1976年6月26日 アントニオ猪木vsモハメッド・アリ戦 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

35年前の今日、日本武道館でプロレスラーのアントニオ猪木とプロボクサーのモハメッド・アリの異種格闘技戦が行なわれた。
色々な意味で、世紀に残る試合だ。
久々にその試合をビデオで見た。
試合の来日したその時までエキシビジョンと思い込んでいるアリ、何が何でも試合を実現させようとする猪木。
何故アリのスタッフがアリに事実を知らせなかったのか?
やはり高額なファイトマネー(30億円!)を用意したので、その金が目当てだったんだろうな…。
ビッグマネーを産む金づるとしか思われてないアリが可哀相だ。

改めて試合を見ると、「アリキック」と呼ばれる寝た体勢からのローキックを受けまくったアリの体力と精神力が凄い!
また猪木も3分15ラウンドのほぼ全てを寝ながらのローキックを続けた腹筋、脚力も凄い。
新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。-猪木vsアリ
途中でアリ側が猪木のシューズを調べさせ、挙句つま先にテープを貼れと指示。
しかも利き足の右ではなく左にだ。
ん~、不可解。
(だが猪木は当初リングシューズの中に鉄板を入れるつもりでなんと用意していた!もちろん試合にはそれは使用しなかったが)
猪木も1回アリをグランドにして足を取るも、なぜか反則の肘打ちをアリの顔面に入れてしまう。
これも不可解。
猪木は負けると思ったのか、怒りが出たのだろうか?

試合中96発のキックに対しアリのパンチはわずかに5発。
プロレス技のほぼ全てと言っていいくらいの技を禁じたアリ側のルールがかえって猪木を倒すことを困難にしたようだ。
結局ドローで激しい試合の予想とは裏腹の地味な試合に「世紀の凡戦」、「世界中に笑われる試合」と酷評される結果。
日本だけでなく世界37カ国で放送され、14億人が試合を見たことになる。
日本での視聴率も38パーセントとか46パーセントという高い数字で、最高視聴率は54.6パーセントと言われる。
この1戦で、アリが猪木に対し友情と敬意を抱き、自身の入場テーマ曲「アリ・ボンバ・イェ」を送り、それ以降「猪木ボンバ・イェ」として日本中に浸透した入場テーマ曲にまでなった。
1998年、アントニオ猪木引退試合に行ったが、あの時もパーキソン病に冒され顔の表情さえも動かせなくなったモハメッド・アリが来たっけ。

総合格闘技が定着・浸透し、当時は明かされなかったルール決定の経緯が判明した今は「歴史的名勝負」と評する人もいるほどの試合となったが、これも30年もの時間の経過を物語る。
今やプロレスもボクシングも総合格闘技も低迷してるが、またこの試合くらい世界が興味を持つような試合が見たいものだ。