歳をとる前に、人生の苦痛を処理しておかないと、苦しい老後になってしまうと、前回のブログに書いた。
その後、本日のブログまでに大分、時間が経ってしまった。
 
私は、読売新聞を購読せず、朝食時のファミレスの無料新聞サービスを利用して、人生相談を読んでいる。
毎日のペースで、新聞を読めるわけではないが、ここしばらく、これという人生相談QAが無かった。
そんな中、本日の読売新聞の人生案内に、30年前の夫の浮気が許せないという50代の女性の人生相談が載ったので、コメントをしてみる気になった。
 
まさに、この女性は、今のうちに、処理しておいた方が良い課題をかかえて苦しんでいる。
回答者は、作家の最相葉月だ。過去にこのブログでも、彼女の著書“セラピスト”を紹介コメントしている。
最相は、浮気をされた妻に徹底して寄り添い、未来のあなたが自己憐憫の涙にくれて人生を終わらないために、離婚を考えよ!とアドバイスをしている。こうしたアドバイスを、女性は望んでいるのか?この女性がほしいアドバイスは、我慢しているあなたはえらいです!かもしれない。
 
確かに、女性が望むなら、離婚は、良い解決法かもしれない。
しかし、女性が離婚を相変わらず望んでいないのなら、くやしくてたまらないのは、なぜ、今なのか?を、この女性に考えて欲しい。
子育て中の女性は、いろいろ考えなければならないことが多く、気が紛れている。
しかし、子育てが一段落してしまうと、他に心を砕くことを失ってしまう。他人の喜びをもって自らの生きがいとする人生は、報われないと感じる経験がしばしば、起きてくる。
 
そして、若くエネルギーがあったはずの自分自身がいなくなる。鏡にうつる自分自身が若くない!。
老後もせまってきて、社会へのかかわり合いも減ってくる。
私の人生なんだったのかしら?で、中年の女性は悩みだすことが多くなるのではないだろうか?
つまり、苦しいのは、長い間、がまんしてきたからというより、彼女自身の変化が影響している。
 
忘れるためには、新しい人生イベントに期待することが大事だが、この女性には、それができなくなってきている。女性は、漠然と忘れようとしているが、現在の幸せを感じることができなくなっている。
 
家庭にいると、安定した生活が当たり前となり、夫への評価も薄くなり、守られて当然と考えているので、結婚生活のメリットが感じられなくなる。女性が陥りやすい落とし穴だ。
 
「今が最も苦しいのは、自分勝手なご都合主義もあるためではないのだろうか?
今になって、夫の浮気だけがこんなに苦しいと感じるのはなぜか?と、思いをめぐらすだけでも、苦しさの方向転換のきっかけになるではないかと思う。
そして、どんなに心をつくしても、他人は、思い通りにはならないことを肝に銘じるチャンスでもある。
 
30年前の浮気の後に、夫は浮気をしなかった! そこを、評価してみるのも良いだろう。
夫も相当に懲りたはずである。つまり、妻を愛していたと評価できないのか?それに答えて、愛される妻である努力は、もう、したくないのか?
 
普通、人は、いやなことは、時間がたてば忘れられることが多い。人の脳は、苦痛を忘れるようにしくまれている。そうした生体反応に逆らって、くやしい思いを募らせるのは、自らで努力して、脳をくやしくてたまらない方向へ方向づけているのである。マウスの実験では、学習効果と呼ばれる現象である。
 
男女に限らず、人は、自らの判断で、自ら決める人生を生きたい。妻も夫もしかりである。
 
人は自らの判断を大事にして、判断した自分を評価することは、メンタルヘルスに大事なことだ。この女性も、若い時の自らの判断を評価した方が得策だと思う。せっかくの長い間の我慢が無駄にならない生き方をしてほしい。
 
この女性が夫の浮気に行動を起こさなかった理由は、新聞には書かれていないが、女性が経済的に自立できない、1人で子育ての自信がない、離婚がみっともない、夫が好きだった、等々、複数で複雑ではあったであろう。
 
大事なのは、妻は我慢するという判断をしたことである。
夫の浮気を気がつかないふりをするということは、夫婦が長い将来を過ごすことを考えると、有利な面がある。
女性自らで、我慢すると言う判断をした事は、賢明な選択だったかもしれない。女性はそこを大事にすべきだし、それが実を結ぶ生き方をしてほしい。
 
女性が、自ら下した判断には、愛着を感じるべきである。しかし、女性が今、我慢するということを止めるという判断をするなら、それも大事な判断である。
 
若い時は、我慢した。しかし、今は我慢できないのは何故か?何か違うのか?そこを考えることが、大事と思う。この女性は、夫との間には子供がいて、子どもに迷惑がかかるので、実家に帰る勇気が無いとも言っている。
つまり、くやしくてしかたないけど、他人のために我慢している人生と感じているのだ。
こうした生き方は、とても女性のメンタルを悪化させる。私さえ我慢すれば!の生き方である。
 
こうした思いで人生を過ごせば、いわゆる更年期障害と呼ばれる体の不定愁訴で悩まされ、さらに歳をとって判断力が低下すると、くやしい人生で終わるのではないか?・・・・。
 
しかし、それでも、夫がかなりの遺産を残してくれれば、妻は報われるかもしれないし、苦しい思いから解放されるかもしれない。その時には、我慢して良かったと思えるのかもしれない。
 
あるいは、妻の座を守り、長い時間、夫をささえた代償として、離婚手続きが有利に運べたらそれも悪くない選択肢だ。慰謝料は、若い時からの苦労の代償とも考えられる。
 
楽になれるための解決法を、老境になって判断力が衰えない前に、相談者の女性は考えて欲しい。その判断に、他人のためという感情を入れ込まないことも大事だ。あなたは、あなたのために判断しているのである。
 
 
歳をとると、理性が弱くなって、自らを省みることができず、容易に他人のせいにしやすくなるのである。
自らの判断で前に進んでいると考えることのできる理性ある年齢の時に、納得の人生の基礎を作っておくことが大事だと思う。
 
画家の松園も、苦しい思いを絵にした。そして、彼女の手記によると、この絵を書いてから、気持ちが吹っ切れたという。芸術家は、こんな風に昇華できるのはうらやましい。
イメージ 1

 
人は歳をとると、若い時には、我慢できたことができなくなる。女性の精神疾患が、男性より、人生後半に多くなるのと関係しているようだ。

人は、脳が老いていなければ、我慢するエネルギーがしっかり作れる。逆の言い方をすれば、老いた脳では、うまく我慢ができない。若い時は、自らの立場をわきまえ、将来を見通し、我慢すべきところは我慢できる。周りに気をつかい、相手の気持ちを想定し、自らは抑えて、良い人を演じようとする。
周りがハッピーであるように、努力する。ここは、我慢時だ!と判断すれば、自ら我慢を実行する。
 
波風をたてたら、自らの立場が悪くなって損!がわかる。だから、我慢する方への選択となる。
我慢がつらくなると、時に、相手にお願いしてみるけど、ダメそうならそれ以上は要求せず、再び、我慢を続ける。この我慢が将来、実を結ぶようことを信じている。
 
社会生活をする上では、誰でも、我慢は要求される。特に、生活の糧を他人に依存した生き方をしている人では、妥協と我慢が要求される。
 
そうした状況では、生活の糧をかせげる相手のご機嫌はいつも、気にせざるを得ない。
自らで稼ぎだせない暮らしは、つらい部分もあるが、責任もとらされないで済むし、能力の限界を試されたりもしない。
そこに甘んじるという選択になる。
 
