果実酒の面白さ | 「薬」を持たない生活。

「薬」を持たない生活。

自宅に生えている雑草が美味しい♪

 

 

 

 
 
 
朝4時のお祈り中 左目の痛み
 
愛犬も起きた… 咳はないようだ
 
 
昨日ブログを書き終えてから
ずっと御言葉を書き写していた
 
 
霊体が救われないと わたしの病も
なかなか治らないのかなあ
 
 
 
今日の御言葉は 誰もが犯す罪
 
 
毎日やっている人もいる
気づかないうちに 罪を犯している
 
わたしはほとんどしなかったのに
神様の存在を知らなかった という罪‥
 
 
 
 
この間から ずっと考えていたんだけど
 
 
がんという病名はない
だが 腫瘍はある(できる)
 
 
と文字にすることは簡単だが
 
では 腫瘍とはなんなのか
本当に ただの できもの なのか
 
必要のない細胞 という人もいる
ただの おできだ と称する人もいる
 
 
わたしの場合 黒い影
いわゆる腫瘍らしきものが映っている
と言われ再検査すると
本当にただの黒い影だった
 
 
影ではなく 黒く映っていたら
がん 治療となっただろうか…
 
 
たぶん わたしは 治療を受けなかっただろう
そんな気がした 痛みなんてなかったし
その頃から 医療は信じていなかった
 
 
医師に がんになったら
直接本人に伝えるように言ってあった
 
 
夫に「腫瘍ができているかもしれない
あとで電話をもらえないだろうか」
 
と伝えると「わかった」
と言いながら 電話はこなかった
 
 
こういう人なんだな
と自分でもわかっていたが
 
 
こういうふうにがんにされて
治療を受けて亡くなる人は多い
 
だが がんと言われても
治療を受けなかった人は 生き続けている
 
 
だが 治療を受けなくても
腫瘍が大きくなると 圧迫したりと
不都合な状態となる
 
自然となくなる かもしれない
少しずつ小さくなる かもしれない
小さくも大きくもならず
そのまま かもしれない
 
 
(これを言うと信じない人は信じず
消えるわけがないの一点張り)
 
 
仮に痛みがあるとすれば
それは別の症状が絡んでいるかもしれない
 
 
年齢を重ねると イボ ホクロが出やすい
皮膚にでやすくなる
 
 
あれも これも「がん」と
定義づける医療は変です
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こちらがナナカマド
 
 
ナンテンと聞かされていたので
実際は ナナカマドだった という逸話

 

 

 

 

 

 

アロニアは黒っぽく ナナカマドは赤くなる

実はアロニアのほうが大きい

 

 

ナナカマドはナンテンともよく似ている

果実酒にできるが 

アロニアの生食も 難しい

 

 

アロニアとナナカマドは

共通点が多すぎる

 

 

 

 

 

 

2008年11月15日 庭のナナカマド

 

 

 

 

 

 

ウラジロナナカマドの花(ネットからお借りしました)

 

 

 

 

 

アロニアの花

 

花もよく似ています

 

 

 

 

 

 

アロニアとナナカマドの果実酒

 

これが結構美味かった

 

 

 

 

 

 

 

梅酒にアロニア酒

 

 

 

シロナンテンを裏庭の角に植え替えた

毎年 積雪で折れてしまい

うまく育たなかったが

 

ようやく実をつけるようになった

新たな根が出ており鉢で育ててみようと思う

鉢で育てると必ず失敗するのだが

 

時期的にちょうどよい

 

 

雨で韮もイキイキ 生のまま冷凍した

茹でたのもいいが

生のほうが使いやすいかもしれない

 

 

天気予報も当てにならない

晴れのはずが雨が降ってるよ

 

 

信仰生活は酒も果実酒も飲めない

寝つきの悪い時 アルコールも少しは

いいが 料理に使うしかない

 

 

 

もうひとつ 気になることがあります

 

信仰生活において

身内の症状がよくなるのか否か

 

よくなるかもしれないが

よくならないかもしれない

 

 

家族の在り方が 複雑であればあるほど

わからなくなります

 

 

信者になったからといって

自分の身内が

全員コロナワクチンを打っても

平気だった となるわけではありません

 

助かる方もいらっしゃれば

そうでない方もいるということです

 

 

ここを勘違いなさる方がいらっしゃいます

 

 

ウチの姉夫婦は大丈夫ですが

(まだわかりません)

わたしの祈りによって助けられているのか

とは言い切れません

 

 

全ての信者が同じ祈りを捧げていても

祈りの在り方で違ってきます

 

(心から祈ったのか 形式的に祈ったのか)

 

 

祈りを叶えてくださるのは神様であって

わたしたちではありません

 

一喜一憂してはいけないのです

 

仮にワクチンに関して

信仰者の祈りを叶えてくださったとします

 

 

自分の身内が

どんな罪を犯しているかわかりません

 

 

罪があることによってワクチンをきっかけに

死を与えることもあるでしょう いくら祈っても

助けられない場合があります

 

 

だから わたしは 単純に 祈ったから

これで大丈夫だ とは思わないのです

 

 

もう少し 深く考えてほしい

と思いました‥