歩く力を確か める
昨日の話の続きになる。
東北徒歩旅行では、東京から国道4号(東北本線に並行する国道)を歩いて盛岡まで行き、そのあとは太平洋側に出て海沿いに南下して東京へ帰ってくるコースを考えている。しかしそれだけの距離を歩くのは初めてのことなので、長時間歩くとはどういうことなのか知っておく必要がある。
以前、朝から晩まで東京じゅうを歩き回ったことがあるのだが、そのときは1日で70km歩いて、足が疲れたというよりも壊れた。最後のほうなんて、目の前の信号が赤になると「あー休める」とホッとし、道路にしゃがみこんでしまうほどだった。それを一週間以上も続けることはできない。ある程度余裕をもって歩き、どこまでも歩いていく余力を残しておかなければならない。
そこで昨日は、1時間歩いたら10分は休憩! という規則を設けて東京じゅうを歩き回った。環七を南下して馬込まで行き、国道1号に入る。国道1号はトップナンバーの国道だけあって、道のさきに東京タワーが「ずん」と立っていたり、皇居のお堀が意外と風情あることを気付かせてくれたりと、歩き応えのある道だ。その後国道17号に入り、東京大学の脇をかすめていく。巣鴨の地蔵通りを見るのもこれが初めてのことだった。
国道17号をそれ、明治通り、山手通りなどを経由して家に到着。地図で歩いた経路をしらべてみると、この日歩いた距離は50kmとちょっとだけだった。6時に出発して帰ってきたのが19時30分だから、休憩時間があるとはいえ13時間半かけて50kmしか進まなかったということである。足の疲れは大したことなかったけど、盛岡までの距離の10分の1も歩けなかったのは悔しい。だがこれが自分の実力。自分が本来もつ「移動する能力」だったということである。
東北徒歩旅行では、東京から国道4号(東北本線に並行する国道)を歩いて盛岡まで行き、そのあとは太平洋側に出て海沿いに南下して東京へ帰ってくるコースを考えている。しかしそれだけの距離を歩くのは初めてのことなので、長時間歩くとはどういうことなのか知っておく必要がある。
以前、朝から晩まで東京じゅうを歩き回ったことがあるのだが、そのときは1日で70km歩いて、足が疲れたというよりも壊れた。最後のほうなんて、目の前の信号が赤になると「あー休める」とホッとし、道路にしゃがみこんでしまうほどだった。それを一週間以上も続けることはできない。ある程度余裕をもって歩き、どこまでも歩いていく余力を残しておかなければならない。
そこで昨日は、1時間歩いたら10分は休憩! という規則を設けて東京じゅうを歩き回った。環七を南下して馬込まで行き、国道1号に入る。国道1号はトップナンバーの国道だけあって、道のさきに東京タワーが「ずん」と立っていたり、皇居のお堀が意外と風情あることを気付かせてくれたりと、歩き応えのある道だ。その後国道17号に入り、東京大学の脇をかすめていく。巣鴨の地蔵通りを見るのもこれが初めてのことだった。
国道17号をそれ、明治通り、山手通りなどを経由して家に到着。地図で歩いた経路をしらべてみると、この日歩いた距離は50kmとちょっとだけだった。6時に出発して帰ってきたのが19時30分だから、休憩時間があるとはいえ13時間半かけて50kmしか進まなかったということである。足の疲れは大したことなかったけど、盛岡までの距離の10分の1も歩けなかったのは悔しい。だがこれが自分の実力。自分が本来もつ「移動する能力」だったということである。
歩かなければ
かつて、どこへ行くにも徒歩しか移動手段がなく、旅行するといえば果てしなく歩き続けることを意味する時代があった。そんな時代と比べて、現代の交通事情は進歩したといえるのだろうか。
東京から盛岡まで行こうというとき、いまは新幹線があるので3時間しかかからない。早朝に出発すれば、盛岡都心循環バス「でんでんむし号」が動き出す頃には盛岡に着くことができる。在来線であっても東京から盛岡まで約11時間。さらに、自動車を持っている場合は東北自動車道を利用するなど、選択肢はいくらでもある。
しかし、それらの移動は、先人たちが造ってくれたモノに頼ることで成り立っている。たしかに盛岡まで3時間で行けるようになった。けど、それは現代人が優れているからではないのである。
鉄道、自動車、さらに自転車などすべての乗り物を取り上げてしまったら、現代人ははたして東京から盛岡までたどり着けるだろうか。乗り物がなかった時代であれば、徒歩しか移動手段がなかったし、徒歩で行くのが当たり前だったから盛岡まで歩いていっただろう。しかし、徒歩という移動手段が当たり前でなくなった現代人にとって、盛岡まで歩くことは考えもつかないに違いない。
かつて、人は東京から盛岡まで歩いていくことができた。今では、歩いて行くことができない。……のだとしたら、むしろ現代人は劣っているのはなかろうか。私はこれまで岩手のあれこれを語ってきたけれど、その場所に到達するまで鉄道やバスに頼っていた。つまり、自分だけの力でそこを訪れたのではなかった。
私は、今年の秋頃に「東北徒歩旅行」をやろうと考えている。歩いて行って、歩いて帰る。一切乗り物に頼らない旅。旅行を語るうえでは、移動の基本である徒歩を忘れてはならない。徒歩のみで旅をなしとげてこそ、胸を張って岩手県の魅力を話すことができるだろう。
東京から盛岡まで行こうというとき、いまは新幹線があるので3時間しかかからない。早朝に出発すれば、盛岡都心循環バス「でんでんむし号」が動き出す頃には盛岡に着くことができる。在来線であっても東京から盛岡まで約11時間。さらに、自動車を持っている場合は東北自動車道を利用するなど、選択肢はいくらでもある。
しかし、それらの移動は、先人たちが造ってくれたモノに頼ることで成り立っている。たしかに盛岡まで3時間で行けるようになった。けど、それは現代人が優れているからではないのである。
鉄道、自動車、さらに自転車などすべての乗り物を取り上げてしまったら、現代人ははたして東京から盛岡までたどり着けるだろうか。乗り物がなかった時代であれば、徒歩しか移動手段がなかったし、徒歩で行くのが当たり前だったから盛岡まで歩いていっただろう。しかし、徒歩という移動手段が当たり前でなくなった現代人にとって、盛岡まで歩くことは考えもつかないに違いない。
かつて、人は東京から盛岡まで歩いていくことができた。今では、歩いて行くことができない。……のだとしたら、むしろ現代人は劣っているのはなかろうか。私はこれまで岩手のあれこれを語ってきたけれど、その場所に到達するまで鉄道やバスに頼っていた。つまり、自分だけの力でそこを訪れたのではなかった。
