【謹賀新年!!】2015年
今年も宜しくお願いいたします。
早速2015年の目標を書きたいと思います。
(それに当たって、まず2014年の目標に対する実績を簡単に書いています。)
==2014年の目標と実績==
【金】
目標:50万円貯金する →未達成
【仕事】
目標1:柔和な仕事ぶり →達成
目標2:最低週一定時退社 →達成
目標3:次のステップへの準備 →達成
【人との繋がり】
目標:ネット上の知り合い12人に会いに行く →未達成
【活動】
プラハ旅行 →達成
オーストリア旅行 →未達成
CDを作る →未達成
==2015年の目標==
【金】
目標:50万円貯金する(財形貯蓄など以外で)
【仕事】
目標:順調に今の会社での目標を達成する。
【キャリア】
目標1:このまま動き続ける。4月までにいったん勉強を完了する。4月以降は動く。
目標2:・技術士の二次試験の受験
目標3:臭気判定士の受験
目標2と3の資格試験は、優先順位は低いです。
できるだけ今やっている勉強と絡めて受験できたらと考えます。
【活動】
目標1:シアトルに行く(ボーイングの工場見学)
旧友が偶然にもシアトルに今住んでいるので、シアトルに遊びに行きたいと思っています。
向こうに1年半ほど住んでいたにもかかわらず、ボーイングの工場見学に一度も行かなかったことをずっと後悔しています。
自分も製造業に携わることになったこともありいっそう興味があるので、もしシアトル旅行が実現するなら、今度こそボーイング工場は行きたいです。
目標2:カバー曲の演奏動画を5曲作る。
曲を自作してレコーディングしようとするから頓挫してしまうので、コピーの弾き語りをカジュアルにやるところから始めるべきだと思いました。
目標3:ブログの整備
ブログの自己紹介のところ(?)などはめちゃくちゃ古い情報のままになっています。
どの道やるならもっと有効に使えるようにすべきだと思いますので、今年中に一回整備したいと思います。
こんな感じです。
こんなことを記事にされてもという感じですが、やはり見えるところに書いておくと、非常に有効だと思います。
なにはともあれ、本年も宜しくお願いいたします。
【日記】忘年会ラッシュ終了
職場、職場有志、大学の研究室、同郷の友人、高校の部活動。
年々話しの内容が真面目になるとともに、みんな何かと戦っているんだなと再認識する 機会です。
そのおかげで自分が戦うべきものもはっきりと再認識できました。
忘年会ラッシュも無事乗り越えたので、今日、大晦日はしめやかに2014年を振り返りたいと思います。
■
そうそう、余談ですが、昨日忘年会に向かう道で、クソババアに車でひかれかけました。(--;)
青信号で横断歩道を渡っていたら、対向車線から右折してきた車が速度を落とさず、正面から突っ込んできました。僕が飛んで避けなければ、普通に衝突して事故になっていました。
完全に正面から突っ込んできたので、いったいどこに目をつけて運転してんだったって感じで信じられませんが。
多くの人がこういう理不尽な感じで、事故で命を落としているんだろうなと実感しました。
こういう下等な人間に殺されるのだけは避けたいです。
年末年始は事故が多いので、気をつけたいなと思いました。
【持ち物】黒い革靴
今思えば「就活ごときに金かけてたまるものか」という気骨の表れですね。因みにその年は、スーツの色は紺が主流とのことでしたが、普通にブラックのスーツを着ていました。
結果的には、非常に順調で良好な就活に終わったわけですが、そんなスーツの色だの何だの、あまつさえそれをメディアに踊らされてアベレージに収束するようでは、駄目なのだと思います。
と、そんな話はどうでもよく、先日「僕ももうじき社会人になって3年経つし、そろそろ冠婚葬祭にはちゃんとした服装で臨まないといけないだろうな」と思い、テロッテロビニール革靴の後釜を買おうと思い立ちました。
Regalのやつ。
黒のストレートチップ。これが手に入ってようやく一安心という感じです。

