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和食器の美しさ

和食器が好きだ。

若い頃は鍋島が好きだった。端整、ストイックまさに好み。
でも食器ってちょっと違うなと感じてきたのは30過ぎてから、
この頃から九谷が好きになってくる(もちろん今でも好き)。

最近は美濃焼を買うことが多くなってきた。料理が美味しく見えるしね。
よく行く食器家の展示会で先週買ったのはこの織部。
大胆にして繊細、和の美しさはこうじゃなくちゃ。

さーてなにを盛ろうかな。

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美しさの基準

いったい人間の審美眼はどうやって形成されるのであろうか?

ボクは自分の審美眼に安定性を求めてきた。
それはなぜ自分はこれを美しいと感じてしまったんだろうと
後悔することが多々あったからに他ならない。
そう、ボクは飽きるということに対し、ただならぬ恐れをもっているのだ。
そのため自分の美しいと感じる感覚に常に理由を求めてきた。
なぜ自分はこれを美しいと感じたんだろうという具合にだ。

そうすることで、たとえば
今自分はこれを美しいと感じたのは、こうこういう部分からで、
それは正しい自分自身の審美眼から来る感覚だとか、
今はこれを美しいと感じているが、それは環境等からの影響であり本当の自分ではない(笑)、とか。
文章にすると笑ってしまうが、美しさの基準を明確にすることは
本当の自分自身の好みを追求することにも繋がる(と思う)。

一方、以前読んだ日本民藝館手帖って本(柳宗悦著)の中で
美を感じるのは「直観」であると書いてあった。
この「直観」は人間が美を感受する本能的な力を意味しているそうだ。
また以前川崎和雄さんの講演を聞いたとき同様のことを言っていた。
氏は肥大化したGマークの審査システムを再構築する際に、
まずそれぞれの審査員がいいと思うものを直感で選ぶ、
次になぜそれを選んだかを審査員全体の前でプレゼンするといったシステムをとったらしい。
これも同様の考えからだろう。

ただしそんな感覚はモチロン人為的に創作されたモノにたいしてだけ、自然は無条件に美しい。
ボクにとってみれば余計な美しさ分析のステップがない分、さらにその感覚が増す気がする。

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mode

端整な服とは必ずしもトラディショナルな服とはいえないと感じている。
ストイックな服とは作業着か(笑)?

ボクは若い時分にデザイナーズブランドブームの洗礼を受けた世代。
具体的にはコムデギャルソンを着て年を重ねていったわけだ。
そこでファッションに関してはアバンギャルドであるべきとの刷り込みがしっかり行われてしまった。

90年代に入ってからPRADA、ジルサンダーには本当に衝撃を受けた。
端整、ストイックそれに加えて上質感に満ち溢れていたからだ。
そして昨今では毎シーズンmen.style.comをチェック。
このまま一生モードしつづけたいなあ。

下は2008FのPRADA、最近トレンドセッターにはなってないけど
毎シーズン説得力のある提案があり、やはり一番好きかな。

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青汁 with Baccarat

健康のために毎朝青汁を飲む。
しかもコントレックスに溶かしてミネラルもとってるつもり。
これがけっこうクセになる。はっきりいって美味しい。
どうせ毎日飲むならと青汁用にバカラのタンブラーも用意(笑)。
木ベラを使って無心で青汁粉を溶かす作業は起床直後の最初の作業であるが、
なぜか非常に充実している気がする。

時間感覚

子供の時間感覚と大人のそれは大きくちがう。
何も特殊相対性理論の話をしようとしている訳ではない(笑)。
一般に子供は1日、1学期、1年が長く、年をとるに従って、だんだんと短く感じる。
それについてちょっと考えてみた。
この理由は、環境から得られる情報量の差と考えているが如何だろう。
つまり幼年時代はこの量が圧倒的に多いのだ。
そして情報を整理し続ける間、廼別間もなしに脳は動き続け、クロックが非常に速い。
一方、新しい物に対し感受性が失われている大人においては、情報処理量が少ない分
脳の実質的なクロックは遅く、これが時間の感覚のズレを生んでいるのではないだろうか?
これをボクは時間の表面積の差と呼んでいる。

もしそうなら大人の中でも時間感覚に差があるに違いない。
もちろんボクは表面積の大きな時間を過ごしたい派だ。
ただ残念なことに子供時分のようにじっとして入ってくる情報が新鮮であり続けることは出来ない。
だから積極的にとりにいく必要がある。いつまでも好奇心を失わない人間であり続けるためにね。

(時にちなんで『時の三部作』の表紙、オススメですが本文とは無関係です)

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