私は、今年の秋頃に「東北徒歩旅行」をやろうと考えている。歩いて行って、歩いて帰る。一切乗り物に頼らない旅。旅行を語るうえでは、移動の基本である徒歩を忘れてはならない。徒歩のみで旅をなしとげてこそ、胸を張って岩手県の魅力を話すことができるだろう。
バス乗車が意味すること
私は田舎のバスに乗るのが好きである。特に、民間のバス会社が運行している路線ではなく、「町民バス」「町営バス」などと呼ばれている路線がいい。バスが持つ閉鎖性がより極まって、よそ者が利用することの非常識さが増大するからである。
岩手県大槌町には、民間のバスが撤退したあとの廃止代替として町営バスが走っている。小槌川に沿って山奥へと向かう小槌線、それから、大槌川に沿う金沢線である。ある日、私は朝の小槌線を終点まで乗りとおした。運転手さんが降りてきて「これからどうするんですか」と訊ねてきたので、「峠を越えて大槌川のほうへ出るんです」と答える。すると運転手さんは「クマには気をつけてくださいね」といって、バスを折り返していった。
私は、宣言どおり山道で峠を越える。大槌川の筋に下り、金沢線のバスに乗ってやはり終点まで行く。さっきとは別の運転手であったが、話が伝わっているらしく「小槌の方から歩いてきたそうですね」と珍しそうに話しかけられた。「今日はこのあとどうするんですか?」とさっきと同じことを訊かれたので、「このへんを散策したあと、最終のバスで駅へ戻って山田(大槌町よりひとつ北にある町)へ行きます」と答える。「ほ~」とその運転手さんはいって、やはりバスをUターンさせていった。
そして、金沢線の最終便。大槌駅へと戻るバスに乗ると、やっぱりさっきとは別の運転手であった。山あいを延々と走り、1時間くらいかけて大槌駅に到着。降りる際、「山田へいくバスはないよ」と言われたので「いやJRで行くんで…」と返す。1本目、2本目、3本目のバスの運転手すべてに話がリレーされてしまっているのが呆れるほど見事だった。きっと、私のようなよそ者が利用すること自体が町営バスの世界のなかでは大事件なのだろう。
私は、これからも岩手県に大事件を起こしにいく。
岩手県大槌町には、民間のバスが撤退したあとの廃止代替として町営バスが走っている。小槌川に沿って山奥へと向かう小槌線、それから、大槌川に沿う金沢線である。ある日、私は朝の小槌線を終点まで乗りとおした。運転手さんが降りてきて「これからどうするんですか」と訊ねてきたので、「峠を越えて大槌川のほうへ出るんです」と答える。すると運転手さんは「クマには気をつけてくださいね」といって、バスを折り返していった。
私は、宣言どおり山道で峠を越える。大槌川の筋に下り、金沢線のバスに乗ってやはり終点まで行く。さっきとは別の運転手であったが、話が伝わっているらしく「小槌の方から歩いてきたそうですね」と珍しそうに話しかけられた。「今日はこのあとどうするんですか?」とさっきと同じことを訊かれたので、「このへんを散策したあと、最終のバスで駅へ戻って山田(大槌町よりひとつ北にある町)へ行きます」と答える。「ほ~」とその運転手さんはいって、やはりバスをUターンさせていった。
そして、金沢線の最終便。大槌駅へと戻るバスに乗ると、やっぱりさっきとは別の運転手であった。山あいを延々と走り、1時間くらいかけて大槌駅に到着。降りる際、「山田へいくバスはないよ」と言われたので「いやJRで行くんで…」と返す。1本目、2本目、3本目のバスの運転手すべてに話がリレーされてしまっているのが呆れるほど見事だった。きっと、私のようなよそ者が利用すること自体が町営バスの世界のなかでは大事件なのだろう。
私は、これからも岩手県に大事件を起こしにいく。
友達なんて下らない
中学1年生のときのことである。
私は中学校に入ってすぐ、出席番号が近かったからとか、そんな理由ですぐに友達ができた。そのせいもあって、最初のうちは毎日が楽しくてたまらなかった。だが、自分は友達との付き合い方ってものを知らなかったのかもしれない。火遊びをしたり、恐喝事件が多発している繁華街に出て行ったりと、危ない遊びに足を突っ込でいるうちに、グループの中で私の立場は悪くなっていった。そして、2学期の中盤には、ついに仲間の間から弾き出された。自分が話に加わろうとすると、
「お前はあっち行ってろ!」
と露骨に拒絶されるのである。
私は意味が分からなかった。自分が悪いことをした覚えはない。ゲームセンターへ行こうと誘われたのに断ってしまったりと付き合いは良くなかったかもしれないが、悪気を持って誰かを陥れたことはない。私は昔から、正義感は強い方である。
最初っから友達がいなかった、というのなら別にどうということはない。だが私の場合、1学期には賑やかなグループの一員だったのである。それが、2学期にはグループから弾かれて1人になってしまった。学校というのは閉鎖的な社会だから、クラスメートの視線も私のように落ち武者のような者に対しては冷たい。
そんな状況に対して、私は「あーもう別に構わん!」と開き直ることにした。考えようによっては、これでもう自分が好まない遊びに誘われることもないわけだし、放課後もひとりで繁華街に出かけて、鉄道模型の店をのぞいたりするのも楽しい。寂しくないといったらウソになるけれど、わざわざ新たな友達確保に走るよりも、孤独なままでいた方がいいと思った。
そんな時期、個人面談が行なわれた。担任の先生が生徒一人一人とじっくり話をするという一大イベントである。先生は私と向かい合うやいなや、
「君は勉強に関しては特に問題はないな?」
と早口で訊いてきた。本来、個人面談というのは勉強のことを中心に話し合う(というよりも、説教する)のが主目的。だが先生は、私に対しては勉強のことなどどうでもいいという口調だった。
「はい」
と私は答える。
「そうか。で、他に何か悩んでいることはある?」
「別にありません」
「えっ? 君は付き合っていたグループから追い出されたから、そのことで悩んでいるんじゃないかと思ったんだけど」
「いや、別に悩んでません」
先生は空気が抜けたような表情で、
「はぁ~、君は変な奴だなぁ。君がグループから追い出されたのには理由があって、今日はそのことを話そうかと思っていたのだが、悩んでないというのならば別にいいか……」
