自分で自分を教育するということは、誰でも日常的にしている。
 
受験に合格する、資格をとる、などが自分教育の代表的なものであるが、同じように、禁煙を成功させる、がんになっても立ち直るなど、大事な自己教育だ。
 
女性が更年期障害の原因に気づき、医者に頼らず、解放されるのも、自己啓発の一種と思う。すべて、自分による自分に対する教育の成果である。
 
新聞の人生相談で書かれるアドバイスというのも、知識人が自己啓発のヒントを与えるという図式だ。
新聞の人生相談には、男女の考え方のギャップなどが見てとれ、興味深い。
 
先日の読売新聞の人生相談の投稿にも、男女の考え方の違いを感じた。
 
夫と外食する時、夫は好きな中華のメニューにこだわり、それを妻にも強要するので、妻はつらいとする内容であった。この投稿への回答は、優等生的な内容であった。

その内容は、ラブラブなご夫婦関係であることが見てとれるので、その関係を保ちつつ、妻は友好的に夫へ働きかけてほしいとのことであった。
 
この回答より、私が興味深かったのは、夫のうんちくにうんざりしている妻の気持ちであった。
中華料理以外のものを食べたいとする妻に対し、夫は、中華料理のすごさ、栄養的や歴史的に優れているとする知識を披露するとのことだ。つまり、妻の悩みは、単なる食事内容に関する不満だけではない。
 
いつからかはわからないが、夫からいろいろな知識を披露されることが、この妻は苦痛になってきている。
夫の知識は、雑学レベルだが、妻が知らないことが多い。妻は、知らないことや反論できないことを、夫からつきつけられることが、苦痛になっている。

今後、こうした状況が続くことは、妻の更年期障害の発症に関係しそうに思う。妻の投稿文章からは、妻は料理より、夫のうんちくにうんざりしている自分に気づいていない。
 
男性は理論的だ。そこを論破できる女性は少ない。投稿者夫妻は、人生の大事な節目に、男性が主導的にものを決めてきたであろう。家庭が維持され、男性は「教えてやる」的な態度を強めてしまってきているのではないか?
 
夫が決める人生は、安心で、頼もしいものかもしれないが、それは、一方で、女性にとってあきらめを伴うものである。
 
妻は、「あなたの独断にはついていけない!」と言わないできた優しい人のようだ。そのため、妻は不本意な思いを残しながらの人生を、続けてきてしまった。
 
他人が決める生活環境で暮らしている女性には、更年期障害が起きやすい。自らの判断で切り開けない人生は、その不満が体の症状としてでるのである。
 
女性自身もそうしたことがうすうすわかっている。しかし、女性に更年期の症状が出た時、何か病気があるのではないかと不安になり、ドクターショッピングをする。
 
そして、女性の症状の原因究明のために大事な事実があっても、女性自身がそこに気づいていないために、医師に伝えられない。医師は病名に困るが、女性は、医師に病名や(治療法を求める。

その病名があまり意味がなくても (例えば、更年期障害とか繊維筋痛症とか)、女性はそれで安心する。
 
治療のために医療費を使うことが、自己主張の一環となっている感もある。更年期の治療の最たるものが、漢方薬だ。効果が無くても、イメージで使われていることが多い。
 
更年期障害は、女性を苦しめ、望ましい状態ではないが、とりもなおさず、女性の弱い立場を象徴するものでもある。病気になったりしないと、周りにインパクトを及ぼせないのである。
 
ファミレスなどで、中年男女が話をしているのを聞くと、反論できない様子の妻をみかける。妻が何か言えば、さらに夫は理屈をつけてくるので、それにかなわない。
 
しかし、反論しない、やさしい妻でいることは、ますます、主導権をにぎられることになるリスクがある。
 
夫が、おやっ!やられた!かなわない!と感じる気の聞いた答えをひねり出す努力は、やはり、妻には必要であろう。子育ての終わった今、妻も今までの経験を生かして気の聞いた雑学知識が披露できるようになっているはずだ。

夫は、一方的に妻を論破できたとしても、良い結果は期待できない。妻の体の不定愁訴につながっているだけである。
 
幅広い雑学を披露したい男性の気持ちはわかるが、その結果、マイナスのことが起きるなら、せっかくの知識が惜しい。
 
男性は、定年などがあれば、雑学披露を聞いてくれる人がだんだん減ってくる。最後に聞いてくれるのは、妻位になるであろう。だから、夫は、妻が喜ぶ雑学の維持に努力して欲しいと思う。
読売新聞の人生相談を良く読む。
 
中年女性からの質問や回答が興味深い。女性たちから寄せられる悩みを読んでいると、悩みが原因となり、更年期障害特有の症状として外に出てくるのではないか?と心配してしまう。
 
最近、印象的だったのは、夫の加齢臭に悩むという投書であった。夫のそばによったり、自宅に入ると加齢臭が気になり、悩んでいるという投稿であった。
 
この投稿には、精神科の男性医師が回答していた。彼の答えは、男性の気持ちを代弁する内容となっていて、男性は、加齢臭があると言われてとても傷つく存在だから、注意をする時の言い方に工夫をしてほしいというものであった。
 
もし、私が回答者であったら、まず、あなた加齢臭は、大丈夫ですか?と言ってしまうだろう。最初から角がたち、回答者としては失格かもしれない。
 
男女を問わず、体臭はだれでもあるし、加齢臭とは、物を売るために、ことさら強調されて出てきた言葉である。加齢すると、肉体的にはいろいろ壊れてくるので、臭いは出やすくなると思う。若い時でも、特有のにおいがあるが、中年の体臭には、その人の生活レベルが影響してくると思う。ボディケアや衣服に、どの位のお金をかけられるかも影響する。
 
夫に加齢臭があると言うなら、同じ生活レベルである奥様にも、似た臭いが出ている可能性がある。
 
「私は無い!」と、投稿者である奥様は思っているかもしれないが、家の中の加齢臭の原因に、女性が関係しているかもしれないと考えれば、むしろ、ストレスの解消になるのではないかと思うのである。
 
