スクルージのことなんですけどね。もう昔の彼みたいになってしまいたくなる時がありますよね。
そんな人はいないのに。彼は笑われることには慣れているって言っているんだから。
きっとこの作者が物語を書くときには、あのスクルージみたいな気持ちでいたんだろうなと思いました。
とても、誰もが、守りたくなるような。そんなもののために、なにかができたらいいですよね。
たぶんやることは何でもいい。
昨日の晩、たしか眠るほんの少し前、ジョイスの短編のひとつを読んでいて、ヘッセの同じく短編のひとつを思い浮かべていた。僕はいつまでも夏休み気分が抜けていないのだろうか?肘をついてぼんやりと悩む。そしてほとんど自動的に背筋を伸ばしてみた。そうだな、ずっと抜けなくていい。
城崎にて。これには良い意味で裏切られたんだと思います。
そして、以後の小説などにとても大きな影響を与えているんだろうな、という所がよく分かった。
だけど一体なにがどこがそんなにすごいのかはちっとも分からない、そんな小説でした。
それにしてもこのこの作品、いつまでも何かの始まりを予感させる。なんとなくだけど、そんな気がします。
待てよ、そこにミカンが加わると。

青森は乾燥しているのだろうか。行ったことがないのでわからない。だけどあの小説はとても乾いていた気がする。明るくて乾いている。乾麺のような日が差す、というような表現をした詩があったと思う。ちょうどそんな感じかもしれない。

まぁ、津軽でリンゴを思い浮かべてしまう浅く薄い感性ですから適当ですが。ミカンは檸檬に繋がります。強引にです。それではキウイは?

ちりばめられたタネが、星座のような星空のような銀河のような。
噛み潰したときの気持ちのいい感触がとても好きです。