【雑記】ファッションについて少し語ろうじゃないか
今月末のクレジットカードの引き落とし高を知らせるメールが来ました。
分かっていたけれども、確認したかったんです。大きな波が来ているのだということを……。
僕の銀行口座は、現在すっからかん(平常運転)なのですが、今月末のクレジットカードの引き落とし高が約30万円。色々考えると、およそ10万円程度が不足します。支払い能力がありません。
つまり今月中に、10万円をかき集めないといけないのです。
(実際は外貨を5万円分ほど持っているので、これを使ってもいいのですができれば手をつけたくない……)
ということでそのアクティビティ第一弾として、要らなくなった服を売ることにしました。
社会人になってから自分でお金を稼ぐようになり、また社会的身分もかわったことで、身につける服装は大きく変わりました。今となっては大学・大学院時代に着ていた服は殆ど着ていません。
クローゼットがパンク状態でしたので、これらはいつか処分しないといけないと思っていました。これを良い機として、処分しようと思い立ったのです。
せっかくなので、今回処分する学生時代の服とついでに現在の服を晒して(記録して)、ファッションの話に勝手に華を咲かせたいと思います。
【学生時代の服】
今回手放す主に大学時代に着ていた服です。
特徴としては、まずモノトーンを基調としていました。白と黒で作って、そこに色を一色なり二色を加えるような感じでした。
ジーンズは例外で、適宜合わせていました。
今の自分のファッションと真逆ですね。黒なんかは色が重くて殆ど使いません。白もワイシャツ程度です。
そしてジーンズも履きません。社会人になってからは一着しか買っていませんし、あまつさえクローゼットから引っ張り出すまでそいつの存在を忘れていました。
ジャケット、シャツ、パンツ(ジーンズ)という、基本的なファッションは今も一貫していますが、こうして改めて並べてみると、シルエットや生地の感じを殆ど無視しているのがよく分かりました。
ジーンズは3本とも全部リーバイスです。自分で言うのもなんですがなんだか童貞っぽいです……。
写真では伝わらないかも知れませんが、MICHEL KLEN などシルエット重視の細身のものは、どうしてもちょっとチャラめな感じで、これもある意味大学生っぽいなと感じます。微笑ましいです。
総じてお金がなくて上等には手を出しづらいというのもあり、学生だから許容できたという感がありますが、今この格好したらマジでダサいと感じます。
一番好きだったブランドは NICOLE です。柄の入ったシャツが好きだったのと、値段が比較的手が届きやすかったことが理由だと思います。二番目の写真の左から2番目のピンクのシャツはお洒落を始めた頃に買ったものです。おばあちゃんとビビりながら静岡のパルコで買いました。笑
(いつかファッションに目覚めたきっかけの話もしたいなと思います。面白い話があるんですよ。)
【現在】
他にありますしシャツは割愛します。処分するわけではないので引っ張りだすのが大変なので、ジャケットとパンツを適当に選んでみました。
まず量が増えましたし、価格帯も学生の頃と全然違います。
だいたいジャケット、シャツ、ベルト、靴……などなど全てのアイテムにおいて、基本的に値段は学生時代の2倍から3倍のものばかりだと思います。
(一度いい服を着るともう戻れません。まだまだ上がありますからこれからも同じような経験をするのでしょう。)
そしてモノトーンはほぼ消えました。
色に関して、社会人になりたてで服を買いあさりはじめた頃にある方にこんなことを言われました。
「白と黒は色という意味では『空白』なんだよ」「しんたろうあめ君、青だよ。イギリスでは、青が基調色なんだよ。青は深いよ」
この言葉に影響を受けて、色という概念をファッションに本格的に取り入れました。
ファッションに色という概念を取り入れると、季節という概念が掘り起こされます。
同じ系統の色でも、春に着る色味と秋に着る色味が全然違うんだなと知りました。
あとはシルエット。
服を選ぶ上でサイズの感覚を最も優先するようになりました。
そうなると、着れる服はかなり限定されます。
全部Sサイズで、ジャケットはKATHARINE HAMNETT, パンツとシャツはEdditionがよく合って、Paul Smith は自分にはちょっと中庸な体型過ぎる感じがします。
ここには載せていませんが、靴-ベルト-カバンがセットになっていて、青系、茶色系、黄色い茶色系、黒系、白灰色形の組み合わせがあります。
靴はPaul Smith, Ralph Lauren, トルネードマート, リーガルなどで、カバン、ベルトのブランドは多種多様でよく知りません。
これは学生時代から一貫していますが、綺麗めでオーソドックスなファッションスタイルです。
