耽読飛行 -2ページ目

【雑記】哲学なき国

前回の記事の続きのような内容になる。
日本は物質的にも経済的にも科学技術もあらゆるものに恵まれている国だと思う。

日本の会社は歴史があるものが多く(日本は100年以上の会社がたくさんあって、これは世界的には珍しい)実績やノウハウに満ち、仕組みも整備されている。

でも何かが足りないといつも思っていた。
ずっとそれが何なのか、何と呼ぶべきものなのか分からずにいた。

それが『哲学』なんじゃないかと最近思うようになった。
そう、今の日本には哲学が足りない。
うん、なんとなくしっくりくる。

ここで言う哲学とは、狭義の主義やものの考え方などを表すものではなく、人文科学系の学問や概念の方のもの。古代から続く学問。

要は、『人間てなんだろう』、人間にとって幸福って重要だよな、じゃあ『幸福ってなんだろう』或いは『人生ってなんだろう』ということについてを考えること。

僕はアメリカに留学していたとき、現地の企業で働く日本人とたくさん出会った。
彼ら、人生の先輩方に訊いたものだった。「日本とアメリカ、どっちの会社がいいですか?」
彼らは皆、アメリカと答えた。

ある人はその理由をこう言った。
「アメリカの方が人間らしく働ける」

「人間らしく」ってなんだ??? 当時の僕には意味がよく分からなかった。
でも今ならその意味が分かる気がする。

(勿論アメリカは社会的階層によって生活の質が大きく異なる国だから、単純に国の優劣を比較するわけではないけれど)

今の日本の社会、正しくは自分の身の周りは『人間』というものを無視している。昨今話題になっているブラック企業の話なんかを耳にすると、もっと酷いところが多いのだろうけど。
結局合理性を追求した結果なのだけれど、これでは無理がある。
なぜならば、会社は、仕事は、社会は全て『人間』で成り立っているのだから。

なんか日本、色々ごたいそうな感じでやってますけれど、引いた目線で見ると、
なんだか極めてシャローというか、幼稚な感じに見えてしまう。それは『哲学がないから』というのが一因なんじゃないかと思う。

欧州や北米の先進国からは日本はランクが下の国として見下されていると感じる。実質GDPは世界第3位の富裕国だけど、日本が真には豊かではないハリボテの国だと知っているからだろう。君達分かってないね、という感じで。それはやっぱり『哲学がないから』なんじゃないかと思う。

実際、日本の哲学の頭脳となる、日本の大学の人文科学系の大学生はどうだろう?
僕の知る限り、概して科学技術の発展を担う理系の学生よりも熱心であるようには思えない。
奇しくも最近、大学の文系学部の改革に国家的な動きがあるようなニュースを耳にした。何れにせよ、日本の大学の人文科学系学問のあり方には疑念が多い。

話しを戻すと、まぁ『哲学がたりないんじゃないか』と思う今日この頃。
他人に頼ってても仕方がないので、自分でもちょっと勉強してみようかなと思います。

【雑記】ものを売り過ぎる社会

日々働き、或いは街を歩き、ふと思うのです。

『日本人はものを売ろうとし過ぎなんじゃいか』

と。
製造業は良いものを安く早く作ることにしのぎを削り、苦しい中で働いている。
サービス業は、良いものを安く提供するために、人件費を削り、奴隷や機械のように働いて苦しい思いをしている。
他にも色々な仕事や環境があるだろうけど、結局これらは、ものを売りたいからやっていること。そして過大な成果を求めるあまりに皆が苦しんでいる。

今日栄を歩いていて、冷たい風が吹きすさぶ中、お茶屋さんの入り口の外で女の子が声を張り上げながらお茶の試飲を勧める呼び込みをやっているのを見かけた。ずっとだ、1時間では済まない、僕が栄にいる間中ずっと寒い中やっていた。通行人はなかなか彼女に振り向いてはくれなかった。