私は、理由ってなんだろと少しは思ったが、大きな興味は湧かなかった。クラスの人たちが、みな深い思慮のもとに人間関係を築いているわけじゃない。自分がクラスの中で孤立したのも、別に自分が友達を失うことをしたからではなく、サイコロを振って2回連続で1が出たから。所詮、それくらいの理由に過ぎないのだ。
個人面談はすぐに終了。その後、私がグループから弾かれた理由を教えてくれる人は現れなかった。そして今でも私はその理由が分からないし、分からなくてもいいことだと思っている。
私は中学校に入ってすぐ、出席番号が近かったからとか、そんな理由ですぐに友達ができた。そのせいもあって、最初のうちは毎日が楽しくてたまらなかった。だが、自分は友達との付き合い方ってものを知らなかったのかもしれない。火遊びをしたり、恐喝事件が多発している繁華街に出て行ったりと、危ない遊びに足を突っ込でいるうちに、グループの中で私の立場は悪くなっていった。そして、2学期の中盤には、ついに仲間の間から弾き出された。自分が話に加わろうとすると、
「お前はあっち行ってろ!」
と露骨に拒絶されるのである。
私は意味が分からなかった。自分が悪いことをした覚えはない。ゲームセンターへ行こうと誘われたのに断ってしまったりと付き合いは良くなかったかもしれないが、悪気を持って誰かを陥れたことはない。私は昔から、正義感は強い方である。
最初っから友達がいなかった、というのなら別にどうということはない。だが私の場合、1学期には賑やかなグループの一員だったのである。それが、2学期にはグループから弾かれて1人になってしまった。学校というのは閉鎖的な社会だから、クラスメートの視線も私のように落ち武者のような者に対しては冷たい。
そんな状況に対して、私は「あーもう別に構わん!」と開き直ることにした。考えようによっては、これでもう自分が好まない遊びに誘われることもないわけだし、放課後もひとりで繁華街に出かけて、鉄道模型の店をのぞいたりするのも楽しい。寂しくないといったらウソになるけれど、わざわざ新たな友達確保に走るよりも、孤独なままでいた方がいいと思った。
そんな時期、個人面談が行なわれた。担任の先生が生徒一人一人とじっくり話をするという一大イベントである。先生は私と向かい合うやいなや、
「君は勉強に関しては特に問題はないな?」
と早口で訊いてきた。本来、個人面談というのは勉強のことを中心に話し合う(というよりも、説教する)のが主目的。だが先生は、私に対しては勉強のことなどどうでもいいという口調だった。
「はい」
と私は答える。
「そうか。で、他に何か悩んでいることはある?」
「別にありません」
「えっ? 君は付き合っていたグループから追い出されたから、そのことで悩んでいるんじゃないかと思ったんだけど」
「いや、別に悩んでません」
先生は空気が抜けたような表情で、
「はぁ~、君は変な奴だなぁ。君がグループから追い出されたのには理由があって、今日はそのことを話そうかと思っていたのだが、悩んでないというのならば別にいいか……」
私は、理由ってなんだろと少しは思ったが、大きな興味は湧かなかった。クラスの人たちが、みな深い思慮のもとに人間関係を築いているわけじゃない。自分がクラスの中で孤立したのも、別に自分が友達を失うことをしたからではなく、サイコロを振って2回連続で1が出たから。所詮、それくらいの理由に過ぎないのだ。
個人面談はすぐに終了。その後、私がグループから弾かれた理由を教えてくれる人は現れなかった。そして今でも私はその理由が分からないし、分からなくてもいいことだと思っている。
小学校とは
小学校の算数はカンタンだ。
要するに+-×÷をやればいいだけのことである。それなのに、そのカンタンな計算をわざと複雑にして、無意味な操作を強要してくる。例えば、ただ問題を解けばいいだけのところを「式」「筆算」「答え」の3つを書かせようとする。私はこれに対して無性に腹が立った。
答えが出すのが目的だろうが! 式を書けだと? バカいってんじゃない。どうやって計算すれば答えが出せるかなんて、問題を見ただけで考えずに判る。本来は簡単な問題のはずなのに、無意味な操作を強いることで面倒な問題に仕立て上げて偉そうにしている大人たち……そんな奴の言いなりになってたまるか!
私は、テストでも「式」を一切書かずに、答えだけを書いて提出した。するとたちまち先生にとがめられた。式を書かなければダメなんだと。答えを出す過程も大事なんだと。すぐさま私は反論した。要は答えが出せればいいんだろ? と。先生は、過程が大事だ、式を書けと同じことを繰り返すのみでラチがあかない。そのうち同級生も参戦して私を責めたてた。同じクラスのS君が言った。
「算数の問題を解くのは、爆弾を爆発させるようなものなんだよ! 式を書くのは、導火線に火をつけるということなんだ。導火線に火をつけなきゃ爆弾は爆発しないだろ? それなのにお前は導火線に火をつけないでいきなり爆弾を爆発させているんだよ!」
S君は、我ながらいい例えだな、という顔で得意気に話した。しかし主張していることは先生と同じである。私は答えが出せればいいと思っているので答えのみを書く。しかし先生はそれを認めない。それならば「式」の部分の点を引いて黙って返してくれればいいようなものである。だが、そうはいかないのが小学校という世界である。大事なのは、算数の問題が解けるかどうかではなく、大人たちの命令に素直に従える「いい子」になれるかどうか、ということなのである。中学生になり、色々なことに疑問を持ち出す前に大人に対する忠誠心を植えつける。それが小学校の存在意義なのだから。
私はそれからも「式」を書くことはなかった。そのうち先生もあきらめた。一人の問題児を弾圧しようとムキになるのは大人げないことだからだろう。
小学校の算数はカンタンだ。
小学校の目的もカンタンだ。
要するに+-×÷をやればいいだけのことである。それなのに、そのカンタンな計算をわざと複雑にして、無意味な操作を強要してくる。例えば、ただ問題を解けばいいだけのところを「式」「筆算」「答え」の3つを書かせようとする。私はこれに対して無性に腹が立った。
答えが出すのが目的だろうが! 式を書けだと? バカいってんじゃない。どうやって計算すれば答えが出せるかなんて、問題を見ただけで考えずに判る。本来は簡単な問題のはずなのに、無意味な操作を強いることで面倒な問題に仕立て上げて偉そうにしている大人たち……そんな奴の言いなりになってたまるか!