靴にあわせて、ベルトも購入。黒のフォーマル用のベルトもテロッテロのものしかありませんでした。

ついでに、最近Paul Smithのカジュアル用の黒いシューズも買いました。
Regalのヤツと使い分けるようにウイングチップのかなりカジュアルなものにしました。狙い通りどんなファッションにもあわせやすいです。

これで黒系は死角なしです。
特にフォーマルシューズがなかったので、念願かなったりという感じです。
【日記】師走、来る
毎年、忘年会の話が出てくるのがこの時期です。
普段飲み会にはほとんど参加しないタイプですが、忘年会には積極的です。
忘年会という名前すら好きです。年末の風物詩です。
高校の部活の忘年会(正確には年次会)、大学の研究室の忘年会、職場の忘年会、職場の有志の忘年会
年々忘年会が増えているように感じます。なんだかんだ嬉しいです。
忘年会の予定をみると、それらが自分の生きてきた軌跡のように感じます。
今年は大学の研究室の忘年会が名古屋開催ということで、僕が幹事です。
手配は面倒と思わなくもないですが、反面楽しみにしています。
【日記】Focus
60年代から90年代くらいまでの音楽がほとんどです。
今日はあるコアなジャンルの音楽を聴いていたのですが、その中である国内のバンドの話で。
(偉そうな口調は勘弁してください。音楽演奏者の立場からお互い結構真剣に音楽の話をしているもので……)
「ツボを抑えてる感があるんだけど、優等生過ぎるんだよね」
「意外性がないというか、曲を論理的に最良を選んで作っているという感じがします。『幾つかあったのですが、検証の結果これが良かったので、そうしました』みたいな。それを聴いても『まぁそうなるわな……』としか思えないんですよね」
「うんうん」
「僕は『理論も知ってるし考えに考えぬいた上で、それを本番では忘れてやる感じ』というか、そういう感性みたなのが好きなんですよね、やっぱり。そういうものって『なんでそれになったの?』と後から訊かれても説明できないものが多いと思うですけど、別にそれでいいと思うんですよね」
■
会社の研究開発や技術系の仕事は前者ですよね。『検証の結果これが良かったから、そうしました』っていう。当たり前ですが、みんなが『まぁそうなるわな……』と思うことが重要なわけですから。
一方、アカデミックな研究ではどちらかというか後者の『感性』による部分がミソのように感じます。
勿論、どちらが良いとか悪いとかそういう話ではないのですが、なんだかこの違いが面白いと思いました。
ものごとの色々なことを、前者タイプか後者タイプか、あるいはある比率のハイブリッドか、そういう視点でみると面白い。例えば、恋愛は圧倒的に後者のタイプの比率が大きい。でも基本的な人間関係の構築には前者の考え方が重要、とか。登山は前者、料理は後者、とか。
なんとなく、そんなことを考えてみた夜でした。
そしてなんとなく、Hocus Pocusの"Focus"という曲を思い出してしまいました。
あの曲は感動した。
【日記】メタ的臨死体験
あっという間に、秋。もう冬もすぐそこ。
最近、医科学系の研究者にキャリアをシフトさせようと発起して、予備校に通い始めました。
入校したのはちょうど自分の誕生日の翌日の9月28日でした。
電車で通っているのですが、車窓を見ながら、時々思います。
「なぜ自分はこんなにあがくのだろう?」
勿論根底には色々あるのだと思います。
(「色々ある」は最近のお気に入りの言葉です。笑)
でも、一つ象徴的なのは、アメリカでの研究留学かなと思います。
僕は向こうで、ある意味別の人格で別の生活で、別の人生を送っていました。
いつも「自分に何が成せるだろう」「何が残せるだろう」と考えていました。必ず終わりがくる生活・研究の仕事、人間関係の中で、知らず知らずのうちにいつも真剣にそう考えて暮らしていました。
ろうを減らしながら火をともすろうそくのような日々でした。
出国の日は、僕のある一つの人生が終わる日でした。