そして、私の回答の最後は、二人で友好的に協力しあってほしいと優等生的に結ぶかもしれない。
 
他人を批判するのは自由だが、その時、自分はどうなのかと考えることは必須だ。女性はしばしば、それが不得意のような気がする。つまり、相手の気持ちや立場を想定することが苦手な人が多いように思う。男性から見ると、「えっ、君がそれ言うの?」となってしまう。
 
作品の出来が悪い!医者の腕が悪い!先生のレベルが低い!と、思っても、自分ならどうか?を想定すると、他人を批判できなくなることが多いと思う。
 
相手の気持ちを想定する能力を高めれば、女性は、更年期障害からの解放に役立つと私は言いたい.。
 
別の日だが、この新聞の人生相談欄に、中年女性からの投稿があった。

投稿者の女性のご主人は、病気で入院し、憔悴して病室で亡くなった。入院中の夫の元へ、近所の人が妻に無断で見舞いに訪れ、その消耗した夫の様子を他人にしゃべったという。
 
夫の気持ちを傷つけた近所の男性が許せないという内容だった。悔しくて後悔する毎日であると書かれていた。投稿した妻は、憔悴した夫が人目にさらされないよう守ることが、妻の義務であると書かれている。

回答者は、苦しむ妻に、一定の思いやりを示しながら、夫はその近所の男性と、男性同志で、(妻の知らない)信頼関係があったかかもしれないし、近所の男性も悪気で、他の人にしゃべったわけでもないのでは、とのアドバイスしていた。
つまり、回答者のアドバイスは、男性たちの気持ちを想定することの重要性を説いていた。

夫の気持ちは、どうだったのであろうか?夫は、病気の最初の時は、人目をさける感情を持っていたかもしれないが、病気が重くなれば、人の心は変わって行くこともあると思う。
 
人の心は、重い病になると、変化していく。妻は、付き添いながら、夫の気持ちの変化の過程を想定する能力を高めることが必要であると思う。
 
あの高名な免疫学者であった、多田富雄氏も、マヒした口から、よだれがでる様子や、言葉がでない様子をテレビにさらした。そして、発声練習をかさねて、学会のパーティで、「乾杯!」の発声を必死に出した様子もテレビで紹介された。それに涙した人も多いと思う。
 
決して病気の夫を他人に見せてはならぬとの妻の決意は、逆に夫に負担をかけていた可能性もある。
自分の価値観で物事を決めつけて、こうでなくてはならぬ!と思いこみ、苦しむことが、女性の更年期障害につながっていくように思う。
 
病気の子どもを抱えた母親がドクターショッピングをしたりすれば、一番つらいのは子どもである。子ども自身も、病気が治らないことに劣等感を抱き、親に大変な心配と負担をかけているとを辛く思っている。
 
想定すること、とても大事だ。あるべきと考えられることでも、所詮、個人の価値観にすぎない。本来あるべきことを、視点をかえて考えてみたい。
 
他人は別の価値観で生きている事を理解し、複数の視点から、あれこれ考え直すことは、やはり大事であろう。同じところをぐるぐる回らず、あるべき論から解放される。
 
病気を持つ人は、不安をかかえ複雑な思いがある。体力の消耗もある。病気の人に寄り添う時や、逆境にはまった時こそ、想定する能力を高めたい。
 
そういう私も、想定の方向を勘違いして、悩みはつきないのだが・・・。
医師は、健康診断に来た受診者が喫煙者であれば、禁煙指導をすることになっている。
 
なぜなら、禁煙による健康改善効果は絶大だからである。しかし、タバコをすう本人(受診者)は、タバコの害については、十分に理解しているがために、他人から言われるのをいやがる。
 
「禁煙についてはどうですか?」と医師が聞いた時には、「それができなくて・・」と明るく言う受診者もいるが、彼らは無理して笑顔を作っていて、その心は傷ついている。
 
「たばこが500円になったらやめます」とか
「さらに値上がりしたらやめます」とか言って、議論をかわす人も多い。

本人もたばこの害を恐れていて、話題にしたくないのである。
 
禁煙を指導しようとする者は、論議が膠着状態にならないように、話をはずませたいと願う。
話がはずめば、お互いに情報交換ができる。たとえ、指導の即効性はなくても、将来的な効果は期待できるかもしれない。
 
禁煙指導を熱心にしても、マイナスの結果を生むことも多い。
喫煙者の脳は、ニコチンを欲していて、ニコチンを確保できることが死活問題となっている。その脳細胞の志向を変えさせるのは、たいへんなエネルギーのいることであると思う。
 
女性は一般的に禁煙しにくいと言われるのも、禁煙に必要なエネルギーを生み出せないからではないかと思う。
 
それでは、禁煙指導者は、どのようなアプローチが有効なのか?シビアな禁煙論議をなごませるには、どうすれば良いのか?
 
最近、禁煙の大々的な広告がある。なにしろ、資本にものをいわせた製薬会社の一面新聞広告である。
「お医者さんと禁煙しよう」「二万円の保険診療が可能です」というものである。
 
この宣伝については、多くの人が知るところとなり、面識の無い人との突然の会話でも、話が通じる。この広告の是非をめぐる批判はさておき、禁煙指導のツールに使えることは確かである。
 
もちろん、「お医者さんと一緒に禁煙しましょう」などとは言うのではない。もし、医師がそれを言えば、誇大広告だからである。
 
(医師という職種は、誇大広告を禁じられている。それを平気でするのは、食品メーカである。
このブログにも、でたらめな食品メーカの誇大広告が強制的に入ってくる。)
 
もし、医師と称する人が、「私と一緒に禁煙に成功しましょう」などと言ったら、その人は医師でないかもしれないと思った方が良いと思う。
 
それでは、なぜ、この広告が禁煙指導ツールとして使えると言うのか?
実は、この広告自体の白々しさを、話題に出来るからである。この白々しさを話題にすれば、指導現場の雰囲気を一気に変えることができる。
 