私は、テストでも「式」を一切書かずに、答えだけを書いて提出した。するとたちまち先生にとがめられた。式を書かなければダメなんだと。答えを出す過程も大事なんだと。すぐさま私は反論した。要は答えが出せればいいんだろ? と。先生は、過程が大事だ、式を書けと同じことを繰り返すのみでラチがあかない。そのうち同級生も参戦して私を責めたてた。同じクラスのS君が言った。
「算数の問題を解くのは、爆弾を爆発させるようなものなんだよ! 式を書くのは、導火線に火をつけるということなんだ。導火線に火をつけなきゃ爆弾は爆発しないだろ? それなのにお前は導火線に火をつけないでいきなり爆弾を爆発させているんだよ!」
S君は、我ながらいい例えだな、という顔で得意気に話した。しかし主張していることは先生と同じである。私は答えが出せればいいと思っているので答えのみを書く。しかし先生はそれを認めない。それならば「式」の部分の点を引いて黙って返してくれればいいようなものである。だが、そうはいかないのが小学校という世界である。大事なのは、算数の問題が解けるかどうかではなく、大人たちの命令に素直に従える「いい子」になれるかどうか、ということなのである。中学生になり、色々なことに疑問を持ち出す前に大人に対する忠誠心を植えつける。それが小学校の存在意義なのだから。
私はそれからも「式」を書くことはなかった。そのうち先生もあきらめた。一人の問題児を弾圧しようとムキになるのは大人げないことだからだろう。
小学校の算数はカンタンだ。
小学校の目的もカンタンだ。
サイクリングロードの是非
今、地方を旅してみて、新しい道路をつくる工事を目にしない所は絶対にない。道路整備は、まるで止めてはいけないという掟でもあるかのように途切れることなく続けられている。それは岩手県も同じことで、ありとあらゆるところで意味不明な道路が量産されている。
しかし、岩手県の道路整備で、変わってるなと思ったことが一つある。それは、「サイクリングロード」が新たに造られているという点だ。
普通、道路整備というのは自動車の通行を目的にして行なわれるものである。歩行者の通行が今までより不便になろうとも、自動車を大量かつスムーズに流せるようにすべし。それは、地方だけでなく東京でもみられる道路整備の絶対的方針である。
しかし、サイクリングロードは直接的には自動車の通行にプラスとならない。それなのにサイクリングロードを造っているのは、環境にやさしい自転車の利用を促進しようという先進的な考えが岩手県にあるからなのだろうか。通常の道路よりも細い道に、工事用のバリケードが張られて物々しく工事を行なっている様子をみて、私はううむ……と考え込んでしまった。
たしかに、自転車の利用促進は良いことである。自転車は平地であれば自動車の半分程度の速度が出せるので、それほど長距離でなければ自動車の代わりになる。自動車をやめて自転車に乗り換える人が増えれば、排気ガスを出す量も減るし、道路の混雑もいくぶん和らぐだろう。
だが、サイクリングロードが自転車の利用促進になるかどうかは疑問の余地がある。サイクリングロードは、その名が示すように自転車の通行を目的にした道路だが、自転車専用道路となっている道は稀で、そのほとんどが歩行者の共用道路だ。要するに通常の道路から自動車を排除しただけで、「自転車の通行できる歩道」に過ぎないのである。東京には、「多摩湖自転車道」という、都道にも指定された有名なサイクリングロードがあるけれど、その道は歩いている人が非常に多い。さらに、他の道路との平面交差部分に車止めが設置されているため、自転車の走行にかなりのストレスを伴う。以前、多摩湖自転車道を通って多摩湖へ行ったことがあるが、スピードを出して快走できる区間はほとんどなかった。多摩湖自転車道を通るくらいなら、近くを通る新青梅街道を走ったほうがいいに決まっている。多摩湖自転車道は、サイクリングロードとは名ばかりの「ただの歩道」になってしまっているいい例なのである。
もちろん、岩手県のサイクリングロードならば、東京よりも歩く人は少なくて自転車で走りやすいかもしれない。だが、自転車専用道路ではない以上、いつ歩行者が入ってくるか分からないわけだから、際限なく飛ばしまくっていいわけではない。こうなると、幅の広い歩道と何も変わらないわけで、サイクリングロードを造る意義はよく分からない。
さらに、サイクリングロードの沿道には何もないという点にも注目したい。自転車を移動手段として利用する場合、スーパーであったり郵便局であったり、駅であったり学校であったりと、何かしらのスポットに行けなければ意味がない。だが、サイクリングロードはあとから造った道路なので、その沿道には役に立つスポットが何も存在しない。例えるなら、低速でしか走れない高速道路のようなものである。これでは、自転車はしょせん遊びで乗る乗り物であり、実際の移動に利用できるのは自動車のみということになってしまう。
そもそも、サイクリングロードの一番の特徴は「自動車通行禁止」という一点のみであり、そんな道路を造っているということ自体、
「通常の道路は自動車の天下である。自転車が堂々と走るべきではない」
といっているような気がするのだ。自転車を移動手段として使うためには、お遊びのためのサイクリングロードなどではなく、通常の道路、もっとハッキリ言えば国道を走らなくては意味がない。「車道を走るのはこわい」などというバカな妄想は捨て、堂々と地方の国道を走ってしまえばよいのだ。そうやって自転車文化を発達させてから、別の楽しみかたもあるヨ、というおふざけでサイクリングロードを造るのが正しい順序のはずである。
しかし、岩手県の道路整備で、変わってるなと思ったことが一つある。それは、「サイクリングロード」が新たに造られているという点だ。
普通、道路整備というのは自動車の通行を目的にして行なわれるものである。歩行者の通行が今までより不便になろうとも、自動車を大量かつスムーズに流せるようにすべし。それは、地方だけでなく東京でもみられる道路整備の絶対的方針である。
しかし、サイクリングロードは直接的には自動車の通行にプラスとならない。それなのにサイクリングロードを造っているのは、環境にやさしい自転車の利用を促進しようという先進的な考えが岩手県にあるからなのだろうか。通常の道路よりも細い道に、工事用のバリケードが張られて物々しく工事を行なっている様子をみて、私はううむ……と考え込んでしまった。
たしかに、自転車の利用促進は良いことである。自転車は平地であれば自動車の半分程度の速度が出せるので、それほど長距離でなければ自動車の代わりになる。自動車をやめて自転車に乗り換える人が増えれば、排気ガスを出す量も減るし、道路の混雑もいくぶん和らぐだろう。
だが、サイクリングロードが自転車の利用促進になるかどうかは疑問の余地がある。サイクリングロードは、その名が示すように自転車の通行を目的にした道路だが、自転車専用道路となっている道は稀で、そのほとんどが歩行者の共用道路だ。要するに通常の道路から自動車を排除しただけで、「自転車の通行できる歩道」に過ぎないのである。東京には、「多摩湖自転車道」という、都道にも指定された有名なサイクリングロードがあるけれど、その道は歩いている人が非常に多い。さらに、他の道路との平面交差部分に車止めが設置されているため、自転車の走行にかなりのストレスを伴う。以前、多摩湖自転車道を通って多摩湖へ行ったことがあるが、スピードを出して快走できる区間はほとんどなかった。多摩湖自転車道を通るくらいなら、近くを通る新青梅街道を走ったほうがいいに決まっている。多摩湖自転車道は、サイクリングロードとは名ばかりの「ただの歩道」になってしまっているいい例なのである。
