電車の中で、眉間にしわをよせ、目をつぶっている初老の女性を時々みかけます。軽く入眠しているのか、実は眠っていないのかはわかりませんが、その顔つきは厳しいです。
 
一方、車中で、厳しい顔で寝ている男性は少ないです。男性の体は疲れているのかもしれませんし、本気で寝ているのか、顔はリラックスしています。
 
つまり、男性は車中の眠りでエネルギーを回復して、再び活動しそうです。一方、女性はそうはならないように気がするのです。女性は、何でこんなに厳しい表情となるのか、いろいろ想像したりします。
 
その女性の思い通りにならないことで、悩んでいるのかもしれません。こうあらなければならないと信じたことがあり、そのあるべきものが果たせなくて、自分自身を、あるいは他人を責めているのかもしれません。
 
女性はあるべき論にとらわれやすいです。自分が他人からどのような役割を期待されているのかにこだわるためではないでしょうか?
 
女性なら、健康な子どもを産まなければならないとの思いは強いでしょう。危険な不妊治療にのめりこんでいる女性たちでも、生まれてくる子どもが健康であることを前提に、その後の人生を考えています。
 
子育ては完璧にやり、子どもが将来有能であるような育て方をしなければならないと考えています。 子どものかかえる病気は、成長するまでに治さなければならないとも思っています。
 
夫に対しては、将来の介護などでも、やさしい妻でなければならないと決意しています。
 
女性が、自分自身でできないことは、他人の誰かに期待します。それは塾や学校の先生であったり、子どもの病気なら主治医に期待します。そうした期待が理不尽であることに気づかないのでしょう。
 
女性は、他人とのかかわり合いの中で、“あるべき姿”を求める傾向にあります。しかし、他人の行く末は、女性の力では解決できません。夫や子どもには、尊敬される社会人としての姿を望み、それが果たせないと、女性は人生の成果を感じられなくなります。
 
誰でも、望んだことが果たせない時は、どこかであきらめます。自分で努力しても結果がついてこなければ、あきらめやすいです。
 
一方、他人に期待する場合には、あきらめる時のタイミングが難しく、悩みやストレスが大きいです。
他人に期待をすること自体が、すでにストレスのある行動です。他人を変えさせることはできない、変えられるのは自分自身だけと悟るのは、自分自身のためです。他人をうらめば、女性のストレスはさらに増えます。
 
女性の頼りがちな心は、昔なら神仏に頼りました。○○断ちとかありました。自分の身に犠牲を及ばせて、願をかけ、他人への影響力を期待するものです。
 
しかし、長い人生の中で、満たされない経験をつむことは、女性の更年期の症状を招くと思います。この時期の女性の体調不良に、永い人生の不満と反省があるのではないでしょうか?女性ホルモンの低下などが、関係しているわけではありません。
 
女性の悪口のようになってしまいましたが、結局、女性は受身的で弱い立場であるとも言えます。弱い立場だからこそ、期待にこたえようとあせるのでしょう。
 
そうした苦しい出来事が、眠る時の厳しい表情につながるのではないかと考えてしまうのです。
フロイドは、神経症で悩む患者さんを前に、精神分析という手法を編み出しました。その理論は、とても独創的かつ独断的でした。

当時、勃興してきた脳科学の進歩により、人の脳と体の関係は解明が進みましたが、その程度の知識レベルでは、実際の患者の病気を説明するには至りませんでした。フロイドは、病理学を学びましたが、当時の知識では、神経細胞の細かな働きについては、わかりませんでした。脳では、病気の症状を説明するにみあうような病変がおきていても、それを人が知るには、100年の月日が必要でした。

脳の病気は、大きく2種類に分けられ、神経疾患と言われる脳の神経細胞の変化に伴う病気と、もう一方は、いわゆる心の病気である精神疾患です。この思考錯誤の100年間、精神疾患は、神経疾患との鑑別を軸に進歩してきました。パーキンソン病、ALS、神経難病などは神経疾患であり、統合失調症、そううつ、人格異常などは、精神疾患と呼びます。単純に言えば、ある神経症状を訴える人に対し、精神科医が見るのが良いのか?あるいは、脳神経を専門とする内科医(神経内科)が見るのが良いのかの違いです。

人の病気の型は、時代と共に変化しますので、環境もふまえて病気を整理していかなければなりません。

フロイドは、裕福で家庭にしばられる婦人たちを中心に診療してきました。上流婦人たちは、言いたい事を言わずにとりつくろい、建前と立場にこだわったのでしょう。フロイドは、夢分析などで、性にまつわる心の解析を多くしています。フロイドは、人の心に性が占める要素が強いと思っていました。

極めて男性的思考と思えるのですが、なぜ、そうした思いこみが強かったのかについては、個人的見解ながら、以下のように考えました。フロイドが、夢分析として、性にまつわる話題を持ち出すと、女性は自分の見た夢として受け入れ、とりつくろう心から解放され、女性自身で、悩みを自己解決するようになったではないか?です。フロイドの患者には、その後に社会活動家になった女性などがいます。

時代が進み、米国はヨーロッパの古い権威主義を捨て、米国精神医学会が、診断基準である精神疾患診断の手引きDSM-IVを作りました。

DSM-IVは、患者さんが訴える症状に焦点をあてて診断するようになっています。権威主義者の理論と距離をおき、診療の際に聞きとる症状から、医師が病名を決めることを可能とする単純な診断基準を提唱したのです。

神経疾患と、精神疾患はどこが違うのか?を、単純化して解説すると、神経疾患は、操り人形の糸(神経)が切れてしまうような状態をイメージすると理解しやすいです。人形の足を上げようとしても、上にあげるための糸がつながっていなければ、足があがりません。一方、精神疾患は、糸はつながっています。しかし、操り人形を操作する人が、足を上げる命令を出していなのです。

例えば、愛する恋人が待っている部屋に行こうするけど、階段で足があがられなくなるのが、神経疾患です。一方、精神疾患の人は、会いたくない人の部屋への階段を上っている時、階段の途中で、足が上がらない状態です。

