メールマガジン(51) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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ソフトボールがもっと上手になりたい、勝ちたい、テクニックが知りたい方に、カリスマたちの貴重な情報をお届けします。

日本リーグを制してさあ国体と思った
ら、またまたオーナーから新しい提案
(?)がありました。

いつもこのようなことで、現場は大混
乱になるのです。

さてどのような提案だったんでしょう
か、ご覧ください。

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第47号のメニューはこちらです。

■平成6年(その3)
■編集後記

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■平成6年(その3)
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日本リーグを若い力で制覇して、さあ
国体だと思っていたら、この年の国体は
そう簡単ではなかったようです。

なかったようですとなっているのは、私
はオーナーにユニフォームと手紙を送り
つけて、チームを離れていましたので、
この後の出来ことについては、後になっ
て誰かから聞くという形になってしまっ
ていたからです。

もう何も聞きたくもないし、関わりたく
ないのですが、みんなは気を使って情報
を提供してくれていました(笑)

何が起ったかと言うと、オーナーが

「国体の監督は田中三夫で行く。」

と言い出したからでした。

「喧嘩両成敗」

なんだそうです(笑)

二人いた船頭の一人がいなくなった訳
ですから、残った船頭が指揮を執ればい
いいだけのことですよね。

ましてその船頭で日本リーグは優勝して
いる訳ですし。

私と家竹監督は直接喧嘩したわけでもあ
りせんでしたし、喧嘩両成敗とはどんな
判断だったんでしょう。

家竹監督も面白くないですよね。

まあ、オーナーが言い出したことですの
で、従わないわけにも行かずこの年の国
体は、「田中三夫監督」で行くことにな
りました。

ただ、闘犬センターは何かゴタゴタを抱
えた時の成績は良くありません。

優勝してもおかしくない戦力を持ちなが
ら、この年の国体は5位という結果にな
ってしまいました。

この年の暮れにこの敗戦を振り返って、
高知新聞社の運動部長さん他と話をして
いた時に、

「今年国体に勝てなかったのは、私の
 責任です。」


と喋っていました。

部長さんも

「その通り!」

と言われました。

それまでそんな風に思っていたわけでも
なかったのに、思わず口をついて出まし
たので、どこか心に引っかかっていたん
でしょうね。

まあ、私が大人の対応で我慢しておけば
違った結果になったかもしれませんが、
このことで一旦闘犬センターを離れられ
たわけで、それはそれで良かったんでが。

オーナーのこの決断は私への配慮だった
のか、それとも家竹監督への戒めだった
のか、元々国体と日本リーグの監督は違
うと言ってしまったから、引込みがつか
なくなったオーナーが、誰か監督を探し
た結果だったのかは、今となっては知る
由もないのですが、相変わらずオーナー
一人に振り回されることにはなりました。

これで激動の平成6年のシーズンが終了
することになりました。

今日はここまでにしますね。

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職場放棄をした私の尻拭いを、田中三夫
さんにさせてしまった形になってしまい
ました。

今振り返るとそう思えるのですが、当時
は自分とは関わりのないところで起こっ
ている、いわゆる「他人事」としか思っ
ていませんでした。

長く関わると自分のこと、自分だけのこ
とを考えて物事を判断すると、いろいろ
な人に影響をあたえるんだなという、良
い教訓にもなっています。

写真はご迷惑をお掛けした「田中三夫さ
ん」
ですが、三夫さんは前列左端で、隣
の可愛らしい方は当時の彼女でマネージ
ャーです。

今は頭の上がらない奥様になられていま
す(笑)