もちろん、岩手県のサイクリングロードならば、東京よりも歩く人は少なくて自転車で走りやすいかもしれない。だが、自転車専用道路ではない以上、いつ歩行者が入ってくるか分からないわけだから、際限なく飛ばしまくっていいわけではない。こうなると、幅の広い歩道と何も変わらないわけで、サイクリングロードを造る意義はよく分からない。
さらに、サイクリングロードの沿道には何もないという点にも注目したい。自転車を移動手段として利用する場合、スーパーであったり郵便局であったり、駅であったり学校であったりと、何かしらのスポットに行けなければ意味がない。だが、サイクリングロードはあとから造った道路なので、その沿道には役に立つスポットが何も存在しない。例えるなら、低速でしか走れない高速道路のようなものである。これでは、自転車はしょせん遊びで乗る乗り物であり、実際の移動に利用できるのは自動車のみということになってしまう。
そもそも、サイクリングロードの一番の特徴は「自動車通行禁止」という一点のみであり、そんな道路を造っているということ自体、
「通常の道路は自動車の天下である。自転車が堂々と走るべきではない」
といっているような気がするのだ。自転車を移動手段として使うためには、お遊びのためのサイクリングロードなどではなく、通常の道路、もっとハッキリ言えば国道を走らなくては意味がない。「車道を走るのはこわい」などというバカな妄想は捨て、堂々と地方の国道を走ってしまえばよいのだ。そうやって自転車文化を発達させてから、別の楽しみかたもあるヨ、というおふざけでサイクリングロードを造るのが正しい順序のはずである。
自転車旅行で分かる東京と地方
昨日は、サイクリングに行ってきた。のんびり自転車を漕いでみよ~、というのどかなものではない。国道、しかも、郊外の国道を思いっきり走りまくったらどのくらいの距離が稼げて、どの程度疲れるものなのか試してやろう、と考えたのである。最近、本屋で立ち読みした自転車関係の本には、
「自転車がいちばん走りやすいのは東京。大阪や名古屋、その他地方は走りにくいし、自動車と干渉し合う感じで怖い」
てなことが書かれていた。私は日常的に自転車を利用していて、自転車での移動に不都合を感じたことは全くない。しかし、地方の道路を走ってみて「ダメだこりゃ」となるならば、自転車を手放しで褒めるわけにはいかない。逆にいうならば、
東京でできることを、地方で試してやろう! というワケである。
中野区の自宅を出発し、まずは環七に出る。環七を北東方向にまわり、脇道を経由して国道4号線へ。国道4号線は、東京から青森までを結ぶ幹線道路である。出発して1時間も経っていないのだが、草加バイパスと呼ばれるその区間は空が広く、いわゆるローサイドショップが鮮やかな看板をギラギラ光らせ、すでに「田舎の幹線道路」という感じだった。やがて、ジャンクションとなる下間久里交差点につくと、ここで国道4号線は二手に分かれる。一つは、元々の日光街道の筋である国道4号、そしてもう一つは、市街地を大きく迂回する形でのびる「新4号バイパス」である。おそらく、走っていて楽しいのは日光街道の方だろう。沿道の町々を眺めながら北へ向かうのは旅情が感じられるに違いない。しかし、今回は、自転車で通行するにあたって最も厳しい環境へ突っ込まなければならない。私は新4号バイパスの方を選んだ。新4号バイパスに入ると、沿道の建物はめっきりと減り、ただ走るためだけの道路という風景になる。みると、宇都宮ナンバーや福島ナンバーの自動車がよく通っている。長距離移動するなら高速道路に行けよって言いたいが、それよりもどうして新4号バイパスなんて造っちゃったのかを問うべきだろう。新4号バイパスには、川や線路をまたぐための大げさなアップダウンも多く、自転車にはキツイ。自動車で通ること以外は何も考えていないという道路構造である。
新4号バイパスで茨城県まで北上し、国道50号に出る。50号を東へ進み、JR水戸線沿線の結城と下館で休憩したのち、国道294号で南下することにした。国道294号は、関東鉄道常総線の筋に沿う国道である。3ケタ国道とはいえ4車線区間が多く、妙に大型トラックが多い。しかし、さきほどの新4号バイパスのときもそうなのだが、自動車が通っていて怖いとは感じなかった。よく、「自転車で車道を走るのはこわい」という声を耳にするが、それは思い込みである。「車に気をつけろ」と繰り返し連呼されてきたものだから、少しでも自動車と干渉しあってはいけない、という意識が生まれ、自転車利用を避けているに違いないのだ。
しかし、早朝からずっと自転車をこぎ続けていたため(休憩も少しは挟んでいるが)、足が疲れを通り越して重くなってきた。さらに、国道294号は広い田園地帯を貫いており、風景に変化というものがまるでない。走っても走っても何も変わらないという状況はツライものである。30分走っただけで休憩したくなったり、赤信号にぶつかるとホッとしてしまう始末である。
陽が落ちかけた頃、ようやく国道294号をぬけ、取手市内の国道6号(水戸街道)に到達した。下館と取手を結ぶ関東鉄道常総線の、起点から終点までを自転車で走破したわけである。
水戸街道は、JR常磐線に沿う文句なしの幹線道路。疲れはピークに達したはずなのだが、なぜかここからは休憩しようという気にならなかった。国道294号を走っているときは、長くても1時間走ったら「あぁもうダメ」と休憩してしまうのに、水戸街道に入ってからはどこまでも走っていけてしまう。自動車が渋滞して固まっているとき、横からそいつらをゴボウ抜きにするのも実に爽快だ。
新四つ木橋を渡るといよいよ東京都。鉄道で旅行しているときもそうなのだが、東京に戻ってくるととてもホッとした気分になる。小さな店がゴチャゴチャと集まる商店街が賑わっていて、歩いている人の楽しそうな声が聞こえてくる。地方ではそうはいかない。地方は人工物が立派なだけで、人の生活感が薄い。歩いている人もどことなく卑屈そうな表情をしている。それは、東京に程近い埼玉や千葉でもそう。県境を越えて東京都内に入ってくると、人々が東京に殺到するのも無理ないよなぁとつくづく思う。
さらに、東京都内に入ったとたん、水戸街道に入ったとき以上に疲れが吹き飛んでしまった。思えば、2時間くらいまともに休憩もとっていない。理由は全く分からないのだが、地方の道路は疲れるのに対し、東京の道路は疲れない。東京都以外では、自分のほかに走っている自転車をみかけることがほとんどないのに(車道)、東京都内に入ると多くの自転車が行き交っている。県境でその現象はくっきり現れるというのも見事なものである。
地方の国道を自転車で走るのも悪くはない。でも、やっぱり東京はいい。
「自転車がいちばん走りやすいのは東京。大阪や名古屋、その他地方は走りにくいし、自動車と干渉し合う感じで怖い」
てなことが書かれていた。私は日常的に自転車を利用していて、自転車での移動に不都合を感じたことは全くない。しかし、地方の道路を走ってみて「ダメだこりゃ」となるならば、自転車を手放しで褒めるわけにはいかない。逆にいうならば、