実際には、精神と神経の区別は難しい場合があります。この区別を極めることが、脳科学の進歩そのものだったと言えそうです。
 
従来は、神経細胞の変化を伴うのが神経疾患で、それがないのが精神疾患と、みなされてきました。しかし、神経細胞の機能が末端まで解明されてきて、精神疾患も神経細胞のレベルで、病気が論じられるようになってきました。それは、発達障害のように、従来性格的なものと考えられてきた障害も、神経細胞の働きの異常からもたらされてくるらしいことがわかってきたのです。

神経疾患は、神経細胞が消えてしまいます。その結果、歩けない、呼吸ができないということが起きてきます。神経疾患は、証拠が見えやすく、検査、解剖、顕微鏡などを用いて証拠づくりされました。

一方、統合失調症、そううつ、人格異常などの精神疾患は、病気が起きる場所や異常の証明が難しかったのです。そして現時点では、やはり、神経細胞に起因し、神経細胞から出る突起の部分に、(働きの)異常に原因があるのだろうとなっています。

突起の異常は、他の神経細胞と連絡性が異常になることを意味します。神経細胞の行動は、他の細胞からの情報で決まってきます。他から情報入力しながら、細胞は自らの行動を、進めたり、止めたりするのです。独断では決めずに、さらに、他の細胞へと出力します。精神疾患では、この働きをする突起(シナプスをつくる部位)の働きが、うまくないのです。さらに、この部分は、環境が大いに影響する場所で、精神疾患の発症には、環境因子が大きいです。

こうした事実は、例えば、統合失調症のモデルマウスとか、自閉症モデルマウスとかがつくられ、研究が進みました。

自閉症の人は、社会的コミューニケイションの障害があり、常同的、反復的、限定的行動をとることが指摘されています。原因究明に向けて、自閉症の人の遺伝子検索がなされ、それぞれ人ごとに異なる複数の場所の遺伝子の問題点がみつかってきました。

遺伝子異常の1種に、遺伝子の重複というのがあります。これは、普通の人では、1個の遺伝子であるはずが、特定の遺伝子を複数で持ってしまう人がいます。広島大学の五林らの研究から、15番染色体(15q11-q13)の遺伝子が多く存在してしまうことが、自閉症の数%に証明できるとしています。

さらに、遺伝子を複数で持つ事が、病気につながるかどうかを、動物モデルを用いて研究しています。遺伝子が重複していると、遺伝子からつくられる物質が多くなります。脳に過剰な蛋白がつくられてしまうと、情報伝達がうまくいかず、その結果、行動異常が起きると言う事実を、マウスで証明しました。

自閉症モデルマウスを、人工的な遺伝子操作で作り出しました。そのマウスにいろいろなストレスをかけてみました。例えば、新人マウスに興味を示すか?泳がせて、水中の足台にたどりつけるか?行動訓練を行い、条件を変化させると、変化に対応できるかなどのテストです。

この結果、自閉症モデルマウスでは、新人マウスに興味が少ない、訓練通りの作業はこなせるが、条件をかえてしまうとその呑み込みが悪いなどの、行動の変化が観察されたのです。
ネットニュースによると、思い出すという作業は、どのような脳内処理による成果なのかに関して、研究論文が投稿発表されました。
 
この動物実験の方法論ですが、まず、2枚の絵の関連性をサルにおぼえさせます。異なる2枚の絵を見せて、ペアとなる2枚を、サルに覚えさせます。
 
サルが、どの絵と、どの絵がペアであるかを覚えたら、ジュース(報酬)を与えます。サルが、覚える、思い出すという作業をしている間の、サルの脳内の電気(活動電位)の動きを調べます。サルの頭につけた電極から、微細な脳の電気の流れをモニターします。

こうした脳科学の手法を用いると、脳のどの部分が強く反応するのか?活動電位がどの道筋を通って、他の脳部位に伝達していくのか?が調べられます。
 
人間でも、こうした研究は、盛んに行われています。そして、脳内活動電位は、実際の人の性格や病気と、どう関連するかが検討されています。
 
人の場合は、あらかじめ、性格を反映する質問をしておいてから、その人の性格、たとえば、偏執的とか、楽観的とかを知っておきます。
 
その後に、脳内電気との関連を調べます。活性化した脳は、電気的に興奮し、負の電位にふれて、その後、正にふれます。頭部に電極をつけて、グラフ化すると、最初、負の電気、その後に正の電気へと変化していく経過を見ることができます。
 
そして、電極を付けた被検者(検査を受けている人)に対し、いろいろな質問をして、答えさせ、脳を動かしてもらいます。
 
さらに、質問に、正しく答えた場合、間違ったかによって、脳内電気の波形の違いを比較します。質問に対し、間違いを強く感じる人なのか、そうでもない人なのか?などの性格的なものとの関連も見ます。

脳内の活動電位の評価は、健康な人を対象にする場合もありますし、メンタルトラブルの患者さんと、健康人を比較する場合もあります。
 
こだわりやすい性格の人では、答えを間違うと、脳内も強く反応するようですが、それは、脳内電気が負に触れる部分の波形に変化がでるとのデータが示されています。
 
偏執的な人では、 前頭葉と線条体の交流が強くなっているとのデータがあります。これは、基底部の脳と、高等脳との電気的交流が盛んになっていることを示します。
 
さて、こうした脳科学の研究は、現在、研究途上ですが、示唆に富む成果がでてきています。
 
人は、恐怖を海馬、扁桃体などの基底部の脳で感じ、それが中脳、高等脳へと広がることにより、恐怖に対処する能力を獲得します。
 
元々、人の脳は、機能が高まるように準備されています。そして、科学の力をかりて、人は脳をさらに発達させてきました。
 
平安時代は、モノノケなどで、人々は不安におののいたと思いますが、現代人は怖くありません。それは、平安時代にくらべ、大脳の理論武装が進んだからと思われます。
 
大脳の表層は、神経細胞が多く、高度の判断ができる部分です。視覚は後頭部、聴覚は側頭部などで処理され、さらに、頭頂部に集められてから、前頭葉との交流して、最後に人の感情や行動が決まります。
 
fMRIで観察された脳内血流の研究では、物事にこだわる人は、質問に対する答えを間違ったり、トラブルに際して、前頭葉正中部の興奮が強くでる(血流が増える)との観察結果が出ています。