使えるお金が段違いになったというのもありますが、今の方が年齢的にも身分的にも自分の好みのファッションがしやすいです。
前は本当に「嫌われないファッション」という感じでしたが、今はそこに遊び心やユーモア、自己主張を加えている感じです。
因みに、出勤はジャージですけれども(チャリなので)……。笑
こんな感じです。
お金を捻出しがてら色々なものをダンシャリというか、片付けて身軽にしたいと思います。
【雑記】生き方を考える
実に久しぶりですが、このアカウントにはよくログインしていますよ。
……と、いきなり言い訳がましいですが、お久しぶりです。2ヶ月ぶりくらいですか?いけませんねー。
就職してから、このブログもまさにそうなんですが、基本的に口を閉ざしがちですね。
では何をしているのかというと、「生き方を考える」ということをひたすらにし続けています。
そして行動に移しています。出来る限り。まさに試行錯誤。
社会に出て思ったのは、自分の意思や行動が、自分の人生に直結するということです。
本来は、高校生だろうと大学生だろうと大学院生だろうと、いつだってそのときの自分の意思や行動は人生を左右してきたものでしょうが、社会に出てからはそのダイレクトさや選択肢の幅が桁違いだと感じます。
(自分を含めてですが、大学が真面目だったので学生結婚した人やデキちゃった人、中退した人などがほぼおらず、基本的に皆なんだかかんだ普通に卒業して就職してという感じなんです。)
会社では入社して1年半が経ち、既に事実上独り立ちしています。
去年一年間は麻痺のような状態で終わってしまいましたが、今年はようやく本来の自分が思考や行動にも出せるようになったかなと感じています。
『千と千尋の神隠し』のハクが自分の名前を思い出したときのような感じです。というか、まんまあれです。
とりとめのない記事になってしまいましたが、とにかく生き方を考えています。
そんな風に生きています。
今後は思ったことや考えたことをまた記事にする習慣を取り戻したいと思います。
【雑記】経済的に低迷する日本で日本人としてどう生きていくかを少し真面目に考えた①
「正直これだけ社会が成熟して人口も減っていく中で、経済が成長し続けると本気で信じている人って理解できないとずっと思っていた」
『等身大で生きるということ』
http://blogos.com/article/65006/
官僚という虚像の世界で大きな権力持つ組織を抜け、小さくとも自分らしい生き方、働き方を模索することを選択された方の記事です。
■
僕も常日頃その通りだなと思っています。
世界の諸先輩方、つまり欧米の先進国の現状を見れば明白です。
国は高度経済成長を終えると、あとは経済的には低迷していくのです。正に人間と同じです。成長期を過ぎてしまえば、あとは老化の一途を辿るのです。緩やかに、緩やかに。
でも悲観はしません。というのも、「低迷する」というのはあくまで経済的にという限定的な意味しか持たないのです。経済的豊かさ(これも厳密には狭義の豊かさですが)は、国民の生活や精神の豊かさには必ずしも直結しないのです。
高度経済成長を乗り越えることで、はじめて国は「成熟」するのです。
人間だってそうです。若けりゃいいというものではありません。
「児童強制労働!労働問題!公害問題!でもそんなの関係ねぇ! はい!おっぱっぴー!」な産業革命のときのイギリスと、ガーデニングに精を出して庭の木を切り花を植えて(´ゝ`)こんな顔して紅茶飲んで地元でオリンピックとかやっても大して盛り上がらない今のイギリスだったら、僕は今のイギリスの方が好きなわけです。
でも、国の経済が豊かなのは明らかに前者の時代なのです。
そういうことです。
■
ところで日本には未だに高度経済成長期の記憶や価値観の残渣を引きずる風潮が僅かですがあるようで、それはつまり頭では分かっているけれども、精神の芯の部分が変われない、ついてこれないということなのだと思います。
会社で働いていると、ときどきそういうことを垣間見ることがあります。
これはある種の尊敬を伴って、というものなのですが。
今のおっさん達の世代と僕らの世代では大分仕事に対する考え方が違うみたいなのです。
勿論世代ごとによる単純な人間の違いというのもあると思いますが。
中でも一番強く思うのは、おっさん達の方がエネルギッシュでやる気があるということです。
考えてみれば、そりゃそうだという感じの話ですが。
というのも彼らが働き始めたとき、つまり社会人としての人格が形成された時代というのは、『今日よりも明日は良い日になり、今日よりも明日はお金が儲かる日になり、今日よりも明日は生活が豊かになる日になる』ということが約束されていた、そんな時代だったわけですから。
国全体が伸びている時期だから、会社も伸びる、国民もみんな儲かる、豊かになる、そういう時代だった。
国も人も豊かだから、みんな買ってくれる。仕事をすればするだけ儲かる。そういう時代だった。
