シーナ女史逝去 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

昨夜、日が変わる前にペタ返しをしようとパソコンをONにしたところ、ヤフーのトップトピックス欄に「シーナさん訃報に追悼続々」とあり、自分の知ってる「シーナ」はロックバンド“シーナ&ザ・ロケッツ”のヴォーカルで女性ロッカーの第一人者のあの「シーナ」さんだ。
「マジ?」と思うも、点いていたテレビから24時のNHKニュースでその訃報を追いかけるように報道され驚くばかりだった。


自分が大学生の頃、高校時代からの友達同士が集まってロックバンドを結成した。
(あくまで友人たちがやっていたもの。私は楽器は出来ないし人前に出るのが苦手だったので見ていただけ。)
奴らがオリジナル曲を始める前にカバーをしてたのが、A.R.B、ザ・ロッカーズ、そしてシーナ&ザ・ロケッツだった。
当時は正直に言うと、シーナの声質や音の乗り方とでも言えば良いのか、今ひとつピンと来なかった。
あの頃は、ロックだと金子マリ(最近は葬儀店社長としてテレビで拝見しますが)や酒焼け後のリリィとか、しゃがれ声のヴォーカルが好きでしたもんで。
でも、ロックスターとしたカッコ良さは感じていたので、リスペクトな女性ロッカーでした。

それから何年も経って、HMVだかタワーレコードに行った際、小休止のためちょっと座れるスペースに腰を下ろしたら、その前に座っていたのが、鮎川誠、シーナご夫妻だった。
「シナロケ(シーナ&ザ・ロケッツ)だ!」と認識した瞬間、シーナさんと目が合った。
シーナさんは微笑みながら、優しい穏やかな口調で「こんにちは。」と挨拶をしてくれた。
意外でした。(笑)
また、前述のバンドをやってた友達は、ファミリーレストランで鮎川一家と遭遇。
まだ幼い子供が無邪気に声を上げると、やはり優しくなだめていたそうな。
そのバンドをやっていた友人らとA.R.Bのライブを観に行った際、サプライズゲストで登場したシーナさんと鮎川誠さんは、とてもカッコ良かった。


もう61歳になっていたんですね。
でも、60過ぎてもロックスターな方々は、今の時代はざらだし、何よりシーナさんは現役感が失せていたイメージが無かっただけ、ご逝去というその驚きは大きいものです。
個人的にはティナ・ターナーの後継者のようにさえ思えていたのですが…。

友人がバンドでコピーしていたシーナ&ザ・ロケッツのナンバーでもあった「レモンティー」を。


シーナさん、安らかにお眠り下さい。
そして鮎川誠さん、最愛の奥様でありバンドメンバーを失った悲しみは大きなものでしょう。
心よりお悔やみ申し上げます。