原始脳である基底部の脳が不安を感じると、次々と電気的興奮がおこり、活動電気として出てきます。
高等脳は、基底脳からの不安反応に対して、広範囲に大脳を活性化させて、興奮を鎮めようとします。
 
大脳皮質、特に、前頭葉がしっかり調整してくれれば、不安や迷いが消えていきます。
しかし、高等脳の指示が甘く、海馬、扁桃体の不安をなだめきれないと、ドパミン過剰の状態の不安脳となってしまうのでしょう。
 
偏執的な人では、神経線維が多く通過する線条体と、大脳との電気的交流が多いとの成績があります。こうした人では、大脳が、不安の解消に手間どっている結果なのかもしれません。
 
これらの研究成果を見ると、不眠、不安を起こさせるマイナスな脳の働きを、薬だけでおさえるのは難しいようです。
 
薬は、不安を抑制する神経を強めると言われています。ですから、薬が切れると、むしろ、不安が高まりやすいのです。

認知行動療法がめざすように、自らの大脳皮質の能力を高めながら、脳内不安解消の上書きをしていく作業が最終の成果であると思わずにはいられません。
医学は鑑別診断が命である。体がマヒする患者を前に、ヒステリー症状と、神経が働かなくなる神経難病を区別しなければならない。
 
フロイドは、医師であり、生理学研究室で神経構造などを学んでいる。生命現象は、すべて化学や物理の理論で証明されるべきと、科学者としての信念をもっていた。フロイドは、生命現象に、宗教や生気論的な考え方を排除した。
 
生命現象は、エネルギーが産生され、電気が流れることによって維持されるが、当時から、そうしたことを証明しようとの生体実験は大いに行われていて、今の知識につながっている。

体がマヒする原因は、複数にある。
ALSの患者さんが、神経難病の発症にきづくきっかけとして、つりざおが投げられなったとの新聞記事があった。
 
又、他の神経難病の人では、家の階段を上る時に足があがりにくくなったなどがある。それまで、何気なくやれていたことがやれなくなるのは、神経病の発症を疑わせる大事な徴候と言える。
 
一方、ヒステリー症状は、行きたくない場所へ出向こうとすると足が動かなくなるとか、会社に入ると、全身倦怠するなど、その異常行動には、心の問題がつきまとう。脳が行動することを拒否しているのだ。
 
前頭前野と呼ばれる部分が、人の考えと行動に、最終の評価と決定を行う。ここで決めたことが、外に行動として出てくる。
 
人が、大きな不安を感じている場合、不安がそのままの形では自覚されず、他の感覚や感情に変化する。
 
例えば、化学物質に過度な不快感を感じる人がいるとする。職場などで、周りの人が特別の配慮をしていたりする話を聞く。
 
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医学的に証明される化学物質過敏症があるとすれば、遺伝子異常などの体質的因子により、特定の化学物質を分解できない、処理できないとか、異常反応につながる生体側の証拠因子が証明されなければいけない。
 
例えば、先天性の代謝病では、体内には特定物質が蓄積してしまうこのだが、代謝病の患者さんでは、体内からその物質を排出する能力が無いのである。その結果、蓄積した代謝物質が、脳や肝臓にたまって命取りの経過となる。
 
具体的な異常がないのにもかかわらず、不安脳は、人にどんな症状も起こすことができてしまう。
 
マヒや、感覚異常などの自覚症状などは、不安脳が作り出す得意な症状だ。
もっとも、ヒステリーだけで、心臓や呼吸を完全に止めてしまうのは無理だろう。
 
人々は、この100年を超える短い間に、生命現象を起こしている多くのモノを発見した。
 
病原体の発見、ホルモンなど生体内物質の発見、体内分解できず蓄積してしまう遺伝病、IgEが過剰に働くアレルギーなど、病気の原因となるモノをみつけてきた。

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そして、今も、生体内物質は発見され続けている。そうした意味で、今後、脳を動かしている物質が、さらに、解明されるであろうし、病気の治療も進歩するだろう。
 
フロイドらの時代も、脳内を動かす物質と機序を探して、試行錯誤をした。
しかし、当時の医学レベルでは、脳内の伝達物質や神経細胞機能を証明することが難しく、フロイドは、目の前の患者の治療成果をあげるため、医学はさておいて、むしろ、心理学の手法を用いることを選択した。
 
医学的病名には、医師間で共通認識が大事で、医師ごとに病名が違ってはいけないはずだ。
 
しかし、心理学では、医学と比べれば、モノを証明する必要はなく、判断や評価が専門者間で、違っていてもよいだろうし、ある程度、独断的であっても許される。
 
実学としての医学も心理学も、理論は後廻しになっても、目の前の患者に対して治療効果をあげることが、何より優先されるものである。
 
理論に反していた方が、治療効果が出たりするなど、試行錯誤はつきものである。
 
フロイドの話題に、戻ります。
 
フロイドが、女性患者のヒステリーを催眠術を使い治療していたのは、1890年台である。
当時、メンタルに追い詰められた女性は、多彩な体の症状を起こして、治療を求めていた。
 
彼女たちのヒステリー症状とは、体が全く動かなくってしまったり、全身ふるえて意識が無くなってしまうなど、外からみてはっきりわかる症状であった。症状には、他人にわかってほしいという心理が働く。彼女たちの神経も筋肉も異常はないのに、脳が、神経や筋肉に異常運動を命じてしまうのだ。
 