スーパーマリオでいうところのスター状態。そりゃ残業もするし、化け物みたいに働ける人も出てきますわ。
希望を胸に、炎を目にたぎらせて、明日を夢見て働けますわ。
彼らは言います。
「ある年にボーナスが半分になり、驚いた。そしてその翌年にはその更に半分になった。給与明細をみて、バブル崩壊の意味を知った」
「昔はみんなで残業するときなんかは、会社のお金で寿司の出前をとっていたんだ。今では信じられないだろうけど」
翻って現代っ子、ワタクシ。
国が貧乏になっていってるわけですから普通に考えれば「日本企業でサラリーマンを普通にやっていて、儲かるわけがない」と気づくわけです。
小金を稼いで生きていく分には十分ですが、この状況で頭ひとつ飛び出て儲けたろうと思う人間はそうそういないものだと思います。
経済をお金をまわすゲームだとすると、「デフレ」は、まわっているお金が少ない状態です。
どういうことかというと、儲けようと勝負に出るには不利な状況だということ。なぜならお金がないから。リスクに対してリターンが少ないということです。
今の世代を代弁して、とまでは勿論言いませんが僕は常々こう思っています。
会社でしゃかりきに頑張って働いて、お金を稼ぎたいとは思えないなー。
勿論仕事は真剣勝負です。お金を貰う以上はプロですからそれに見合うクオリティで業務を遂行します。常に創意工夫を心がけます。
しかしそれはあくまで仕事上のモラルやルール、簡単に言うと社会契約上の義務であって、本当の精神や心からのモチベーションに由来するものではありません。
仕事に対しては、正直夢も希望もありません。これが本音です。
今のご時勢、特に我々の世代で夢や希望を持って仕事をしている人は稀有だと思います。
それが人生の選択肢のひとつであってもいいとは思いますが、僕はそれにはそもそも憧れません。
■では、いかに生きていくか
ここからが書きたいことの本題なのですが、続きはあらためて書きます。
生活の信条とか、仕事との関わり方みたいなことに関する現在の自分の意見を書きたいと思います。
【日記】胃カメラ
食あたりか何か知りませんが先週の金曜の明け方3時くらいに、激しい下痢と嘔吐とめまいに襲われて、緊急外来に行きました。
長らく一人暮らしをしていますが、緊急外来に行くのは初めてでした。
その症状は数日で治まったのですが、胃痛と吐き気だげが強く残り続けて、この一週間はほとんどものが食べられませんでした。
最終的には体重が40kg台になりました。
ということで、今日胃カメラをやってきました。
結果から言うと胃カメラの結果は異常なしで、胃腸の調子自体も戻り丁度昨日から普通に飯が食べられるようになりました。
ただ、胃カメラは本当に地獄の体験でした。
この記事はその記録です。笑
■
まず、事前に貰った胃カメラのパンフレットというものがあるのです。前の日の何時から物を食べるなだとか、こうやって麻酔しますだとか、カメラの画像を医者と一緒に見ながら話もできますとか、そういう注意事項や撮影までの流れなどが書かれたワンページの紙なんですね。
そのパンフレットの胃カメラを入れて撮影している様子の挿絵を見ると、患者も医者もめっちゃニコニコしながらやってるのですが、あれはフィクションであり登場人物・団体は架空(略)です。SFです。少なくとも僕にとっては。
①まず、鼻から入れられなかった。
鼻の奥の腺が狭くて、おまけに昔鼻の骨を怪我で折って手術をしているから(後者は無関係かもしれないけど)、鼻腔が狭すぎて、カメラが入らない。
正確にはテストで本物のカメラよりもやわらかいゴムチューブを挿入するのだけど、それが何回やっても痛くて入らない。
これが本当に痛い。体がはねて看護婦さんを跳ね飛ばしそうになってしまうほど。
因みに、鼻腔の広い方の右側でやってこれ。左に至っては入る気配すらない。行き止まり状態。普段どうやって息してるんだ、俺。
ということで、口からインすることになりました。
因みに、口からよりも鼻からの方が痛みや不快感、体への負担は少ないそうです。
グッバイ・トゥ・「当医院では、患者様の痛みと負担の少ない鼻から挿入する胃カメラを採用しております」
行くぞ、修羅の道。
②麻酔の感受性
ということで口腔からのカメラ挿入の準備。
「喉に麻酔しまーす」
(スプレー「シュッシュ!!」)
ウッヘオッハ アッガイッギ ブヘア ゲハゴッハ ゴボ……(5分間ループ)
スプレーをした瞬間から激しい嘔吐。嘔吐というか、胃の中に何もないから謎の液体が口から出るだけ。しかもとめられないやめられない、かっぱえびせん。
痙攣もとまらない。かっぱ痙攣。
謎のしんたろう液が床に流れまくる。
5分間ノンストップでこれだった。
担当してくれている若い看護婦さん、若干ヒく。
ゼリー状の麻酔に切り替える。こっちは上手くいく。
③カメラの拒絶
麻酔も正常に効いて、いよいよカメラの挿入。
っておい、こんなに太いのかYO!!
