モヤモヤ ブラ 散歩~伝説の俳優と日比谷公園 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

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不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

先月、Charのフリーライブを観に日比谷野外大音楽堂へ行った際、チケット入手後に時間がだいぶあったので日比谷公園内を散歩した。
もう炎天下でヘロヘロになりましたが。(笑)

野音ゲートにてチケットを入手。
日比谷野音
列の流れのままに、その先に進むとぶつかる門が「霞門」。
霞門
ここを起点に1週回ることに。
ちなみに公園は以下のような作りとなっている。
日比谷公園案内図
上掲画像で言うと、左へ(東に向かって)進む。
霞門から歩いてすぐに公衆トイレがあるのだが、このトイレ、今や話題の“キールアーチ”状ではないですか!(笑)
キールアーチトイレ
建設費はいかほど?(苦笑)
さらに真っ直ぐ歩くと、いわゆる町中で見る公園“児童遊園”があった。
こんなのあったんですね、知らなかった。
児童遊園
さらに進むと、夏の代名詞と言える“ひまわり”が並んでいた。
ひまわり
まだ生育途中な感じではあるが、都心で多くのひまわり(この通路の両脇にひまわりがたくさん植えられていた)をみることは無いので新鮮な気持ちになる。
この通路の先には「健康広場」と名付けられた運動にちなんだ広場があり、しかしそこに大きなモニュメントがそびえ立つ。
自由の鐘
「自由の鐘」だそうです。
“自由の鐘は1776年米国の独立宣言に際し自由の喜びを天下に告げた歴史的記念物である。しかし、この鐘はその鐘銘の聖句にもある通り「すべての国とその住民に自由を告げる」自由の象徴である。米国民間の匿名有志はその複製を連合軍総司令官リッジウェイ大将に託し、これを広く日本国民に贈りたいと申出た。よってリッジウェイ大将は自由の擁護者たる新聞を通じ広く日本国民に贈ることが最も寄附の趣旨に副うものとして昭和27年(1952)4月日本新聞協会に寄贈された。日本新聞協会には日比谷の一角に自由の鐘塔を建造してこれを東京都に寄贈し広く国民と共に自由の鐘の歴史的意義を銘記せんとするものである。
昭和27年(1952)10月 社団法人日本新聞協会”と記されていた。
健康広場にあるテニスコートの先にある門と出くわした。
この門は「桜門」。
桜門
門の先は晴海通りでその先に見えるのは皇居となる。
今度はここから南へ進む。
すると、茂った木々の視界が開け、右てに庭園が見えた。
第一花壇
「第一花壇」だ。
第一と言うくらいなので第二もあるのだが、第二のほうが知られてるのでは?
第一花壇は南国ぽい樹木や草花があり、ちょっとトロピカルというかエキゾチックというか、そんな印象だ。
今度は左ての方を見ると、“伊達政宗終焉の地”と記された案内板が。
伊達政宗終焉の地
日比谷公園は元々、先の「桜門」のところで解るように、江戸城に隣接した位置だったので当時は大藩の上屋敷街だった。
そこで仙台藩もここに屋敷を持っていたんですね。
そして、日比谷公園の南東の位置に池があります。
心字池
「心字池」です。
ここは、「ブラタモリ」でも紹介されていました。
前述通り、江戸城外で多くの大藩主が住むエリアだったので、池の先の石垣は「日比谷御門」の残跡である。
また江戸時代以前はこのあたりは入り江で海との境界であったとして、「日比谷入江」と呼ばれていたらしい。
徳川家康が江戸城を築城するにあたり、この日比谷入江を埋め立てて外堀として残した海の痕跡だそうです。
言うなればここが「海」だったという“土地の記憶”の証明となる意外なスポットなのです。

この心字池から、日比谷通りと平行に園内を歩いていきましょう。
ここから何やら世界的な「物」が置かれている。
まずは、「古代スカンジナビア碑銘譯(ひめいやく)」。
古代スカンジナビア碑銘鐸
1957年にヨーロッパより北極経由で日本への空路を開拓し、その後、北極航路開設10周年を記念して寄贈されたもので、スカンジナビアのバイキングの古代北欧文字碑を模したものだそうです。
北極航路の次は南極航路。
南極の石
「南極の石」です。
1965年(昭和41)南極観測船「ふじ」が持ち帰ったものです。
その先、右てにちょっとした施設が見えます。
野外小音楽堂1
「野外小音楽堂」です。
昔は、自由に出入りできたのですが、今では柵が設けられ施錠されて入れません。
ここは、昔の映画、ドラマのロケで良く使われた定番ロケスポットでした。
特に、客席部分がね。
野外小音楽堂2
そうそう、この日比谷公園はあの伝説の名優の有名シーンを何本か撮っていました。
野獣死すべし小音
いやいや!泉谷しげるではありません!!(個人的には泉谷は名優と思ってますが)
客席です。
いえいえ、左の2人連れでもありません!
黒ずくめの怪しい男性…そう松田優作です!!
これは映画「野獣死すべし」の1シーン。
「野獣死すべし」は松田優作の狂気的演技が話題になった作品。
昨年、彼の25周忌記念上映で久しぶりにこの映画を観ましたっけ。
そして、この小音楽堂の正面は日比谷公園ロケスポット一番の定番であり、日比谷公園の顔でもある「大噴水」だ。
大噴水
しかし、個人的にはその噴水をスルーし、その先にある「第二花壇」へ。
第二花壇1
ここが個人的に今回一番訪れたかったのです。
そうだなぁ、この辺りから撮ってみますか!
第二花壇2
ちなみに花壇の先、木々の間にちょっと見える茶色い建物は「日比谷公会堂」なのですが、、、ここが何のシーンかお気付きいただけたでしょうか?
ここです!
ジーパン刑事1
そう、ドラマ「太陽にほえろ!」で松田優作扮するジーパン刑事のオープニング映像のシーンです!!
途中から、このカットから新たに遊園地のコーヒーカップ遊具に足を放り出しているシーンに変更になりましたが。
松田優作のデビューカットがここだったのです。
実際は、花壇柵内の芝生の上くらいにカメラを置いて撮影したようです。
上掲のカットの直前、柵外の通路から柵を飛び越えるシーンでそれが確認できます。
ジーパン刑事2
下掲画像の一角になります。
第二花壇3
植樹された花も変わり、木々が成長し、大きな建物も建ち、あの頃から時代が流れていったことを痛感します。