「欲望と言う名の電車」の最後のシーンでも、ヒステリー状態となったブランチに、医師が腕をさしだし、暗示療法で落ち着かせている。
 
1885年に、フロイドは、パリのサルペトリエール病院にて、多くの神経病の患者を経験することができた。そこには、神経病の患者も多く入院をしていた、
 
器質的な病気である神経病は、ヒステリーとは異なり、実際に、神経細胞が消失したりして、神経や筋肉が働かなくなってしまう病気である。今では、特定疾患として、治療費補助がある神経難病がこれにあたる。
 
多くの神経病は、自己免疫により神経細胞が消えて行ってしまう病気であり、進行性で命取りである。好きでやっていた趣味ができなくなったりする。例えば、つりざおが投げられなくなるなどである。
 
ヒステリーでは、あやつり人形の糸は、しっかりつながっている。一方、神経難病は、あやつり人形の、糸は切れてしまい、糸で足や腕を引き揚げられない。
 
ヒステリーも、神経病も、体のマヒが出てくる点で、良く似ているが、マヒの原因も機序も異なる。
 
フロイドの時代には、体の病気と、心の病気の質を分けて行く(鑑別診断する)ことが、医師にとって重要な仕事であった。
 
この頃。病理学の進歩と、顕微鏡の改良によって、神経細胞が消えてしまう病気の存在が明らかになり始めてきた。
 
患者さんがかかえる体のマヒが、進行性の病気か、心の病(ヒステリー)か、を区別しようと、当時の医師たちは、必死でその答えを、追い求めたであろう。
 
フロイドは、近代神経学の祖と言われるシャルコーの元で、学んでいる。シャルコーは、1800年台後半に、神経細胞が消失していく病気をみつけている。神経病で亡くなった人から採取した脳やせき髄を材料として、染色し、顕微鏡で確かめる病理診断をした。
 
シャルコーは、現在でも残るシャルコー病の発見者であり、神経病の発見に大きな功績を残した。しかし、催眠術などを、医学教育につかっているうちに、だんだん、思いこみがつよくなっていったらしい。

医学は、この時代、大いに進んだ。ちなみに、1800年台後半は、顕微鏡を利用して、病気の元となる多くの微生物が発見された。

ロベルト・コッホは、結核菌(1882年)やコレラ菌(1883年)を発見した。コッホの使った光学顕微鏡は、600~700倍の倍率であったといわている。
 
北里柴三郎は、1889年、破傷風(はしょうふう)菌の純培養(じゅんばいよう)に成功、1894年には、ペスト菌を発見した。志賀潔は、北里柴三郎が設立した「伝染病研究所」で、赤痢菌を発見したのは、1897年だ。

フロイドは、強いストレス後に、ヒステリー発作を起こすようになってしまった患者さんを治療をしていた。今なら、PTDS(外傷後ストレス障害)に近い人もいた。
 
フロイドらは、治療の経過で、重要なことに気づいている。
 
その患者さんが、ヒステリー症状が現れた最初の瞬間を思い出し、それを再体験することにより、ヒステリー発作がおさまっていくことを、発見したのである。
 
まず、第一段階として、患者がヒステリーを起こした原因の記憶が明らかになるよう、医師が働きかける。さらに、医師は、そこに付随するいろいろな思いを、患者自身に詳しく述べさせる。そして、患者自身は、思い出しながら、当時の状況を整理し、その感情を言葉で表現する。
 
そうした治療けることで、ヒステリー症状は治まっていくものであることに、気づいたフロイドらはすごい!
 
これは、いわゆる、今でいう、脳内記憶の上書き現象に近いのかもしれないし、認知行動療法にもつながる試みであるとも言える。患者さんの脳は、PTDSの原因となっていたイベントを、のりこえられる能力を、自ら獲得していくのであろう。
 
今でいうと、カミングアウトすると、人は気持ちが楽になるというのに、近いかもしれない。
 
昔の人がかかえるがまんは、もっと、根深いものだろう。
 
当時の自由のきかないがんじがらめの社会構造では、悩みは口に出すものでなく、深く奥にしまい続けるべきであった。
 
人々の言えないくやしさ、言えないがまんによって、社会の秩序と道徳が成り立っていた。
 
そんな時代、女性は、いよいよ追い詰められて、ヒステリー状態に陥りやすかったのであろう。しかし、その治療にあたった男性の理知的な脳に助けられて、女性は病気から逃れていくことができた。
 
フロイドが治療した女性には、その後、社会的な活動で有名になった人もいる。
 
「欲望という名の電車」
 
先日、何10年ぶりかで、「欲望という名の電車」という古い映画をみた。
 
複数のアカデミー賞を受賞した有名な映画である。しかし、この映画の時代背景やテーマは、とても暗い。
 
主人公ブランチは、家の没落で財産を失い、引き続き起きるいろいろな不幸イベントを契機に、いわゆる“発狂”していく。
 
主人公ブランチ自身の口から、彼女が経験した不幸が、語られていく。名家の没落ストリーだ。
 
ヒロインを演じる女優は、演技とはいえ、狂気を演じるのは、精神的負担が大きいだろう。主演女優のビビアンリーは、この映画で、鬼気せまる演技と賞されたが、現実の彼女の精神も、あやうい状態になって行ったらしい。
 
激変する社会システムは、多くの文芸作品を生む基盤となる。運命に翻弄される女性が、破たんしていく経過を描いた作品も多い。破たんする女性を描く文芸作品は、多くの人の共感をよぶ。

つらいイベントを契機に、病んでいく女性を、作家が描く時、実際にモデルとなる女性がいたであろう。だからこそ、ストリー展開に説得力が増す。
 
この物語の最後は、統合失調症の発症を思わせる。主人公ブランチは、強い幻聴を感じている。
 
一般的に、女性の統合失調症は、男性と異なり、環境が大いに発病に影響すると言われている。
 
統合失調症は、脳の器質的変化(脳細胞の消失)と推定される病気だが、彼女の発狂は、環境が大いに発症に影響した。つまり、没落がなければ、彼女の発症は無かったであろう。
 