夫に生活を依存していれば、妻は、家族の世話をやき、相手の喜びを自らの喜びとする人生を送ることで、妻が得られるものが増えていく。

今回も、新聞の人生相談からの発想である。投稿したのは、後妻に入った50代女性である。
 
この女性は、今回の結婚を何が何でもだめにしたくないとの思いだ。
しかし、夫となった男性には、先妻の子供が三人いて、その子どもたちと一緒に住んでいる。子どもは二十歳を過ぎているが、家を出ていく様子がない。夫は、それを容認している。先妻の子供は、炊事、選択の家事を、後妻の女性に押し付けている。
この女性は、結婚後は、家政婦のような扱いしか受けないような気がしている。女性が、やっとの思いで、洗濯をするように子どもたちに言うが、子どもたちは聞き入れないし、夫もそれ以上は言わない。

この相談では、この女性が、この結婚にしがみつく背景や理由は書かれていない。
 
投稿されたこの人生相談の答えは、作家が書いている。
このままでは、まずいので、まず、子どもたちと夫にしっかり、人生設計をたてさせるべきとある。
 
もちろん、それができれば望ましいが、それができない場合を考えてみたい。
 
後妻に行くというのは、いろいろな状況があろうが、女性にとっては、試練が大きい。
後妻に行った女性が、入った家で、家政婦やら、消耗品やらの扱いしか受けられていないと感じてしまうこともあるだろう。
 
そうなれば、結婚を止めれば良いのだが、この投稿した女性のように、「だめにしたくない!」と、女性が思っている限り、我慢をするしかない。
そして、女性がそうした気持ちでいる限り、足元をみられてしまう可能性が高い。
新しく来た女性が、我慢する人なのかどうかを、家人はためしてやろうという状況になる。
テレビドラマ的な状況である。
なさぬ仲の先妻の子供との付き合いは、大変だ。
 
サガンの有名な小説“悲しみよ、こんにちは”も、先妻の子供のジェラシーを描いた小説である。後妻になるはずの女性は、娘のしかけた罠にはまり、結局、交通事故死する。先妻の子供にとっては、後妻は異物である。人生経験の薄い子どもが、最初から、後妻を素直に受け入れることは難しいと思う。
 
結婚をしたのだから、何十年と妻としてすごせば、法律は、この女性を守ってくるかもしれない。そこまで、我慢していくという選択肢もある。そして、長い間の努力が実り、楽な晩年を過ごせる女性も少なくないだろう。
自らを捨てて、捨てて、妻の座にしがみついた結果、最後に得られるものがあるかもしれない。
 
結婚が成功するかどうかは、女性の希望や努力だけでは決まらない。
女性が、自らの人生をかけた大変な努力をしても、夫が、それを認めてくれるという保証はない。
女性は、将来に向けても大きな不安をかかえたまま、我慢の人生を過ごす。
 
配慮しない夫や子供と暮らす結果、起きてくることは、女性のメンタルが悪化であり、ひいては体全体の健康の悪化である。押し付けられるつらい仕事から解放されるためには、女性の取る手段は、体調不良位しかない。
体調不良から始まった病気が、さらなる複雑な病気に進行してしまう人がいるだろう。
 
体が痛い、お腹が痛い、手がしびれて動かない、足が痛くて立てない、足がつけない、体がだるくて動けない、頭痛がひどい、めまいがして動けない、臭いに敏感になり、その臭いに近付けない、などは、仕事から逃れたい弱い立場の人に、必然的に出そうな体の症状である。
 
弱い立場は、自己弁護をしがちだ。思い通りにならない後妻の女性は、自らは正しいと自己弁護的になる。
つまり、家事はやりたいのだが、体が言う事をきかないので、残念ながら、やれないという態度になる。
自己弁護を必死でやりながら、自らの正当性を主張する。しかし、いつか、焦点がぶれていってしまう。

心の悲鳴が、体の症状として出てくるのだが、本人は、しばしば、心の病気であることに気付かないし、うすうす気付いている場合には、うっかり、そこを指摘したりすると、女性は激怒する。
 
こうした我慢の人生の心配な点は、その人の老後である。
我慢する人生を生きた人は、老後に苦しむ。特に、我慢の結果が、老後の良い人生につながらなかった人は、なおされであろう。
 
人には、苦しい時も乗り越えられるための高等脳(大脳皮質)が備わっている。高等脳は、生涯の味方であり、考えなおしたり、あきらめたり、居直ったりする時に活躍する。
しかし、歳をとり脳が衰えていくと、この生涯の味方が、働きを失ってしまうのである。
人は、若い時の苦しい事、悲しいことが、耐えられない程のつらさで思いだされる。

高等脳は、その人の人生において、苦しい感情をなだめすかす役割を担っている。
ここは、自らで気持ちを切り替え、新たな努力を産み出すためのエネルギーを作る。

若い時には、がまんできた事が、歳をとると、悔しくて我慢がならぬ!ようになるのは、なだめすかしてくれる高等な脳部分が、消えてしまうからだろう。こうなると、周りがどんなアドバイスをしても聞き入れることはできず、人格が違ってしまう印象となる。
 
我慢の多い人生を送ってきた女性の中には、歳をとって思い返す事が、くやしくて!くやしくて!と、苦しみ、とても怒りっぽくなる。愛想の悪さ、表情の険しさなども出てくる。
 
こうした老いた女性が入院した場合には、看護者に対する暴言や、執拗にナースコールを押すことなど、自己主張がとても強くなることがある。
つまり、他人から大事に扱われたいとの欲望が、強い態度や言葉になって、表に出るのだ。
外回りの人格が変化してしまう。
 
人格を作っていた、高等脳のコントロールが無くなるためである。
あんなにおとなしかった方が・・・・!となるようである。
もちろん、こうした女性自身が抑えきれない暴言を吐いてしまうと、女性自身も苦しむようにもなるようだ。
自己嫌悪も強くなり、メンタルが悪化する。
 
こうした年老いての人生が、メンタルの悪循環となっていくようである。
これを避けるためには、くやしくて!くやしくて!と、激しい感情に振り回される状況をなくす努力だ。
 老境に入る前に、人生の我慢を、うまく処理しておく必要があるのだろう。
くやしい思いをかかえたまま、老境に達してはいけないのだ。
老境に至れば、修正不能である。
もっとも、歳をとっても、高等脳がしっかりしていれば、こうした悩みは起きにくいが・・・。 
 
高等脳が、がんばってくれている間に、悔しかったことの整理をしておきたい。
若いうちから、苦労したことを、楽しくがんばった思い出へと変換したり、我慢を無駄にしない心がけだろう。
 
最近、ネットにのっていたあるタレントの女性の言葉を紹介したい。彼女は、
「私は、自らで、地雷を踏んで、きれいさっぱりと、それまでの人生を壊してきました。」
と言ったそうだ。
 
我慢を捨ててしまう生き方であり、我慢を消す手段であろう。
こうした生き方ができれば、高等脳を失った老境の日々に、くやしくて!くやしくて!は、無くなるであろう。
「以前の夫婦は、夫が妻に給料は渡して、家計のやりくりは妻に任すが、何か問題が起これば、夫は口をだす!!とする時代だったが、今の夫は、生活全体を妻に牛耳られてしまい、給料は出すが、口はだせなくなった。」
と、ある男性が私に言った。
 
これを聞いた私は、さっそく、この男性へつっこみ質問をしてみた。
「そうなると、男性の働く意欲はどうなってしまうのかしら?なんだか、男性は、結婚も、仕事もする意欲を失って、ひいては日本の労働力の減退を招いているのかもしれないわよね。」

しかし、その男性は、私のペースにはのらず、
「まあ、どうなんですかね?最近は、一時騒がれた中年離婚が減ったでしょう。一方的な関係が少なくなったのじゃないですか?まあ、良い事だと思うけど・・・・」
と切り返された。
 
前回のブログにも書いたが、男性は、自分の城を持ちたい、広い城に、姫も家来も欲しい、人生に自分の足跡を残そうと努力する志向がある。
歌の歌詞にも、「君は人生に足跡を残したか?」と問うのがある。
 
