船橋SE夢追人のブログ

船橋SE夢追人のブログ

 私は長野県で生まれ、3歳から結婚当初まで東京下町に住み、子供の成長に合わせ、千葉県船橋市に移住し25年経ちました。

Amebaでブログを始めよう!

 

 

システム関連の会社のコマーシャルが、増えています

しかし、聞いていて内容が、わからない場合が多いです

IT的に、言葉を作っていますが、基本は、どうなんでしょうか?

コンピュータの基本的な構造や、考え方は、昔から変わっていないと、私は、思っています

どうでしょうか?

MACも、最近は、インテルのCPUを使っていました

また、変わってきているようですが...

人間と同じように考えるような、コンピュータシステムはできないのでしょうか?

それでも、人間の簡単な作業を代行するシステムは増えていくのではないでしょうか?

しかし、特にIT関連の実務は、日本は遅れていると言われています

 

今後、人間の生活の良くなる方向に、変わっていくのでしょうか?

 

1月12日に、初詣の後に看板があった上記の記念館に行きました
ちょっと歩きましたが、綺麗な風景画を見ることが出来ました
ドイツ留学時の風景画が良かったです

市川市東山魁夷記念館は、20世紀の日本を代表する日本画家である東山魁夷が生涯の大半を過ごしたゆかりの地である市川市に、2005年11月に開館しました。
戦後まもない1945年(昭和20年)から1999年(平成11年)逝去するまでの50余年間市川に在住し、その輝かしい画業は市川の誇りでした。
画伯と呼ばれてもなお、つねに自分をみつめ、修行僧のように画業を積み重ねていったその生き方は、描いた静謐な絵の中に投影されています。
歩んできた人生、その人となりが東山魁夷の世界を形成しているといえるでしょう。
市川市東山魁夷記念館は、「人間・東山魁夷」をコンセプトに、人生と作品をはじめとする資料を展示公開し、偉大な業績を顕彰し、情報を発信していきます。
(ホームページより)




ナ イ ト ビ ジ ョ ン カ メ ラ



Android端末を“暗視カメラ”にしてしまう凄いアプリです

意外なことに、スマホのカメラは赤外線を認識します

「ナイトビジョンカメラ」はその赤外線を認識する機能を利用した暗視撮影カメラです

下記は、そのカメラで撮った津田沼の夜景です



/>

さらに、最寄の駅から見た夜景です



くれぐれも、悪用しないようにとのことです
1月12日に初詣に行きました

市川市にある法華経寺というところです
存在しているのは、知っていましたが、行ったのは初めてです
思った以上に広い境内でした



以下が、ホームページよりの説明です

正中山法華経寺は、祖師日蓮の足跡がみとめられる日蓮宗の霊跡寺院・大本山です。 中世、この地は八幡荘谷中郷と呼ばれ、下総国守護千葉氏の被官である富木常忍と太田乗明が館 を構えていました。彼らは曽谷郷の曽谷氏とともに、日蓮に帰依してその有力な檀越となりました。時に鎌倉時代 の中期、建長年間(1249~55)頃のことです。 彼らの館には持仏堂が建立され、のちにそれが寺院となったのが法華経寺の濫○です。若宮の富木 氏の館は法華寺、中山の太田氏の館は本妙寺となり、当初は両寺が並びたって一寺を構成していました。この両 寺が合体して法華経寺を名乗るのは、戦国時代の天文十四年(1545)以後のこと です。 富木常念は出家して日常と名乗り、法華経寺の初代貫首となり、二代目は太田乗明の子日高が継ぎました。そ して千葉胤貞の猶子である日祐が第三代貫首となった鎌倉末期から南北朝期ごろ、 法華経寺は隆盛の時代を迎えます。千葉胤貞は当時、守護ではありませんでしたが、千葉氏の有力 な一派として威をはり、下総・肥前などの土地を寄進して、日祐の後押しをしています。日祐は 胤貞の亡父宗胤の遺骨を安置し、名実ともに法華経寺を胤貞流千葉氏の氏寺とし、その後の法華経 寺の基礎をつくりました。そのご、室町時代をへて江戸時代に至ると、ひろく庶民にまで信仰され る寺院となります。
法華経寺には、祖師日蓮の書いた「立正安国論」「観心本尊妙」の国宝や重要文化財をはじめと して多数の聖教(仏典)が保存されています。これは千葉氏のもとで分筆官僚の任にあたっていた 日常が熱心に整理保存に意をそそいで依頼、寺内の宝蔵や坊で厳重に保存されてきた結果です。 現在は境内の奥の堅牢な聖教殿で保存されており、その伝統はいまも確かに受け継がれています。 また、日蓮自筆の聖教の裏からは、鎌倉時代の古文書は発見されました。これは紙背文書と言い ます。これは富木常忍が提供した千葉氏関係の事務書類を、裏返して著者の料紙として日蓮が使用 した結果、偶然にのこされたもので、歴史に残りにくい人身売買や借金の実態など、当時の東国 社会の生々しい現実を知る貴重な資料となっています。