挿入。
嗚咽。呼吸が荒れる。体に力が入る。
挿入。
嗚咽。呼吸が荒れる。体に力が入る。
挿入。
嗚咽。呼吸が荒れる。体に力が入る。
(´;ω;`)
(´;ω;`)
(´;ω;`)
(´;ω;`)
(´;ω;`)
「目開けてくださいねー」
(´;ω;`)「…ぁ……ぃ」
「ん?どうしましたか?」
(´;ω;`)「モニター、……切って下さい。……怖い」
医(゚∀゚)看(゚∀゚)「……!?」
医(゚∀゚)看(゚∀゚)「そうか、ごめんね!怖いか!そうだよね!僕達は見慣れてるけどそうだよね!」
実は横向きに寝かされるその視線の先に、患者用のモニターがあるのですが、僕はその映像が怖くてかたくなに目を閉じていたのでした。
(因みに、自分で映像を見たがる患者さんの方が多いそうです。)
因みにこのときの僕、かわいい動物(?)の抱き枕を抱えた状態で、ピンクのディズニーのバスタオルを掛けられて、震えていました。
冗談でなく、看護婦さんがそんな僕に萌えていた感が否めない。
(´;ω;`)僕は何をしているんだ、一体。
かくして撮影終了。
担当してくださったお医者さんと看護婦さん、本当にお疲れ様でした。
結果は先に述べた通り、異常なし。めでたしめでたし。
■
②,③の僕の拒否的な反応は、若い人に出やすい傾向があるそうです。
20代の撮影は大変になることが多いと聞きました。
まあ当たり前と言えば当たり前ですよね。
別の検査に行くため、部屋を出た後、背後から「めっちゃかわいかったw」という声が聞こえたのは、まあ多分気のせいでしょう……。
因みにワタクシはSです。
■
ということで、健康は大事です。
筋肉がかなり落ちました。
特に大腿筋と腹筋がかなり落ちました。
もともと筋肉質なので、かなり貧相に見えます。早くもとに戻したいです。
というか、早くうまいものが食べられるようになりたいです。
そして、これからはもっと胃腸を大事にしたいと思いました。
もともと弱いんだからなおさらそうすべきだと思いました。
以上です。
レヴォリューション No.3 / 金城一紀
■あらすじというか作品紹介
「君たち、世界を変えてみたくはないか?」
新宿に、まるで見放されたかのようにひっそりと佇むオチコボレ男子高校。
周りは日本有数の進学校や皇居御用達レベルのお嬢様学校ばかり。
学校はジュラシックパークというあだ名で馬鹿にされ、そこに通う生徒達はゾンビと揶揄される。
そんな死んでいる高校のある日のことだった。
退廃的ないつもの授業風景に突如として放たれた一言。
言ったのは生物教師ドクター・モロー。その言葉には不思議な響きがあった。
そして革命が始まる。
ゾンビ達が命を取り戻し、立ち上がる。
「君たち、世界を変えてみたくはないか?」
そんな、ゾンビーズ達のささやかな冒険譚。
■感想
簡単に言うと、偏差値が低い高校の男子高校生達がお嬢様女子高の学園祭に参加しようと頑張る話です。
何故それがレヴォリューションなのか、何故No.3なのか、それは読めば分かります。
この馬鹿げたレヴォリューションには個性的な愛すべき登場人物達が出てきます。
彼らは背中に傷がある、弱者です。
過去の何かを引きずっていたり、現在の状況にがんじがらめにされている、若き高校生です。
そんな彼らの若さとエロスのエナジーがみずみずしく描かれています。
しかし、エロスの物語ではありません。彼らの青春と友情の冒険譚です。
ところで、高校に進学した時に、誰かと強烈に惹かれあう感覚を伴って自然に仲良くなったという経験をされた方は多いのではないかと思います。
小学校や中学校と一気に環境が変わって、今まで会ったこともないし、住んでいる場所とかもよく知らないし、「そもそもなんだよ、そのノリ?」という人がうじゃうじゃいるのが高校です。
そのうじゃうじゃの中で、「まるでずっと前から知り合いだったように感じる」「違うところで互いにいつも同じような方向を同じような目線の高さで見てきたように感じる」ような人達に出会うことがあると思います。
彼ら、ゾンビーズの中心人物達はそういう惹かれ合いを経験し、それゆえの独特の一体感や空気感があります。
個人的にはこの描写が一番の見所だと思います。
これについては、同時収録されている彼らの出会いについて語られている『ラン、ボーイズ、ラン』でも印象的に描写されます。
作中のアギーの台詞がとても象徴的です。
「お前は強いソウルを持っている。俺のマムが言っていた。人生で一番大切なのは、強いソウルをゲットすることだって」
この台詞、よくわかります。
僕はこれを魂の惹かれ合いと呼びます。同じレベルの魂は互いに呼応し、共鳴し、惹かれ合います。
この感覚を集めることが生きているということだと、確かに思うのです。
本題から話はそれましたが、こんな感じで終わろうと思います。
久しぶりに率直に面白いと感じた本でした。
【性愛】「寂しい」と言ってもいいですか?
先日、『おっさんが風俗で何をしているか知っていますか 』というブログエントリーが、少し話題になった。
僕はこの記事を読んで、衝動的にその感想と自分自身の性愛に関することを自分のブログに書き起こした。
その時は結局、未完のまま下書き保存をして公開するのはやめようと考えた。
しかし今、自分の下書きを読み直し、書きたいことの続きを書き終えて、最終的にアップロードしようと思いなおした。
とにかく面白いことが好きで、そういうおもちゃみたいなブログを書くのが好きで、そういうスタンスで続けているブログですので、今でもこの記事を公開することが、自分にとっても皆様にとっても(特に普段お世話になっている方々)良いことなのか、分かりません。
ともかく普段とはテイストが違う内容になっていますので、その点はあらかじめご了承ください。
中途半端に若く、中途半端に大人な、とある男の性愛に関する記事です。
「うげっ」とか「きもっ」と思った瞬間に読むのをやめてください。若い方は特に。
そして寛大な気持ちで読んでください。人生の先輩方は特に。
因みに、僕の記事からはメンヘラ臭バリバリなおセンチ野郎のオーラが感じられるかもしれませんが、実際の僕はこの記事で感じられる程のメンヘラではありません。おセンチ野郎ではありますが。文字で分かるように書くとこうなるってだけです。
ま、たまにはこんな記事もいいよね、って感じで気軽に読んでいただければと思います。番外編です、番外編。
漫画とかアニメとかにもありますよね。凄いふざけた軽い作品の中に時々真面目で重いエピソードがあったり、その逆で真面目な作品に思いっきりふざけた回があったり。
そういう番外編みたいなものです。(それを契機に路線変更という場合もままありますが。)
それではひゅうぃごー。
『おっさんが風俗で何をしているか知っていますか 』
http://anond.hatelabo.jp/20130517180521
『おっさんが水商売の店に行く理由』(上リンク先記事でリンクされている関連記事)
http://anond.hatelabo.jp/20130515153030
■人は皆「寂しい」
僕は風俗にも行ったことがないし、結婚もしたことがない。
でも、何故だかとてもよく共感できる。
批判的な人も多く、第一僕自身も批判的に紹介している人が貼ったリンクからこの記事に飛んだ。
しかし僕には初見で読んですっと内容が入ってきたし、理解できた。
自分がそうであるという完全なかたちの共感ではないけれど、こういう内面性は少なからず、男性の中に最小公約数的に存在しているのだと僕は思っている。勿論それは僕の中だってある。
批判的な人は、どうして彼の主張に対して批判的なのだろう(もしくは理解できないのだろう)と、むしろ疑問に思っている。
彼らを批判するつもりはない。「へー、そういう人達もいるんだ」と純粋に驚いている。
そして何故だろうと思う。そして寂しくなる。彼らを思うと寂しくなる。
人は寂しいんだ、それを知らない人達のことを思うと寂しくなる。
何故それを知らないんだ?何故寂しくないんだ?
