小さい頃は神様がいて -24ページ目

玉ねぎホイホイ

私には、明確にこれをやりたい、と思うことがない。

やりたくないことは、わかってるつもり。

でもそれなりの理由があってやりたいと思うことがない。


論文に関しても、仕事に関してもそう。

きっと、何を与えられても、やろうとすることが出来る、と思う。

ただ単純なだけかな。



私は、どうしてもやりたいと言って、情熱を傾けることが出来ない。

なぜなら、何がやりたいのか、明確じゃないから。理由が無いからとも言える。


逆に、他人が情熱を傾けていることに、情熱を傾けることが出来る。

その人の世界を知って、とてもそれが興味深く、私を感動させてくれるからだ。



きっと私は、何かの先頭に立つことには向いていない。

自分自ら、何かを創り上げることにも向いていない。

誰かに指示も出せないし、自主性もないし。



誰かが持ってる情熱に、心動かされることは多い。

その情熱に、情熱を傾けよう。

きっと私はその人の良き理解者になれるだろう。




論文テーマ探しも、仕事探しも、

私には難しいな。



とにかく、biodiversidadからは離れたいけど。笑

志望業種、どうしようかな。






そういえば、どうでも良いけど、

最近あまりにも自然に玉ねぎをよけるようになって、指摘されないと気づかなくなった。笑


ちなみに魚料理は好きじゃない。

でもカディスのレストランはほぼ魚料理で出来ています。笑

だって名物だもの。



ますますなんでカディス選んだかわかんなくなってくるわ。笑

全ての理由

全てのことに、必ず理由が必要なんだろうか。

Tenemos que tener algun motivo cuando hacemos algo?


「何故~したの?」「何故~を選んだの?」


その類の質問が、私はとても苦手だということに気付いた。

何故なら、私は明確な答えを持ち合わせていないからだ。


私がやることのほとんどは、多分思いつきなんだと思う。

それが直感だとは思わないけど。気まぐれなんだ。


例えば分かれ道があって、右か左を選ぶとしたら、そこに理由はあるだろうか。

私の選択は、たぶんいつもそんな感じなんだ。


小さい頃は神様がいて


「どうしてスペイン語を勉強してるの?どうして選んだの?」


そんな質問にさえ、本当は困ってる。

だって、自分の勉強には関係ないし、仕事で使いたいとも思ってないし。

ましてスペインの国が大好き!てわけでもない。

人並みの答えを言って、私は少しだけ不満なのだけど、それ以上の質問を恐れる自分もいる。

その類の質問には、必ず他人がある程度納得のいく返答をしなければならないと私の中で思っている。


本当は、私の周りでやってる人がいなかったからで、

スペイン語なんて微塵もしらなくて、

むしろ世界で本当にたくさんの人が話しているのかすら定かじゃなくて、

スペイン、と聞いても正直何もピンと来なくて(パエリアもサッカーもフラメンコも、何も思いつかなかった)

しかも本当はイタリア語やりたかったけど、授業数が少なくて、

更に私の大学はイタリアに留学先を持っていなくて(他の言語を勉強するなら短期留学くらいしてみたい、と思っていたから)、大学経由で行けないなら、と簡単にあきらめて。


とりあえず、スペイン語でいっかって感じで選んだ。

細かい理由はあるけど、他人が想像する理由というほどの理由じゃない。


しかも今は長期滞在。

さぞかし不思議だろう。

私が思いつく明確な理由は、

ただ、話せるようになりたい、としか言えないのだ。



私にとって「理由」は、あとからついてくるもの。

終わって初めて、得たものに気がつくし、過ごしていくうちに何かが出来上がっていく。

そしたらそれをやった「理由」が出来る。


きっと私はいつも、自分の近くにないものを選びたいと思っている。

知らない世界を知ってみたいし、聞いたこともないものをやってみたい。

やってみて、その後どうなるかなんてわかんない。


私の人生はきっと好奇心と気まぐれで出来てる。笑



この人生において「何故?」は私の最大の敵かもしれない。

Toda la pregunta como "por que?" sera un enemigo para mi.

No me digas

ネットがなかったアパートで書きとめておいた日記。

アップしようか迷ったけど、今後もこの話は出そうなので、載せておく。



私は他人に意見を押しつけられることにすごく腹が立つタイプだ。
まあ皆そうか。
私がこれで良いと思ってやってることを、真っ向から否定されたり「何故~しないのか」と問われることに滅法弱い。


私は、他人がすることに「ありえない」と思うことは少ないと思う。
人はそれぞれ思うことが違うのだし、それが良いかどうかは他人が決めることではないし。

その人にとって良ければそれで良いのだと思っている。

だって他人がどうこう言ったところで、本人にその気がなければ結局は変わらないのだ。
私はそのことを知っている。
悪く言えばとても第三者的な立場で、冷たいということかもしれないけど。
でも私は私自身をそれで良いとも思ってる。



些細なことなのだけど。
今日も

「あなたは出掛けるのが嫌いなの?」「どうして行かないの?」

と言われた。

そんなに出掛けることが良いことなのか?
どうして皆と同じように行かなければならないのか。


ここの生活に限って言えば、
私は長期滞在で、他の人は短期滞在。
時間の使い方が違うのは当然でしょう。
それ以上に考え方が違うのも当然だろう。


何故、こんなに暑くて良い天気なのにビーチに行かないのかと問われても、
私にとってはそんなに急いて行くほど時間が無いわけでもないのだし、
そんなに毎日行くほどビーチが好きではないのだし。


ご飯を食べに行ったり、夜出掛けたりしないのか、と言われても、
出掛けるのが面倒だと思う時期もあれば、今は友人がいないから別に良いかなと思うのだし。

友人はその内出来る。絶対にそういう機会は来るものだ。
今焦って誰かと関係を築かなくても、自然に出来ると思ってる。
だからその時、たくさん出歩けば良い。



そういえば、一度エステに行って大泣きしたことがある。笑

なんか毎日の生活とか、というか主に食生活なんだけど。
すごく否定されて。
そんなことはわかってるんだ。体には悪いとわかってるけど、私は今はそれで良いと思ってる。
当分改善する気なんてなくて。
本人にその気が無ければ、他人がどうこう言おうと無駄なんだ。そういう私の性格を私自身がわかってる。
それに自分の食生活なんかより、考えることは他にいっぱいあるし。


だから、私にとって自分の食生活には興味がなかった。
好きなもの食べて、好きに過ごして、それで良い。栄養もなんとなく取れてれば。
いつか年をとって、健康に気をつけようって思ったら、その時気にすれば良いって思ってた。

エステに行ったのは、友人が2人で行くと安くなるから、行ってみようと思って行ったまでのこと。
あれだけ行ったことを後悔したことは無い。



私は自分のペースを乱されるのが嫌いだ。
そしてそのペースを真っ向から否定してくることがもっと嫌いだ。

他人が思う「良いこと」は私には合わないのだ。
私が思う「別に良いこと」は他人には「良くないこと」なんだろう。


他人に考えがあるように、私にだって考えがある。
私の考え方に、口を挟むな。
私はあなたに助けなんて求めちゃいない。


否定するのなら、その気にさせてみれば良い。
私の意見が良くないと否定して、自分の意見押しつけて、そして「良くない良くない」と言って終わる。
「良くない」と思うのなら、改善させてみようと、そこまでやってみれば良い。

どうせそこまでやりはしないのだろう。

結局は皆、自分よがりなのだ。
私もそうだし、あなたもそう。
ただそれに気付かないあなたに、とても腹が立った。



今日の後半の授業は、最近の中で最もやる気の無い授業だった。