$船橋SE夢追人のブログ

8月18日の京都旅行の最後に、時間があったので、
東本願寺から東寺まで歩きました。
暑かったです。

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある仏教寺院。
真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の総本山でもある。
「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる。

東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、
嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、
真言密教の根本道場として栄えた。

中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに
「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、
21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。

昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、
平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。

五重塔(国宝)は、高さ57メートルの日本最高の塔で、寛永20年(1643年)に、
徳川家光が再建奉納したもの。

講堂(重要文化財)にあるわが国現存最古の密教彫刻の一群や金堂(国宝)、
大師堂(国宝)、蓮花門(国宝)など見所も多い。
$船橋SE夢追人のブログ

上記のテーマについて

「親鸞聖人七百五十回御遠忌」のテーマのようです。
色々、調べて見ましたが、意味ははっきりわかりません。
なかなか、深く難しいようです。
その中で、比較的に分かりやすかったのが、下記です。

--------------------------------------------------------

「今、いのちがあなたを生きている」
私の中の“いのち”は、私のものでもあり、みんなのものでもある。
自分ひとりの所有物ではない。

 生きとし生けるものすべてが持つ同質の“いのち”が、
  過去から連綿と伝わってきた“いのち”が、
   今あなたの中を生きている。

「~西蓮寺掲示板のことば~」の一説です。

--------------------------------------------------------

真城義麿(大谷中・高等学校長)氏の話です

 私たちは日常的に「私のいのち」と、思い語っていますが、
はたして「私のいのち」ということがあり得るのでしょうか。
「私は生まれたくて生まれてきたのではない」といいますが、
「私は」ということでは、その通りです。
生まれてきたのは、いわばいのちそのものであって、
そのいのちの上に少しずつ私(自我)が確かなものになっていくのでしょう。
ところがいつのまにか「私のいのち」との錯覚をもつようになってしまいます。
 
 近代西洋では「われ思うゆえにわれあり」と、
人間の頭脳・知性理性のはたらきを先に考えますが、
まずいのちある者としてこの私が今ここに存在しているということが
不思議のはたらきで成立していて、
その上でその私が考えることができるのでしょう。
「いのち」は生まれたくて生まれ、生きたいと生きているに違いありません。
ですから、生まれたもので生きたくないものは一つもない、
つまり生きたいものだけが生まれてきていると思います。
この私は、いのちに選ばれて人間として生まれ、今、
いのちをお預かりして生きているのでしょう。
そして同じ生きるのなら、人間として私として、
あらゆるいのちとともに活き活きと生きたいと、
殺したくも殺されたくもないと願っているのでしょう。
しかし、そのいのちを預かる「私」は、
生まれて生きる意義や方向を見失ってしまっているようです。