前回のブログで、紹介した夫婦であるが、夫は、「俺はこの家で一番えらい!」などと言うとのことだ。
この夫は、妻にそうしたメッセージをしないと、妻がわかってくれないとの思いでいる。

しかし、妻が、「あなたは一番えらいです。悪いのはすべて私です」
などと言ったら、夫は、むしろぎょっとなるかもしれない。
芸能人の離婚会見では、しばしば登場するパターンの
「悪いには私です。責任は私です」 を、夫は思い出すかもしれない。
 
さて、この妻は、パートで働いているが、妻の給料では子どもを養育できず、離婚に踏み切れないという。
御自身のことを、何の資格も技術もないと言っている。
夫に、技術や資格があるかはわからないが、普通、男性は努力して、かせぐためのスキルを身につける。
この夫は、いばるけど、妻には稼げない金額のお金を稼ぐ能力があることを、妻は良くわかっている。
 
だから、夫のだんまり作戦に対して、妻は必死で謝る。
妻は、夫が(給料をかせぐから) 従うのはしかたない思っている。
この妻は、夫の稼ぎを十分に自覚しているのに、それを素直に夫に表現していない。
 
つまり、妻は、妻自身が弱いから、(やむをえず)夫に従っているという態度をとってしまうようだ。
むしろ、夫がお金を稼げる人だということを、妻は評価してます!とわからせた方が、有利ではないか?
何か、妻は、現状を打開して、夫のいばりに変化を期待したいところだ。
 
誰でも、自分にできないことをできる人間は、素直に尊敬できるものだ。
さすれば、稼いでくれる夫に対して、妻がヨイショするのも、それほど、苦痛ではなくなるかもしれない。

男性は、一家の主となれば、社会的信用が高まる。男性は、妻子を養い、結婚生活を続けられていることで、大きな益を得ている。
夫が子供にやさしいのは、家庭を大事にしたいという夫の希望であり、この夫の足元は見えている。
この夫婦は、男性も離婚したいというのでない。夫は、社会的体面を保ち、築いた城を守りたい。
妻も、夫の力を認めているのだから、妻の作戦はたてやすいはずだ。
 
それでは、妻は、いつでも夫をヨイショしていれば、家庭円満か?となると、そうではないだろう。
ほめられてばかりいれば、人は努力を怠り、だめになる。夫をダメにしないのも、妻の役割だ。
 
何事にも、権力はバランスがとれている事が必要だ。そうでないと、世の中がおかしくなる。
権力が集中することで、社会が堕落、停滞し、多くの人類の不幸の歴史が繰り返された。
 
小さな家庭でも、権力のバランスが大事である。
家庭の中で、特定の誰かだけが権力を持つ構図は、トラブルが起きやすい。
偏った考え方で、子どもがふりまわされる。
夫がいばりすぎたら、夫自身が傷つく時代になっている。
 
2013/4/21(日) 午後 10:45、猿人の話を、ブログで紹介したが、
http://blogs.yahoo.co.jp/solid_1069/10552915.html
タレントの岡本さんが、モデルとなった作られたアファール猿人の像がある。
 
以前に、アファール猿人の男女の大きさを話題にしたことがあった。
写真で見ると、この時代は、女性は男性の半分以下の大きさだった。
男が女を守る社会生活では、女は子どもを産める大きさがあれば良かったのであろう。
 
しかし、進化の過程で、女性は大きくなっていった。猿人がさらに原人、新人類に進化していく過程において、男女差が少なくなる方が、ヒトの進化に有利であったであろう。
つまり、女性の脳と体は、大きくなる必要があった・・・・。
 
その理由が、多々あるにしろ、男女がバランスをとることは、知的生物がさらに進化するために、有利であるからと思われる。
 
男性だけが大きい体であれば、争いも多いし、小さな女性を何人もかこって思うままにすることができやすい。ハーレムをつくり、それを奪い合って、男性同志で、お互いが殺し合ったりしそうだ。
 
しかし、動物が知的に進化してくると、意のままになる女性は、男性にとってもつまらないのではないだろうか?女性が簡単に男性の意のままにならないと、男性はさらに努力をつづけるであろうから、女性の進化は、男性の進化の源だ。逆も言える。
 
女性は、争う男性たちをいさめたり、競わせたりするために、美しく、賢くある必要があった。
戦国時代の武将であっても、女性に気にいられるための工夫が必要であったであろう。
当然、子育てにも、脳ある女性が必要だ。女性の脳の発達は、人間に必要なものであった。
 
賢くなった女性は、賢い男性を選ぶしくみができあがる。
賢い男性、賢い女性になるための競争も激しくなる。
男女の軋轢もでてくるだろう。
その結果、男性の性的志向は、生物体としてはマイナスとなっていく面もでてくる。
 
現代でも、男女には、体格的頭脳的に差が残っている。
つまり、まったく両者が平等になってしまうと、コレもまたトラブルとなるのかもしれない。

しかし、長期的未来において、Y染色体は縮小を続けるのか?男女差がどうなるのか、諸説は、まだ、混とんとしている。
いづれにしろ、今後も、男女のせめぎ合いと進化は続いていくだろう。
 
こんな風に考えると、男性にやられてばかりと感じる女性は、あるいはその逆の場合でも、又、新たな目で男女を見直せるであろう。
 
このところ、新聞の人生相談へのコメントを書いています。
新聞には、毎日、人生相談が連載されています。又、新たな人生相談の紹介です。

今回は、パートで働く40台半ばの主婦から、いばる夫に対する相談です。
 
夫は、気にいらない事があると、何カ月もだまりこみます。過去に1回暴力をふるったことがあり、親も交えて二度としないと約束したそうです。

夫は、「俺は、家で一番えらい。俺に従え。お前(妻)は「はい」と言えば良い」と言うそうです。
家計簿は、常にチェックされます。妻の言うことはすべて口答えだと言うそうで、妻はその場を収めるためにあやまり続けるそうです。
妻は、離婚も考えるが、夫は子どもたちにはやさしく、子どもは離婚に反対とのことです。妻には、特別の資格も技術もないため、離婚しても子どもたちを養えず、どうしたらよいか?の相談です。

回答者は、大学教授の男性で、ひどい夫であると答えています。夫は、プライドが高いが、自らに自信はなく、立場の弱い人をコントロールすることで、満足を得るタイプの人であると、夫をこきおろしています。
そして、妻の稼ぎが少ない事を知っていて、夫は安心して威張っているのでしょうと、妻に同情しています。

この相談は、妻から出された一方的な夫に関する情報提供なので、妻の問題点は書かれていません。
妻は、自らの問題点を、どのようにとらえているのかは気になります。
 
この夫婦は、結婚をしてから相当の月日が経っています。この長い間の、何度となくくりかえされた夫婦間のトラブルがあって、現在の夫婦関係に至っています。
 
この夫も、人間的に成熟された人というわけではないでしょうが、この妻も、夫の気持ちをくむという作業をうまくやれていません。そして、夫婦間の解決を、他人まかせにしているので、夫もますます、意固地になるという印象をうけます。

たとえば、大学教授の回答者が言ったことを、妻が夫に言ったらどうなるでしょうか?

「あなたは外でいばられているから、家に帰ると、私たちのような弱い立場の者に威張るのでしょう?あなたは、そうして自己満足する、問題ある人間だわ。」

さらに、妻はこんなことも言いたいかもしれない。妻が以下のことを言ったらどうなるか?