こう問いたくなることすら、僕の傲慢なのだろうか?いや、きっとそうだろう。
とはいうものの、批判的な人にもそれなりに何か引っかかるものがあるのだろう。
彼らの多くは、強烈に批判して嫌悪感をあらわにしている。それがその証拠はなりえないけど。
むしろそうであってくれ。
人は皆メンヘラなんだ。程度の差でしかない。本当にそれを知らないのか。
■「寂しい」と言ってもいいですか?
僕は女性に「寂しい」と言ったことがない。
僕は女性の胸で泣いたことがない。
「何故しない」のかと言われれば、「よく分からない」としか答えようがない。
本当はただじっとソファーに並んで座って、震える手を握って欲しかった夜もあった。
でもその素振りすらできたことがない。到底そんな要求はできない。
強い男でいたかった。情けない姿を見せたくなかった。ただただ悦ばせることに必死だった。
そうして朝が来て、またそれぞれの生活に帰っていく。僕達は氷解して拡散していく。
「いってきます」「いってらっしゃい」という仮初の呪文で。
その晩部屋で一人、強烈な寂しさと虚無感に襲われる。
部屋に一人でいることの孤独に対する寂しさとは少し違う。
そんなものよりももっと強烈で大きな孤独と寂しさだ。
自分自身が磨り減って、消耗している感覚、或いは枯渇している感覚。
自分の中から何も出てこない、取り出せるリソースが枯渇している感覚。
圧倒的に何かが足りなくなっている。
もう何もできない、自分の足で立って生きていけないのではないかとすら思える、決定的な不安と寂しさ。
僕は一人で、ただそれにじっと耐え続ける。やがて全てが和らいで、体が動くようになるときまで。
衝動的に電話を手に取りたくなる。
でも実際に電話はしないし、したとしても「寂しい」だなんて言えない。
なあ、もし俺が寂しいと言ったら、君はどうする?
俺、寂しいんだ。
「寂しい」と言ってもいいですか?
■象徴としての死を繰り返す
僕は上述のことをひたすら繰り返している。
女性との出会いにおいて。
この出会いは一人一人と言う意味でも、一回一回という意味でも。
人に惹かれることは、流れ星を連想させる。
ひかれればひかれるほど、ふたつは接近し、熱く燃える。
ひかれるものはどんどん近づき、激しく燃える。自らを消耗しながら。
そしていつしか燃え尽きる。
これは星にとっての「死」を意味する。
僕はこの「死」を繰り返しているように感じている。
でも、実際に僕は死なない。生きている。部屋で孤独に震えている。
僕の感じる消耗感や虚無感こそがここでいう「死」なのだ。
ある方は「象徴としての死」をバンジージャンプに例えた。
バンジージャンプは死の再現であり、臨死的な体験である。しかし「死」ではない。
これはあくまで死なないことを確認する作業なのである。
こんなことでは死なない。こんなことでは死なない。こんなことでは死なない。
僕は、生きている。
流れ星は自らの存在と引き換えに、空に閃光のシュプールを残す。
僕は僕の「死」と引き換えに一体何を残しているのだろう。
惹かれれば惹かれるほど、近づけば近づくほど、触れ合えば触れ合うほど、寂しくなる。
何故だろう。でも、実際そうなんだ。ここからの解脱はあるのだろうか。
僕はこの問いの先を知りたいと思っている。
――やあ、今どうしているかな?