こう思うのはむしろ悪いことなのかもしれないけれど、僕は彼女の姿がとてもかわいそうに思えてしまった。

そして僕の中で、彼女はあらゆる『ものを売ろうとし過ぎること』のメタファーだった。
そんな苦しい思いをしなくても、欲しい人はいるだろうし―だからこそ産業として成り立っているわけだし―暖かいお店の奥で座って笑いながら快適に時間を過ごした方が、よりマクロ的な視点で考えれば単純に幸福なのではないかと思った。

今の日本は「ものを売ろうとし過ぎている」もっと違う言い方をするならば、経済(お金)を循環するためのポンプとして、その機能を必死に果たし過ぎているように思う。経済を循環させること即ち経済的発展は、幸福に生きていくための手段であって、断じて我々が生きていく目的となってはならないのだけど、今の世の中、少し倒錯しているんじゃないかと感じる。


ちょっとものを売りすぎるのをやめる、現状ではある種の「サボり」といわれてしまいそうですが、少なくともそういう考え方は意外と『アリ』として、もっと許容されるというか、普遍的であればもっと皆が本当の意味で豊かな、高次元な幸福に辿り着くんじゃないかな~と思った、そんな寒い一日でした。

まあ、僕自身も明日からまた仕事で、ものを売り過ぎる一員となるわけですが……。

【雑記】日々生活していくうえで大切なこと

そういえば、今年の4月で一人暮らし歴が十年を迎えました。

大学進学と同時に実家を出たときは18歳、そして今、僕は28歳。

こうして改めて考えてみると不思議な気もしますが、ここでは、その十年間の一人暮らしを通して自分が感じている『日々生活していく上で大切なこと』についてを書きたいと思います。
自分の生活で何か行き詰まりのようなものを感じたら、この記事を見返そうと思います。


■日々生きていくうえで大切なこと

1.日々誰かと話をすること。内容は他愛の無いものでよい。というよりもむしろ他愛のないものの方が良い。


2.時々友達とご馳走を食べること。ご馳走とは、特別な食事や季節の食べ物、旨い物、珍しい物、食べたことがない物のことである。


3.日々、綺麗な景色を見ること



社会人になってからかな、こういう何気ない大切なことを失いがちになったのは。

大人になると、時に他愛のない会話をする機会を自分から作らないとなくなったりするときもある。でも実際、こういうのって凄く大事だったりする。そして、結構センスがいるのではないかと思ったりもする……。

食べ物の贅沢というか、イベントは時々でいい。でもこれは必ず必要。
例えが適切かは分からないけど、『ハンニバル』シリーズのレクター博士も「人生で食べたことがないものを食べるという経験は大切だ」みたいなことを言っていた。
そして、僕は何かを食べて、それについて“誰かと話す”ということが凄く大切なんじゃないかと思う。無言の作業ではなくて、表現する、ということ。


綺麗な景色について。
言いづらいことなのだけれど、今住んでいる名古屋は、僕が今まで住んできた国内外の全ての都市で一番景色が悪いと思っている。
このことに意識的になったのは、今年の5月にシアトルに行ったときだった。
シアトルは自然が豊かで、まるで映画の世界のような―そして実際によく映画のロケ地にもなっている―美しい都市だった。
僕は名古屋に来るまでは、海か山のある景色の中で生活していた。
残念ながら、ここには何も無い。無機質的に、住宅街と繁華街、工業地域が広がっていて、目のやり場がなく、なんとなく目がうつろな気分のように感じてしまう。
それはそれで仕方が無いことだから、「景色を見に行く」ことが重要なんだと思う。

なんだか、景色のいいところに家を建てたいとか、別荘を持ちたいという人の気持ちが分かったような気がする。


昔は全然こんなことを考えなくても、問題なくというか、楽に暮らせていた気がするけど、こういうことを自然と思うようになった。不思議なものだなぁ。

【日記】焼きたてのパンと紅茶とコーヒー

昨日彼女と別れた。
頭も心もとても疲れた一日だった。

今日は雨の予報だったけれど、名古屋はとても気持ちの良い、からっとした快晴となった。


ちょうど去年のこの時期、僕はオーストリアのウイーンにいた。
今日みたいなからっとしたさわやかな日だった。
もしかしたら、本当に一年前の今日かもしれない。

僕は体調を崩して、旅程を変更してオーストリアのウイーンに少し長く滞在したのだった。

そのことについて、今ふと思い出したのは、ホテルの朝食の質素な朝食だった。
焼きたてのパンとバターとコーヒーと紅茶だった。

僕は、そのパンとコーヒーと紅茶のおいしさにとても驚いた。感動したといっても良い。
ホテルをチャックアウトするときに、わざわざそのことについて話をして、御礼を言うくらいだった。

