングスタイルを推奨しキレと凄みのあるプロレス技を実践したのに対し、「全日本プロレス」は馬場のイメージに似ていわゆるアメリカで行なってきた王道スタイルを貫くが、どうしても猪木の方が、新日本の方が見てすぐわかる「闘い」と「怖さ」の演出に勝っていて、全日本プロレスは「ぬるい」と見られがちになってしまう。
そんな時、敵対する猪木の、そして新日本の技を率先して会得し繰り出したのが天龍選手だった。
これは当時の保守的な全日本プロレスという団体とそのファンからすると、革命的なことだった。
このファイト・スタイルと生き様から、天龍のプロレスには「革命」という言葉が隣り合わせになっていく。
1990年、一枚岩だった「全日本プロレス」から脱退し新団体「SWS」の看板としてファイト。
しかし短命で終わったSWSの後、自身が軸となり「WAR」という団体を発足。
新日本プロレスとの抗争に打って出る。
1994年、アントニオ猪木との一騎打ちで猪木をフォールし、これで日本の2大レスラーである馬場と猪木から3カウントフォールを取った唯一の日本人レスラーとなる。
1998年になるとフリーランスとなり、新日本の至宝「IWGPヘビー」や全日本の至宝「三冠ヘビー」の王座も戴冠する反面、女子プロレスラーの神取忍の顔面をボコボコにしたり、大仁田厚のデスマッチや、「ハッスル」のエンタメ系プロレスにも参戦。
しかし一貫して、無骨で容赦なく昭和のプロレスを繰り広げていった。
実に40年にわたるプロレス人生、50年にわたる格闘人生を過ごして、現在65歳!
よくぞここまで一線で頑張ってきたと恐れ入ります。

そんな天龍が最後に選んだ対戦相手は、現在「新日本プロレス」IWGP王者の“オカダカズチカ”。
オカダカズチカ
この経緯は、オカダ選手が現在MVPやプロレス大賞を続けて取るような勢いの中、「猪木、鶴田、天龍は俺と同じ時代じゃなくて良かったなと思いますね。俺と同じ時代じゃ連続受賞なんて無理でしたし。」と発言。
まだ引退してない天龍が「俺だけじゃなく馬場さんや猪木さんの時代もコケにされた。」と憤慨。
「昭和のプロレスの凄みで成敗してやる!」といういきさつ。
しかし、正直もう65歳の天龍は、往年の動きなど出来るはずもなく、以前に神取忍の記念興行に出た時もほとんど動かずに客席から「動けー!」、「働けー!」という野次が多数飛び交っていた。
普通ならもう老年のレスラーの引退試合と言ったら、これまでに縁のあるレスラーや団体の選手たちとのタッグマッチで花を持たせてもらう、というのがお約束。
しかし、今の若きトップレスラーと1対1で交流としての試合でなくどっちが勝つかに拘る試合を選んだあたりは、やはり天龍が天龍であることを見せてくれた気がする。
そして、天龍源一郎最後の試合へ。
幟
天龍の試合お約束の幟がはためく。
そして天龍源一郎、最後のリングイン!
天龍最後のリングイン
対峙する天龍とオカダ。
天龍vsオカダ
天龍の勇姿。
天龍1
そして天龍の名がコールされると、テープが飛び、ガウンを脱いだ。
なんと、昔の短いパンツスタイル!
天龍2
老いが目立つ体型になってからは、上半身はタンクトップ下半身はパンタロンパンツの格好が常だったのだが、最後は往年のいでたちのファイト。
みすぼらしい体型と思う人がほとんどだろうが、それでもこのいでたちで戦うという意気込みが天龍の男気です!
ついに一騎打ち開始!
組合い
天龍が代名詞の1つである水平チョップをオカダの胸に一発見舞うとリング下へエスケープするオカダ選手。
そこで、リング上の天龍がオカダの決めポーズ「レインメーカーポーズ」を取る。
天龍レインポーズ
その後も天龍は大技をオカダへ見舞おうとする。
ブレンバスター
しかし若いオカダは天龍の重みを受け止めるも、その身体には効かない。
そこでオカダがその身体能力を活かす空中戦へ。
ダイビングへッドバッド
その技をもろに受ける天龍。
今度は本家の「レインメーカーポーズ」。
本家レインポーズ
引き続き宙を飛び、打点の高いドロップキック。
ドロップキック1
本来ならそれに延髄斬りという空中技に行きたいところだがもはや飛べない天龍はぶん殴って腰をマットについたオカダへ地上での延髄斬りを見舞う!(笑)
低空延髄斬り
意表を突かれたオカダがダウンするとこの試合最初のフォールを取りに行ったのは天龍選手。
天龍フォール
もちろん返すオカダ。
オカダは再び打点の高いドロップキックを見舞っていく。
ドロップキック2
もう10分以上、1人でする試合などしばらく無かった天龍にはスタミナがなくなっていく。
グーパンチや水平チョップを繰り出すくらいしか力が無い。
水平チョップ
ドロップキックとパンチ&チョップの打ち合いは明らかにオカダに分があり、オカダの決め技「レインメーカー」が炸裂。
そのままフォールでカウント3。
オカダフォール
17分27秒、オカダカズチカ選手の勝利。
試合が終わると、オカダは倒れて起きれない天龍に歩み寄ると、かなり長めな時間頭を下げ、リングを降りた。
ようやく立ち上がった天龍は渡されたマイクを握ると一言「負けたーっ!」と叫んだ。
負けたー!