さて、この松田優作が走ってきた通路の反対側の柵内には色々な樹木がありますが、謎の剪定植物が…。
??
ちょっとこの画像では判り辛いですが、イルカのような海竜のような…。
しかも、左端のものは身体半分くらい枯れているのが腐っているように思え、昔、日本のトロール船に引っ掛かった謎の動物死骸を思い出させる。(苦笑)
謎の死骸
そんな事はさて置き、第二花壇の対面へ行く。
これもよく目にする「大時計」。
第二花壇の時計
そして、ここから背後に振り向くと「日比谷公会堂」。
日比谷公会堂1
このホールも古き良きホールです。
2年前に矢野顕子のライヴで来たっけ。
この日比谷公会堂は、建物左右に2階へ上がる外階段があり、そこを上がるとエントランスになる。
そして、その建物向かって左側の階段も先の「野獣死すべし」で使用されました。
野獣死すべしラスト1
野獣死すべしラスト2
ラストシーンですね!
日比谷公会堂2
手すりが1つに減ってます。
このラストシーンは観る者が考えさせられる謎のシーンでした。
さて、実はこの日比谷公会堂の裏手へ周ると、実はまた違う施設なのです。
市政会館
「市政会館」です。
見た目が海外の古き建造物のようでもある。
昔は、ここの1階に通信社が入っていて、仕事で記事配信の交渉に伺ったことがあった。
入口の新しい白い部分もまだ古くて重厚な入口でした。
また、その際に通された地階の喫茶がこれまた古くて懐かしい見栄えのお店で感動したのを今も覚えてる。
もう無いのかな?

この「市政会館&日比谷公会堂」に隣接する三角形の近代的建物は「日比谷図書文化館」。
日比谷図書文化館
つまり図書館です。
しかしながら、展示室などもあり、本を読むだけでなく、他にも学べるようになっています。
そしてこの「日比谷図書文化館」の隣がもう「日比谷野外大音楽堂」なのですが、園内外周を周ってきたので、中央部を散策。
野音入口の正面にある池。
鶴の噴水1
鶴の噴水2
「雲形池」と言うのですが、池内中央にある噴水の案内板が目立つので池名より「鶴の噴水」と覚えられてしまうのでは?(笑)
さすがに暑いので、池のほとりの休憩所で小休止。
雲形池休憩所
少し落ち着いたところで散策再開。
この傍に、「京橋の欄干柱」というのが木々に埋もれるようにあったのを発見。
京橋の欄干柱
“京橋”は銀座に隣接して地下鉄の駅名にもなっているあの“京橋”。
京橋が1922年(大正11)に架け替えられた時に、欄干柱だけがここに移設されたそうです。
その先を行くと「雲形池」の端に太鼓橋(?)があった。
太鼓橋?
太鼓橋と言えるほどの弧では無いかもしれないが。
この橋を渡ると、こんもりとした小山になっていて、「つつじ山」と名付けられている。
が、しかし、そちらには行かずに橋を右に見ながら先へ進む。
明治期頃の雰囲気のオブジェを発見。
馬の水飲み場
シャレた感じですね。
どうやら中央部に蛇口があるので水飲み場のようだが、縦に細長い穴が狭くね?と思ったら、なんとこれは「馬の水飲み場」だそうです。
日比谷公園が出来たのは1903年(明治35)なので、当時は園内の道は馬で移動することを想定したんですね。
そしてこの水飲み場の先を行くとすぐに「松本楼」があります。
松本楼
ランチでもしようかと思ったのですが、混雑していたしお高そうだったのでパス。
毎年9月25日は、有名な「10円カレー」を提供するので、そのうちそれを食べに行きますか、と。(苦笑)
そしてこの「松本楼」の前にある大きなイチョウの木が有名な「首賭けイチョウ」。
首賭けイチョウ
元々は江戸城にあったのだが、1957年(明治32)に道路拡張のため伐採されそうになっていたのを日比谷公園の設計者である本多静六博士が「自分の首を賭けても移植する」と言って移植したことから、この名が付いた。
なんでも樹齢400年だそうで、最近は流行りのパワースポットとされているらしい。

この後ランチをしても、当然まだライヴまでは時間が死ぬほどあったので、先の「日比谷図書文化館」で本を片手に時間潰しして、ようやくチャーのライヴへ向かったのだった。
2015.7.19野音

日比谷公園」は野音か、仕事などでこの傍に来て徒歩移動の際にこの中を突っ切るくらいしか無かったので、改めて散策する機会が出来て良かった。
松田優作のいたスポットも撮影出来たし。
ただ、それにしても暑かった。。。(苦笑)