家族経営の、いわゆる安宿という感じの宿だった。食堂は小さく、豪華さや飾り気はなかった。
だが、ある種の気品の高さがあった。空気の濃さというか、静謐さがあった。

パンはプレーンとハーブが練りこまれたものを食べた。
高級な炊きたての米を食べたときに感じるような独特の味わい深さがあった。
紅茶も見事だった。新鮮な山の空気を吸うような気持ち良さがあった。

コーヒーが好きな自分だが、そのときは体調が優れなかったため、飲まないつもりでいた。
しかし、ここまできたらここのコーヒーが一体どんな味がするのか、興味を抑え切れなかった。
コーヒーもおいしかった。何杯も飲んで時間を忘れて楽しんだ。


ホテルから出ると、そこはウイーンの都心部だった。
ウイーンには成熟した、落ち着いた空気が漂っていた。
経済的な指標で言えば、日本、東京の方が上位だが、明らかに「進んでいる」のはウイーンだと直感した。そして、「豊か」なのもウイーンだと感じた。

ウイーンはとてもアナログで素朴だった。
店は早い時間に閉まるし、日本で言う田舎の八百屋のような店ばっかりだった。

おいしいパンと紅茶とコーヒーを食べること、素朴な生活が彼らの関心事なのではないかと思う。


彼女との別れで、僕はまた振り出しに戻った。
これは喪失でもあるけれど、何か枷が外れたような身軽な気分でもある。
何か新しいことに歩き出せるように感じる。

だから、この日に、ウイーンで食べた質素な朝食のことを思い出すことができたのは、とても幸運なことなのではないかと思う。

【日記】シアトル旅行

ゴールデンウイークに、古巣シアトルに行って来た。
色々縁があって、まわりまわって行く機会を得た。

3年半ぶりのシアトルはあまり変わっていなかった。
何人かの友達にも会った。

大学の研究室の教授には事前にアポを取って会いに行ったけど、それ以外はアポなしでひょっこり現れた。或いは、歩いていて偶然に会った。

とにかくこれが一番嬉しかった。
みんな僕がいてもそんなに驚かないというか、まるで僕がつい昨日までシアトルにいたかのような感じだった。
「僕はここにいても良い」と完全に承認されていた。そして確かに僕はかつて「ここにいた」のだという実感があった。おぼろげで不確かな自分の過去に裏づけができたというか、確かな厚みができたというか、そういう感じだ。
生きていると感じた。

なんとも言えない気分だ。


それ以外では、車で出掛けてシアトルをそして、ノースウエストを満喫した。これが楽しかった。
かつて僕は学生だった。車も金もなかった。でも今回はそれができた。
時の流れを感じる。


時の流れを感じたと言えば、食べ物だ。
アメリカの食べ物がしんどくなった。4年前は1年以上も平気でアメリカで現地のものを食べてなんともなかったのだが……。
肉・ポテト・ビール・肉・ポテト・ワイン、みたいな。
普通の白いごはんをはさまなければ1週間やってられなかった。いやぁ、それだけ年を取ったのかなぁ。
運動とかすれば、肉体年齢が若返りそうな気もするけど。少なくとも努力や注意が必要な年齢に差し掛かっているということかもしれない。



最後に。
帰国して、感じた。

日本のこの重苦しい空気とは一体なんだろう。


多分、これを感じていて、戦っている人は結構いるんじゃないかと思う。
でも、個の力ではどうにもならない、海や大気のような圧倒的に大きなスケールで静謐に空間を支配している。

