今回で十二番目。
十番目に「麻布十番」へ行くという駄洒落で選んでしまったが、今回も…。
十二回目は「十二社」関連を訪れました。
(次回、十三回目に「十三」に行くなんてことはありません…苦笑)

「十二社」は「じゅうにそう」と読み、新宿西口の東京都庁をさらに西に行ったあたりに存在した景勝繁華地域だったところ。
私の好きなTV「ブラタモリ」でも取り上げていたっけ。
元々は、この地域に大きな池や滝などがあり、景勝地として秀でていて、水遊びに来る者が多く、飲食~宿~芸者~夜遊び、等、栄えて歌川広重の「江戸百景」でも紹介されていた地域。
しかしながら、1960年代~70年代の新宿東京副都心計画に先立ち埋められてしまった。
上掲の画像の通りは「十二社通り」で、「十二社池」のあった辺りから、新宿中央公園越しの東京都庁になる。
まずは、池があったであろう場所にある庶民的な店「福助」で蕎麦をすする。

確かこの店も「ブラタモリ」で訪れていた気がする。
昔と全く同じ位置に建っているか判らないが、昔はこの「福助」は十二社池畔にあったらしい。

腹ごしらえを済ませ、近辺を散策。
道の高低差、そして昭和40年代くらいの雰囲気を残した佇まいが、ここが元、池だったこと、そして繁華地域だったことを物語っている。
いい感じの道や建築物、お店が多いです!



「酒場放浪記」で取り上げていた「品川亭」もここにあるんですね。



自分が新宿に住んでいた1970年代~1980年初頭に日常よく見たような光景を多く見かけた。
続いて、十二社通りを超えてみる。
前掲画像の歩道橋を渡る。

ちなみに、上掲画像の右にあるビル「住友不動産西新宿ビル3号館」が、十二社池のあった辺りとなる。
渡り終えたところに「熊野神社」がある。

この熊野神社は、室町時代にこの辺り(現在の中野坂上~西新宿一帯)を開拓した鈴木九郎なる人物が、故郷紀州(和歌山)の熊野三山より十二所権現を移し祀ったと伝えられている。
この十二所権現から十二社の地名になったのだろう。
この鈴木九郎は元は極貧で、馬を売ることで生計を立てていたと言う。
いつも馬が安い値でしか売れず、千葉の馬市に行く際に通り道の浅草の観音様で「この馬が高値で売れますように。もし高値で売れ、大観通宝が入っていようものなら、その大観通宝は全て差し上げます。」とお参りしたところ、見事高値で売れたのはいいものの入った通貨は全部大観通宝ばかりで、結局売り上げは全て約束通り観音様にあげてしまった。
すると、その後、家に金が転がり込むは、仕事は当たるは、で、中野坂上~西新宿を開墾し道路設備なども整え、財を成し、この熊野神社までも作ってしまったらしい。
その熊野神社に入るとすぐに、十二社の碑や幾つもの碑が立っている。

その碑のひとつ、一番奥にある碑。

この台形四角柱の「昭和三年御大典記念」の碑を見た瞬間、何かとても不思議な気持ちになった…。
ん?なんだ??
神社だけに神がかったのか?霊的現象??(そんな体質ではないですが)
ちょっと、ゾッとした。
でも、ふと「俺、これ前に見たことがある…」そんな気になった。
デジャブ?前世の記憶??
いや、違う。
俺自身が、この碑を見た記憶がぼんやりとだがあるのだ。
帰宅後、調べてみるとまずこの「昭和三年御大典記念」は昭和天皇の即位を記念するための碑らしい。
そこで「昭和天皇」、「昭和三年」、「御大典記念」、「新宿」、「熊野神社」といったキーワードをランダムに組み合わせ画像検索にかけていたら判明した!!
それは、自分でも忘れていた記憶だった…。


そう、これは新宿駅南口を新宿三丁目方面に下っていく途中にあったあの碑だった。
ちょうど今の新宿南口横に建つ「フラッグス」ビルに降りていくあの辺りに昔はこの昭和三年御大典記念碑があったものだ。
いやー!懐かしい!
自分でも、この碑を覚えていたのが不思議でならない。
そして、現在はこの熊野神社にこの碑は移されて現存していたのかぁ。
さて、熊野神社の中へ進むと、熊野神社と十二社の案内があった。

かつての十二社池の写真も。

今の時代から見ると、大池で舟遊びだなんて、優雅で粋に映ります。
そして奥の本殿へお参り。

十二社だけに、十二円を入れました。。。
(貧しい私…。)
この後、隣接の「新宿中央公園」とこの地を手がけた鈴木九郎翁に関する寺にも行きましたが、それはまた次回に。