それではどうぞ。
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このメルマガは闘犬センターが誕生して
から解散までの約25年間を振り返って、
高知の田舎のクラブチームがどうやって
日本一になり、その後なぜ日本一であり
続けられたかをご紹介してきました。
それも今回で終了となります。
拙い文章でお見苦しいところもあると
思いますが、よろしくお願いします。
■平成15年(その後)
■編集後記
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■平成15年(その後)
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平成14年をもって25年間の活動は
終了しました。
最後の1年は名称こそ「オール高知」で
はありましたが、中身は間違いなく「闘
犬センター」でした。
よくやってきたと思います。
まさか四半世紀も、続けてこられるとは
誰も思わなかったでしょう。
悪名高いチームも勝ち続けることで、評
価も少しずつ変わってもきました。
25年間にはたくさんの方と戦い、お世
話になり、応援もしていただきました。
解散時にはお礼もお詫びもできませんで
したので、今更ではありますが言わさせ
ていただきます。
本当にありがとうございました。
それでは闘犬センターの最後をご紹介し
ますね。
平成14年シ-ズン終了後、選手たちは
それぞれの身の振り方を探すことになり
ました。
青森に新しいチームが出来るので行くと
いうような話もありましたが、実現せず
県内に残るもの、県外のチームへ移籍し
てソフトボールを続ける者とに別れるこ
とになってしまいました。
闘犬センターでソフトボールをしていた
者を受け入れてくれるチームがあること
にも驚きましたが、県外に出てでもソフ
トボールを続ける選手がこれだけいると
いうことにも驚きました。
そしてそれぞれの身の振り方が決まった
平成15年4月21日付けの高知新聞に
「オール高知リーグ撤退」
という記事が大きく掲載されました。
「主力選手も県外へ流出」
「国体終わり資金不足」
の見出しでした。
「ソフトボール男子のオール高知が今季
の日本リーグ出場を取りやめることが
明らかになった。」
「チームが20日までに文章で日本ソフ
トボール協会に「休部届」を出した。」
「高知は昨シーズン、初の14戦全勝で
14度目の優勝を果たした日本のトッ
プチーム。」
「高知国体が終わり、遠征費用が捻出で
きなくなったのに加え、複数の主力選
手がチームを離れたことで戦力ダウン。
出場を断念した。」
「前身の闘犬センター時代の1984年
にリーグ初参加でいきなり優勝。その
後、選手の二重登録問題で1年間の公
式試合出場停止処分を受けた89年を
除く19年間で7連勝を含む14度優
勝のほか、総合選手権など国体を除く
全国制覇33度。」
「2000年の世界選手権にはナショナ
ルチームに9選手を送り出し、過去最
高の銀メダル獲得に貢献するなど日本
男子ソフトの中核チーム。」
「昨年、県ソフトボール協会の日ソ協除
名処分で、高知ソフトボール連盟に登
録変更。高知国体代表チーム指定を受
けて強化費でリーグ遠征を賄っていた
が、国体が終わり費用の捻出が難しく
なった。」
「加えて、監督兼任のエース西村信紀や
西田繁幸、山崎泰稔ら世界選手権出場
メンバーをはじめ、首位打者の植野将
史ら主力が、競技が続けられる環境を
求めて県外チームに移籍。一時は存続
そのものも危ぶまれていた。」
「ジュニアのあこがれで、ソフト王国高
知の象徴チームをつぶすわけにはいか
ないと、県内中高の指導者らが募金活
動などの支援に乗り出し、新メンバー
を加えて出場の方向で進んでいたが、
年間600万円といわれる遠征費が集
めきれなかった。」
「日ソ協に「休部届」を出したが、一ク
ラブとして県内の活動は続ける方針。」
そして12月3日の高知新聞には、
「オール高知に後援会」
「新チーム名称も募集」
という記事が掲載されました。
後援会組織を作って会費をチームの活動
費に充てる。
さらに広く県民に愛されるチームになる
よう、新しい名前を募集するとしました。
このチームが、
「高知パシフィックウェーブ」
になるわけです。
チーム関係者が闘犬センターというイメ
ージからの脱却を宣言し、行動した結果
だと思います。
ただチームの主力選手は闘犬センター組
でしたので、しばらく元闘犬センターと
いうイマージは続いていました。
それを嫌った関係者からは
「我々は闘犬センターの後継チームでは
ない。」
と公の場で発言されていました。
しかし日本リーグの登録は元々闘犬セン
ターであり、その名前を「オール高知」
に変更し、一旦休部して「高知パシフィ
ックウェーブ」として復帰したという事
実がありました。
登録料は闘犬センターが出したものであ
り、後継チームではない、関係ないと言
うのであれば、そこからやり直せと元闘
犬センターのOBから声が上がっていたの
も事実でした。
私もそっちが関係ないと言うのであれば、
こちらも「闘犬センターは消滅し、活動
を終了した。」という宣言とこれまでの
応援に対する感謝の気持を、高知新聞読
者の広場に投稿させてもらいました。
これで完全に闘犬センターの活動は終了
しました。
闘犬センター全盛期は1年間の遠征は6、
7回だったでしょうか。
それに時々海外にも行かせてもらいまし
た。
全日本に選出されての海外遠征の時の自
己負担も出したことがありません。
道具は全てプロ使用のオーダーです。
遠征に着ていくジャージもタダ。
飲食代はもちろん、タバコ、お酒、ジュ
ース、おつまみにいたるまで買ってくれ
ました。
最後の方は会社が多額の負債を抱えて大
変になってから、国体の強化費に頼る部
分が大きくはなりましたが、最初の頃は
国体も自腹で行っていました。
だから口出しするなって言っていたんで
すけどね(笑)
いったい全部でいくら使ったんでしょう
ね。
2億円くらいは使ったのではないかと、
私は思っています。
さんざん文句を言ってきましたが、これ
に関してはオーナー弘瀬勝氏にお礼を言
わなければいけません。
本当にありがとうございました。
感謝しています。
ただ、私たちはあなたのわがままを聞い
てきましたし、ちゃんと結果を残してお
返しはしましたからね(笑)
この続きは私があの世に行った時に、あ
らためてやりましょう。
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■編集後記
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最後までお読みいただいてありがとうご
ざいました。
これで闘犬センターの25年間を振り返
ってきた、拙いメールマガジンを終了し
ます。
ある方から、
「もう二度とあんなチームは出ないと思
います。」
というお言葉もいただきました。
ただ、高知の田舎のクラブチームでも、
やり方次第で、そしてやり続けていれば
「日本一」になることが出来るという見
本にはなれるということです。
誰にでもできるということではないです
が、誰にでもチャンスはあるということ
だと思います。
参考にはならない昔の話だったかもしれ
ませんが、勇気を持ってもらった方がい
たとすれば、書かせていただいた私とし
ては、本当に幸せです。
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終わりました。
もう闘犬センターというチーム名を知っ
ている子どもはいません。
とっくに世間から消えてしまっていたも
のを、何か形にして残しておきたいと始
めたメールマガジンでしたし、ブログで
した。
始めた当初には「何が闘犬じゃ!」と言
う、お叱りのコメントもいただきました。
強気を全面に出して戦ってきた私も、ユ
ニフォームを脱げばただの小心者です。
それ以降は、申し訳のないですがコメン
トを拒否して、書き続けてきました。
忘れていた悔しい記憶が蘇って、また腹
わたが煮えくり返った方もいらっしゃっ
たかもしれませんね。
申し訳ありませんでした。
本当にこれでおしまいです。
長い間読んでいただいて、ありがとうご
ざいました。
