どんな1年だったのでしょうか。
それではどうぞ。
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第53号のメニューはこちらです。
■平成9年
■編集後記
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■平成9年
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平成9年になりました。
1月24日付け高知新聞朝刊に、
「高新スポーツ賞の顔」が掲載され、
『国体秋季大会成年男子1部優勝』
が評価され受賞した「県選抜チーム」
が紹介されています。
苦戦続きの戦いの様子の紹介とともに、
これまで「闘犬センター」が積み重ね
てきた経験から、
「決勝までいったら、負けたことがな
い。」
という自信がやり遂げさせた国体2連
覇だったようです。
記事には
「練習環境、選手補強など、どれを取
っても有利な実業団チームと、丁々発
止、互角以上の戦いを続けてきた。」
「ソフトボールをこよなく愛する気概
だけはどこにも負けない。」
「ソフトと言えば高知というイメージ
を完全に作り切り上げてきたチームは、
「賢いソフト」「パワーのあるソフト」
を志し、その根底には「負けないソフト
をしたい。」という思いが脈々と流れて
いる。」
と紹介されています。
続いて県体協賞が発表されて、優秀団
体賞に「闘犬センター」と「国体成年
男子1部県選抜チーム」が選ばれてい
ます。
この年は闘犬センターオーナー弘瀬勝
氏が県協会幹部として「闘犬センター」
を日本リーグ11回優勝に導くなど本県
のレベルを全国トップに引き上げたこと
と、日本ソフトボール協会会長も歴任し
たことが評価されて、功労賞を受賞し
ています。
おまけですが、「昭和中ソフトボール
部」が全中優勝を評価されて団体賞を
受賞していますが、この監督が私の高
校の同級生の藤原監督で、エースが岡
豊高校に進学して活躍、その後は今も
大阪桃次郎で活躍を続けている「中村
健二選手」です。
どこかで繋がっているものですね。
さていつものように日本リーグからシ
ーズンが始まりました。
群馬県伊勢崎市で開催された第1節の
初戦は住友金属が相手でした。
先発はこの年中京大学から入部した
「大木投手」でした。
硬さもあり、初回2アウトから連続ホ
ームランを打たれて2失点、その後は
4回まで無失点で切り抜け、西村投手
に繋いでいます。
「コントロールで何とかかわしていこう
と思いましたが、甘かったですね。」
「完投しないといけなかったけど。」
と反省している様子が紹介されています。
二日目の第一試合、ホンダエンジニアリ
ング戦の先発も大木投手でした。
この試合は完投したものの、7回裏にサ
ヨナラホームランを打たれて敗戦投手と
なっています。
新人には厳しい試練だったですね。
続く山形県庁戦はエース西村投手が登板
して、4-1で勝利しています。
3日目はツヅキグローバル戦でしたが、
この年から導入されたタイブレークの結
果1-2で敗戦してしまって、第1節を
2勝2敗という予想外の成績になってし
まいました。
監督不在(ゴタゴタがあったようです。)
怪我人続出の中での成績でしたが、他の
有力チームも取りこぼしていましたので、
「まだまだ射程圏内です。」
とエース西村投手のコメントが掲載され
ています。
何故か第2節の記事がヒットしていませ
んので、詳しいデータは分かりませんが
第2節終了時の成績は、
1位 日新製鋼 6勝1敗
2位 ツヅキグローバル 5勝2敗
3位 山形県庁
ホンダエンジニアリング
住友金属 4勝3敗
6位 闘犬センター 3勝4敗
7位 デンソー 2勝5敗
8位トヨタ自動車 0勝7敗
ということは第2節は1勝2敗だったと
いうことですね。
7月19日からは地元高知での第3節で
したが、家竹監督不在に続いて、キャプ
テンの山崎正宏もチームを離れるなど、
落ち着かないチーム事情は続いていたよ
うです。
エース西村は怪我がほぼ回復していまし
たが、投げてみないと分からないといっ
た感じでした。
第1日目ツヅキグローバル戦は5-1で
完勝、西村-大木の投手リレーも決まっ
ています。
しかし2日目の第2試合、山形県庁に1
-4と敗れ、この瞬間に優勝の望みは絶
たれています。
こんなに早い時期に優勝出来ないことが
決まるなんてことは、かつてなかったこ
とではなかったでしょうか。
第1試合はホンダエンジニアリングを6
-0と完封していただけに、勝ちたい試
合でした。
最終日は住友金属と対戦し、3-3のタ
イブレークになり、2-0で勝利して通
算成績を6勝5敗として3位タイで地元
開催の日本リーグを終了します。
10月愛知県幸田町で開催された最終節
は、復調した西村投手が12奪三振を奪
う好投で既に優勝を決めている日新製鋼
に3-2で勝っています。
最終日はトヨタ自動車相手に西村投手が
6回までパーフェクトピッチングという
快投で、3-0と完勝して、終ってみれ
ば通算成績9勝5敗で2位でこの年の日
本リーグを終了しています。
後期は1敗しかしていませんので、前期
のゴタゴタと、西村投手の怪我がなけれ
ばと思いますが、スポーツに「たられば」
はありませんので、戦力が整っていなけ
れば闘犬センターといえども優勝するこ
とは出来ないということでしょう。
「国体四国予選も良い勝ち方をしたし、
第3節以降チーム状態はよくなってい
る。」
と国体本番への意気込みを西村投手は
語っています。
この年の「大阪国体」の監督は
「田中三夫さん」でした。
家竹監督をフォローするために日本リー
グなどにも帯同していましたが、家竹監
督不在のため愛知国体以来2回目の監督
就任ということになりました。
結果は見事優勝。愛知国体の5位の汚名
返上を果たします。
この国体は2部の最終年であり、2部の
エースは弘瀬拓生さんで、高知県は1部
2部のダブル制覇を達成しています。
これで平成9年のシーズンは終了するの
ですが、11月21日の高知新聞には、
長野オリンピックの聖火リレー走者に
西村投手が選ばれたことが掲載されてい
ます。
梅下選手も伴走者に選ばれていて、闘犬
センターが高知県のスポーツ界では中心
的な活躍をしていると評価されたものだ
ったんじゃないでしょうか。
オーナーの影響力も大きくなっていた時
期でもありました。
さて、この後「西村監督」が誕生するわ
けですが、これが平和に暮らしていた
杉本さんと私の生活に変化をもたらすこ
とになるとは・・・
このことは次号で詳しくご紹介すること
にしますね。
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日本リーグは何とか2位を死守、国体は
優勝と何とか面目は保ったものの、チー
ム内ではゴタゴタが発生していたようで
す。
翌年からこの年監督代行を務めた西村君
が監督に就任します。
エースで監督、大変な重責でしたね。

田中三夫監督の胴上げです。