 「いのち」とは、生きようとする願いやはたらきや力ですから、
あらゆる「いのち」は、
つながりながら活き活きと響き合い生かし合う世界(浄土)へと向かっています。
その点で、「いのち」は「仏性(真実のあり方を求める潜在力)」であり、
それを備えて生きる私たちは、私が私として生きることを私事にはできません。
いのちを含めた私の私有化は許されません。
いわばパブリックな私を生きている人間として、
私を生きる責任があるのです。

 その私が現に生きているという「今」を自覚したとき、
いのちは私の人生を通してどうなり、どうありたいのかという、
いのちから私への呼びかけが聞こえてくるでしょう。



 私は、仕事でWINDOWS8の64ビット版を使っています。
ソフト開発のチェックや資料のまとめ的な事も業務にしています。
ソフト開発のチェックという意味で、64ビット版を使っています。
業務では、EXCEL2013を結構使っています。
環境的にも、開発系やDBのソフトとかもインストールして来ました。

数ヵ月後、EXCELやWORDやインターネットエクスプローラ等が
突然、エラーで終了し、OSが再起動されるようになりました。
ネットを見ると、同一のエラー情報も載っていました。
WINDOWS7にダウングレードしようかと思っていました。
そのときに、WINDOWS8.1のプレビューが出ました。

上記の状況だったので、これを使って見ることにしました。
しばらく使っていますが、OFFICEソフトの異常終了は、
確実に減ったと感じられます。
そういう意味では良かったのでは無いでしょうか。

但し、WINDOWS8.1になっても基本的に業務で使うOSとは
思えません。
タッチパネルつきのパソコンで、個人が使うのは先進的で面白いかも
知れませんが......。


  
  2013年8月17日から18日まで、法事で大阪に行ってきました
  法事は、17日で終了し、18日は京都を見物しました
  時間が、11時から15時位までと限られているので
  あまり、見れませんでしたが.......

  実に、2005年5月以来久しぶりです
  とはいえ、8月の京都は暑いです
  特に今年は、全国的に暑いです

  今年は、まず、清水寺に行きました

$船橋SE夢追人のブログ

   下記は、よく見る清水の舞台です

$船橋SE夢追人のブログ

  暑いのに、結構、人が多かったです
  アジアも含めて、外国人も多かったです


  
  暑くて、バスで駅に戻る途中に東本願寺に寄りました

$船橋SE夢追人のブログ

  東本願寺は、まだ修復中でした
  ここは、人が少なく、本堂の広間でのんびり出来ます
  結構、涼しいです


  東本願寺を出たところで、下記の看板?を見ました
  意味が分かりませんでした

$船橋SE夢追人のブログ

  続きは、また書きます
  

前に務めていた会社で同僚4人で歴史小説の回し読みを始めました
1990年代の頃です
日本の歴史小説から始まりました
自分で買うより多くの本が読めるので良かったです
司馬遼太郎等色々読みました

ある程度読んでいくと日本の歴史小説のメインが終わり、
ちょっと飽きが来ました
そして誰かが中国の小説を持ってきました
それがきっかけで、中国の歴史小説も読むようになりました
そのなかの小説家の一人が、宮城谷昌光さんでした
「重耳」等を読みました
下記がインターネットよりの説明です
-----------------------------------------
晋の公子・重耳は父に殺されそうになり祖国を脱出。
長い流浪の末に帰還して君主となる。
春秋五覇の筆頭に数えられる名君、晋の文公の物語
-----------------------------------------

その他『封神演義』(ほうしんえんぎ)も読みました
『封神演義』は最近漫画にもなりました
下記がインターネットよりの説明です
-----------------------------------------
史実の商周易姓革命を背景に、仙人や道士、妖怪が
人界と仙界を二分して大戦争を繰り広げるスケールの
大きい作品である
------------------------------------------

