「妥協」とは | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

この1週間、仕事と人の絆との天秤の上で煮詰まっている。

なんでみんな自分の意を通すのだろう。

自分の意見があって、それを人に理解してもらうために努力する、それは素晴らしいことだ。

でも、相手の意見はどうなんだろう?

自分の意見を持つ人の多くは、「違う、だから無理。」で片付けることが多いのではないか?

私は、優柔不断なタイプなので、それはそれで悪い部分とも感じているが、相手を思いやって、自分に得が無くても、一度引き受けたことは「妥協案」を探して、トライし、着地点を見つけたいと思うのだが…。

それで駄目なら仕方ない、そう思っています。


人によっては「妥協」自体がもう許せない!カッコ悪い!負け犬だ!と思う人が多いのでは?

そんなもんですか??

私は、人と人がお互いを1歩ずつ譲って歩み寄ることは素晴らしいと思っています。

だから「妥協」をある意味で美徳と思っています。

もちろん、妥協した結果、良いものが生まれないということが事前に解っていたら、妥協せずに決別した方が懸命です。

しかし、人の絆、コミニュケーションが疎んじられる昨今、「妥協」が出来る人は人としての度量をきちんと持てる人物だと思いますね。。。