禁煙希望者から、「病院にかかると、二万円ですか?」
などと、質問がでれば、
禁煙指導者は、つかさず答える。

指導者が男性医師なら、
「まあ、あれは、単なるお話でしょう。あんなきれいな女医さんなんか、いませんしね。だいたい、美人は冷たいし、男心はわからんですよ。」
と言えばいいし、
 
指導者が女性医師なら、
「まあ、あれは、単なるお話でしょう。あんなきれいな女医さんなんか、いませんしね。実際にでてくる女医さんは、こんなものですよからね。」と言えば良い。
 
ほとんどの受診者は、その場で笑ってくれるだろう。
 
そして助言を続ける。
「禁煙は、その人がその気にならない限り、成功しないと思います。誰かに指導されてではないです。
病院に行って、すごく運が良くて、美人の女医さんが出てくるかもしれないけど、その人になんて言われるやら・・・・。
 
脳の細胞は、ニコチンを欲しがっています。脳の細胞は、これがないと生命の危機という位に、せっぱつまっていると思います。でも、他の臓器は、タバコをとてもいやがっていますよね。欲しがる脳を何とか、なだめる作業です。他人任せにできません。
 
一つの方法ですが、喫煙の影響を、いろいろ、イメージしてみるのはどうでしょうか?
もちろん、あなたは、がんになりやすいとか、肺がだめになるとかは、すでに知っていますよね。
でも、それが、今すぐ、起こりそうな気がしないから、これだけでは禁煙は難しいです。
 
さらなる、禁煙のモチベーションを高めるために、今の体に、どの位の影響がでているかを考えるのはどうですかね。
 
だいたい、30代後半から、だんだん、呼吸器の症状が出てきます。風邪をひくと治りにくいとかでてきますよね。笑うと咳がでる。走ると咳がでるとかにもなります。」
 
受診者の中には、すでに、そうした症状があると答える人もいる。
そうした場合には、
「それは、ますます強くなりますよね」
と応じる。
 
そして、指導者(医師)は、口の中を見る。
「やっぱり、大分、ノドが赤いですよね。喫煙者のノドって、普通の人より赤いです。なぜだと思います。それだけ、口の粘膜ががんばってるということなのです。嫌なもの(タバコ)が入ってくるので、血管を拡張させて臨戦態勢に入っています。
 
それから、あなたは昨年の検査では、白血球が多くなっていますね。これも、血液の中の異物排除の反応が進んでいる証拠です。普通、好中球と言うタイプの細胞が増えることが多いです。これは、異物も壊すけど、自分自身の体も壊す、何でも壊すのです。いろいろ、全身が参りますよ。」 

などとも、指導者は言ってみる。
 
指導者側に、いろいろな工夫があったとしても、禁煙指導の効果は、個人差が大きい。
 
反面教師の応用もある。
ネットのブログなどに、喫煙万歳、喫煙の素晴らしさなどについての記載を見ることもある。そうした文章を読むことも指導者にとって、大事な参考情報となる。
 
最後は、又、固い話になってしまうが、
禁煙指導を成功させるには、喫煙への理解や、科学的根拠の情報提供の多面的サポートというところか?
 
 
更年期のやる気のなさは、どこから来るのでしょうか?
 
新聞の人生相談にありました。中年の独身の娘が、突然、変ってしまったと嘆く父親からの相談です。
 
会社勤めで管理職まで行ったのに、娘さんは、会社つとめがバカバカしくなった!やってられない!とこぼしたりするそうです。服装が派手になり、整形手術を受けたりして、父親は、娘の性格が変わったことが心配であるというのです。
 
確かに、この年齢になると、働く女性の社会的立場は難しいのではないですかね。ある程度までは出世しても、それ以上の業績を上げるのは難しくなるでしょう。
 
女性は経験をつみ、仕事の先が見えるようになっています。そして、自我も出てくるし、生理的なかわいらしさも消えてしまう年齢です。
 
しかし、年下の上司は、それがわかりません。成果のでないとわかっている仕事でも、上司は指示します。上司にはメンツがあるので、女性の主張は聞かないでしょう・・・。
 
つまり、女性のやる気が出ないということは、先が見えてしまうからなのです。女性は、経験をつんで賢くなっているのに、その経験を生かせる立場につけないのです。日本の会社組織で、才能を生かせる管理職の女性って、どの位、いるのでしょうか?
 
肉体的に女性は不利ですから、いろいろ余裕がありません。できるだけ集中力が維持できるうちに仕事を片付けたいと思っても、疲れた時に仕事がきます。
 
新聞相談の回答は、娘さんは遅れて反抗期が来ただけですから、見守ってあげてくださいとありました。親の価値観を押し付けないで!とありました。
 
娘さんにとっては、親の希望の星であった自分が、親の批判をうけるようになったら、何よりもつらいのでしょう。親はいつでも、やさしく接してほしいですね。彼女は、整形の手術をした時点で、すでに会社はやめているでしょう。
 
じゃあ、女性はこんな時、どうすれば良いのでしょうか?まず、こうした逆境は、自分だけではないと思うことや、これもひとつの選択であり、その決定は自分の手の中にあると思うことではないでしょうか?まあ、今ある自分を評価するという作業と平行して、モロモロ考えることですかね。
 
いろいろ辛いことがあっても、自ら選択できることを誇りにしてほしいです。これが自分の決めた選択だ!と納得できることが大事です。選択した結果を、後で後悔しないためにも、苦しい思いは、決断のための手段として利用したいです。
 
浮気をする夫に対してがまんをするというのも、女性自らの選択です。がまんするという選択は、いつでも、がまんをしないという選択に変えることだってできるのです。但し、夫は、(愛人はいないと)うそをつき続けてほしいですね。
 
ヒラリークリントン夫人が、手記の中で書いています。夫の浮気が公に出たモニカ・ルインスキー事件について、夫は浮気の事実を隠しとおしたそうです。しかし、ケネススターという捜査官によって、ばらされてしまいます。彼女は大怒りしました。夫のクリントンは、「君と娘を傷つけたくないので、うそをついていた」と、必死で謝ったそうです。
 