悲観していたわけではなく、仕事も人間も流動的なアメリカでは、再び自分が同じ場所で同じことをするというのが難しいということを僕は圧倒的体感をもって知っていたのです。それがアメリカでした。(現に、研究の仲間もプライベートの仲間ももうバラバラです。)
それに僕も卒業や就職などの自分のキャリアプランが待っていました。
もう絶対に戻ることのできない日々だと悟っていました。
これはある種の臨死体験でした。
「終わり」の存在を知る体験でした。
人は何かをすり減らし、生きているのです。
僕は死にません。そして、この体感を有して生きるのです。
■
よく分からない生活を送っていますが、もともと物理化学系の自分にとって生物学は新境地です。
興奮と怠惰と情熱と希望と憂鬱の火が燃えています。
【雑記】AKB48 37th シングル選抜総選挙
先日AKB48 37th シングル選抜総選挙がありました。
「総選挙」でググって、アイドルのイベントがトップにずらーっとでてくる国は日本だけではないのでしょうか。ある意味凄いですね。
僕は、一票も投票していないので、完全に傍観者なのですが、少し思うことがあるのでそれについて書きます。
それは今回のNMB48の不振についてです。
SKE、HKTが大躍進した一方、NMB48は大低迷する結果となり、劇場支配人が謝罪するという異例の事態となりました。
僕はNMB48を若干ハコで押してる感があるので、ちょっと今回の不振について思うことがあるのです。
■何故NMBは振るわなかったのか?
これは僕個人の意見であり、お金を投資したりイベントに出たりしている身ではありませんので、違うかもしれません。
ただ、僕なりに思うことがあります。
それは、
「NMB48は他のグループに比べて、苦労が足りなかったのではないか」
ということです。
SKEは超体育会系のスパルタで、また大物メンバーを何人も抱えているその割に、運営に干されているんじゃないかとかんぐられるほどツアーが開催されなかったり、主力・中堅メンバーが同時期に何人も卒業したり、なんか見てて可愛そうになるくらいの雑草魂を感じます。
HKTはスキャンダルで事実上左遷された指原が先頭にたって、当時新人だった歳の差がある若手達を指導・教育して、指原筆頭に自分達でメイクチャンスして、全国に名前をとどとかせたという実績があります。
残念ながら最近のNMBにはそういったものは感じられないのです。
NMB48はメンバーの事務所からCDのレーベルまで全て吉本グループのお抱えで、結成時から立派な劇場を難波のど真ん中に用意してもらい、最高の環境でレッスンや教育を受けて、関西の番組に出演枠を貰ったりしている。
勿論、それはそれでキツい部分もあるし、入ってある程度一人前のレベルになるまでは、かなりの負荷があると思います。
特に初期のメンバーはそういう部分に耐えられるポテンシャルを持った子達がオーディションを勝ち抜いて、選ばれたというのが、なんとなく見て取れます。
でもですね。結局、それはそういうことでしかないんです。
与えられた枠組みの中で、与えられた通りのやり方で与えられた通りに頑張って、与えられた通りの結果を出しているに過ぎないんです。
それではなかなか真に人の心を魅了したり、或いは自分の殻を破って魅力的になることは難しい。
それが今回の選挙の結果に現れているのだと思います。
■レールを敷かれた人生
それはまさに、レールを敷かれた人生に似ています。
最近ちょうど、2chのまとめで「レールを敷かれた人生を歩いてきた結果」みたいなスレッドを読みました。
スレッドの主は、自分がレールの敷かれた人生を生きてきて、自分の人生が茫洋とつまらないものだと感じているようでした。
しかし、他の人とやり取りしているうちに、彼は普通に受験を頑張って、普通の二流大学に入り、普通に就活を頑張って、(当時景気が良かったこともあってかと思いますが)上等な一流企業に入社し、海外事業で活躍をしているという、つまり別段他力本願でもなんでもないまっとうな生き方をしているということが分かってきました。