「どうせ夫に養ってもらうなら、もっと良い暮らしがしたいわ。パートなんか、やらなくても済む稼ぎが欲しいわ!」

「あなたが病気をして働けなくなったら、私の稼ぎでやりくりするわよね。そしたら、今度は、私が今のあたなのように威張っていいのね!」

以上のことを妻から言われたら、この夫は、烈火のごとく怒りそうです。
威張る夫は、威張られた妻が、実は、内心、こんな風に考えているかもしれないことを忘れてはいけません。

家長である夫は、家族を養っている自信とプライド、そして責任があります。
夫にとっては、最も言われたくない事を、ぐさっと言われたとの思いでしょう。夫は、自分より目下であるとバカにしていた妻から、逆に、夫が、品定めの対象であることを思い知らされます。
 
妻のため、家族のためと、生きがいを感じて働く夫にしてみれば、とても傷つくことになります。
 
妻は、夫の怒りを予想すれば、こうした暴言は吐かないでしょう。しかし、妻は気付かずして、これに近い言葉を、夫に言ってはいないでしょうか?
 
そして、妻本人は、傷つけた言葉に気づいていない事があります。
妻が社会から離れた家庭にいることで、しばしば、妻は、御自身の問題点に気づかない人間になってしまいそうです。

女性は弱い立場であるので、どうしても自己防御的になります。悪いのは夫で、かわいそうなのは私と言う言い方になりがちです。
この文章も、夫は悪い人、妻は良い人の構図で、文章を書いています。
 
怒られた時の妻は、夫にどんな言葉を発し、態度をとっているのでしょうか?
怒ることにより窮地に陥っている夫を、ますます怒らせてしまう事があったかもしれません。

夫の暴力も困ったものですが、この夫婦は、過去1回起きた夫婦間暴力事件の解決に、親も交えて話し合ったと言います。
妻が、この解決法をとったことで、夫は傷ついたと思いますが、そうした夫への配慮が、妻には無いようです。

新聞に書かれた妻の訴えは、「何に怒っているのか尋ねても、夫は答えません。頼み込んで教えてもらうと、怒った内容が誤解であることが多く、説明しようとしますが、一切、耳を傾けません」

とあります。
本当にこの妻は、夫の怒った理由がわからないのでしょうか?夫の怒りがわからないことは問題だ!と、なぜ、妻は思わないのでしょうか?
 
そして、夫は、たいした理由がなくて、妻に怒ることもあるでしょう。会社でいやなことがあって、妻に当たるような八つ当たりもあるでしょう。こうした場合は、大抵は、夫は反省しています。だから、妻は、そっとしておいた方が良く、怒った理由をあれこれ聞きこむ必要はありません。八つ当たりを理解し、やりすごす一方で、夫の怒る理由と、意向はしっかり知る必要があります。

もし、夫が長い間、怒っているなら、そこには、夫のメッセージがあります。夫が妻に伝えたい思いがありそうです。夫も、長い間、無言でいれば、夫が困る事が出てきます。
お互いが妥協し合わないと、一緒に暮らす意味がありません。夫の怒った理由を聞いて、すなおに夫が話したら、解決は早いですけど・・・・。
 
さて、ここで、夫が抱くであろう夫の思いを勝手に想像し、代弁して書いてみます。

妻は、いつも自己弁護的で、自らの態度の問題点に気づくことができない。だから、私は、はっきりした言葉で、メッセージを伝える必要があると思ってしまう。つまり、私がきちんと判断しないと、うまく回らない家庭であると・・・。私だって、自分から、俺が一番えらいんだ!なんで言うのは、気がひける。しかし、妻は、私からそういうはっきりした言い方をされないと理解できない人間のようだ。今までも、妻にまかせたら、困った結果になることが多々あった。

世の中には、もっと良い暮らしを家族にしてやっている男はたくさんいる。でも、今の私は、自分の体を張って、仕事をがんばっている。そんな自分への情けなさから、感情が高ぶることがあり、身勝手な自分であるとは思うが、妻はそんな私を受け入れる余裕がないらしい。妻は私をねぎらうことをせず、私を非難する。妻は、自己弁護ばかりして、自己弁護が意味の無い事に気づかない。妻は、他人の心や立場を想定して、思いやるということができない。妻は、自分は正しく、かつ、弱い人間であるとアピールをしすぎる。
 
私の努力を、評価してくれる妻や家族であって欲しい。子どもたちも、俺の問題点は知っている。しかし、子どもは妻の問題点も、又、知っている・・・。

家長の夫は、弱い立場である家族に対して、いばってしまいがちです。
でも、その時の抑止力となるのは、夫自身による自己反省の高まりでしょう。
それ以外には、難しそうです。
しかし、妻や家族からの気のきいた一言は、夫の自己反省を高め、夫が変わる力を秘めています。

以上、今回の人生相談は、いろいろ問題を抱えた夫婦についてですが、やがて、子どもは育ち、それまでに、お互いの考え方が変わらなければ、その時には、もう一緒にいる必要はなさそうです。
 
お互いが、お互いの能力を認め合うことできないなら、ハッピーではないですから。
引き続き、新聞の人生相談に対するコメントをしてみます。

20代の育児休業中の主婦からの相談投稿である。実家の家族が皆、バラバラで仲が悪く、母は、父に対し「吐き気がする」と言い放つような人で、父と母は、離婚寸前のようだと、娘(投稿者)は感じている。
投稿者の女性は、そんな両親や姉は、自分勝手であると感じている。
 
実家の皆が、仲の良い理想的な家族であってほしいけど、どうすれば良いかの相談だ。

投稿した女性は、出産里帰りをしており、初めての育児にも疲れている。
母親に育児を手伝って欲しくても、母はマイペースである。姉は、服などあれこれと買い込み、自分勝手な贅沢をしている。父は太っていて、いびきをかいて寝ている。
この家庭は、皆がお互いを助け合わず、心がバラバラであるが、投稿者の女性は、心から嫌いにはなれないと言う。この女性の想像する家庭の理想像から、ほど遠いとする悩みだ。

この新聞相談Q&Aに、回答したのは、女性の作家である。
彼女の答えは、理想の家庭の姿は、そう簡単ではないこと、表面的な幸せをつくろっている家庭もあり、一見良さそうに見えるだけで、実は偽りの家庭かもしれないと言っている。
 
そして、結婚して親になったあなた(投稿者)は、実家に、家庭の理想を求めなくて良いではないかと言っている。
 
テレビドラマの貫太郎一家のように、昔の家長には権限があり、父がちゃぶ台をひっくり返し、周りはハラハラするのが、かつての日本の家庭の姿であった。そうした家庭からみれば、ずい分、今の家庭は良くなっていると思うと回答していた。
 
女性が、がまんをしない生活環境になったということだろう。
男性にとっては、がっかりでもあろうが、人生のプレッシャーは減ったのかもしれない。

そもそも、誰もが、がまんをしない家庭は、バラバラになるが、個人はそれほど不幸ではないだろう。
誰かが誰かの犠牲になるわけでもない。
今の家庭は、そんな風に変わってきていると、回答者は言いたいようだ。模範解答であろう。

私が興味を感じるのは、投稿者の若い女性の抱く理想の家庭像である。
若い女性で、子どもが生まれたばかりであれば、家庭の理想像を夢見るのは当然だ。
そして、彼女も、また、わがままな人であるのだが、そうした自分のわがままに気づいていない。
彼女は、理想を求めるが、その対象が他人なのである。

そもそも、若い女性の夢見る理想的な家庭とは、どのようなものであろうか?
 