東京でできることを、地方で試してやろう! というワケである。
中野区の自宅を出発し、まずは環七に出る。環七を北東方向にまわり、脇道を経由して国道4号線へ。国道4号線は、東京から青森までを結ぶ幹線道路である。出発して1時間も経っていないのだが、草加バイパスと呼ばれるその区間は空が広く、いわゆるローサイドショップが鮮やかな看板をギラギラ光らせ、すでに「田舎の幹線道路」という感じだった。やがて、ジャンクションとなる下間久里交差点につくと、ここで国道4号線は二手に分かれる。一つは、元々の日光街道の筋である国道4号、そしてもう一つは、市街地を大きく迂回する形でのびる「新4号バイパス」である。おそらく、走っていて楽しいのは日光街道の方だろう。沿道の町々を眺めながら北へ向かうのは旅情が感じられるに違いない。しかし、今回は、自転車で通行するにあたって最も厳しい環境へ突っ込まなければならない。私は新4号バイパスの方を選んだ。新4号バイパスに入ると、沿道の建物はめっきりと減り、ただ走るためだけの道路という風景になる。みると、宇都宮ナンバーや福島ナンバーの自動車がよく通っている。長距離移動するなら高速道路に行けよって言いたいが、それよりもどうして新4号バイパスなんて造っちゃったのかを問うべきだろう。新4号バイパスには、川や線路をまたぐための大げさなアップダウンも多く、自転車にはキツイ。自動車で通ること以外は何も考えていないという道路構造である。
新4号バイパスで茨城県まで北上し、国道50号に出る。50号を東へ進み、JR水戸線沿線の結城と下館で休憩したのち、国道294号で南下することにした。国道294号は、関東鉄道常総線の筋に沿う国道である。3ケタ国道とはいえ4車線区間が多く、妙に大型トラックが多い。しかし、さきほどの新4号バイパスのときもそうなのだが、自動車が通っていて怖いとは感じなかった。よく、「自転車で車道を走るのはこわい」という声を耳にするが、それは思い込みである。「車に気をつけろ」と繰り返し連呼されてきたものだから、少しでも自動車と干渉しあってはいけない、という意識が生まれ、自転車利用を避けているに違いないのだ。
しかし、早朝からずっと自転車をこぎ続けていたため(休憩も少しは挟んでいるが)、足が疲れを通り越して重くなってきた。さらに、国道294号は広い田園地帯を貫いており、風景に変化というものがまるでない。走っても走っても何も変わらないという状況はツライものである。30分走っただけで休憩したくなったり、赤信号にぶつかるとホッとしてしまう始末である。
陽が落ちかけた頃、ようやく国道294号をぬけ、取手市内の国道6号(水戸街道)に到達した。下館と取手を結ぶ関東鉄道常総線の、起点から終点までを自転車で走破したわけである。
水戸街道は、JR常磐線に沿う文句なしの幹線道路。疲れはピークに達したはずなのだが、なぜかここからは休憩しようという気にならなかった。国道294号を走っているときは、長くても1時間走ったら「あぁもうダメ」と休憩してしまうのに、水戸街道に入ってからはどこまでも走っていけてしまう。自動車が渋滞して固まっているとき、横からそいつらをゴボウ抜きにするのも実に爽快だ。
新四つ木橋を渡るといよいよ東京都。鉄道で旅行しているときもそうなのだが、東京に戻ってくるととてもホッとした気分になる。小さな店がゴチャゴチャと集まる商店街が賑わっていて、歩いている人の楽しそうな声が聞こえてくる。地方ではそうはいかない。地方は人工物が立派なだけで、人の生活感が薄い。歩いている人もどことなく卑屈そうな表情をしている。それは、東京に程近い埼玉や千葉でもそう。県境を越えて東京都内に入ってくると、人々が東京に殺到するのも無理ないよなぁとつくづく思う。
さらに、東京都内に入ったとたん、水戸街道に入ったとき以上に疲れが吹き飛んでしまった。思えば、2時間くらいまともに休憩もとっていない。理由は全く分からないのだが、地方の道路は疲れるのに対し、東京の道路は疲れない。東京都以外では、自分のほかに走っている自転車をみかけることがほとんどないのに(車道)、東京都内に入ると多くの自転車が行き交っている。県境でその現象はくっきり現れるというのも見事なものである。
地方の国道を自転車で走るのも悪くはない。でも、やっぱり東京はいい。
案内放送は面白い
私は、バスの案内放送が好きである。鉄道と違って不安定な乗り物だけれど、案内放送だけはとてもシステマティックだからだ。旅行中に路線バスを起点から終点まで乗るときには、ICレコーダーで車内放送を録音することにしている。その音声は、夜、布団の中で聴きながら眠りにつく。日常の安心感の中で旅行の興奮を思い出す至福のひとときである。
しかし、そうやってコレクションしていくうちに、段々と自分でも案内放送をつくりたくなってきてしまった。私は自転車にデジカメを取り付け、走りながら動画を撮影する。そんでもって、通った経路の中に勝手に停留所を想定し、家に帰ってから自分の声で案内放送を録音してみた。つまり、実際には停留所など何も設置されていない場所に「若宮小学校前」「みつわ通り分岐」「野方ホープ環七」てな具合に停留所をつくってしまうのである。そして、録音した案内放送の音声と、自転車の車載動画を編集でかぶせる。すると、バス……ではないけれども、新手な乗り物の案内放送つき動画が出来上がって、観ていると結構面白い。今度は、別の経路を走行して、新たな路線を作り上げてやろうかと考えている。
しかし、そうやってコレクションしていくうちに、段々と自分でも案内放送をつくりたくなってきてしまった。私は自転車にデジカメを取り付け、走りながら動画を撮影する。そんでもって、通った経路の中に勝手に停留所を想定し、家に帰ってから自分の声で案内放送を録音してみた。つまり、実際には停留所など何も設置されていない場所に「若宮小学校前」「みつわ通り分岐」「野方ホープ環七」てな具合に停留所をつくってしまうのである。そして、録音した案内放送の音声と、自転車の車載動画を編集でかぶせる。すると、バス……ではないけれども、新手な乗り物の案内放送つき動画が出来上がって、観ていると結構面白い。今度は、別の経路を走行して、新たな路線を作り上げてやろうかと考えている。
夢のはなし
今朝は妙な夢をみた。
誰かに「これは残酷な作品だよ」といってビデオを手渡され、家でそれを観ているのである。夢の中では色々なストーリー展開があったはずなのだが、今憶えているのは、そのビデオの中に出てきた二つのシーンである。
まず一つ目。
そこは、赤茶色の土がどこまでも広がる荒野である。その荒野の中に、木造の古びた小屋がたっている。屋根は一部がはがれ、ドアのノブも外れていて、とても人が住むには用をなすようには見えない。そんな小屋を、10人くらいの兵士たちが取り囲んでいる。そう、今は戦争中なのだ。彼らの顔は日本人とあまり変わりはないが、地面の色、そして彼らが軽々しい態度で銃を持っていることから、外国のようであった。彼らが取り囲む小屋の中には、誰かが隠れているとされていて、その誰かを殺すために彼らは集まってきたのだ。しかし、小屋はすでに生気を失い、人気がない。小屋の中に誰かが隠れているらしいのだが何の確証もなく、誰が見ても無人の小屋にしか映らない。