つまり、浮気をしたら、うそをつくのが本来なはずで、居直られたらさみしいですね。
 
努力が報われないと思う時、人はやる気をなくすと思います。それは、女性ホルモンとは無関係です。
 
 
 
 
 
今、芸大で夏目漱石の芸術論に関連する美術展が開かれている。夏目は、“吾輩は猫である”、三四郎などの小説の中に、ヨーロッパの絵画を紹介し、論評している。
 
今回の美術展は、夏目の小説の文章と、そこに引用された芸術作品が、共に平行して展示されている。
 
この時代、日本の油絵は、芸大を中心に洋画家が活躍し始めた時代であった。当時、国は、西洋芸術、西洋文学に大きな予算をかけて、支援していた。国費留学した夏目もそうした超エリートの一人だった。
 
しかし、夏目は、知識をひけらかすエリートたちを、“吾輩は猫である”の中で、痛烈に批判している。
この本が売れた時代背景は、超エリートではなく、それに次ぐ一般知識人が台頭しつつあったろう。
 
当時の人々は、欧米の文化に憧れ、貪欲にその知識を求め始めと思われる。こうした多様な知識人の共感を呼び、小説は大評判になったのであろう。“吾輩は猫である”は、西洋絵画を難しく解説するのではなく、猫の目をとおして、平易な文章を用いて、西洋文化を、解説紹介してくれているのである。
 
夏目の小説には、登場人物として黒田清輝、和田栄作をモデルに書かれた部分があるとの解説であった。夏目は、つきあっていた超エリートたちを、小説の中に登場させて、芸術家の生の姿を描こうとした。
 
その後も、夏目は、当時の美術作品についてさまざまに論評している。
 
私は、和田栄作が書いた黒い画面の油絵と、それに対する夏目の論評に興味を感じた。文豪と言えども、女性の気持への理解は十分でないな?と感じたからである。女性が本音を口に出して言わない時代背景だからこそ、男性は女性の心を把握できないだろう・・と思うのである。
 
夏目が論評した和田の絵は、上流階級の和服姿の女性が、窓辺で物思いにふけっている作品である。タイトルは、H夫人の肖像となっている。そして、この絵の隣に平行して、夏目の論評がある。
 
結論として、夏目は、この絵は画面が暗く好きでないと言っている。そして、なによりもモデルの表情が暗く、うけいれがたいと言っている。
 
この女性は肖像画を描かれることを快く思っていないのではないかと推測している。むりやりモデルになっているようだと言っている。なぜ、作者は、このような絵を描くのかというのが、夏目の印象である。
 
確かに、夏目の言うように、全体の画面がすこぶる暗い。女性は、暗がりの中で沈み込んでいる。しかし、窓辺の背景は、豪勢である。窓辺の洋風の細工や、掛けられた重厚なカーテンは、この家が特別の豪壮な洋館であることを物語っている。そこに座る女性は、やはり超エリート夫人であるだろう。
 
この絵は現代人、特に女性に人気が高いのではないか?と思う。女性は、興味を持って、この絵を見るだろう。この画家(和田)が書きたかったのは、単なる肖像ではなく、この女性の暗い心を書きたかったのではないかと考える。
 
女性は、今までの人生経験を通じて、自分自身を失い、覇気を無くしている。
 
その画面からは、「わたしの人生って、なんだったのだろうか?」との声が、聞こえてくるようである。
 
大事な実子の息子が戦場に行ったのか?
夫の度重なる浮気がつらいのか?
外に何人も子どもがいて、そちらの子に夫の期待が大きいのか?
愛人の子どもが家督を継ぎそうになっているのか?
家の中の自分の立場が侵されそうになっていても、自分自身では、何の手も打てないと感じているのであろうか?
 
などなど、この女性は、名家であるが故の、大きな悩みをかかえているような気がする。そして、その悩みを、夫や他人にこぼせず、内に我慢するしかない。
 
夫の死後、歳をとった女性が、家庭内で立場が低くなるような事態は耐えられないことだったと思う。女性が名家から嫁いだとするなら、なおさら、感じるところは大きいであろう。
 
女性は、そんな自分自身をなさけないと思いながら、行動できないでいるようだ。
 
一方、裕福な暮らしをさせてやってると考える夫の立場からすると、女性の気持ちは理解しがたいところだろう。当時の超エリート男性たちは、多く浮気をしており、それが当たり前だとの認識でいたであろう。
 
そんな、富と特権の中で落ち込む女性の表情は、画家の心をとらえたと思う。
和田栄作自身も超エリートであったし、親交のあったエリートたちの妻たちの落ち込む姿を、何度となく観察していたではないだろうか。そして、和田は、絵心を刺激されたのではないか?
才能ある画家なら、人の心を描きたいと思うであろう。
 
超エリートのいなくなった現代ではあるが、中年すぎての女性の悩みは、今も同じようにある。「わたしの人生って、なんだったのだろうか?」である。
 
今なら、更年期障害ということになろうか?何もやる気がしない、疲れてしかたないとする精神状態である。
それは、女性ホルモンの低下とかではない。決して、不幸なわけではないのだが、そこを忘れて、それまでの生きざまから感じる迷いと後悔の念が、更年期障害ではないのか?と思う。

アファール猿人の時代から、男性は優れているという話をしました。
 
時代が進み、男女が似たような仕事をすれば、女性は男性に助けられると感じることは多々あると思います。会社組織では、そうしたコンプレックスを感じる女性は多いと思います。
 
そんな時、男性より女性が一生懸命に働く姿をみると、私は勇気づけられます。
 
先日の老舗デパートでの話です。
全館の建て替えに伴い、デパートが全館的なバーゲンをしていました。ブランドショップも大バーゲンです。
 
家庭用品売場では、ワゴンの上に、大量につみあげられたカーテンがありました。
私は、自宅の窓用のカフェカーテンのサイズを探していました。そばにいた若い男性店員に、サイズを聞きましたが、彼は、
「ここに並んでいるだけですから、ここになければありません。」
とそっけない態度でした。彼がしゃべると、たばこがガンガン臭いました。
 