彼女のアルコール中毒、タバコ中毒も、苦しい日常から逃れる手段であった。それらは、彼女の脳の破壊に、大いに影響を与えた。
 
裕福で豊かな環境で育った人の精神面は、弱くなりがちだ。周囲から大事にされ、その人たちに気を使う必要はない。わがままが許される日常である。
 
周りの人たちの犠牲や涙の上にたつ幸せであった。裕福な育ちは、人に配慮するという心を育てにくい。
 
しかし、裕福な生まれでも、一旦、富や名声も失ってしまえば、心を切り替えていくしか、人生の選択肢は残っていない。
 
妹は、没落しかけた暮らしに地獄を見て、家を出た。妹は、労働者が暮らす新しい境遇を受け入れ、過去の価値観を捨てた強い女性だった。
 
一方、姉の方は、路頭に迷い、行ってはいけないはずの場所である妹の家を訪ねてしまった。
 
そこには、最も危険なタイプの人物、妹の夫のスタンレーがいた。
彼は、生まれの良い女性を求める一方で、富を憎み続ける人物だった。
 
人は、こうしたアンビバレンツな気持ちが共存する。アンビバレンツな気持ちは、富や力を求めるモベーションにつながったりもするが、不毛な結末を産むこともある。

没落しても、姉ブランチは、額に汗する労働者階層を逆なでするような言動をとり、労働者を怒らせた。彼女の追い詰められた心は、周りに配慮する余裕を無くしていた。

労働者階級の彼(スタンレー)が持つ正義感からすると、ブランチのような女性が、最も軽蔑すべき人物であった。こらしめてやる!と、彼は、富に対するコンプレックスを爆発させた。
 
私は、若い時に、何度か、この映画を見ている。しかし、映画の多くのシーンや筋を覚えていない。
 
当時の私は、映画の重いテーマと暴力になじめず、集中して映画を見れなかった。ただ、主人公のブランチが、少年にキスしたシーンは覚えていた。今、なぜ、このシーンだけを覚えていたのか?と、その理由を考えてみると、そのシーンの時だけ、音が静かになったのだ。
 
この映画は、全編を通じて、騒音と効果音に満ちている。たまに、静かなシーンがあっても、静寂の時は続かず、すぐ、破壊的な効果音が続く。
 
この映画の騒音は、下流の苦しい暮らしを象徴する効果音である。騒音に悩まされても、耐えて暮らす人々を描いている。そして、又、この暮らしには、男の酒と暴力がつきものである。
 
この映画の時代背景は、現在の日本とは、女性の立場も異なるが、苦しいイベントを契機に、女性が心を病んでしまう様は、時代を超えて共通のものだろう。
 
「欲望という名の電車」は、女性が心を病む原因や経緯を、解説的に描いた作品と言えよう。

恋愛小説は、男性、女性が登場しますが、作家は、男性か、女性のどちらかです。読者も、男性か、女性のどちらかですが、読者は、異性の心を知ろうとしながら読み進めます。
 
男女の社会的役割が薄れた現代ですが、昔の名作を読むと、男女間の心のギャップを考えるきっかけが多くあります。
 
今年、初めてのブログで、昔の名作を通じて、男女の心の違いについて、考えてみました。
 
女性の私が、昔に書かれた名作を読むと、男性作家が書いたものは、男性の視点で書かれていると、しみじみ思います。
 
一方、女性作家は、女性の心がよくわかる書き方をしています。女性作家は、男性心理はあまり掘り下げません。つまり、女性作家は、男性心理を背伸びしてまで書こうとはしないようです。

これも、小説の書き方による、男女の思考の違いではないでしょうか?
 
ここで、小説で描かれた男女の心の違いを知るために、男性作家が書いた代表的作品である尾崎紅葉の「金色夜叉」と、女性作家の樋口一葉の書いた「たけくらべ」をとりあげてみます。
 
「金色夜叉」は、中産階級の娘(宮)が、金持ちの男性に見染められて、幼馴染の同居人(寛一)を振る話です。
 
振られて怒った寛一が、宮を熱海の海岸で蹴飛ばし、本文では、宮が足に出血したとあります。それでも、寛一にすがりつく宮が描かれていますが、ある意味、これは、男性の理想を描いたものなのではないでしょうか?
 
女性をどんなにひどい目にあわせても、俺に付いてきてほしいと、男性は夢見ると、私は考えました。そこには、男が保ちたいプライドが描かれています。
 
しかし、女性が求めるものは何なのか?は、示されていないのです。

女性なら、男性から、口汚く罵倒され、下駄で蹴飛ばされたら、すがりつく女性は少ないと思います。時代背景が違いはあるものの、こうしたタイプの男性は、将来の家庭内暴力の可能性を秘めており、女性はその予感を感じると思います。
 
操をやぶった浮気女!
覚えておけよ!
一生をとおしてうらんでやる。僕の涙で、必ず、月をくもらせてみせる!
一生を通して、今夜を忘れない。死んでも忘れない!必ず、月をくもらせてみせる。
 
こんな言葉をあびせる男性に、女性は将来をかけないと思いますよね。
 
しかし、作家は、蹴飛ばしても、すがりつかれる男性の魅力を、書きたかったのでしょう。
 
 
もうひとつ、興味深いのは、小説では、寛一を振る理由が、女性の宮からのせりふとして出ていない点です。
 
今の女性なら、
「お金のある人と、裕福な暮らしをしたいの!」と言ってしまいそうです。
今の男性なら、こんな言われて、プライドを傷つけられたくないので、言われぬ前に引き下がりそうです。
 
しかし、当時の女性は、今の女性より、やさしく男性をたてていました。

この頃の女性は、本音を言わずに、男性心理に配慮する奥ゆかしさをもっていたのでしょう。さらに言えば、女性は本音でモノが言えない、弱い立場であったとも言えます。
 
この当時でも、女性は、暴力をふる男性を、許せないと思っていたと思います。しかし、女性は、それを口に出さずがまんをするしかなかった。暴力や愛人は、日常的だったのではないでしょうか?
 