俺はね、ほんの少しだけ「寂しい」んだ。
以上。
【夢日記】よく見る謎の夢
突然ですが、凄くどうでもいい話をします。
僕がよく見る夢の話です。
もう何年も同じような夢をときどき見ます。みなさんもあるのではないでしょうか、そんな夢。
僕にとってのそれは、自分が車を運転している夢です。
しかし、その車はただの車ではなく、僕も普通に車を運転していません。
夢の中で僕は、自動車の後部座席に座って車を運転しているのです。
僕の腕が後部座席から運転席正面のハンドルまで伸びているわけではありません。
運転席の椅子の背もたれの後方にハンドルが取り付けられているのです。そして自分の足元にアクセルペダルとブレーキペダルとクラッチペダルがあるのです。
つまり、僕は後部座席に座った状態で、通常車を運転するような体勢で運転をするのです。
因みに本来の運転席と助手席には普通に人が座っています。誰か分かりませんが、いつも必ず誰かが座っています。彼らはただ座っているだけです。
だからどういうことかというと、夢の中の僕は凄く視界が悪い中で車の運転をしているのです。
後部座席から見るフロントガラスはとても遠く、ボンネットは更に遠くに見えます。
その小さく見えるフロントガラスから覗く外界の視界は更に小さいのです。
しかもそれらは、前部の座席と乗員の後ろ姿の影で大部分が削られているのです。
因みにスピードメーターやタコメーターはインパネルについたままなので、自分の運転する車の速度やエンジンの回転数は殆ど分かりません。
ついでにいうとアクセルもブレーキもクラッチもペダルの遊びが大きくパカパカで、操作感が極めて悪いのです。そのため、自動車を運転しているという感覚自体が希薄です。
それで先ほど言ったように視界が殆どありませんので、運転している自分にも、車がどこをどんな風に走っているのか、分かりません。
もはや自分が何をしているのかすら、分からなくなってきます。酷く混乱するのです。
しかし、僕は車の運転はやめません。やめられないのです。
車を停める、運転をやめるという発想が夢の中の自分にはないのです。
ただひたすら、でたらめな運転を続けるのです。
アクセルペダルもブレーキペダルもクラッチペダルも適当に踏んで、ハンドルも左右に適当に振りまわし続けるのです。
時には人もはねますし、ものもはねます。激突もします。
しかし、視界が悪いため何が起こっているのかちゃんと確認することができません。
次第に車はボロボロになり、視界はグルグルし始めます。
酷く現実味がなく、思考も意識も乖離状態になります。
……――という夢です。
この夢にはオチや終末は存在しません。
もしかしたら存在するのかもしれませんが、覚えていたことは一度もありません。
車は走り続けるのか、停まるのか、破壊され自走能力を奪われて停まるのか、あるいは目的地に到着して停まるのか。
それは僕も知りません。
まあ、こんな変な夢をよく見るという、それだけの話でした。
夢は何かの暗示とも言われますし、深層心理が影響するとも言われています。
一体どんな意味があるのでしょう。あるいは意味なんてないのでしょうか。分かりません。
因みにもっと酷い(?)ときは、トランクから運転している夢を見ます。もはやなんなのでしょうか、これ?
【近況】社会人2年目スタート
こんばんは。お久しぶりです。
いつの間にか4月も終わるということで、僕も無事社会人2年目を迎えることができました。感謝です。
1年目はやっぱりそれなりに大変でしたが、また2年目からも大変ですね。まあ金貰っているんだからしょうがないという感じです。オチンギンホシィー!
今年の3月までは一人の先輩につかせてもらって、一年間みっちり教育をしていただきました。
その先輩は凄く優秀で人としても尊敬できる方でした。
自分の人生の最初の「先輩社員」が彼であったことは、僕の人生において大きなひとつの僥倖だったと思っています。
あの人の背中を追って走っていけば、今後社会人としてまず間違えることはないでしょう。
超えるべき背中です。
しかし、彼は4月から東京に転勤となりました。(´・ω・`)
ということで早くも一人立ちということで孤軍奮闘しております。(´・ω・`)
で更に別の件での休日出勤も多く、仕事の負荷、残業、休出で全然気も体も休まらない時期がここ一ヶ月続いております。
残業と休出で給料も出て反面休みも殆ど遊べないので、結果金だけが貯まっていきます。
服とか靴とかは5万程度のものまでなら値段を見ないでぼんぼん買っています。マイケルジャクってます。
とかなんとかやってたら段々金がなくなってくるんだけどな。(´・ω・`)
金も希望もなくなる前に、今年度の目標をひとつ決めたのでそれを発表したいと思います。
それは、
『自分の中に“お金が稼げるレベルのもの”をひとつ作ろう』
です。
これについての解釈や基準は幾つかあるでしょうが、ひとつは「自分で製品やサービスを提供できる」ということで間違いないと思います。それでもうひとつが「人にお金を貰って教えることができる」ということです。
後者は正確には前者の「サービス」というところに分類できるのですが、この「人にお金を貰って教えることができる」というのは、自分にとっては凄く大事な指標だなと思っています。
それが、ギターなのか英語なのかその他の勉強なのかものづくりなのか競技なのかプログラミングなのかセックスなのか料理なのかファッションなのか健康に関することなのかそれとも全く違う何かなのか、現時点では全くわかりません。
まだ分からなくていいのです。これから探すのです。
今はできるだけ仕事と関係がないものがいいなと思っています。
とりあえず今年も年に何回か高校の軽音部でギター講習をやることが決まっているので、最近真面目に弾いていなかったギターもやらないとと思います。
こんな感じであまり面白くないですが、近況でした。(´ω`)ゝ
2013年
いえーい!!!
あけましておめでとうございます!!!
今日は旧暦の元旦で、中国はじめ世界の幾つかの地域ではお祭り騒ぎですよ!!!