結局、私ガサイズを探している間、彼は、ワゴンに近づきませんでした。彼は、遠く離れた客のいない場所で何か作業をしていました。
 
私が会計を済ませ、再びワゴンに目をやると、ワゴンには人はいなくなり、さっきの彼は、カーテンを並び直していました。

彼は、客と話をするのがいやなのだろうと思いました。
 
バーゲン会場なので、周りからいろいろな声が聞こえてきます。
 
年配の女性店員は、あれこれと質問する他のお客に対し、辛抱づよく答えていました。女性店員は、客と会話しながらも、私がうろうろと会計の場所をさがすのを見て、私にも優しく声をかけました。
 
高価でない既製のカーテンでも、商品説明をしつづける女性店員の様子が印象的でした。この女性店員は、かなりの年齢でした。もう長い事、デパートの販売業務をしていたと思われます。
 
私は、さっきの男性店員に冷たくされた後でもあり、私は、この女性に元気づけられました。
 
老舗のデパートには、彼女のような年配の販売員が多くいます。時々、彼女たちは立っていることがつらそうな様子をみせますが、売るという時には元気になります。
 
そして、私はいつものくせで、男女差について、考え始めました。
 
さっきの男性店員は、この仕事や客たちに、どの位、ストレスを感じているのだろうかと思いました。
 
うるさい女性相手に、ワゴンでカーテンを売る仕事は、彼のプライドをきずつけているのだろうか?カーテン売り場で、女性相手に働くことに満足していないのだろうか?などと考えました。
 
一般的に、男性は、先を読んだり、成果を求める生き物で、その場でおわってしまうような仕事に対しては、男性は努力をすることはできないのではないか?と思いました。
 
一方、女性は、その場で自らの存在感を感じられれば、単純な仕事でも続けられます。たとえ、女性は日常的なものでも、存在感を感じらればうれしいと感じやすいと思います。
 
男女に限らず、仕事に生きがいが感じられなかったり、苦手感が強かったりすると、仕事でもミスや評価低下につながります。ますます、仕事への不安が高まり、仕事ができなくなります。家でひきこもるようになります。
 
生活力のある親がいれば、引きこもるための部屋もあります。しかし、心配する親との関係で、つらさはあります。
 
男性は、現在の自分に対し、こんなはずでない自分との間で苦しさを感じやすいでしょう。一方、女性は、こんなはずでない自分というのがそれほどはなく、日常的なことでも満足できてしまうようです。
 
こうした男女差を考えることで、行き詰まりの現状打破へのヒントがあるかもしれません。つまり、男性は、女性的な考え方、女性は男性的な考え方を参考にしてみて、発想転換を図ります。
 
男性のひきこもりの特徴は、あるべきプライドが満たせないためなのもしれません。男性は、プライドがある分、乗り越えるべきと感じてしまい、気持ちがあせるのでしょう。

以下のような心境になった時、男性はひきこもり、あるいはひきこもり手前の状態ではないかと思います。
 
どこにいても居心地が悪い
将来を考えるとつらい
ひきこもっていても、プライドがある。
私は、頭が悪いわけでもないから、引きこもりの原因はわかっている。
しかし、それを人に話せば、見当違いのコメントが返ってくる。
だから、説明するのもいやになる。
 
口げんかをすると、最後はきれてしまう。これも悩みだ。
言い返す元気もないときは無視して自分の部屋に閉じこもる。

これしかないのではないか?
しばらく引きこもっていた人たちってどんなふうになってしまうのか?
治った人は何がきっかけなのだろうか?
私もなんとか踏み出したい!
 
一方、女性は劣等感のようなものに悩む事が多いようです。
周りから相手にされない、美しくない、若くない、体に病気や欠陥がある。
こんなコンプレックスで悩む時、ささえてくれる誰かがいれば、そこで救われやすいです。
 
若いうちは、女性の精神疾患は少ない理由は、男女をとりまく環境要因があるようです。
 
しかし、女性は加齢と共にコンプレックスが強くなり、人生で相手にされないという経験を積むようになります。
そうした時期に、女性のメンタルは破綻しやすくなるようです。

 
エストロゲン受容体α多形性と認識低下の危険性: 2年の追跡調査

なぜ、一部の人は他の人より、美しいとか、優れているのでしょうか?
こうした人の資質と遺伝子構造との関連について、世界中で研究されています。人の3億の塩基の並び方の個人差は、かなり高速で調べられるようになりました。しかし、実際のタンパク合成に至るまでを調べる作業は難しいものです。それでも、世界は遺伝子研究にかけて、競争を続けています。
 
エストロゲンは、精神保護の作用があることが指摘されています。
一方で、高齢者にホルモン補充療法をすると、むしろ、認知症がおきやすいとのデータが、過去に大規模研究で証明されました。知能低下に関するエストロゲンの役割については、論争が続いています。ある条件では、エストロゲンは脳を保護し、ある条件では脳にマイナスの影響を及ぼすようです。
 
脳の細胞がエストロゲンをどの程度に感じ取るかは、年齢により影響を受けますが、それ以上に、エストロゲンの感じ取り方には、個人による違いが大きく、脳へのエストロゲンの影響を調べることを難しくしています。
 
私たちは、生れつきに決まった遺伝子の型(塩基の並び)を持っていて、生涯変わらないので、その人特有の能力と遺伝子構造の関連を調べてみることができるのです。
 
たとえば。知能が良い人は、どこかの遺伝子に、その人だけの特別な構造があるとか、あるいは肌が美しくいつまでも若い人には、どこかの遺伝子部分に特別な構造を持つとかがあるかもしれません。
 
