東京は本日は、好天!晴天!風は強いが♪あったかいんだからぁ~。(笑)
しかし、前日、前々日は雪だ雨だ、で凍えるかのように寒い日が続いた。
この2日間は、そんな天候のもと、外で仕事をして寒かったにもかかわらず、家でこの正月休みに放送された「八甲田山」を録画してあったのを観た。(自虐的行為…苦笑)
この映画は子供の頃、テレビの宣伝コマーシャルが頻繁に流れていたのを覚えてる。
「天は遂に我らを見放した!」という言葉が流行語になったほど。
映画自体は、後にテレビで放送した時に観た気がするのだが、正直「なんかよく判んないなぁ」と思う序盤の展開だったのと、雪山に入っても今度は画面が「よく判んない」という感じで、後は記憶が無い。
ひょっとしたら、観ながら寝てしまったのかも知れない。
大人になって久々の鑑賞。
しかも“完全版”での鑑賞だ。
簡単に内容を記すと、日露戦争を目前にした明治時代の日本軍。
ロシアとの対戦を想定し、寒冷国で鍛えたロシア軍と雪の中での戦闘予行演習と、万が一、陸奥湾沿いの青森から弘前への補給路をロシアの艦砲射撃によって破壊された場合を想定すると、八甲田山を越えるしか当時は術が無い、という意見のもとに、陸軍青森歩兵第5部隊と同じく弘前歩兵第31部隊が雪中行軍を行なうことになる。
そして、吹雪の八甲田山で史上最大の山岳遭難事故が起きてしまう…。
現代では、パソコンで検索すると色々なことがすぐ判る。
何を言わんとしているかと言うと、この映画は、実際に起きたこの雪中行軍の悲劇を基にかなり脚色されたドラマであった、という事。
人間関係や友好関係は物語として脚色された部分。
青森歩兵第5部隊のリーダー演じる北大路欣也と、弘前歩兵第31部隊リーダー演じる高倉健の2人がお互い雪中行軍を前に友情を育むが、史実にはそんなことは無いどころかお互い面識も無かったらしい。
なので、登場人物も実際の人物と微妙に名前が変えられていたりもする。
(例えば、福島大尉→徳島大尉、神成大尉→神田大尉、等)
また、高倉健演じる福島大尉が山に住む民間人に案内をしてもらった際に、礼節を尽くすが、実際には奴隷扱いで重度の凍傷で五体満足な身体ではなくなったしまった者が多々出たとか。
しかしながら雪の山中でのロケはすさまじいものがある。
この映画が1977年公開なので、70年代半ばの防寒対策など、現在に比べれば稚拙なものだったろう。
(それを言うと、実際の行軍は明治35年なので、そりゃ恐ろしさに震えますわ!)
最初の方に記したように、雪山のシーンで画面が「良く判んない」というのは、今もそう思う。
ガキの頃に見た頃に比べると大人になった分、まだ判るが。
日本映画の根本的問題として暗いシーン(夜とか、照明の無い部屋とか)の撮影が下手!
邦画のほとんどはただ暗いので、登場人物が何をしているとか、何が起きてるとかがさっぱり判んないのだ。
海外の映画は、なんで暗いシーンでもちゃんと判るように撮影出来るんだろう?
なので、本作も夜のシーンはもちろん、猛吹雪の中のシーンも隊員みな外套のフードを被って雪がごっそりと付いて誰が誰だか判りにくいのだ。
そうなると、やはり主要人物群の俳優でさらに声に特徴があるのが強い。
なので、一番顔が判明できずとも声で判別が付くのは、加山雄三に高倉健という順。
この頃の北大路欣也なんて声に個性を感じない。
間違ってもソフトバンクの白い犬の声ではないのだ。(笑)
あ、あと今まで間違って認識していたことが1つあった。
「天は我々を見放した!」は高倉健のセリフだとずっと思っていたが、北大路欣也のセリフだったのね。
そんな明治35年(1902年)に実際に行なわれた、日本陸軍の八甲田山雪中行軍は1月23日からスタートした。
113年前の、まさに今日だったのでした。
参加者210名中199名が死亡。
高倉健が演じた大尉のモデルの福島泰蔵大尉も、加山雄三演じた大尉のモデルの倉石一大尉も、無事帰還できたにもかかわらず、3年後の日露戦争黒溝台会戦で戦死された。
切ない話である。