まず、豊かな暮らしであろうし、社会的にも恵まれていて、家族員は尊敬され、人がうらやむ家庭というイメージか?
ある程度の贅沢が許され、欲しいものが手に入る。
お金の使い道は余裕があり、それぞれの人が決めることができる。
 
家族が、他の家族員に満足できている。お互いを尊敬し合い、悪口を言い合うようなトラブルは起きない。
父は、社会的にもしかるべき立場にあり、尊敬できる人で、家族をまとめる説得力もある。
母はやさしく、かつ頼りになる。
しかし、母が父をたてて、賢くふるまうという姿は、投稿者の理想像にはないだろう。

そんな理想像を膨らませてきた娘にしてみれば、現実の実家の状態は、程遠いと感じているのだろう。

しかし、投稿者の女性は、バラバラの実家を見て、私はこうならないような家庭を築くために、がんばりたいとか反省しているわけではない。
 
あくまで、実家の皆が、彼女の求める理想的な家庭像から違っていると、非難しているのである。
理想とは違うと、不満を感じている。他人に理想像を求めるだけで、彼女自身が、どうありたいか?どう変わらなければならないか?という視点が抜けている。
彼女の期待は、他人が変わることなのである。

人に何かを期待をし、それが果たせないと、自らが不幸になるなら、他人に期待しないという選択肢しかない。
不幸感を感じたくないなら、自らで、不幸だと感じない考え方に変えなければいけない。

この家庭も、はたから見れば良いところが多くある。
この家庭の人たちは、だれも、その人自身の希望を押し込めてはいない。
家族員の誰もが、ある程度に自由に生きている。
ばらばらにならず、一緒に暮らしていけてる。
皆、自分の人生を、それほど、我慢せずに暮らせていれば幸せである。
「まっ、いいか!これが幸せかも・・」と、思えば良いだろう。
 
良い家庭でなくても、悪くない家庭であることが大事である。
当然、まとまらないのだが、それでも、一緒に住むことができる。
くつろぐ場所である家庭は、お互いの志向を認め合えれば良い。

父は太っていることが許されている。
太っている父は、仕事などからくるストレスが多く、食べることで、心の健康を保っている。
父、本人が、一年発起をしてやせる気になるか、病気などをして、やせてしまわない限り、父は太り続けることになる。
肥満の解消は、父本人の決心で、他人は介入できない。

彼女自身の行動も、又、自分勝手なのである。彼女もバラバラ家族の一員である。
女性は、母が育児を手伝わないと非難しているが、それは、女性の態度も問題である。
 
この女性は、出産した病院で習った育児法が正しいと信じ、それでやるようにと母に言う。
一方、母は、娘は、娘の育児法こだわっていると感じている。
娘は、病院から言われたと言いわけしていると感じている。
母の立場にすれば、娘は自分のやり方を押し付けていると感じているのである。
 
娘は、子育て経験のある母の言うことを尊敬していない。
子育てしてくれた母親の経験を、娘が無視しているから、母は手助えない。
 
この投稿者の女性自身の行動は、独断的であるのだが、そこを本人自身が気づく必要がある。
子育てのやり方は、あかちゃんの状態で、ずいぶんと変わるもので、正しいことはひとつではない。
臨機応変ができれば、イライラは少しは減るのである。 
 
雇用が安定していた母親の世代より、今の時代は、子育ては大変かもしれない。
親と同じレベルの生活をするのが難しくなっている。
終身雇用のくずれた現在は、夫の生活の保障も、昔より厳しい環境にある。
 
この女性の夫のことは、新聞の投稿文には、書いていない。
つまり、この女性は、自らの選択した自分自身の家庭については、コメントしていない。
若い彼女にとって、姿が見えない自らの家庭より、目の前にある実家に、理想の像を求めている。
実家は、父や母の能力の結果であり、自らの責任や能力を、考えないで済む。
 
将来は、投稿者の女性も、実家もそれほど、悪くない家庭だと思うようになるであろう。
いや、実は、すでに、どこかでそう感じてはいるとは思う。
 
幸せを感じるには、自らが変わるしかない。すると、相手も変わることがある。
子供を持った娘が、子育てに協力する母に感謝したり、ねぎらったりすれば、母もうれしい。
新しい命が、家庭のバランスを変えていく。
母は、娘の成長を実感できる。
娘が憧れている実家像に近づくために、両親も努力することになるだろう。
 
本気で家族を嫌いになることは、大変なことである。
仲が良いとか悪いとかに関係なく、血はつながっていて、家族は、お互い、似たものであるのだと思う。
 
新聞の人生相談(コラム名は人生案内)を読むと、回答者の冷たさを感じてしまうことが時にある。
本日は、20代女性からの仕事上での相談であった。
この女性が、仕事上でのミスが続き、職場の上司の40台の男性が冷たい態度をとるために、とてもつらいのだという。どうしたらよいか?の質問だ。

この質問の手紙は、ていねいな誤字のない美しい文字で、便せん8枚にしたためられているという。
当然、新聞に質問文章として載るのは、数百字に縮められている。
 
回答者は男性の作家であった。作家は、これは恋愛の相談ではないか?あなたはその男性に注目してもらいたいのではないか?構って欲しいと考えているのではないか?とあった。
そして、そうなら、そうした気持ちはやめるべきとあった。

新聞上、質問として寄せられた投稿文は、かなり編集者の手が入っているのだということを知った。
質問してくる本人が書いた文章ではなく、編集者が手を加えて、Q&Aの形にはめこめたものである。

その結果、投稿された人生相談は、投稿者の気持ちからずれてしまうことがあるだろう。
ここを避けるためには、質問する人は、なるべく簡潔に質問文を作らなければならない。
そうでないと、編集者に編集され、焦点がぼけ、その結果、不愉快な回答をもらうはめになってしまうかもしれないのである。

もっとも、そんな固く考えても仕方ないことで、新聞の人生相談は匿名の質問であり、その答えも、又、不特定の多数が読むものである。回答のずれを、あまり考えてもしかないものでもあるだろう。

新聞上の、今回の質問の文章を読む限り、投稿した女性が、会社の上司にどのような感情をもっているかはわからない。
私にとっては、そこには、あまり重要でない。むしろ、素直に、この女性には、冷たい上司がいて、仕事がつらいだろうと同情してしまった。

この女性が、現在抱える問題点を考えてみたい。
 
この女性が、便せん8枚に質問を書いたことは、やはり、問題があると思う。
質問は、最初から、数百字しか新聞には載らないはずだ。
 
それを考えれば、書いても無駄であるばかりではなく、誤解を招く。
長く書くことで焦点がぼけ、編集する人の手による修飾や変更を受けやすいのである。

さらに、質問を長くしてしまうことは、書き手の女性は、大事な部分の選択を他人に委ねてしまうことになる。
つまり、女性自らで悩みのポイントを選択をせず、編集者の意のままになってしまうのである。
 
この女性が、うまく仕事をこなしていけない要因につながりそうである。
載るはずもない長い質問の手紙を丁寧に書くために、女性は、相当の時間をロスしている。
ここは、女性は頭の中をまとめて、簡潔に質問をして、他力本願にならない姿勢が必要である。
 
診療の現場でも、何度もくりかえす女性の質問に、医者が悩まされることがある。
聞き手の医師の緊張の糸が切れて、しっかり聞いてもらえない事がある。
日本の診療は、長い質問に答えてもられるような恵まれた環境にない。
診療時間は、費用という制約があり、短い時間で安いコストでなりたっている。
ここをふまえないと、医者に相手にされないと感じて、患者側は傷つく。

長い質問をしたり、他人に質問のポイントを依存してしまうことが、この女性の仕事上での問題点に共通するかもしれない。無駄なところで、心を消耗させてしまい、実効の上がらない仕事の不安が、この女性を苦しめている。

会社は、利益を追求するために経営努力をする組織である。社員は、時間内に仕事を済ませなければならない。
こだわってはいけないものが一杯ある。
 
ミスをしょいこんで悩む女性は、仕事の効率が落ちてしまう。
こだわりすぎたり、焦点がずれた努力は、プライベートでは許されても、会社組織では、嫌われる。
やたら悩んだり、思いこむタイプの女性を、会社(上司)は、教育していくのは大変だと感させてしまうかもしれない。
 
