元NHKアナウンサーの生方恵一(うぶかたけいいち)氏が逝去した。
生方アナと言えば悲しいかな「紅白歌合戦」での「“ミソラ”発言事件」が真っ先に語られる。
この年末時期、国民的行事であり、最も大きなテレビコンテンツである、NHK「紅白歌合戦」。
生方アナは1981年、82年、84年と「紅白歌合戦」の総合司会を務めた。
その1984年は、すでに大御所だった女性演歌歌手の“都はるみ”が引退宣言(当時)し、その最後の仕事が「紅白歌合戦」であり、紅白自体もこの都はるみの最後の姿を見せるのが売りだった。
ここで生方アナは都はるみを紹介する際、やはり演歌の大御所で同じ“み”から始まる“美空ひばり”と言い間違い、「ミソラ」と言いすぐに都~と言いなおした。
本当だったらこれはスルーされていた出来事だったのではないか?と思う。
しかしこのハプニングを大きくしたのは“とんねるず”の石橋貴明と片岡鶴太郎だ。
当時、フジテレビは裏番組(紅白終了後の時間帯か?)で確か「オールナイトフジ」のスペシャルを放送していたんだと思う。
そこで紹介され呼び込まれたとんねるずの石橋が開口一番「ミソラ!」と言うと、片岡が「何?それ」と訊き、石橋貴明が「紅白で司会の人が都はるみを“ミソラ!”って言ったの!」と言い、片岡がそれをさらに広げ、「紅白歌合戦」失敗也という雰囲気を打ち出した。
でも私個人としては、1970年代終盤から担当したNHK-FMの「夕べの広場」が強く印象に残っている。
「夕べの広場」は月~金曜の18時~19時に、NHKの各ローカル局が放送していたリクエスト番組。
東京では、5日間のうち、2日間が今で言うJ-POP、1日が洋楽、1日が映画音楽、1日がイージーリスニングやジャズ、をオンエアしていたと記憶している。
生方氏は、J-POPの2日を担当していたと思う。
私も、よくリクエストハガキを出しました。
一度も、曲のリクエストは叶わなかったけど、1つだけ別のリクエストが通ったっけ…。
人気も歴史もある「夕べの広場」(以前は「夕べのひととき」と題していた)で生方アナは、それまでの概念を覆すほどのテンポの良いトーク、ユーモアさ、そしてリスナーサービスで一躍人気が伸びる。
それはそれは、差し詰めプロレス界に現れた初代タイガーマスク、落語界に現れた先代の林家三平のような衝撃でした。
そしてその結果が「紅白歌合戦」の司会までに至った。(でも先の大きなミスを起こしたが…)
今でも覚えてることが2つ。
1つは、翌週にかける曲を当てるという、クイズ型リクエスト方式を導入したこと。
翌週かける曲を1曲決めそのタイトルに結びつくヒントを出し、それを基に番組リスナーが曲名を当てるリクエストハガキを出す。
その中で覚えてるのは、「んちゃかわちにんこ」と一言言っただけ。
私は、当時流行っていた『Dr.スランプ』の主人公アラレちゃんの口癖で「んちゃ(=こんにちは)」や「わんばんこ(=こんばんわ)」を思い出して、「こんにちは」と「わちにんこ」=こんにちはの逆で「さようなら」と連想し、「ハロー・グッバイ」というやはり当時流行っていた柏原芳恵の曲だと思い、リクエストハガキを出しました。(笑)
しかして実際は、「んちゃかあわちにんこ」と言っていて、「こんにちは赤ちゃん」を逆さに読んだものだということで「こんにちは赤ちゃん」のB面の曲が正解でした。
もう1つは、NHKのラジオとしては有り得ない“スタッフいじり”を用いたのです。
AMの特に深夜放送でやる、あのパターン。
生方アナは、伊沢栄子さんという女性スタッフをいじりまくってました。
そこで私は受け狙いで、往復はがきの復信はがきに相合傘の絵を描き、そこに2人のサインを入れて戻して下さいというリクエストを出したところ、後日、そのハガキの相合傘にお二人のサインが入って戻って来ました!
生方アナは芸能人のようなサインを、伊沢女史はしっかりご自分の名を書き込んでくださいました。
これが前述の“1つだけ通ったリクエスト”です。
でもとても嬉しかった。
生方恵一アナウンサー。
12月15日に都内の病院で肺炎のため死去。
享年81歳。
心よりお悔やみを申し上げます。
楽しい放送をありがとうございました!!