本の詳細な内容は忘れたものもあります
回し読みなので、自分の手元に本がなく購入しないと
再読が出来ないものが多いですが..........
懐かしいです



今回、私は錦糸町駅から押上駅前を通り、浅草までのスカイツリーを巡る散歩をしました

まず、錦糸町駅北口を出て、錦糸公園に向かいました
ここは、まだ墨田区に住んでいた小中学生の頃に
学校行事でも使われた公園です
公園から見たスカイツリーです
$船橋SE夢追人のブログ-sky35

次に京成押上駅前に行きました
昔は、京成押上駅は地上にあり、京成押上線の終点でした
昔、本所に住んでいた叔母さんの家に行くときに、使っていた駅です
そこからのスカイツリーです
下記が京成押上駅の歴史についてのインターネットよりの説明です
-----------------------------------------------------
京成電気軌道の創始期には、繁華街浅草に近い東京側のターミナル駅としての位置付けだった。
当初は東京市電(後の都電)との接続駅で当駅からの乗り入れも想定していたため、京成電軌の当初の軌間は1,372mmで敷設された。
後には押上より浅草への路線建設を出願し、さらに上野・秋葉原まで高架線を建設する構想も立てられた。
しかし、浅草乗り入れ計画は頓挫、町屋経由での上野乗り入れ後は、長らく中途半端な都心側盲腸線の存在となっていた。
1960年(昭和35年)に都営地下鉄との相互直通運転開始により、直接浅草・都心方面への乗り入れの接続駅となる。
その後も地上駅舎は使用されたが、後に完全地下化され、地上駅跡地には上野にあった京成電鉄本社が移転して現在に至る。
$船橋SE夢追人のブログ-sky34

次に左に曲がり浅草通りを歩きますと春慶寺があります
外観はビルですが、お寺です
ここに四世鶴屋南北の墓があります
これが墓です
$船橋SE夢追人のブログ-sky30
<四世鶴屋南北についてインターネットよりの説明>
----------------------------------------------------------
三代目の女婿、1755–1829。
通称:大南北。
通常ただ「鶴屋南北」または「南北」というと、この四代目のことをさす。
櫻田兵蔵 → 澤兵蔵 →(初代)勝俵蔵 → 四代目鶴屋南北


次は、いよいよスカイツリーの工事現場です
浅草通りの裏の北十間川に沿ってあります
$船橋SE夢追人のブログ-sky27
$船橋SE夢追人のブログ-sky24
$船橋SE夢追人のブログ-sky22
$船橋SE夢追人のブログ-sky20

工事現場に沿って浅草方面に行くと北十間川に架かる東武橋があります
東武橋から見たスカイツリーです
$船橋SE夢追人のブログ-sky18

東武橋を渡ると東武線の業平橋駅があります
この駅がスカイツリーの最寄駅だと思います
この駅から東武線に乗って浅草に向かいます
駅から見たスカイツリーです
$船橋SE夢追人のブログ-sky14
$船橋SE夢追人のブログ-sky13

電車に乗って隅田川を渡り、浅草駅に着きます
この駅は浅草松屋デパートになっています
子供の頃は、このデパートに、よく来ました
その頃の交通手段はバスです
駅からのスカイツリーです
$船橋SE夢追人のブログ-sky11

その浅草駅から浅草寺に行きます
初参りには、良く来ます
今年は、初めてです
浅草寺と、そこから見たスカイツリーです
$船橋SE夢追人のブログ-sky9
$船橋SE夢追人のブログ-sky5
$船橋SE夢追人のブログ-sky3


浅草寺の御参りする御堂の横に阿弥陀如来があります
そのインターネットよりの説明が下記です
------------------------------------------
元禄6年(1693)4月造立。唐銅製。高さ1.8m
当初は阿弥陀三尊であったが今は中尊のみ現存。
もと本堂裏築山にあったものを、平成6年(1994)の境内整備にともない現在地に移す。
阿弥陀如来とは、無量光如来とも呼ばれ、西方極楽浄土に住まい、慈悲の光で世界をあまねく照らし、我々をお救いくださる仏さまである。
$船橋SE夢追人のブログ-sky4


続きは、また書きます