盛り上がってるかい? ね、みんな! ☆(ゝω・)v キャピ
日本「……」
(´・ω・`)
(´・ω・`)ごめんなさい
新年一発目の更新が、今日。もう今日を逃したら、今年一発目の更新するタイミングがないと思って、旧正月にあやかって更新してみたのですが、いざやってみると別に今日も今年一発目の更新をするタイミングじゃないということに気がつきました。
やっぱり、何事も実際にやってみないとわかりませんね!☆(ゝω・)v キャピ
まあいいや。
社会人になると季節感なくなりますね。仕事にもよるのでしょうが。
でも、最近日が長くなったように感じます。
そして、寒い日と暖かい日が変則リズムでやってきます。体調が危ぶまれます。
あと年末年始って暇ですね。今年は1月1日未明に酷い風邪をひいて寝込んで、ダークネス・寝正月だっ
因みに風邪ひいた原因は初詣です。笑
おみくじは、女難の相がバッキバキの小吉でございました。
とりあえずこんな感じです。
今年もよろしくお願いいたします。 今更って感じですが。
【旅】マジキチ道中ハム栗毛~ハードコア・北陸カニツアー編~
12月8日は、北陸全域に暴風雪が猛威を奮い、一時北陸全域にわたる北陸本線の運休など、深刻な事態へと発展し、大きな社会的混乱をきたしました。
同日、僕は日帰り弾丸ツアーで、福井にカニを食べに行ってきました。笑
これはある男の波乱に満ちた、風と雪と雨の中の魂の旅路の記録です。
全ては越前ガニのため。そして、漢と漢の約束のため。
■霹靂の出発編■
朝9時30、会社の用事を済ませ、名古屋出発。この時丁度line経由でマジキチから連絡が来る。
マ「電車、止まってね??」
インターネットで調べると、米原から福井へ行くときに乗車予定の特急「しらさぎ」が暴風雪により現在運休し始めたとのこと。
因みにこの日名古屋は穏やかな空模様だった。
俺「まあ、復旧するかもしれないし、とりあえずそっち向かうわw」
マ「おk」
俺「そっちどれくらい寒い? 何着てこうか考える」
マ「雨とアラレと風が尋常じゃないレベルwww」
俺「了解。 きゃりーぱみゅぱみゅ 風のポップな原宿系で行くわ」
マ「了解w」
文字通り雲行きが怪しいが、新幹線で米原へと向かう。
何故諦めないのか……。
それは、今日みんなでカニを食うっていう約束だからさ!
しかし30分後、新幹線のアナウンス
『暴風雪により「しらさぎ」全面運休』
=再び line にて=
俺「「しらさぎ」全面運休だって」
マ「どうする?」
俺「鈍行で向かうわw 集合時間1時間遅らせてw」
マ「おk。連絡しとく」
諦めない。なんとしてでも福井に行く。遅めの昼飯はみんなで越前カニだ。
何故諦めないのか……。
それは、今日みんなでカニを食うっていう約束だからさ!
騒然とする米原駅改札をくぐり抜け、鈍行に乗り込む。僕は一路福井を目指す。
待ってろ福井。待ってろ越前ガニ。
しかしこの後、順調に見えた僕の旅路は突如として断たれることとなる。
■吹雪の近江塩津・万事休す編■
鈍行に乗り込み、これで予定は1時間後ろ倒しになるものの、確実に福井に行くことができるものと一人ワクテカしていたのだが、この道程で最大の悲劇が起こる。
『近江塩津駅』にて。
乗り換えの電車を待っていると、予定時刻を過ぎても連絡の電車が来ない。
やがて駅のホームに悲劇的なアナウンスが流れる。
「北陸本線、全面運休。現在、復旧の目処無し」
滋賀県最北端の駅で、福井県との県境を目の前にして、ついに僕はその足を失ってしまった。
そして、この山奥の何もない小さな駅に溢れ返る「しらさぎ難民」達。時折容赦なく吹き付ける雨アラレ。
更に、電車が来ない……。全く見通しがない。
また、どうしても日帰りしないといけないことを考えると、帰りのことすら心配になった。
流石に万事休すだと、思った。
今回のホストである、福井在住のダーオカさん(大学・大学院の先輩)に電話をする。
(※因みにマジキチは暇すぎて先にダーオカさんと合流している。)
=電話にて=
俺「今近江塩津にいるのですが、ほくほく線が完全に運休しました。復旧の目処は今のところ無しです。接続電車が来ません!(涙) めっちゃ寒いんですけど!!!(涙)」
ダ「そうか……。大変だ……。ちょうどね、そのあたりが鬼門なんだよね。どうしようか……」
俺「ダーオカさん、俺、なんとか自力で敦賀まで行くんで、そっちも敦賀までマジキチと車で出て来てくれませんか? だって福井県、もう目の前じゃないですか!」
(※敦賀……福井県西部の中枢都市。ダーオカさん一行としんたろうあめのいる近江塩津のほぼ中間地点で、しんたろうあめが辿りつくことができるおそらく唯一の福井県内の都市。)
ダ「……分かった。じゃあ、1時間後くらいに敦賀駅集合で。というか大丈夫?」
俺「何とかします。とりあえず何とかして敦賀に行くんで。では、1時間後に敦賀駅で会いましょう」
ダ「了解、また電話して」
俺「はい。それでは」
何故諦めないのか……。
それは、今日みんなでカニを食うっていう約束だからさ!