今、この女性に求められることは、上司の思惑にふりまわされないことであろう。
上司は、何を考えているかはわからないと思って、アドラーの課題の分離をするのが良い。
 
他人の思惑なんで、所詮、複雑で詮索しても始まらないと思うのである。
仕事にミスはつきものなので、むしろ、部下はミスをひきずらない心のスキルが必要だ。

冷たい上司が1人いるなら、1人で済んでいると考えるしかない。
冷たい上司1人いるのではなく、1人しかいないと考える。
その上司の考えが、基本ではないのである。
上司は、上司自身の物差しで評価しているだけなのだ。

できれば、新聞の人生相談は、質問した人がうれしくなる答えを期待したい。
うれしくない回答は、それを読む一般購読者も参考にならないことが多いのだ。
5月18日の読売新聞の人生相談は、70歳の男性からの投稿だ。以下が相談内容である。
 
口うるさい妻に閉口し、家を出たい気分だと書いている。
結婚前の妻は、「悪いところがあれば直すから、何でも言って」と殊勝なことを言ったとのことだ。
しかし、妻は、今も、料理がうまく、掃除洗濯など主婦のやるべき仕事をしてくれているが、どう対処したらよいか?
 
これに対する賢者(作家)の答えは、以下のようであった(抜粋)

奥様が急に変わられたのではなく、あなたが変わられたのでしょう。
(あなたが)目にあまる変わりようなので、それで奥様がいちいち注意するのでしょう。
私にはそのように思えます。
「悪いところがあったら指摘してほしい。直すから。」こう、夫は言うべきだ。
・・・あなたは、妻の小言をありがたく思い、直すところは直した方がよろしい。
奥様に関心を持たれるだけ、あなたは幸せ者です。

作家という職業柄か、かなり皮肉的な物言いであるが、投稿した男性にとっては、厳しい回答であると思う。
もっとも、この作家の回答者が、一番いいたのは上記の文章の最後であろう。
 
男は70歳をすぎて、仕事が無くなったらみじめなモノだと、作家は諭している。
あなたは、料理・洗濯・掃除をやってもらっているのだから、良い方だ。
ありがたいと思って、妻の言うことを聞け!と、回答者は言いたいのだろう。

確かに、この相談者の男性は、いまだに、妻に面倒をみてもらっている。だから、妻が強くなるのだろうと思う。
この夫婦の妻は、夫に対して指示を出すのは、妻の長年の夢だったと思えるのだ。
今、妻は、人生最後の夢をかなえようとしている!

妻を長い間、守ってきたつもりの夫にとっては、予想しない反撃にあう時代になったと言える。
では、なぜ、こうなってきたのか?

人は物を考える生き物である。それぞれが自らの価値観を持っていて、それに従って生きて行きたい。
他人からの指示は、自らの価値観とはずれる。
誰でも、いつでも、他人からの指示は、苦痛なのである。
妻は、長い間、夫から指示されてきた。人生の大事な決め事は、夫が決めた。
過去に、妻が望んだことは多くあっても、立場上、妻はあきらめてきた。

夫が働いていて、給料を入れる時期であれば、夫の発言権は大きい。
子どもの教育など、家庭で大事なことは、夫の意見が尊重される。
妻がやりたい行動も、夫が駄目と言えば駄目になる。
夫が食事中に咳こんでも、くしゃみをしても、家族はがまんするだろう。
料理がまずいとか、妻の家事のやり方についても、文句を言う夫であれば、妻は夫からの文句を避けるために頑張る。妻は、上からのもの言いに耐えてきたのである。
 
結局、生活の糧を誰が得ているのか、この問題が大きいようだ。

しかし、時と共に、夫婦関係が変化する。夫からあれこれと指示されてきた妻は、その長い間に抱え込む人生の夢がある。それは、指示をだしてきた夫に対して、逆に、妻から指示を出すことだ。

毎日の細かいことについては、妻の経験はうわてである。妻は、この時を待っていたのである。
妻は、夫の日常行動に小言を言う。
妻は、夫への小言に満足するから、料理・洗濯・掃除に精を出せるのだ。
 
回答者の作家は、そこをふまえて、夫に対し、妻の小言に付き合えと言っている。
妻を支配した夫ほど、後に妻に支配されると、作家は言いたいのだろう。
 
人は、誰でも、他人から細かく指示をされることを嫌う。
若い女性が、未来の夫に対して、従順に従います」 などと言ったら、将来は危ないと思うべきだ。
一見、おとなしい女性が危ない。
 
この人生相談の女性は、「悪いところがあれば直すから、何でも言って」 と言った。
女性が我慢してきた分だけ、後になって、自我を通そうとするのである。
特に、妻に社会経験が少なく、相手の気持ちが読めない人であると、妻は、夫の足元を見
て、ますます、強権を発する。

しかし、若い時のこの女性は、嘘をついたわけではなく、女性もそうしたいという気持ちがあっただろう。
そして、それが本音ではないことに、女性は気づかないのだ。
自分自身の心が読めていないからである。
こういった人は、他人の心が読めない。他人の痛みが見えない。
だから、後で豹変する可能性が高いのではないだろうか?
 
アドラーの心理学でも、自分の問題と、他人の問題をわけて考えるべきとの、課題の分離を進めている。
だから、人はいつでも相手を尊重し、指示を出すことには、慎重でありたい。
他人へ指示をだして、他人まかせにすれば、文句は言えない。

実際、家庭生活というのは、課題の分離をするのは難しい。
誰かが、誰かのために仕事をして、ささえあうものである。
そして、夫の退職は、この家庭の力関係もバランスを崩してしまうものである。

家庭内の力バランスの変化に応じて、人も変わらなければいけない。
料理・洗濯・掃除は、妻にやらせていたら、夫は、妻からの指示が多い事を覚悟すべきだ。
妻から小言を言われるのだ。
妻の小言には目的がある。その目的を読みとって、夫は、賢くたちまわる必要がある。

他人の世話が無いと、生活できない人の立場は弱い。
それは、たとえ給料を払っていても同様である。
映画などで、昔の上流の暮らしは、多くの使用人に囲まれてかしづかれているが、主人が隠れたところで、使用人が嫌がらせをする場面がある。
 
使用人から、悪くののしられたり、鼻水を落とされたりする。
使用人は、上流の暮らしにジェラシーがある。
やがて、名家が没落して、使用人が主人にのし上がったりすると、使用人の反撃は大きい。

女性雑誌の特集の広告に、良い妻であることをやめる、良い嫁であることをやめる、良い母であることをやめる との言葉があった。
 
これは、男性にとってぎょっとする言葉かもしれない。しかし、そうした夫婦関係の方が、夫の定年後の妻の反逆は少ないのではないかと想像する。
 
先日、ある大手の工作メーカーの工場内をお邪魔した。

すると、このメーカーの壁に、京都の某寺院の名僧なる方が書かれた、自筆の色紙が飾ってあった。
その文章の内容は、今を大事にせずして、いつを大事にするのか?であった。
この言葉を見て、アドラーの「人生は瞬間のつながり」という考えと相通じていると思った。

この色紙は、瞬時の努力なしで大事は成さぬ など、努力が尊いとの基本姿勢も説いていた。

仏教は、刹那的感覚を大事にする。人は、明日はどうなるかわからない。
瞬時を大事に生きよ!は、人の生き方の基本なのであろう。

一期一会とか、瞬時を大事にする考え方は、日本に溢れている。
心の葛藤を避けるための、一種の悟りの勧めである。

仏教的な考えは、淡交と言う言葉でも表現されているように、他人に束縛されない、他人に期待しない生き方であろう。これも、アドラー的か?