これがこの先しばらく僕が取り組むテーマの一つだと思う。

手短ですが、シアトル旅行についてやそこから感じたことはまた改めて書きます。

【日記】ある到達点の人

先日、自分の中期的な人生の目標として「いつか会いたい」と思っていた人に会ってきました。

詳しくは書きませんが、彼はナンパ師で、彼のことを知ったのは遡ること約5年前のことでした。
『いつか自分の中で彼に対峙するにふさわしい自分になったと思ったら、必ず会おう』と決めていました。つまり、『彼に会うにふさわしい人間になる』というのが、目標でした。


彼は、関西の某所で不定期でワークショップをしていました。
それに参加することで、彼に出会いました。


ワークショップとは、彼の言葉をそのまま借りるならば、
『「あなたは、なぜ、つながれないのか」を彼なりに追求したワークで、つながりの感覚に関する手がかりを得る』
というものでした。

彼のこと、或いは僕と彼の文脈が分からなければ、なんじゃこりゃという感じですが、とにかくそういうものでした。そうとしか言えないという感じです。
ざっくり言えば、演劇やダンスの基礎訓練のメソッドやドリルに基づいた身体的なレッスンだと思います。


みっちり4時間のワークで、これがまあ、実に面白かったわけですが、ここではひとつだけ、最も印象に残ったものについて書きます。

二人一組(または何人か)で、向かいあう同士(隣り合う人と)、手を触れて、自分と向かいあう人(両隣の人)と両方の手とも手を繋ぎあって円を形成する状態を作る。その状態で自分からは手を動かさない。相手(隣の人)の手が動いたらそれを一旦「受け入れて」反対側の自分の手で反応する。
このやりかたでうまくできて、しばらくすると、相手の動きというか意識というかそういうものが、自分と他人の形成した円の中を循環するようになります。というもの。

これが面白かった。
うまく循環するときの感じは、自分の意識が他人に広がっているような、あるいはつながる誰かの意識が自分に近づくような、意識の領域が変わっていくような感覚になります。

これは日常においては、例えば、誰かと話をしていて凄く楽しいときや、誰かと仕事をしていて上手くいくときや、凄く良いセックスとしたときなどの意識の状態に近い、或いはそれを模式的に再現するものなのだと思います。

中には、他人の意識を「一旦受け入れること」ができずに、肘あたりで跳ね返してしまう人やどこかに逃がしてしまう人、相手を過剰に押し過ぎてしまって他人の意識が入ってこない、うまく感じられない人もいました。
実際やってみると、かなり難しい。

これは、まんま日ごろのコミュニケーションに当てはまるものと思います。
誰かの意識を跳ね返す。軽視する。無視する。誰かの意識を抑圧する。他人を感じようとしない。
こういった場合に「あなたは、つながれなくなる」のだと思います。

「もしこの人と、この“手を触れて、他人と連絡する”遊びをしたら、どんな感じになるだろう?」と想像すると、その人の本質的なコミュニケーションにおける人間性が見えてくると思います。
強引に押してきて、不自然な動きにしかならず不快な人、こっちの動きや意識が伝わらない人。臆病で意識や動きが微弱でなかなか伝わってこない人。

そして俺はどうだろう、ちゃんとつがれているかな?
そう思う今日この頃です。

【映画】旅の重さ

『旅の重さ』という映画を観ましたので、感想を書きます。
最近は寒いせいかよく家で映画を観るので、こんな記事を連投しておりますな。



――ママ知ってる?布団の上に寝ないで大地にの上に寝るってことがどんなに素晴らしいことか。
ろうそくの炎が美しいということは知っていたわ。でも、あの炎を吹き消したあとの匂いも素晴らしいっことをはじめて知ったの。
ままおやすみなさい。また手紙書きます――



「ママ、びっくりしないで、泣かないで、落着いてね。そう、わたしは旅に出たの。ただの家出じやないの、旅に出たのよ」というモノローグから始まる映画です。この台詞は有名みたいですね。