家庭内暴力とは、しばしば、男性が自らのふがいなさに対する怒りとして、暴走する部分があると思います。だから、女性もそれに耐えるということではないでしょうか?
 
そうした我慢が積もり積もって、当時の女性の神経症(ヒステリー)の原因になっていたと思います。
 
女性が、本音をなかなか、言わないからこそ、フロイドが女性の神経症の治療に、夢分析や自由連想法を用いたと思うのです。フロイドの精神分析とは、しがらみをほぐす暗示療法に近いと思います。
 
小説の寛一は、自らが貧乏であるからこそふられたわけですから、事を荒立てれば、わが身のみじめさが、ますます増すことになるでしょう。
 
しかし、そんな現実よりも、尾崎紅葉は、女性をなぐっても、俺についてきてほしいという男性心理を、小説にしました。俺はほれられている、ほれられたい!という男の夢やプライドを描きたかったのでしょう。
 
そもそも、男性が女性を好きになる理由というものは、何なのでしょうか?男性の性的志向というのも、結局、女性には理解しがたいものとおもいます。
 
金色夜叉」では、男性たちは、女性の若さ、美しさに強く魅了されています。女性が美しければ、小説の筋が輝くのです。寛一が、自らの一生をかけて愛したものとは、何なのでしょうか?
 
この点に関して、女性である私の視点を紹介します。
 
男性は、好きな女性を自分のものとできるかどうかの自分自身の能力にとらわれているのではないかと思えるのです。
 
男性自身の中で、理想の女性像をつくりあげ、それを獲得できるかの成果に、男性はこだわります。いみじくも、「金色夜叉」の文章には、寛一は、今の宮ではない、以前の宮を求めたいと強く思うと書かれています。
 
何かを築きたい、人生に自らの足跡を残したいなど、権力や力などを求める志向が、男性は女性より、ずっと強い気がします。
 
そして、男性の失恋のつらさとは、自身が選ばれなかったという失望からくる落ち込みと想像します。男性自身の能力は、切り替わらない、だから立ち直りが難しいような気がします。しかし、これは、わくまで、私の想像で、男性心理は、もっと、違うものなのかもしれません。
 
一方、女性は、選んでくれない相手に、いつまでも執着するより、新しい相手を見つけようとします。
 
いづれにしろ、男女双方に、理解し合うのは、難しいのだと思います。
  
1925年に書かれたF・スコット・フィッツジェラルドによる『グレート・ギャツビー』にも似たような恋愛が描かれています。

主人公のギャツビーは、お金がなくて、恋人を金持ちに取られてしまいます。そして、「金色夜叉」と似たような場面がでてきます。
 
「なぜ、俺を捨てた?」と、ギャツビーは怒りながら、元恋人の女性に詰問する場面です。ロバートレッドフォード主演の映画でも息詰まる有名なシーンですが、ギャツビーは、彼の心の中でつくりあげた女性を愛していたにすぎません。
 
『グレート・ギャツビー』の後半では、女性が求めているものは、男性の愛ではなく、安定した生活であったことが明らかにされます。この映画は、大きな犠牲を払っても、自分自身のことしか考えない女性に対する怒りが描かれています。
 
金色夜叉では、日本女性は最後までやさしいのですが、西洋の評価では、守ろうとする女性像を、ずるさとして怒りをこめて、描いています。
 
一方、女性作家によるたけくらべは、とてもせつない物語です。
大きな不幸を前提に、消えていくひと時の耀きを描いた作品です。
 
小説の冒頭には、吉原という遊郭があり、多くの人がそこから収入を得て生計をたてていたこと、一歩、外にでれば、貧しさが蔓延していることなどが、しっかり描かれています。つまり、美登利の美しさは、逃れられない運命の象徴として、描かれています。

そんな女性心理を描いた場面として、着飾った祭りの日の美登利の様子についての描写が、興味深いです。

祭りの日に、美登利は、贅沢な着物で着飾り、美しい京人形のようだと、周りからほめられます。しかし、美登利には、それがつらく苦しいことでした。
 
そんな女性心理を理解しない男性たちは、盛んにほめちぎります。小説のなかでは、美しいと言われることが、周りの人から、さげすまされているように、美登利は感じたとあります。贅沢な着物は、将来、客を取るの思いが、少女の心に重くありました。
 
さて、ここで、テレビの美人女優のことが、ふと思い出されました。
 
トーク番組に登場したその女性は、アップにもたえる透き通った肌と、美しい目鼻立ちでした。表情が動くと、美しさもさまざまに変化しました。
 
魅了されている周りの男性たちは、ちやほやと、彼女の美しさをほめました。当の彼女は、早く話題が他に移ってほしと考えている様子でしたが、男性たちには気づかないようでした。
 
美しいと言うことは、女性にとって誇りでもあり、女優の財産でもあります。しかし、同時に失いやすいもの、維持していくことがつらいものでもあります。もし、整形でもしていれば、うしろめたいものでもあるでしょう。
 
こうした女性の心理は、女性作家でなければ描けないと思います。
 
もっとも、努力して獲得した能力とかでなく、持って生まれたものをほめちぎられても、そこにこだわって欲しくないと願うのは、男女共通の人の心理かもしれません。
 
男女を問わず、人をほめるなら、気の利いたものを1回だけがよさそうです。

ネーチャーニューロサイエンス(脳神経科学)の最新記事を紹介します。
 
思春期になると、男性を中心として、精神疾患が発症しやすくなります。その理由や原因は、まだ、解明されていないのですが、以前のこのブログで、女児の場合は、不安やうつの要因として、女性ホルモン上昇の影響があるとする論文を紹介しました。又、女性ホルモンとは無関係に、女性は男性に比べて、うつや統合失調の発症に、環境からの影響が大きいと考えられています。
 
前回ブログで、人は、恐怖を扁桃体で感じ、さらにACCや島の活性化を経て、大脳に連携されることを書きました。不安・恐怖を克服するために、前頭葉は、大事な機能を担うことを示しています。つまり、前頭葉と扁桃体の連携性が良い人では、恐怖を克服しやすいと考えられます。
 