東洋、西洋を問わず、人の寿命が限られた期間であることをふまえて、今を生きよ!、今を充実して生きよ!と人の道は説く。

訪ねた工場には、他にも壁にかけた言葉に、良い作品があった。
それは、ものつくりはすばらしい仕事であり、ものづくりをしようと呼びかける文章であった。
さりげない言葉で、ものつくりへの思い入れが伝わる作品であった。
汗にまみれ、苦しい環境で働くことになっても、ものをつくることは、人生がすばらしいものになる!と、書かれていた。
声に出しても、文章が流れるように続き、美しい詩のように思えた。
さりげないいいものを見つけたと感じた。

この工場は、高い天井で働く人の環境に配慮しているものの、薬品、振動工具などにさらされ、労働環境は厳しそうだ。
 
それでも、健康に恵まれた男性たちは、働いている。
70歳を過ぎて工場で働いている人もいる。聞けば、定年はないのだと言う。
ものづくりの仕事に憑かれた、努力の人たちであると思う。
 
アドラーの心理学は、万人のための、熟慮の先の考え方をしめているようだ。

では、皆がアドラーの心理学を良く理解して、そのように行動したら、どうなるか?

ドラマは生まれない、淡々とした世の中になるのだろうか?
忠臣蔵騒動も起きなければ、アンナカレーニナもない?・・・。

人気の銀行マンストリー、半沢直樹の倍返し、10倍返しはないかもしれない。

アドラーの心理学的発想では、そもそも、直樹の父親の自殺はない。銀行からの融資を断られて、うらみつらみの断腸の思いで苦しんだりしない。銀行の判断は、他人の判断だから、あきらめられるのである。

普段から、直樹の父親が、アドラー心理学的実践者ならば、自らの事業が他人たのみ(銀行たのみ)であることをいつも自覚している。
 
父親は、事業の経済的自立ができていないことを残念に思っているが、仕事は生きがいで続けたい。
工場の経営状況が悪くなり、銀行が冷たくなることは、覚悟している。
工場で働く人とも、そうしたピンチは話会っている。だから、銀行が冷たくなっても、想定内であきらめがつく。

直樹の父親が、実際に銀行の融資を断られた時、父親は、他人(銀行)の判断に大きな期待をよせたこと自体が、間違いであることを再確認できる。
 
結局、父親の会社はつぶれ、会社更生法を適応するなり、自己破産をして無一文になるなり、周りの人たちに配慮して、父親は可能な道を選択する。
 
直樹の父親は、最後は、日本の生活保護にはまるか、その後、生き方をみつけるべく、がんばるか・・・。

一方、息子の直樹は、そんながんばる親を見て育ち、事業をすることの困難さを知りながら成長する。
父親からは、粘り強さを学ぶ。
 
銀行員となってからは、危ない融資はしない。銀行は、福祉機関ではなく、商売として融資をする自覚を強く持っている。

しかし、直樹は、町工場の人たちの地味な努力や夢を知っている。いつも、町工場のおじさんと会話する。おじさんと、銀行利用について会話もかわしておくだろう。

直樹が、銀行内で立場が上がって、裁量権が増していけば、町工場の事業内容や将来展望を示して、銀行上部の了解を得ることができるようになる。直樹は、町工場でも、企業の展望を見抜いて融資をするようになる。

結局、融資をするかしないかは、最後は人が決めているのだろうから・・・。熱意が人を動かすことはよくあるだろう。

実際のストリーの放映の最後は、印象的だったが、直樹の一連の行動は、組織の和からはみ出したものだった。
直樹が、アドラーの心理学的発想をしていたら、倍返し、10倍返しなどにこだわらない。そんなことはしない。復讐は、上司が忌み嫌うこと、出る杭は打たれることも理解できるだろう。
 
そして、頭取が直樹を左遷させる事も、直樹は事前に予想できた。
 
勝手な妄想だが、こんな感じだろうか?
このような想像を膨らませていくと、やはり、ドラマは生まれないかもしれない。
 
岸見一郎の解説による、アドラーの心理学は、「人生はシンプルである」との教えで、「成果を求めない、他人に見返りを求めない」という考え方です。

だからと言って、努力を認めないわけではなく、人は、社会貢献の中で生きられると言っています。
人は、誰かのためになっていると感じることで、生きられると説きます。
 
人が、この貢献感を求める過程において、貢献できたとの意識は、他人の評価ではなく、自らで行う評価によります。
他人が、その人の社会貢献を認めなくても、本人が思えれば良いのです。

ある程度に歳を重ね、人生経験をつめば、一般の人でも、多くは、こうした境地に達するのではないでしょうか?人の普遍的な考え方であるような気がします。
 
この考えを、恋愛に応用してみます。

例えば、若い女性が失恋をして、「あなたとつきあったから、私の適齢期が無くなったのよ」 のような感情で、女性が悩まされたとします。
これは昔から、「私の青春を返せ!」と良くある話ですが、最近では、男女の逆バージョンもあるとは言え、今でも、恋愛の失敗は、女性は不利です。
 
失恋した男性は、女性から選ばれなかったとの思いで、落ち込みが大きいかと思いますが、女性は、大事な期間が過ぎてしまうのです。

男女が家庭という共同生活をめざすなら、女性の適齢期は無視できないものです。
女性が、子どもを持てる期間、性的魅力がある期間は限定されています。
これは、生物学的に限定された期間で、女性の適齢期は男性より短いです。
人は、心の発達を待たずに、体が先に完成してしまうのです。

社会的な男女平等が進むほど、女性は生物学的には不利な社会になります。
猿人の時代、男女の大きさに大きく差があった昔には、男性は女性を全面的に守りました。男女同権はありません。

人が進化し、男女差が少なくなっても、肉体的、知能的に、やはり女性は不利であることは変わりません。
人の長い進化の中で、脳が異常に高度化しました。
男性に隷属した生を、女性が満足できなくなったのです。不幸な女性を見て、男性も変わりました。男女共に、隷属する生をやめたのです。男女の社会の役割が変わりました。
社会的価値観が、生物学的価値観より優先されるようになったのです。

女性が男性の持ち物でなく、男女の恋愛は対等とされる時代です。
こうした時代には、男女が愛憎問題で裁判を起こす場合、裁判は女性に不利なことが多そうです。
 
裁判になれば、男性は、合意の元での恋愛であったとか、女性のネガティブな問題点を持ち出し、男性の正当性を主張するでしょう。
一方、女性は、理づめで考えるのが苦手で、論破に必要なエネルギーを産み出せず、プレッシャーにも弱いです。脳の実力不足です。その結果、裁判は男性のペースになる危険があります。
愛情を感じなくなった相手の女性に対して、男性は女性を守ろうとの義務感は無くなり、男性は強く出てくるでしょう。

裁判をしてまで、子どもの親権を争うとかなら、裁判に意味があるでしょう。
そして、結婚して子供がいたりすれば、その子が、女性の不利な立場や、つらさを証言してくれるので、女性に有利に事が運ぶかもしれません。
そうした応援部隊がいない場合、男女間のトラブルで、女性が裁判や調停に勝つのは難しそうです。
なによりも、裁判で、女性はますます、傷つくような気がします。
裁判になると、相手に感謝する気持ちは皆無となり、お互いに自らの正当性だけを、主張しあうことになるからです。

あのクリントンの不倫事件の、モニカインスキーが、不倫後の心境を語りましたが、高等教育を受けながら、就職も何もかも、社会的に不利な立場になったと訴えています。こうした事実は、女性は忘れてはいけないでしょう。
 
恋愛に伴う男女の確執は、アドラーの心理学では起こり得ません。
アドラーの心理学では、裁判という手段を使って、他人の判断を変えさせようとは思いません。
 
今の社会の現実において、女性に不利な恋愛環境を考えれば、女性こそ、アドラーの心理学を肝に銘じたいです。たとえ、燃えるような恋もなくなってもです・・・。

もうひとつ、大事な考え方が、アドラーの心理学にあります。
人生とは、連続する瞬間にすぎないとする考え方です。
”いま、ここが充実していれば、人生はそれだけで価値がある” とする考え方です。