この台詞の通り、16歳の少女は旅に出ます。
彼女の旅は放浪であり、逃避行であり、お遍路であり、試練であり、冒険であるのです。


――こうしていると、私はだんだん太陽と土と水とに溶けていくみたい。そうして太く強く成長しているのが分かるの――

少女のみずみずしい感性が、「自然」とそして、「社会(人間関係)」や「性愛」にぶつかり向き合って、少女自身が少しずつオトナになって前に進む姿が、70年代初頭の美しい四国の田舎の町並みと自然の中で情緒的に描かれています。

人間が互いに近づいたり遠ざかったり、ぶつかり合ったり触れ合ったりした時は必ず「イタみ」を伴います。そして、人間関係には、あどけない少女には見えなかった「セックス」が溢れて、転がっています。
人は誰でもこういったことにあるとき不意に「……あ」と気づくのです。気づくというか悟るというか。そういう経験をすることがある意味では「大人になる」ということなのだと思います。

冬の海に吹き荒ぶ風のように乾いていて冷たくて、そして泥のように生臭いのが、人生です。
しかし、「そればかりではない」と知るからこそ、人生は面白いわけで、僕らは生きていけるわけです。
夏の海のように暖かく清々しい、――まさに映画の中のようやく辿り着いた目的地の一つ、土佐の海のように――、そんなひと時だってある。それを与えてくれる人だって現れる。

そんなことが、少女の人生の旅を通して感じることができます。

■『人生は旅のようだ』
人生は旅のようだとはよく言ったものですが、本当にそう思います。
旅といっても、目的もなく、いつ終わるのか、そしていつまた始まるのか分からない、そんな不確かな旅こそ、人生に良く似ていると感じます。似ているというか人生そのものだとすら思います。この作中の彼女の『旅』こそ、まさにそんな旅です。
それを何度でも確認したくて、何度でもこの映画を観てしまいそうです。

因みに、映画を観た後スニーカーを履いて散歩に出掛けました。
旅に出たくなる。そして歩きたくなる。そんな映画です。

【映画】誰も守ってくれない

未成年による殺人事件が発生し、被害者家族、そして加害者家族の人生が激変する――

『誰も守ってくれない』

この映画は“加害者家族の保護”に纏わるもので、未成年殺人容疑者の中学生の妹と彼女を保護する刑事の、事件発生から僅か数日間の激動を描く映画です。


殺人事件により被害者家族、加害者家族、警察内部の出世争い、部外者、ネット、仕事、家族……、さまざまなものが動き出します。意思に関係なく。そして被害者ただ一つの存在を置き去りにして。

そしてそれは、正義、思念、愛、憎悪、これらが激しく渦巻く濁流そのものです。その濁流は混沌とした人間社会そのものです。
砂浜の波が寄せては返す映像が何度が幾度となく出てきますが、社会は、そして人生は荒波のようだと感じさせられます。
それこそ「誰も守ってはくれない」し、甘くもない。そんな厳しさをひたすらに感じさせられる映画です。


この映画の感想は人それぞれだと思います。立場が違うと考え方ががらりと変わるからです。
ただ、自分がこの荒波の中で何を守るべきなのか――、誰を守るべきなのか――、ということを考えさせられました。


『踊る大走査線』の君塚良一監督を筆頭に、スタッフもキャストも豪華。個人的にはスリリングな展開と随所に織り交ぜられた部屋や海、ペンションの静かな場面の静と動の演出が、登場人物の心情描写や状況の描写を際立たせているように思えて、沁みました。
調べてみたら、モントリオール世界映画祭にて最優秀脚本賞を受賞しているとのことですが、やはりただならぬ重厚感があります。

【映画】君よ憤怒の河を渡れ

1月23日に名古屋のシネマスコーレで高倉健の追悼上映を行うということで、行く気満々だったのですが、仕事の都合でちょっと厳しくなってしまい…、それでもせっかくの機会でしたので、自分の部屋で観ました。ということで、しれっと久しぶりに映画の感想を書こうと思います。