彼のような人のことは一般的にはこのように言われます。
『勝ち組』
しかし、彼は自分の人生がもの足りないと言います。
そして自分の人生が新幹線のようだと言いました(彼は当時新幹線での移動中にスレを立てていた)。
とても速く、優秀で、安全だ。目的地もはっきりとしている。
でも、景色を見る暇もない。富士山もあっという間に過ぎてしまった。
■彼の言わんとすること
僕には彼の言わんとすることがなんとなく分かります。
彼は「学校の勉強」という枠組みの中を言われた通りに頑張り、
彼は「受験」という枠組みの中を言われた通りに頑張り、
彼は「就活」という枠組みの中を言われた通りに頑張り、
彼は「会社」という枠組みの中を言われたとおりに頑張ってきたのです。
とても立派なことですが、それはただそれだけのことなのです。
「彼」自身がどこにもないのです。
先ほど彼は自分の人生を新幹線に乗っているようなもの例えましたが、彼は駅を降りて自分の足で立って、自分の体を支えて、地面を歩いたことがないんだと思います。
とても、怖いことだし、もしかしたら道に迷ってしまうかもしれません。
自分の力で歩いた距離は、確かに新幹線歩くよりも距離は短いかもしれませんし、非効率的かも知れません。
でも、その道のりや景色は自分の糧になるのだと思います。そしてそこには確かな実感が伴います。
そしてその実感は、自分と自分の人生の血肉になります。それは人からとても魅力的に見えるのです。
彼はその実感にどこか焦がれているのでしょう。
■
話を戻すと、NMB48にはそういった「プロセス」「物語」みたいなものがちょっと足りないのではないかなと思います。
努力が足りないんじゃなくて、敷かれたレールを走っている感が強いのです。
楽曲も良い、ダンスも良い、メディアへの露出も多い。でもその結果だけでは駄目なんです、きっと。
それはただそれだけのことに過ぎないのだから。
渡辺美優紀のスキャンダル黙殺なんかも、ちょっと世の中ナメ過ぎで、そのへんもファンは見抜くんだと思います。明らかな逃げの姿勢ですね。運営の判断でしょうけど、ファンは余計に離れるに決まってる。だってかっこ悪いもん。
アイドルは容姿やダンス、バラエティ力などの能力だけではなく、『生き様』で魅せるものです。多くのファンは実はそういうところを見ているし、そういうものを期待するのだと思います。
しかしこの話通りであるとするならば、NMB48にとっては、これまでのやり方が通用しないということで、文字通りオフザレールせざるを得ない時期であり、またこの逆境を乗り越えなければならない苦しい時期の幕開けでもあります。今後の活躍の可能性も十分にありますので、頑張って欲しいと思います。
今回のAKBグループの選抜総選挙で、そういうことを感じました。
『生き様』で魅せるのは、我々パンピーも一緒です。
【日記】プラハ旅行
オーストリアのウィーンからチェコのプラハまでの旅から帰ってきて、大体20日が過ぎました。
20日前の出来事とは思えません。なんだか凄く昔のことように感じます。
それくらい僕の現在の生活と離れた異質な時間だったのだと思います。
とりあえず、ここでは今回の旅に関する大事なことを書こうと思います。
今回の旅のテーマは、ずばり既知との遭遇でした。
東欧の緑の丘陵地帯を贅沢に切り込むように敷かれた線路を走るウイーンからプラハまでのユーロ鉄道の車窓。
それから「百塔の都と」呼ばれる十世紀代から現在まで残存するプラハの赤レンガの屋根の街並み。歩いているだけでおとぎの国や絵本の中の世界に入り込んでしまったような幻想的でどこか懐かしい感じの愛らしい街並み。
この二つが今回の旅の目的でした。
このふたつの特徴は「なんとなく知っている風景」です。
読んでくださる方は、実際に行ったことがなくてもなんとなく風景が空想できるのではないでしょうか。
つまり「なんとなく知っている風景」とはそういう意味です。
■ユーロ鉄道
鉄道はただ緑の丘が延々と続く丘陵地帯を走りました。