彼らは顔色一つ変えずに作業を開始する。白っぽい服をまとった者が皆とは遅れてやってきて、消火器のようなビンを小屋の中に投げ入れる。すると、砂ボコリの混じった白い煙があがり、それを合図に周りの兵士たちがいっせいに射撃を開始した。辛うじて上に乗っかっていた屋根が崩れ、それに乗じるように壁が剥がれ落ち、小屋は無抵抗のまま崩壊していく。聞こえてくるのは銃声と、小屋が崩れていく音のみ。誰かが声をあげることもなく、小屋は完全に瓦礫の山となった。兵士たちが標的としていた相手の姿はない。声をあげるヒマもなく命を奪われたのか、それとも最初から誰も隠れていなかったのか、それは分からぬまますべては終わった。誰かが誰かを殺したのか、それとも殺していないのか。そんなこと、彼ら兵士たちにとってはどうでもいいことのようだった。
そして、もう一つのシーン。
そこも、一つ目のシーンと同じく赤土の大地での出来事であった。ひとりの女の子が、枯れた地面の上に立っている。歳は10代半ばくらいだろうか。荷物は何も持っていないが、それほど汚い格好ではなかった。その女の子を、数人の兵士たちが取り囲んでいる。これから、その女の子の処刑が行なわれるのである。兵士たちはピストルの銃口を、その子の顔に近づけている。ある者は頬に、またある者はその反対側の頬に――頭のてっぺんから真下に銃口を向けている者もあった。そして奇怪なのは、そのうちのひとりが、女の子の口にピストルの銃口を押し付けていることであった。それは、ただ殺すことを目的にしているのではなく、何かの儀式のようにもみえた。兵士たちはみな真剣な眼差しで、けれども穏やかな表情でピストルを構え続けている。その顔には恨みや憎しみの色はない。ただ自らの任務をこなさなければならない、そんな様子であった。さらに女の子のほうも、自分の運命を受け入れているかのように静かだった。この場から走って逃げても、すぐに狙い撃ちされるだけだからと諦めているのかもしれないが、それにしても冷静すぎて不気味である。また、その映像は女の子が立っている間近で撮影されているというのも、緊迫しているというよりもむしろ悲しかった。
じっと的をみつめながらピストルを構える兵士たち、その兵士たちに狙われながらも、まっすぐ前を見詰め続ける女の子――その静止画像がついに動き出した。女の子が、カメラに向かって笑顔をみせたのである。味方が助けに来てくれたのではない。兵士たちは依然としてピストルを構え、引き金を引くタイミングを見計らっている。おそらく、「そろそろ時間だよ…」と、誰かがそっと最後のときを告げたのだろう。その子はそれを聞いて、せめて最後に笑って死のうと考えた。私にはそのようにみえた。その子の表情は純粋で、とてもかわいかった。
写真を撮られるときにみせるときのような笑顔は、数秒続いたのちに崩れ落ちた。女の子は、針の山の頂に立たされて戸惑っているかのような不安な表情になってオロオロし始め……
ダーン!
銃口が火を吹き、その瞬間に映像はプツリと切れた。数秒だけその子が見せた笑顔が余韻として残った。私はしめつけられるような気持ちのまま、何も映っていない画面をじーっと眺めていた――。
二つのシーンは、いつの時代かはハッキリしなくとも、地球上のどこかで起きていそうな出来事である。だが、そのようなビデオを実際に観たことはない。何故、いきなりドキュメント番組のようなビデオが夢の中に登場したのか、朝起きてからぽけ~っとしながら考えつづけていた。
誰かに「これは残酷な作品だよ」といってビデオを手渡され、家でそれを観ているのである。夢の中では色々なストーリー展開があったはずなのだが、今憶えているのは、そのビデオの中に出てきた二つのシーンである。
まず一つ目。
そこは、赤茶色の土がどこまでも広がる荒野である。その荒野の中に、木造の古びた小屋がたっている。屋根は一部がはがれ、ドアのノブも外れていて、とても人が住むには用をなすようには見えない。そんな小屋を、10人くらいの兵士たちが取り囲んでいる。そう、今は戦争中なのだ。彼らの顔は日本人とあまり変わりはないが、地面の色、そして彼らが軽々しい態度で銃を持っていることから、外国のようであった。彼らが取り囲む小屋の中には、誰かが隠れているとされていて、その誰かを殺すために彼らは集まってきたのだ。しかし、小屋はすでに生気を失い、人気がない。小屋の中に誰かが隠れているらしいのだが何の確証もなく、誰が見ても無人の小屋にしか映らない。
彼らは顔色一つ変えずに作業を開始する。白っぽい服をまとった者が皆とは遅れてやってきて、消火器のようなビンを小屋の中に投げ入れる。すると、砂ボコリの混じった白い煙があがり、それを合図に周りの兵士たちがいっせいに射撃を開始した。辛うじて上に乗っかっていた屋根が崩れ、それに乗じるように壁が剥がれ落ち、小屋は無抵抗のまま崩壊していく。聞こえてくるのは銃声と、小屋が崩れていく音のみ。誰かが声をあげることもなく、小屋は完全に瓦礫の山となった。兵士たちが標的としていた相手の姿はない。声をあげるヒマもなく命を奪われたのか、それとも最初から誰も隠れていなかったのか、それは分からぬまますべては終わった。誰かが誰かを殺したのか、それとも殺していないのか。そんなこと、彼ら兵士たちにとってはどうでもいいことのようだった。
そして、もう一つのシーン。
そこも、一つ目のシーンと同じく赤土の大地での出来事であった。ひとりの女の子が、枯れた地面の上に立っている。歳は10代半ばくらいだろうか。荷物は何も持っていないが、それほど汚い格好ではなかった。その女の子を、数人の兵士たちが取り囲んでいる。これから、その女の子の処刑が行なわれるのである。兵士たちはピストルの銃口を、その子の顔に近づけている。ある者は頬に、またある者はその反対側の頬に――頭のてっぺんから真下に銃口を向けている者もあった。そして奇怪なのは、そのうちのひとりが、女の子の口にピストルの銃口を押し付けていることであった。それは、ただ殺すことを目的にしているのではなく、何かの儀式のようにもみえた。兵士たちはみな真剣な眼差しで、けれども穏やかな表情でピストルを構え続けている。その顔には恨みや憎しみの色はない。ただ自らの任務をこなさなければならない、そんな様子であった。さらに女の子のほうも、自分の運命を受け入れているかのように静かだった。この場から走って逃げても、すぐに狙い撃ちされるだけだからと諦めているのかもしれないが、それにしても冷静すぎて不気味である。また、その映像は女の子が立っている間近で撮影されているというのも、緊迫しているというよりもむしろ悲しかった。
じっと的をみつめながらピストルを構える兵士たち、その兵士たちに狙われながらも、まっすぐ前を見詰め続ける女の子――その静止画像がついに動き出した。女の子が、カメラに向かって笑顔をみせたのである。味方が助けに来てくれたのではない。兵士たちは依然としてピストルを構え、引き金を引くタイミングを見計らっている。おそらく、「そろそろ時間だよ…」と、誰かがそっと最後のときを告げたのだろう。その子はそれを聞いて、せめて最後に笑って死のうと考えた。私にはそのようにみえた。その子の表情は純粋で、とてもかわいかった。
写真を撮られるときにみせるときのような笑顔は、数秒続いたのちに崩れ落ちた。女の子は、針の山の頂に立たされて戸惑っているかのような不安な表情になってオロオロし始め……
ダーン!