天龍もオカダもよくやってくれました。
65歳の老齢者とWWE的な省エネ(?)スタイルの若きチャンピオンがどこまで噛み合う試合なのか。
本来なら成り立たないだろうし、これが普段の興行の1試合だったらもっと緩くやれるのかも知れない。
しかし、あの“天龍源一郎”の最後の試合では、それは許されない。
オカダはもちろん、天龍自身もだ。
そんな状況下では、これはよくやったと評価されべき試合でしょう。

そしてリング上では、このまま天龍の引退セレモニーに。
まずは、全日本時代のライバルであり盟友の“スタン・ハンセン”が花束を持って登場。
S.ハンセン
続いては、同様に天龍と全日本マットで共にした“テリー・ファンク”が登場。
T.ファンク
この3選手が並び記念撮影。
テリー、天龍、ハンセン
ここから、意外なレスラーやプライベートで親しくした人達、スポーツ新聞やマスコミの登場かと思いきや、天龍自身のマネジメント「天龍プロジェクト」代表であり愛娘の“嶋田紋奈”代表が花束贈呈。
嶋田代表
贈呈を終えた嶋田代表がリングを降りようとした時、天龍がマイクを取り「代表!父ちゃんの代わりに来てくれたお客さんにお礼の言葉を。」と呼び止めた。
マイクを持った嶋田代表は涙を堪えながら代表として天龍の娘としてその務めの挨拶を始めた。
来場者だけでなく、テレビ観戦、ライブビューイング観戦しているファンにも礼を言うと、堪えきれずに言葉が詰まり泣き出す。
嶋田代表挨拶
天龍にも苦労をかけたと労い、やっと出来た最高の舞台だと礼を述べた。
もう、ダメ、堪える度量もないまま私も涙が流れ出た…。
いやぁ、天龍の引退はチケットが届いたところから最後まで、嶋田紋奈代表の愛情に泣かされっぱなし。
自分の周囲にいた観客の大の男たちも、中には嗚咽しながら泣いてる人までいた。
こんなにも男どもを泣かせる“嶋田紋奈”、たいした女だぜ。(笑)
それでも最後にリングアナウンサーからせかされて天龍にも挨拶をマイクを渡される。
「オレは本当に幸せ者です。これ以上望むものは何もありません。みんな、ありがとう!」と延べ頭を下げた。
天龍最後の挨拶
そのまま、引退の10カウントゴング。
引退10カウントゴング
10カウント終了後、天龍の名がコールされるとイメージカラーの黄色い紙テープが飛び交う。
あれ?これでセレモニー終わり?
天龍の引退だから、もっと懐かしい顔が登場するかと思っていたのだが…。
しかし、こうあっさりとしたセレモニーもまた天龍らしいか。
すると黄色い紙テープが残るリングの上に座り込む天龍。
座り込む天龍
まるで断髪式の力士のようだ。
そこへ、今回リングに上がった選手たちが取り囲み記念の集合写真を撮影。
記念集合撮影

ああ、また1つ「昭和」が消えた。
そんな感じです。
ついに天龍も引退、いやご本人の言葉では「プロレスラー廃業」ですか。
昭和の名レスラー、天龍源一郎選手永い間お疲れ様でした!!!!!

その他の試合はまた次回以降に記すつもりです。
<続く>






【追記】
やはり昭和の外人レスラーで日本のプロレスファンにも馴染み深い“ニック・ボックウィンクル”氏が11月14日他界されたそうです。
心よりお悔やみ申し上げます。