何も無いまっさらな緑の丘、これが延々と続きます。他にあるのは空だけ。ときどき牛とかぽつぽついます。
こんな言い方をするとチープになってしまいますが、windowsのデスクトップのような、そんなどこかでみたことがあるような、そしておそらくは見たことがない、見知らぬ見慣れた風景です。
僕の目はその丘をなぞるのにただひたすら忙しかったのです。
丘、丘、丘、丘、丘、丘、丘、丘、丘、丘、丘、丘、丘
うん、丘だ。
「丘」って見たことありますか?いや、多くの人はないと思います。
僕は始めて「これが丘なんだ」と納得できる本物の丘を見ていました。
山じゃない、平原でもない、丘でした。
ああ、これが丘なんだ。僕は理解しました。
そして飽きた。
丘を見飽きた。
いくつもの丘を乗り越えて、僕はプラハに到着しました。
憧憬の地、プラハ。
■プラハ
おとぎの国でした。
世界的な観光地とあり、都市部はごみもなく、人々は英語が話せて、とてもにこやか。
僕がプラハに入る前日と帰りの飛行機に乗る最終日は雨だったけど、散策をした2日間は快晴でした。
赤レンガ。
赤レンガ。
赤レンガ。
赤レンガ。
教会。
教会。
教会。
世界遺産。
世界遺産。
世界遺産。
チェコはピルスナーの発祥の地としても有名です。
元祖ピルスナー、ウルケル、それからブドワイザーをチェコ料理とあわせて飲む。
飲む。
飲む。
飲む。
飲む。
ビール。
ビール。
ビール。
飽きた。いや、ビールは飽きない!
しかし大分おなか一杯になった。
気が済んだ。
ウイーンで病気して、うだるからだで国際鉄道に乗り込み、その体を引きずって世界遺産の街を歩きまわり、ビールを飲んだくれ、そしてまた街を歩きまわり、こうして僕の旅は終わりました。
■
飽きた。
気が済んだ。
この感覚こそが旅の真の目的であり、成果だと思っています。
うまく書けないかもしれませんが、この旅での思いを書きます。
僕が書きたい本題はむしろここからだったりします。
人はみな、色々なものに憧れたり、夢を見たり、欲したりします。
そういうものは、憧憬とか欲求、欲望、煩悩と言えます。
僕は、こういうものをひとつずつひとつずつなくしていくことが、人生のひとつの意味なんじゃないかと思います。
実際にその憧れや夢をかなえて、欲求、欲望を満たすのです。
実際にやってみると、頭の中で無限に広がっていた想像のそれにくらべて、良いものではなかったと感じることが多いと思います。
夢だったり憧れていたりすることを実際にやってみたり、そのポジションについてみたり(目指してみたり)、場所だったら行ってみたり。。。
「ああ、こんなものか」
と。人は理解します。
こうすることで、自分の世界がまたひとつ真実のものになります。
オーバーフォーカスでもアンダーフォーカスでもない、ピントが合った正しい目線の距離感になります。
人生の地図のなんとなくしか分からなかったところが、正しく埋まります。
膨大で歪なよく分からなかった世界が現実に収束していきます。
頭の中に渦巻いていた架空の存在が放つオブセッションが消えます。
自分が強く思っていたことは、僕の世界の中では、特別に焦がれるほど素晴らしいものでも大したことでもなんでもない、普通のものだったと気づくのです。
そしてその世界にぐるぐると目を回して、ふと足元を見ると、自分がそこに立っていることに気づきます。
あ、俺、ここにいるんだ、と。
そのとき、
「おおっ!?」
ってなります。
僕はその世界のある場所の確かな存在を確かめるべく、丘をひたすら眺め、街を歩きまわり、ビールを飲みました。
赤ちゃんが新しいものを手にとって、まざまざと見て、それを投げ飛ばして、そしてまたそれを手にとって、まざまざと見て、何かを知るように。
丹念に。丹念に。丹念に。
それはもう、丹念に。丹念に。丹念に。自分の目で、自分の手で、自分の足で。
そして赤ちゃんは、何かを悟るのです。何も語らず。痛烈な納得と理解を伴って。
■
そして、旅の終わりは日常への帰結。
見知らぬ生活から知った生活へ。
不安定から安定へ。
ああ、帰ってきた。