今回は、不安や恐怖の克服に大事な役割を果たす前頭葉の役割について検討した論文です。Nature Neuroscience doi:10.1038/nn.3257
 
乳幼児期にストレスを受けてしまう、あるいは、乳幼児期に、ストレスに関連する視床下部-下垂体-副腎軸の機能が失調していた人を、思春期の時点まで追跡していくと、その人が、思春期になった時点で、精神疾患が発症しやすくなる可能性があります。
 
一方、扁桃体と前頭葉前部皮質(vmPFC)の連携性が良いと、動物実験でも人間でも、情動がコントロールできると考えられています。
 
今回の小児を対象とした追跡研究では、乳幼児期の生活体験を調べておき、その子どもの成長を追って行き、4-5歳になった時点で、視床下部-下垂体-副腎軸の機能を反映するコルチゾール量を測定しました。
 
14年後に、その子どもが思春期になった時点で、磁気共鳴映像法(fcMRI)を用いて、扁桃体と前頭葉前部皮質(vmPFC)の連携性を調査しました。
 
乳幼児期に重大な体験をすると、小児期のコルチゾール濃度が高くなっており、思春期に検査したfcMRI において、扁桃体と前頭葉前部皮質(vmPFC)間の連携性が低下していることが、女性においてのみ示されました。
 
扁桃体-vmPFCとの間で連結性が低下していている女性では、青春期に不安抑うつ症状を伴いました。
 
男性ではこうした関連はみられませんでした。
 
乳幼児期の女児において、コルチゾール濃度異常があると、思春期になった時に、脳内扁桃体とに前頭葉(vmPFC)間の機能的連携能が低下してくることが予想され、その結果、青春期の不安や落ち込みがおきやすくなるとの可能性です。
 
 
 
 
 
 
先日、アドラーの心理学を紹介しました。
アドラーの心理学を、個人心理学と訳すると、意味がよくわからなくなりますが、元の英語のインディビュディアルとは、個々に根ざしたという意味合いの言葉です。

心理学を訳すると、多く言葉の壁が生じてきます。訳をすることで微妙なズレが出てしまいます。
 
心の在り方というのは、極めて個人差があり、それぞれ皆違い、ひとつとして同じものはありません。それぞれ、個々の人の有様は、その人特有なものです。心理学が難しい理由です。
 
これは他の人体機能にも相通じるもので、声一つとっても、同じ声の人はいません。まして、人の脳の中となると、さらに個別で複雑です。その人自身でも、心は常に変化しています。
 
アドラーは、人の心をうまく制御させるには、その人特有の心のあり方によることを言いたかったのではないでしょうか?
 
さて、脳科学の課題に戻ります。
 
細胞が働く時には、能動的なものと、受動的なものがあります。
 
能動的とは、細胞内でエネルギーを生み出して、活動が起きる場合を言います。例えば、神経細胞に電気が伝わるためには、細胞の膜が積極的にナトリウムを外に出し、カリウムをとりいれているのです。これに対し、受動的というのは、細胞の外の浸透圧が高いと、そちらに細胞内の水分が吸い取られていく現象を言います。
 
不安、恐怖などは、脳内にいつまでも残らないように、積極的に忘れる能動的な働きが起きます。しかし、PTSDなどは、これがうまく働かず、むしろ高まってしまうのです。そうしたメカニズムの解明と治療を人々は求めています。
 
世界中で、恐怖を忘れるためのメカニズムについての研究が進んでいます。

不安神経症などの治療を目的として、いろいろなタイプの人体実験がやられていることを、前回ブログで紹介しました。
 
扁桃体でまず感じた不安・恐怖は、さらに脳内に広がります。次の反応するのは、ACC(Anterior Cingulate Cortex 前部帯状回)や「島」と呼ばれる部分で、大脳皮質との連絡路に当たります。
 
前頭葉の「ACC」(前部帯状回)という部位があり、運動系や前頭眼野とも接続している部分で、学習など、特別な努力を必要とする課題に関係していると考えられています。つまり、この部分は、体験した恐怖を忘れる作業にも関連している可能性があります。
 
脳には、エクスティンクション(消滅、消退)という、恐怖を忘れるための機序があります。
 
そうした論文をレビューした2009;4:e5865 PLOS ONEを紹介します。
 
2008年より、信頼できる論文を46編を選んで、レビューしています。健康人を対象(被検者)に、恐怖の条件付け実験をします。
 
恐怖付けは、意味のない無害な刺激を、最初、被検者にまず与えます。たとえば、数字や形などを見せます。
 
次に引き続き、苦痛を伴う刺激、例えば、手に電気刺激、視覚刺激(嫌なもの見る、人の顔の表情)、聴覚刺激(不快な音、叫び声を聞かせる)などの不快で有害な刺激を続けます。最初は、無害刺激と有害刺激を、セットで連続させて、被検者に与えて、被検者を、恐怖の条件付けの状態とします。
 
被検者は、なんでもない刺激でも、次にいやなものがくるぞ!と感じて、恐怖を感じるようになります。
 
しかし、無害と有害刺激のセット率を高率にするか、低率にするかなど、論文ごとに用いた手法が異なります。
 
しかし、恐怖実験において、異なる条件付けをすると、得られた結果が論文ごとに異なりました。つまり、脳内電気が異なる回路をとり、活性化の経路はばらつきがみられました。

 
こうした条件つけの手法の違いは、脳内活性部位が違った結果を生む実験結果となりました。
 
得られた人体実験の結果は、論文ごとに、条件付けの手法がかなり異なってはいたものの、恐怖の条件付けにおいて、脳内で活性化した部位は、まず扁桃体と、ACCや島の活性化でした。
 