肌が保湿剤を作り出す能力、しみやしわなどをつくらない肌の抗酸化作用などは、遺伝子構造と関連している可能性があります。
 
加齢による影響を受けにくい肌を持つ人もいます。つまり、加齢の影響から守るための遺伝子の機能が高い人は、生涯にわたり若く保てると言えます。
 
しかし、現時点の医学のレベルでは、遺伝子のどの部分が、頭の良さや、高い知的レベルを保つための能力に関連するのか?はわかりません。
 
肌が美しく加齢しない人では、肌の能力が優れているのですが、その全貌は、まだわかっていません。
 
遺伝子の構造は変化なくとも、環境によるさまざな影響は、遺伝子の働き方に影響を与えます。そうした意味では、生まれつきの資質は、生涯、変わらないわけではありません。

今は、根拠のない抗加齢製品が、出回っています。体力のすぐれた選手、美しい俳優などをモデルに使って、人の錯覚をさそいます。今の広告は、あたかも、意識的に人の錯覚を誘うように作られています。このブログにも、強制的にそうした宣伝が入ってしまいますが、ブログサイトを無料で使用している立場の私には、どうすることもできません。

人は、水晶やパワースポットなど、はたまたお守りを信じてきました。信じない人は一切信じないし、そこは個人の考え方が大きいです。
 
しかし、若返り商品は、根拠のないことでも、宣伝の力で人々の意識を変えさせてしまおうとするものです。「こんなもの効くはずない!」と考える人のイメージを、いつか錯覚させてしまう効果をもつものです。
人の考え方は、環境により、どんどん、変わっていきます。

人は株や元本割れの金融商品を買うときは、損することを覚悟します。今の銀行は、煩雑な承諾書をユーザーに書かせます。銀行は、何枚も、損に関する承諾書を書かせます。

「損するかもしれませんが、理解していますね?」
「この資金は、生活のための資金ではないですね?」との質問もあります。

国は、銀行に対して厳しい指導をしています。金融商品に関しては、国は、権威をもって国民の利益を守るとの建前の姿勢を示しています。しかし、抗加齢商品の詐欺的商品の規制には、手をつけていません。
 
昔から、性ホルモンは、人を若返られる効果が期待されています。エストロゲン受容体をつくりだす遺伝子の構造の違いは、世界中で調べられています。
 
遺伝子構造には、民族による違いがあり、ある民族では認知症との関連がみられた遺伝子部分であっても、他の人種にはあてはまらないことは多いものです。今回は、中国の高齢者において、エストロゲン受容体α(ESR1)の個人差(多形性)と認識低下の関連を調べた調査を紹介します。
 
遺伝子の構造(塩基の並び)を調べて、その人らしさとの関連を調べます。今回紹介する研究では、認知症になりやすい人かどうかと、エストロゲン受容体の構造が関連するとの研究成果です。

研究の成果は、エストロゲン受容体α(ESR1)には、認知症と関連する特定がある!とするものでした。遺伝子で決められるエストロゲンの能力は、その人の脳の老化現象とも関連しているとするものです。こうした研究は、人が抗加齢に向けて、やるべきことを見つけるためのものです。

方法: 中国の成人(n = 284)を対象とし、2年間、質問表を用いて認知症や物忘れの経過を、追跡しました。認知症を評価する質問表テストとして、ミニ精神状態試験とアルツハイマー病協会の中国語版を用いました。
結果:いくつかの複数の場所の遺伝子塩基多型に、認知症や物忘れとの関連を見出しました(rs9340799[ESR1+351]、rs1801132[ESR1+975]、rs6557171、rs9397456とrs1884049)(rs3853248、rs22334693[ESR1+397]、rs9340799[ESR1+351]、rs9397456、rs1801132[ESR1+975]、rs2179922、rs932477とrs9341016)。
以上の遺伝子構造の違いは、初期の記憶低下の標識であるかもしれないことを示しました。

結論:今回の調査結果は、エストロゲン受容体を調べることにより、認知症の進行を予想して対策することに役立つかもしれません、PMID: 23567436 Am J Geriatr Psychiatry. 2013

 
前回、アファール猿人の事を書いたが、この像をみて、夫の足跡の上を妻は歩いたということが、印象深かった。
 
夫の重い体重で踏み固められた地面は、女性が安全に歩ける状態に変化した。女性は、男性に感謝して歩いたことだろう。
 
私がこの話を友人にしたら、彼女は、田んぼは男性主体、畑は女性向きという話をした。田んぼは、田植え稲刈り作業に、時間制限があり短時間で終わらせる必要がある。体力や瞬発力のある男性に向いている。沼地で足をとられるので、非力な女性には大変だ。
一方、畑は田んぼよりはゆっくりとした作業で済むらしいと言った。
 
夫が踏み固められた地面を歩くのは、妻にとってありがたい。襲いかかる外敵も多くいたことを思えば、妻は、強い夫の足跡を頼りにしたことだろう。
 
他人に依存する生活は、安心である一方、別の不安を生み不安定な側面もある。夫はいつ敵におそわれるかもしれないし、足跡を作れなくなるかもしれない。女性が安心できない条件はいくらでもある。
 
こうした変化を予期する時、女性は不安になる。猿人、原人の時代から、女性の不安症は多かったと思われる。他人に依存する生活基盤は、不安を呼び込み易いからだ。
 
文明が進めば、社会的にも肉体的にも、男女の差は縮まってくる。夫が苦しい思いをして踏み固めてくれた足跡すら、妻は、そのありがたみを忘れて、踏み外してしまうかもしれない。
 
ある日の新聞では、妻が夫の不実を嘆く人生相談があった。子どもある専業主婦からの相談で、突然、夫が、海外で1人暮らしをしたいと言い出したと言う。家庭をかえりみない自分勝手な行動であると、妻は、夫に対して怒りと不満を述べていた。
 
相談をよせた女性は、夫や子供のために、自らの人生をかけてきたのに、この自分勝手な仕打ちはひどいというものだった。
 
この方の夫は、地面を踏み固める作業に疲れてしまったようだ。その原因は不明だが、この夫は、今の生活からとにかく逃げ出したいと思っている。
 
夫は、何か肉体的や精神的疲労感が大きいのかもしれない。頼りきられた妻や子供からの束縛感で、夫はつぶれそうなのかもしれない。夫の精神状態については、質問にも回答にも、ふれられていなかった。
 