『君よ憤怒の河を渉れ』

いわずと知れた高倉健の代表作です。

■ハードボイルド・スルメ映画
『法が全てではない。法で縛ってしまう善があり、法で裁けない悪がある』
と言う感じの台詞が終盤にありますが、これが作品のテーマかと思います。

この言葉自体は変哲もないものですが、彼の復讐劇、逃避行そのものがまさにこれを体現しています。
無実の罪で指名手配された「杜丘」が壮絶な逃避行を続けながら復讐を果たすのです。そのプロセスにおいては、他者の助けが不可欠でした。
そういう人達は皆「心の目」で杜丘のことを見ていたのだと思います。テレビのアナウンサーの叫ぶ「凶悪犯 杜丘」ではなく、目の前の一人の人間として自分の目に映る「杜丘」を信じた人達でしした。そして、自分の直感に従った人達でした。

秀逸なのは、そういう人達が皆の心理が魅力的に描写されていることでした。
みんな物語が進展するに連れて、魅力的に見えてくる。これが見てて本当に面白かった。味がじわじわ出てくる。本当にスルメだった。
こんなことをいうと怒られてしまうかもしれませんが、真由美は最初はあんまりかわいいと思わなかったのですが、だんだん凄いかわく見えてきて、自分でも驚きました。

■「杜丘」を見る力は現代社会に必要
最近、宮台真司の『14歳からの社会学』という本を読んだ影響からか、こんなふうにも感じました。登場人物達が持っていた「杜丘」を見る力は現代社会に必要な能力なのではないかと。

その本では「今の成熟社会は、皆が同じ豊かさを追求する段階(高度経済成長)が終わり、それぞれが自分にとって正しい豊かさを見つけて、自分達でそれを追求していかないといけない」ということが述べられていました。
それはつまり、テレビが声高に言うことを聞いても、誰かが声高に言うことを聞いても、君の幸福に通じていくとは限らないということです。
この点が正に、『君よ憤怒の河を渉れ』の登場人物達の生き様と重なります。この人間の根源的なパワーのようなものが、それぞれの人物の原動力となり呼応し、真実に辿り着き、ついには巨悪を倒すのです。

■※ただしイケメンに限る?
この壮大な復讐劇が成就した要素の一つとして、「杜丘がイケメンだった」ということがあるのではないかというのは穿った見方でしょうか。窮地を救ったのはいつだって女性でしたから。
そもそも世界の半分は女性ですから、女性を見方につけることができるかどうかというのは、やはり重要なことだと思います。
そう考えると、杜丘の復讐だけではなく広く一般的にも、必ずしもイケメンである必要はないかもしれませんが、女性の高感度を一定以上に保つ「キモくなさ」は最低限必要ですね。
因みに、本当にモテる人は同性にも異性にもモテると言いますが、これは真実だと思います。そういう意味では、杜丘は本当にモテる男だと思います。

色々話が膨らみましたが、間違いなく良作です。

【日記】阪神淡路大震災から20年

阪神淡路大震災から今日で20年ということで、少ししめやかな一日の雰囲気でした。
僕は朝はNHKのラジオニュースをインターネットで聴くのですが、今日の朝は特集番組が組まれていました。
今日は少し阪神淡路大震災についてと、これが象徴する僕らの世代観についてを書きたいと思います。


■社会の「前提」が崩壊した最初の出来事

今から20年前、僕は8歳、小学校2年生でした。
朝のテレビをなんとなく記憶しています。
電気が復旧しとたときの通電火災が既に起こっていたのか、街が燃えている映像や高速道路が倒壊している映像でした。(もしかしたら、後に無意識的に刷り込まれた映像かもしれませんが……)

東海圏生まれの僕は当時、関西にはまだ行ったことがなく、「阪神」も「淡路」もなんのことかよくわかっていませんでしたし、戦後最悪の都市型大地震というものの怖さもわかっていなかったかもしれません。
しかし、覚えていることとして、ある種の「空気」みたいなものがあったということです。

それは、みんなの意識の中にあった「前提」が崩れたというものでした。

誰も家が全壊するとは思わなかった。
誰も住宅地が火の海になるとは思っていなかった。
誰も阪神高速道路は根こそぎ倒壊するとは思っていなかった。
沢山の人が亡くなるとは思わなかった。
……


防災は勿論、様々な社会的価値観の根幹が揺れ動いたのではないでしょうか。

俺達の街は大丈夫だろうか?
俺達の生活は大丈夫だろうか?
俺達の社会は大丈夫だろうか?


