その際、ついでに浅草を徘徊。
舞台の時間の関係だったり、雨が降ってきたり、等々で、そそくさと周った感がありますが。(苦笑)
浅草の見どころ、沢山ありますが、邪道な私はすでに無くなった浅草のいにしえのランドマーク「凌雲閣」のあった辺りを訪れてみたかった。

この「凌雲閣」は、1890年(明治23年)に浅草に建った塔(現在でいうところのタワービルか)で、12階建てだったことから通称「浅草十二階」と呼ばれ親しまれていたそうだ。
今では12階建てのビルやマンションなんて高い建築物とは思わないが、その当時の12階だと、当時の人々は摩天楼のように思ったろ。
また、日本で初めて電動エレベーターを設置した建築物にもなった。
しかし、1923年(大正12年)の関東大震災で崩壊し、取り壊しの憂き目に遇うこととなる。
さて、この日、会場である「浅草六区ゆめまち劇場」は「浅草ROX」の中に出来た劇場だったので、最寄駅は「浅草駅」ではなく「田原町」で下車した。
国際通りを北へ歩くと凌雲閣を意識したようなビルが視界に入った。

でも先に記したようにこのくらいの高さのビルは目新しくもない。
何しろ、このビルの先にはあの東京スカイツリーが見えるんだから。

この写真を撮ったところにコンビニがあり、舞台が14時開演だったので軽く摘まんで、終演後にメシを食おうと思い、コンビニに入ってからあげ棒を買い店先で食っていたら、そのコンビニの壁に何かプレートが飾られているのを発見。

仁丹塔跡を示す碑でした。
おお!
そうそう浅草には仁丹塔がありましたっけ!
私が幼少時の頃、浅草にいとこが住んでいて、その頃は「仁丹塔」がランドマークでした。

「仁丹塔」は、最初は1932年(昭和7年)に「森下仁丹」が広告塔を建て人目を引き、その広告に成功するが1944年(昭和19年)にいったん解体し、1954年(昭和29年)に、かつてのランドマーク「凌雲閣」に似せて再建するもやはり1986年(昭和61年)に完全解体となった。
私が「凌雲閣」に魅かれたのも、この「仁丹塔」があったからかもしれない。
そして、現在の仁丹塔跡地。

そして、劇場が入る「浅草ROX」に到着。

「ゆめまち劇場」のロビーには、浅草の歴史を振り返れる模型、ポスター、他の展示物が飾られていた。
昔の「ロック座」や、

「凌雲閣」近辺も。

終演後、浅草ROXを出て、隣のブロックの角がビートたけし出身で有名な「フランス座」のあったところ。

現在は、「浅草演芸ホール」と「東洋館」が併設された建物らしい。
この元フランス座のブロックをさらに北へ2ブロック行ったところにあるパチンコ店の店先に、お目当ての「浅草凌雲閣記念碑」がある。

このパチンコ店を3軒ほど右に行くと「ひさご通り」入口がある。
この「ひさご通り」を入ってすぐ左に位置する辺りに「凌雲閣」が建っていたのだ。

この撮影位置からそのまま右へカメラを向けるとそこは「花やしき通り」だ。

花やしきの外周にある店々も景観を損なわないよう風情のある佇まいの店が並ぶ。

そして「花やしき通り」が終わるとその先には何やら神社仏閣が見えて来る。

そうです!浅草で最も有名な浅草寺の敷地です。
もちろん浅草寺に入るのですが、長くなってしまったので、次回へ続くということで。
(続く)