この人生相談の紙面を読んで、他人をコントロールすることはできないと、妻は早く悟って、次の行動を起こしてほしいと思った。今の夫は、踏み固め作業に耐えられないのだから・・・。
 
苦しみながらも自立しようとする妻をみて、夫は肩の荷が下りたように感じて、自らの不実に気づくかもしれないし、妻への誠実な思いを取り戻すかもしれない。あるいは、夫は、安心して、本当に去ってしまうかもしれない。
 
男性も若く希望に燃えているうちは、家族のため、人生のために、踏み固め作業をしたいと願うようだが、いろいろな状況で男性の心理は変化してくるだろう。
 
いつでも、人の心は、他人がコントロールもできないし、どうなるかの予想も、他人ができるものでもない。
 
妻が、夫や子供のために・・・してあげてきたとの思いにとらわれるのは、本人にも周りにも不幸なことであろう。
 
現代は、襲いかかる恐竜はいなくなり、女性の体の大きさも猿人、原人より大きくなって、知的能力も増した。
 
安定雇用の破綻した今の経済状態では、夫の踏み固め作業はますます難しくなっているような気がする。
男女間の依存を考えなおすことにより、新たな価値観や展開が生まれてほしいと思う。
 
国立科学博物館で開催されている「人類のグレートジャーニー」と題する展覧会を見てきた。
 
人は、猿から猿人、原人、新人と進化してきた。猿人や原人は、現代人まで進化することはできず絶滅してしまったが、その獲得した能力は、さらなる進化を産んだ。展示物は、アフリカで生まれた新人が、1万年前までに、世界中をめぐり終えたという科学的根拠を示すためのものであるようだ。
 
なぜ、グレートジャーニーとして、そのような推論が生まれたかの根拠は、一般人には難しすぎるためか、あまり示されていなかったが、多分、世界中の人類の遺伝子を調べての、この結論になったのであろう。
 
新人の前に存在した、猿人、原人も、すでにサルとは明らかに異なる生物であった。
 
今回は、猿人の足跡がテーマの中心になっていた。沼地に残って化石化した原人の足跡が、科学的分析されていた。そして、この足跡から割り出した等身大のアファール猿人像なる親子3人の原人模型が作られていた。この作品はすばらしく、機会があったら見て欲しい。http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%8C%BF%E4%BA%BA#mode%3Ddetail%26index%3D5%26st%3D0
 
お笑いタレントの岡本さんをモデルにつくられたことは、マスコミでも話題になっている。
会場では、等身大のアファール猿人モデル作成の過程がビデオに収められていた。岡本さんの表情は、真剣そのもので、周りのスタッフの笑い声とは対象的に、岡本さんの気持ちが入った様子が印象的であった。多くの人の前で、脳を駆使して表情を作りあげる作業は、ストレスが多い、集中力を必要する作業であろう。
 
沼地に残された足跡の様子から、猿人の家族の行動が示されていた。最初に歩いたのは、子どもをつれた父親であり、その父親の足跡の上から、後に続く母親が歩いたと想定されるらしい。妻は、夫が歩いて踏み固められた地面の上を歩いたのである。妊娠している妻は、踏み固められた地面をなぞるように歩いた。

 
男女の大きさが現代人よりかなり違うことが興味深かった。いつも、私は、男女差を気にしてしまう癖がある。今回も、男女の大きさの違いが印象的で、女性は男性の後について、男性により、女性は守られてきたのだと強く感じた。
 
男は、狩りに行き、食料としての動物性蛋白質を獲得した。すでに農耕はあったらしいが、人間は肉食を必要としている。狩りで獲物を得るためには、男性は、女性より大きな体、強い筋肉、優れた頭脳を持っていたのだ(もちろん、今も持っている)。
 
男性は、家族を危険から守るために、戦うための肉体的能力が優れていた。視力、聴力、判断力など、すべて男性が優れているのである。
 
男女差は、人類が生まれた時から、すでに宿命的に存在し、基本的に今も変わらないと思った。
 
今の生活習慣病が男性に多いのも、男性は脂肪を体内に蓄えてはいけないからであろう。そして男性は、力が衰えると早く絶えてしまうしくみになっているのだろう。男性ホルモンは、男性を一過性に強くするが、最終的には弱らせる。一方、女性ホルモンは、免疫異常を起こすこともあるが、閉経前の女性に保護的な物質である。
 
男女同権が求められる世の中になると、女性も男性と同じ義務がかせられるようになる。これは、人類の起源から見れば、自然の摂理に反することになる。
 
ここでやや話題が変化するが、医師の仕事というのも、男性医師がこなせる仕事量が基本になっている。女性医師にはきついのである。
 
例えば、学校健診で、男女の数が同数の学校の生徒を診る場合、男性医師と女性医師の数を同じにすると、女性医師にとって仕事がきつくなる。
 
限られた検診時間に、たくさんの数をこなさなければならない場合には、医師は、生徒1人当たりは、短時間で終わらせ、別の生徒に次々に移らなくてはならない。診るべき部分を減らして、大事な要点に集中する。これは判断力である。
 
検診時間が長引いてくると、女性医師がこなせる速度数がだんだん低下してくる。女性医師は、疲れるのが早いのである。しかも、病気をみつける能力も劣ってくる。病気を見つけるには、判断力、視力、聴力が維持されなければならない。
 
女性生徒の検診に、女性医師を希望する親御さんが、昨今増えているという。
同じように診療しているように見えても、検診作業の中身は異なる。
 
男女の能力差という事実に、親御さんはどの位、気づいているのであろうか?
今月、2007年に放映された福山雅治さん主演のテレビフォラマ“ガリレオ” の2013年版が、放映されました。
 
この番組は、福山演じる天才科学者が、科学の力をかりて、犯罪事件を解決するというものです。その中のせりふに興味を持ちました。その言葉とは、「現象は、必ず理由がある。」です。
 