しかし、恐怖実験において、異なる条件付けをすると、論文ごとに、脳内電気が異なる回路をとり、活性化の経路はばらつきがみられました。
 
実験によっては、無害な刺激と有害が刺激の時間を遅らせると、海馬の強い活性化が起きると報告するものもありました。
 
有害刺激として、電気刺激を用いたりすると、大脳知覚野の活性化が観察されました。
 
恐怖を条件付けた後に、その後に、有害刺激を無くして、無害刺激のみを続けると、人は恐怖を感じなくなりました。これは、学習能力の獲得でした。
 
又、無害刺激と有害刺激を必ずペアにして与え続けると、恐怖反応に慣れが生じてきて、恐怖を感じる程度が軽快してくる現象が観察できました。
 
一方、不規則に有害刺激を混ぜると、無害刺激を与えた時の恐怖反応が高まることが観察されました。
 
これは、人の脳は、実際の恐怖を感じるより、恐怖を予知することの方が、脳の負担が大きくなる事を予想させるものでした。
 
 
 
 
このところしばらく、100年位前に活躍した心理・精神医学の先駆者たちの話題にもどりました。

フロイドとユングの活躍後は、不幸な世界戦争の時代を経て、心理学は多くの分派を生み、百家争鳴の状況が続きました。

アドラーと言う人は、個人心理学というものを提唱し、身体的障害をかかえる人でも、障害をばねに、さらに人は強くなれる (体が変化する) 能力が、人は生まれつき備わっていることを実証しました。
 
アドラー心理学は、ナチのホロコーストを避けて、アメリカで発展しました。
人は、恐怖や不安を克服できる力を、先天の能力として備えているとする心理学研究にもつながりました。
 
平行して医学も進み、脳の病理学の解明により、人の脳の働き方がわかってきました。

外傷などで前頭葉に障害を受けると、性格が変化し、温和な性格が消え、凶暴となる人が実際にいることがわかりました。人格形成に、前頭葉は大事な部位であることが示されました。
 
脳の運動野が明らかになり、特定の脳の部分を電気刺激すると、手や口が動いたりすることを知りました。てんかんなどの手術経験を積み重ねながら、人々は、脳の特定の場所の病変が、特有の症状を起こしてくることに気づき始めました。脳が体を動かしたり、刺激を感じたりするためには、それぞれに分担する脳の場所があることを知りました。

しかし、人の脳の機能は、依然として、謎につつまれたものであり、人の意識、自我などは、どこから生まれるのかについて、人々は激しい議論を繰り返しました。
 
人の考えが行動に現れる前には、脳の中で考えがまとめられなければなりません。脳内作業として考えを統合する過程がわかりませんでした。統合のための場所やしくみがわかりませんでした。

脳の中には、劇場があって、それを見る小人がいて、全体の考えをまとめているとか、人々はさまざまに思索しました。
 
人の脳の機能は、心理学や哲学でも引き続き、議論されましたが、心理学の手法では実証することが難しく、さまざまな学派による論争が続きました。
 
そうした中で、脳科学は進歩をつづけ、神経細胞の起源に戻って、その働きが解明されるようになりました。その結果、わかったことは、脳の神経細胞は、変わり得るように作られていることでした。つまり、「脳は可塑性がある」という、脳科学の原則が生まれました。これは、脳は、条件によって、構造や機能を変えていくことができるが、ある条件以上では戻すことが困難になることを示す言葉です。
 
神経細胞のニューロン突起の数は、何十万にも及びますが、突起を出たり消したりして、神経細胞の働きを支えながら、方向性を変化させていきます。例えば、恐怖を作り出していた細胞(集合体)が、やがて恐怖を抑える細胞集合体へと、働きを変化させていくことが可能です。
 
医学は、証拠をもって、脳の可塑性を示しました。人や動物を使って、恐怖を体験させ、その時、生体にどのような変化が起きるかなど、実証的な脳研究が進みました。
 
動物を用いた恐怖実験も行われました。動物を泳がせたり、足に電気を与えておどしたりする方法以外にも、脳の一部に電気刺激を与えて、動物に起きる行動変化を調べます。
 
科学として実証可能な手段の一環として、CT解析、磁気解析をすることで、脳の働きを画像化するところまできました。

現在は、fMRIなどの機械をもちいて、脳の活性化を血流の変化でとらえ、画像化できるようになりました。

こうした機器をもちいると、心理テストを行いながら、脳血流が変化する脳部位を調べることができます。
人の場合は、心理テストで不愉快な経験をさせて、その反応をfMRIなどの血流変化などで、読み取る(推定)ことができます。

視覚による不愉快な感情を与える。人の怒った顔や泣き顔を見せる。残酷な映像を見せる。
聴覚による不愉快な感情を与える。不快な音、喧嘩する声を聴かせる。
臭覚による不愉快な感情を与える。不快な臭い(腐った臭い、汗とよごれの臭い)をかがせる。
知覚による不愉快な感情を与える。不快レベルの電気でビリっとさせる。
 
こうした刺激を与えて、人の脳が恐怖を感じるしくみと、それを克服するためのしくみを解析する研究が進んでいます。
 
いろいろな種類の恐怖を、条件付けて、調べる方法もあります。
つまり、最初は、人にとって不快でない刺激を与え、それと連動して不快な刺激を与えると、人は最初の不快でない刺激を与えただけで、不快を感じます。条件付け恐怖と言います。
 
そして、条件付けされた不快な刺激は、その後の脳内で、どのように処理されていくのかなどを調べます。
 
恐怖を最初に感じるところは、脳基底部の扁桃体が中心で、そこから大脳皮質(高等脳)に電気が伝わります。
画像により血流が増えた脳部位は、そこが活性化されており、活性化の広がり方や消え方を調べていきます。
 
不快な刺激を克服するには、やはり高等脳の大脳皮質(前頭葉中心)が影響するのですが、最初に不快を感じる扁桃体自身も変化していくことが示されました。
 
ストレスに対する、この一連の変化は、動物に備わる先天能力を示します。動物に備わる恐怖を積極的に忘れようとする能力は、恐怖ストレスを消して生存のエネルギーを回復する防衛反応の側面とされます。