■社会の「前提」の崩壊は続く

その約2ヶ月後に、戦後最大級の無差別殺傷事件である地下鉄サリン事件が起こります。
今こうして思うと、1995年は凄い一年だと感じます。

テロとはまさにこのことです。
当たり前のように乗っていた地下鉄が、当たり前のような通勤が、当たり前のような生活が、脅かされるのです。

俺達の街は大丈夫だろうか?
俺達の生活は大丈夫だろうか?
俺達の社会は大丈夫だろうか?

日本社会の「前提」を脅かす悲劇は続きます。
その2年後、神戸児童連続殺傷事件が起こりました。
僕は、小学校4年生でした。
これはよく記憶に残っています。なぜならば僕が事件の被害者と同じ小学生という立場だったからです。

これはこれで書くまでもないかと思いますが、日本社会の根幹を揺るがす大事件でした。
ある社会学者は「脱社会的存在」と呼んでいますが、これまでの日本人になかった新しいタイプの人間、犯罪が登場した問題でした。この世代は「キレる17歳」世代と呼ばれ、オトナ達は困惑するどころか、恐怖すらしていました。

俺達の街は大丈夫だろうか?
俺達の生活は大丈夫だろうか?
俺達の社会は大丈夫だろうか?

……いや、もう大丈夫じゃない。みんなこう思い始めていたのだと思います。


■米国同時多発テロ事件

ここまで来たので書きたいと思いますが、14歳、中学2年生のときに米国同時多発テロ事件が起こりました。
夜、部屋で勉強していた時に母親に呼ばれ、リビングにいくとテレビにまるでアクション映画のような光景が広がっていました。悪夢そのものでした。

もう当たり前のものなんかない。そういうふうに感じながら、実感のない、嘘のような光景を眺めていました。
「2000年代に宗教戦争が起こる」友人の言葉が頭をよぎりました。


■信じない世代

ところで、僕らの世代は名前があるのでしょうか?僕は聞いたことがありません。
年代的には、「キレる17歳世代」の下で、「ゆとり世代」のギリ上くらの世代です。
(因みに「ゆとり」の下は「さとり世代」などと呼ばれていますね。)

僕らはオトナも先輩(キレる17歳世代)も信用していない世代です。
社会全体を信用していない世代です。
なぜならば「社会の前提」は目の前で、ずっと揺らいで、ひっくり返っているからです。
誰が悪いというわけではありませんが、大袈裟にいうと「オトナが作った社会はメチャクチャで、上の世代は荒れ果ててへたをすれば殺される」という目で見ていました。

因みに今日書いた阪神大震災の数年前はバブル崩壊でした。幼稚園・小学校低学年くらいの年齢の出来事です。物心つくころ日本は既に不況でした。
(上の世代からすると、90年代はもの凄いハードは年代だったのではないでしょうか。特にバブルを経験していた人からすると、落差というか激変ぶりは僕の想像を超えるものかもしれません。)

僕らの世代が一体どういう世代なのか、自分ではよくわかりません。
ただ、友人関係や仕事でのコミュニケーションも上の世代とは少し違う感じがします。
自分だけだったり思い過ごしもあるかもしれませんが。

個人的には、育った年代の影響というものもあるのかなという風に感じています。
そういう意味では、阪神淡路大震災が記憶の中で最古のニュースという人が僕の世代には多いのではないかと思っています。それがだからなんだというわけではありませんが。

因み最後になりますが、僕らはWeb 2.0直撃世代ですね。
これも僕らの世代を語る上でもっとも重要なことがらかもしれません。
これはまたいつか記事で書くかもしれません。