著書「嫌われる勇気」では、「過程そのものを、結果とみなす」とも、書かかれています。

点に生きるという考え方も、恋愛のドロドロを引きずらない生き方です。
ドロドロを経験するからこそ、さらなるドロドロを避けられるのです。
むやみに恋愛に憧れることはなくなります。
そして、見返りを求めない恋愛をめざし、それがだめなら、恋愛自体に距離を置くようになるでしょう。

瞬時に生きれば、恋愛の最初の頃の幸せな時期だけを楽しめます。その後のドロドロから、早く抜けだせます。つらい時期は、短くなり、忘れてしまえるでしょう。
 
アドラーの教えについて、対話形式で書かれた著著「嫌われる勇気」があります。この本は、売れているようで、アマゾンでの評価も高く、本屋でも山積にされていま。

この本は、哲人と青年の対話の形式で、とてもわかりやすく書かれています。随所に穏やかに生きるためヒントに満ちていて、興味深い啓発書です。
 
しかし、しいて言えば、私のような年配者には、青年の考えが幼すぎるという印象です。できれば、年配者で、人生経験を重ねた人を質問者とし、答える哲人(アドラーの教え)の対話形式にしていただけると、さらにおもしろいのではないかと思います。著者に期待したいところです。

ここに登場する青年は、若い男性の考え方を代表していますので、この点も女性にとっては、やや違和感を感じるところです。
 
世の中に何か足跡を残したい、自らが所有するもの(人や財産)を増やしたいと言うのは、男性的な要求なのだと思います。男性は、お金と名誉が欲しい、美しい女性も多数(?)そばにおきたいとする志向があるのではないでしょうか?。
 
もっとも、この啓発本は、単純化した男性の欲望と、それが得られない時に考え直す男性向け啓発書として、、書かれたものかもしれませんが・・・。著者が男性なので、男性心理を基盤に書かれています。
 
登場する青年の人物像は、世の中に「何か価値あるもの」を残したいと願っている人です。しかし、彼には特別の才能も実績もありません。特に親からは、才能のない弟としてのレッテルを貼られてきた人の設定です。

著著「嫌われる勇気」に登場する哲人と対話する青年は、以下のように書かれています。

厳格な両親に育てられた青年は、幼いころからずっと兄と比較され、虐げられてきた。どんな意見も聞き入れられず、出来の悪い弟だと言葉の暴力にさらされてきた。もし、その親の元に育たず、あの兄が存在せず、自分にはもっと明るい人生があったはずと・・・、ここにきて、青年は、積年の重いが爆発してしまった。
 
この文章を、年配者(私)が読むと、なんでこの青年はこんなに単純に考えるのか?となります。兄の方が成績が良い、体格がよい、努力家である、イケメンである、愛嬌がよい、人付き合いがうまい、女性にもてる。 
これは、ある人生の一時点のこと?と思います。
 
子供が成長すれば、その子は、厳格な両親は、偏った価値観を持った生き方をしていたと、思うかもしれません。厳格に生きて得たものは何か?という評価は、親と子が違っていても良いのです。

人生を長く過ごすと、長所と思われることが、必ずしも長所ではなく、短所となりうるものでもあることに気づきます。

とことん努力し続ける、断念を知らない、あきらめられない、執着する、周りの人をひるませる、最高のものしか認めない、消耗する  などなどマイナスの要素があります。

女性にもてる、イケメンだという長所は、
歳をとって容貌が衰えるのが気がなりつらい、女性を大事にしない、女性の気持ちに配慮するくせがつかない
はたまた、女性にもてるが故に、女性から復讐をされひどい目
にあるかもしれません。

確かに、親は、一方の子どもだけを、よりかわいがるということはありえます。
一方、かわいがられない子どもは、劣等感を感じてすねるので、一層、かわいがられないという悪循環になります。すねているのは、親の注目を浴びたいという切ない子ども心ではありますが・・・。
親なら、ある程度、気付くでしょうし、ある程度は見て調整しているものでしょう。

これが、江戸時代だったら、実の子でないとか、かたきの子であるとか、子どもの知らない複雑な事情があったりするかもしれないですが、現在では、ほぼ、そうした隠された事情など、ありません。
 
たまたま、気のきかない親の場合には、えこひいきな愛情を示すことがあるかもしれませんが、実際以上に、子どもが思いこんでいる可能性もあるのです。親は、単に、気の利かない人でしかないのです。親の期待が見当違いな場合もあるでしょう。親の判断が絶対的なのは、子供のうちだけです。

幼い子どもは、かわいがられないと思いながらも次第に成長します。兄へのエコひいきの原因も見えてきます。えこひいきの原因に対して、弟なりの対策があることに気づきます。それが成長と言えます。
 
対策することは、親から認められるためのスキルアップのチャンスと考えます。親とは限らず、周りの人は、弟の成長を見ていくでしょう。
努力して得られるのは、直接的な成果だけでなく、副次的な成果があります。自らの能力の限界もわかるようになります。
 
弟がどうするかは、弟次第です。弟が弟の人生をしっかり築くためのスキルアップが、アドラーの個人心理学のような気がします。

まず、この青年が、親にかわいがられないかわいそうな子から、脱しなければならない。というより、かわいそうな子供と認識するのをやめなければなりません。
何事でも兄の方が優秀というのは、成長してしまえば関係ないからです。
 
受験などでは、兄は不利になり、弟は、兄の失敗などを参考にすることができます。弟は、兄の立場を考えることができます。優秀と思われた兄にとっても、不利な事があることに気づくでしょう。

弟は、兄は幸せ!という考えを検証します。うらやましい、という感情は、しばしば、誤解からくる可能性です。親に可愛がられ期待されていれば、それに伴う苦労があります。
 
兄は期待に答えなければのプレッシャーに常に追いかけられます。弟は、そうした兄の苦労に気づけば、自らは信じる価値観で生きられます。世の中には、親の理不尽な期待でつぶれる人はたくさんいます。

もし、兄がいつも優秀な人生を送れるなら、兄は、真に有能だからです。失敗をさける能力が高いのです。その時には、弟はかなわないと思うのも良いし、弟も又、努力を重ねる力にするのも良いでしょう。

弟は、兄と同じ人生は送りません。兄と同じ土俵で戦う必要もないのです。自らがもっているものを、前に進めて行く努力をすればよいのです。
 
これは、著著「嫌われる勇気」にも、人の努力とは、それぞれの人が、自らの前に向かって進んでいくためのものと書いてある。その方向や速さは、必ずしも同じではなく、その人が前と信じる方向に歩を進めるのである。
 この本にかかれたとても参考になる言葉である。

競争が、自分にとって有利なら、競争心を推進力とすべきだが、競争に消耗して、不利な面が大きければ、競争の成果にこだわらない方がよい。大事なのは、自分の人生だからだ。あきらめることを選び取るのは、進むと同じ大事な判断と言える。
 
夫に、女性関係が多くあり、悩める女性が、誰にとっても一生は一度の人生であり、干渉できないことを肝に銘じるのも良いだろう。夫も、後悔したくない人生を歩んでいるのである。

実は、こうした考え方は、人々が、病気を抱えた時、あるいは病気がなくても病気の不安を持つ時にも、応用できる大事な考え方なのだと思う。

それぞれの体には能力がある。がんにならない能力にも差がある。努力しても体の能力が変化しないことも多い。それでも、その人なりの健康の方向性というのはあって、それを目指して人は生きて行く。人の寿命期間は、絶対的な限定であり、どんなに長くても120年を超えることはできない。