銃口が火を吹き、その瞬間に映像はプツリと切れた。数秒だけその子が見せた笑顔が余韻として残った。私はしめつけられるような気持ちのまま、何も映っていない画面をじーっと眺めていた――。
二つのシーンは、いつの時代かはハッキリしなくとも、地球上のどこかで起きていそうな出来事である。だが、そのようなビデオを実際に観たことはない。何故、いきなりドキュメント番組のようなビデオが夢の中に登場したのか、朝起きてからぽけ~っとしながら考えつづけていた。
挨拶反対!
地方へ旅行に出かけたとき戸惑うのは、知らない人からいきなり挨拶されることである。ただすれ違っただけなのに、向こうはさも当たり前といった顔で「おはようございます」と挨拶してくる。そうやって挨拶されると、自分が相手を無視しようとしたと思われたような気がして居心地が悪い。見ず知らずの人を無視するのは当然だろ! というのは都会の常識。田舎では通用しないのである。
たとえば、岩手県の川井村なんてのは挨拶に遭う確率がけっこう高い。山奥の小集落を歩いていれば地元住民に挨拶されてしまうのは仕方ないともいえるが、村の中心にある駅(陸中川井駅)にいただけで、小学生に「こんにちは!!」と威勢良く頭を下げられたときはさすがにビビッた。あわてて「あっこんにちは……」と弱々しく返したが、この一連のやり取りによって、自分が情けない人のように思えてくるのである。川井村は、村じゅうのいたるところに「あいさつ村」という立て札を立て、「あいさつをしましょう!」と呼びかけている。その教育が見事に功を奏している。
しかし、知らない人にまで無差別に挨拶することが本当に良いことだろうか。後世に残すべき日本の習慣といえるだろうか?
もちろん、東京では知らない人に挨拶をすることはまずない。それは田舎と違って人口が多いので、知らない人にまで挨拶していたらそれだけで日が暮れちゃうからである。なら、人口が少ない町や村ならば挨拶するべきなのだろうかというと、私はそうは思わない。
それは、ただその場所を歩いているだけなのに、「挨拶をする」という大義名分のもとに知らない人から声をかけられるというのは暴力的だからである。ハッキリ言って私は、旅先で挨拶されていい気分にはならない。せっかく日常から離れて、自然豊かな場所へやってきたというのに、知らない人に声をかけられ、挨拶し合うという一時的な人間関係を強制的に結ばされるからである。
要するに、知らない人にも挨拶をするような田舎では、誰かが孤独であることを認めようとしないのである。孤立している人がいるとすぐに声をかけ、「みんな」の仲間に入れようとする。その誘いを拒否すれば、皆の調和を乱す曲者と見なされ、場合によっては危険人物として排除される。挨拶には「私たちの仲間だよね?」という意思確認が含まれていて、それを行なうことで相手を縛り付けるのである。田舎では、なぜそうやって相手を縛らなければ気が済まないのだろうか? 東京の人のように、「色んな人がいて当たり前」という意識でいるほうが、ずっと大らかだし、優しいし、暖かいではないか。挨拶をしないというのは、相手の存在を否定するということではない。相手の独立性を認め、無言のうちに相手を尊重するということなのである。それができない人ばかり集まっている田舎は、若者が逃げていって当然だし、これからますます寂れていくことだろう。
というわけで結論。
挨拶は知っている人のみにするべし。知らない人は無視するべし。それが、本当の意味で相手を尊重するということである。
たとえば、岩手県の川井村なんてのは挨拶に遭う確率がけっこう高い。山奥の小集落を歩いていれば地元住民に挨拶されてしまうのは仕方ないともいえるが、村の中心にある駅(陸中川井駅)にいただけで、小学生に「こんにちは!!」と威勢良く頭を下げられたときはさすがにビビッた。あわてて「あっこんにちは……」と弱々しく返したが、この一連のやり取りによって、自分が情けない人のように思えてくるのである。川井村は、村じゅうのいたるところに「あいさつ村」という立て札を立て、「あいさつをしましょう!」と呼びかけている。その教育が見事に功を奏している。
しかし、知らない人にまで無差別に挨拶することが本当に良いことだろうか。後世に残すべき日本の習慣といえるだろうか?
もちろん、東京では知らない人に挨拶をすることはまずない。それは田舎と違って人口が多いので、知らない人にまで挨拶していたらそれだけで日が暮れちゃうからである。なら、人口が少ない町や村ならば挨拶するべきなのだろうかというと、私はそうは思わない。
それは、ただその場所を歩いているだけなのに、「挨拶をする」という大義名分のもとに知らない人から声をかけられるというのは暴力的だからである。ハッキリ言って私は、旅先で挨拶されていい気分にはならない。せっかく日常から離れて、自然豊かな場所へやってきたというのに、知らない人に声をかけられ、挨拶し合うという一時的な人間関係を強制的に結ばされるからである。
要するに、知らない人にも挨拶をするような田舎では、誰かが孤独であることを認めようとしないのである。孤立している人がいるとすぐに声をかけ、「みんな」の仲間に入れようとする。その誘いを拒否すれば、皆の調和を乱す曲者と見なされ、場合によっては危険人物として排除される。挨拶には「私たちの仲間だよね?」という意思確認が含まれていて、それを行なうことで相手を縛り付けるのである。田舎では、なぜそうやって相手を縛らなければ気が済まないのだろうか? 東京の人のように、「色んな人がいて当たり前」という意識でいるほうが、ずっと大らかだし、優しいし、暖かいではないか。挨拶をしないというのは、相手の存在を否定するということではない。相手の独立性を認め、無言のうちに相手を尊重するということなのである。それができない人ばかり集まっている田舎は、若者が逃げていって当然だし、これからますます寂れていくことだろう。
というわけで結論。
挨拶は知っている人のみにするべし。知らない人は無視するべし。それが、本当の意味で相手を尊重するということである。