そもそも今回のこのツアーの発端は、マジキチとの大阪・京都やっつけツアーの飲み会でのことだった。
その時にダーオカさんに電話をして約束をしたのだ。「年内にカニ食いにいきます!」と。
ルイージは当初の見通し通り日程の調整ができなかったけど、こうして例の如く、急な呼びかけにも関わらずメンバーが集まれた。それにマジキチは前日、福井に出張で、この日のために一日宿泊している。今更中止になど出来ない!
そもそも冬の福井は基本的に天気が荒れている。悪天気で簡単に引き下がるようでは、いつまでたってもカニを食いになんていけねぇんだよ!
実はこんなアホな信念を胸に抱いていた。
マインドだけはイケメンで臨む。
何故諦めないのか……。
それは、(ry
■麗しのお姉さま・奇跡の北陸入り編■
想定外の状況なのだろう、田舎の山奥の駅に立ち往生する明らかにキャパを超えた「しらさぎ難民」達が駅舎にごった返す。
新鮮な空気を吸って頭を切り替えるため、雨とアラレが降る中駅舎から出て、適当な場所で雨宿り……。
もう選択肢はひとつしかなかった。
それは「タクシーの相乗り」だ。
声掛け一発目。麗しのお姉さま二人組み。
おおっ!? 快諾。行き先も敦賀。なんと一発目でOK。
しかも、お姉さま達は既にタクシーの予約をしていて、駅に来た3台目くらいのタクシーに乗っていち早く近江塩津駅を後にすることに成功!
しかも出発直前に、オジサマも乗せることになって、結局このオジサマがたくさん運賃を払ってくれるという!
タクシーの車窓からのぞく見知らぬ峠道。先ほど出会ったばかりのお姉様達、オジサマとの談笑。
もう駄目かと思ったけど、人や事態にぶつかって自分の力で道を開いていく。
これぞ、ロマン。
元々こういうのが大好きな僕は終始どや顔でした。
これはキツかったけど、本当にいい思い出になりました。
無事敦賀駅に到着。あっという間の30分。
麗しのお姉さま達はライブを見るために、あの後富山までレンタカーで移動したのだろう……。
敦賀駅にて。麗しのお姉さまの去り際の一言。
「スカパラ、聴いてね」
かっこいいよ。お姉さまかっこいいよ。
■カニツアー編■
麗しのお姉さまたちとお別れして、程なくダーオカさんとマジキチが到着。
僕を拾ってそのまま車で北上、僕は帰りの高速バスの予約を済ませ(←超重要!!笑)、市場に到着!!!
と言いつつ僕は無事敦賀に辿りついて集合できた時点で、旅の80%くらいが終了している気分だったので、ようやく活動が始まった彼らとの間に謎のギャップが……。笑
僕はもう車に乗り込んだ時点でこんなん→(●´ω`●)なってました。
既に カニ食ったface。
マジキチ、カニの真似すんなwww
苦労の末にありついた越前ガニはおいしゅうございましたw
その後、晩飯にもうひとつの福井名物『おろし蕎麦』を食べて帰ることに。
マジキチがどや顔で、
「初めて食べるときは、う~んまあ、みたいな感じなんだけど、なんかね、癖になるんだよ!」
「食べ方が全然違うんだよ!」
「大根が辛いやつでさー、それがなんともいえないんだよ!」
と、『おろし蕎麦』の魅力について語る。
マジキチとは、在学時代よく一緒に蕎麦を食べに行ったものだ……
え、てか何このバーニング・ブースター (´・ω・`)
マジキチ(´・ω・`)『てか、鍋焼きうどん食いてえな』
俺(^Д^)『おいっ!!!』
スリースタイル過ぎる。いやでも実際めっちゃ寒かったから、バーニング・ブースター見たら俺もちょっと鍋焼きうどん食いたくなっちゃった。
とかなんとかやってる間にどーん!
結局、バーニング・ブースターはオフのまま。
蕎麦は予告通り、う~んまあ、みたいな感じなんだけど、シンプルな分飽きがこないので、また食べたいなという気持ちではある。夏にまた食べに来よう!
皿に盛った蕎麦に大根おろしがたっぷり入った汁を IN するのが福井スタイル。
どうでもいい話だが、梅昆布茶が出てくるのも珍しいと思った。更にどうでもいい話だが、マジキチは梅が食べられないので、梅昆布茶を残していた。
■旅の終わり・別れ編■
そして、本日の弾丸ツアーもいよいよ終わりを迎える。
ダーオカさんは県内の自宅に車で、マジキチは電車で大阪に、そして僕は予約した高速バスでそれぞれの帰る場所に。
僕は一番先に出発するということで、車でバス亭まで送ってもらう。
色々大変なこともあるけれど、元気にがんばろう、みたいな感じで。あんましんみりすんの好きじゃないけど、まあ、ホントそれが大事。
因みにバスが来るまで何の暖房設備もない雪の中の待合所でキンキンに冷蔵保存されました。
タフな旅だったけど、体調も崩さず、翌日も予定通りのスケジュールでいくことができた。
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こんな感じです。
最近微妙に、旅ブログ化してきてますね。
あと、最近 line を使い始めました。便利ですね。