まさに病気も、これにあてはまります。つまり、「病気の症状には、必ず理由がある」のです。

普段、健康な時には無いはずの症状、熱や痛みなどが、私たちの体に現れた時、私たちは病気が起きたと思います。「症状が起きるには、必ず理由があります。」
逆も言えます。すなわち、病気が起きないのには、理由があります。」
病気を防ぐための能力の如何によって、症状は変わってきます。
 
病気の症状の原因をクリアに解明するほど、医学は発達していないので、わからないことは、多くあります。それでも、病気が出たぞ!と自覚する症状の本態は、元の状態にもどそうとする生き物固有の働きなのです。
 
生き物は、病気を得ても、ある程度まで、自分の力で治すことができます。治すためには、症状がでることが必要です。症状を出して抑え込みます。もっとも、生物が、効率的に治せてしまえば、症状は自覚できないものです。
 
人も含めて、現在、地球上にいる生き物は、さまざまな環境の変化に応じて、他の生物と折り合いをつけながら、生存競争に勝って、生き延びてきました。
 
人は、症状に気づけば、病気になったと思います。以前は、症状をとることに必死だった時期もありますが、今は、症状を見届けるようになり、治るためへの大事なステップであるとの認識が進んできました。
 
もし、人々が自ら得た病気を治せない場合、症状はどんどん強くなっていきますが、やがて、最後は症状は弱くなってしまいます。そして、生き物は死にます。病気の早期発見、早期治療の考えとは反するのですが、症状を抑えることは、生物にマイナスの場合もあるのです。
 
病気を治すには、症状を抑えるより、症状が出る原因や理由をつきとめることが必須で、人は、病気の治療法を一生懸命に求めてきました。
 
科学の無い時代でも、人々は経験をかさねて病気克服にがんばってきました。今までもそうであったように、今後も、科学(医学)の進歩は留まる事なく、人々は、今のレベルを超えて、未知なるものの多くを解明していくでしょう。
 
今、世の中に出回っている、いわゆる健康法、健康薬などの、無効性と副作用については、科学の進歩が明快な答えを出すでしょう。
 
現在、宣伝効果だけで売られている多くの商品は、消えて行きます。もっとも、その前に、副作用報告で消えて行くかもしれません。
 
安全なもので、体に効果がでるものなどあるわけが無く、効果があるものは危険もあります。
 
人は、大昔から、病気を治すための薬をさがしてきました。病気の原因がわからなくても、何か効果のある物質(薬)を、植物、動物を問わず、ありとあらゆる物質を抽出して、薬として試してきました。
 
しかし、本当に人に必要な大事な薬を手にするためには、近代医学の発見まで待たねばなりませんでした。インスリン、ステロイドなどの物質が、発見されたからです。
 
薬として、昔から売られている物質の中には、現在の基準に照らすと、かなり危険なものもあります。生体に作用する物質だから危険もあるのです。
 
しかし、その副作用の頻度が低いと、毒性が解明されないまま終わってしまいます。
 
薬とその因果関係を解明する作業は難しいものです。安全なものなら、全く生体に作用しないものでしょうし、効果があるものは、生体に作用する物質で危険もあります。
 
今後は、根拠無く効果を謳う薬は、無効であると証明することが可能になるでしょうから、巷にあふれる無意味な商品は絶えて行くと思います。今は、効果が無くても売られています。
 
メーカーは、過剰に人々の不安をあおり、無効な薬や健康食品を勧めています。そうした商品は、効果がないとの証明が無いために、取り締まりが難しいのでしょう。
 
今は、むしろ、副作用の面からの規制が試みられています。しかし、副作用の頻度が低いと、それを証明することが難しいです。人々に副作用を起こさせてしまう個人的因子が、多くあるので、客観的に評価できないのです。
 
他の動物から取れた軟骨成分を食べれば、関節が若く保てるなどの事実が本当であれば、人々は、とうの昔のその事実を発見しています。
 
老人になる前に、軟骨成分のふくまれる食品を、人類必須の食べ物として食してきたと思います。
 
コンドロイチン、ヒアルロン酸などという名の物質が発見されていない時代でも、人々には、経験というすばらしい知恵がありました。
 
人は食べ物の成分を利用して、体の働きに利用してきました。つまり、昔から食べてきた食べ物の成分は、人類必須のもののはずです。エビ殻、ふかひれなどは、関節を守るために必要であったでしょう。高齢者が少なかった昔でも、関節が良く動くようになる食べ物などは無いことがわかってしました。
 
体に必要な物質は、その成分に過剰に反応しないよう、体は調整されます。そこには、遺伝子の変化が伴います。
 
人間に飼われた狼が、だんだん、犬に変化していきました。人間の食べ残しの炭水化物を消化できるように、肉食の狼の遺伝子が変化しました。それが現代に生きる犬に、伝わっています。
 
科学が進み、コンドロイチン、ヒアルロン酸という名前の成分が発見されました。そしてそれを飲めば、そのまま関節に行くという宣伝がなされるようになりました。
 
昔の人は食べていない、現代の手法で新たに作られた物質を、体の中に入れることは、危険なことです。その物質にアレルギーなど、過剰な生体反応が起きることが、懸念されます。
 
幸い、福山主演のガリレオは、今回も視聴率が高いようです。そして、現象には、必ず理由があるという科学の考え方が、ますます、人々に根付くと思います。
 
人々が、「現象には、原因がある」という科学的なスタンスを求めていけば、自分自身の、「体の現象(症状)には、原因がある」と、興味を持つと思います。
 
実は、医師より、患者の方が、病気の原因の検索にずっと有利なのです。自らの症状に、常に向きあっていられるからです。そこから、多くのヒントが得られると思います。
 
どうすると症状が悪くなるのか?
どうなると、治まるのか?
薬は、何を変えているのか?

など、自らの体で体験することができるからです。
 
病気の症状について、その説明を医師に求めても、医師が答えられない場合には、人々は、さらに自らで検索を始めるでしょう。

もっとも、すでにそうした人々の自己研鑽の傾向は、かなり進んでいると思われます。
 
しかし、まだ、患者さんの立場で、それを積極的に医師に告げてはいないようです。医師に自らの意見を披露することに、人々は躊躇しているのかもしれません。