西村君がfacebookでシェアしてくれ
た時に、次のようなコメントをして
くれていました。
山崎さん(^ ^)
今度お会いする(呑み(^o^))時は山崎
理論を御教授下さいませ。
65球くらいで終わる方法と魂のムービ
ングボールへの取り組みなど(^ ^)
よろしくお願いします!
西村君、三振を取るボールがなかった
から出来た最小投球数ですよ(笑)
今のボールとバットでは成立しない、
過去の遺物みたいな理屈はもう通用し
ません。
ただ、真面目に取り組んでいた私に
神様がくれた唯一のご褒美ですので、
もう誰も近づくことのないようにお願
いしたいものです(笑)
西村 信紀 究極のズレるボールはある
かも(^o^)
変化は少ないですが何とか、動くボー
ルには取り組まないと今後海外では勝
てません^_^;

これが日本リーグの最小投球数59球
を記録した時の写真だと思います。
サイズの関係で写ってはいませんが、
日本電装の山口監督が写っています。
西村君の言うような「山崎理論」など
というものは存在してはいませんが、
この頃はコントロールには絶対的な自
信がありました。
ボール半分の出し入れなんかは、朝飯
前と言ったところでしょうか。
ある日国体予選前の練習だったと思い
ます。
二人並んでピッチングをしていました。
隣で投げていたのは清水さんだったよ
うな・・・
キャッチャーは鴨田体育会の植田さん
でした。
そこで何故か私は、隣のピッチャーの
ボールを受けている植田さんを驚かせ
てやろうと思ったんですね。
そしてこっちを向いていない植田さん
のミットめがけてボールを投げていま
した。
分かりますか?
この危険な行為(笑)
植田さんは隣のピッチャーしか見てい
ませんし、まさか私がそのミットめが
けてボールを投げてくることなんて、
想像もしていません。
ちょっとでもボールがミットを逸れる
と、ボールは身体のどこかに当たって
しまうんです。
マスクもプロテクターも着けてないん
ですからね。
今考えたらなんでそんなことをしよう
としたのかも分かりませんし、もしず
れていたらと思うとゾッとします(汗)
けど、その時は絶対ミットに投げる自
信があったんです。
思ったように植田さんのミットにボー
ルは吸い込まれ、突然隣からボールが
来た植田さんの驚いた顔を見て、大笑
いしたことでした。
当然植田さんには、
「お前、何するがな!」
と怒られたのは言うまでもありません。
このコントロールの良さと、普通のス
ピードの真っ直ぐと、ほとんど変化し
ないドロップ、ライズ、そしてチェン
ジアップを使って投げていました。
この打てそうなコントロールされた速
くないボールが最小投球の極意です。
真っ直ぐに見えていても、こっちとし
ては変化球を投げているので、バット
に当たるところあたりで少しだけ変化
しているんですね。
そうすると凡打になってくれます。
これが西村君の言う「ムービング」と
いうボールなんでしょうが、私として
は一生懸命変化球を投げた結果なんで
す(笑)
三振が取れないボールなんですね。
そして日本体育大学のハンドボール部
出身の先生から教わったウインドミル
がルーツの私は、ボールの握り方が少
し違っていました。
ボールが縦に回るのと、回転が少ない
ので普通より重く感じる、つまり当た
っても少し差し込まれる、飛ばないボ
ールでした。
そのために比較的少ない球数で試合が
進行することになったわけでです。
しかし私がそれを目指していたわけで
はなく、そんなボールしか投げられな
い中で、勝つためにどうやったらいい
かと考えた結果、そうなってしまった
というだけのことです。
私も西村君のように圧倒的なスピード
と、鋭い変化球で、三振をバッタバッ
タを取りたいと、ずっと願っていたん
です。
けれど私にはその能力がなかった。
ただそれだけのことでした。
西村君が羨ましく、目障りであり、彼
の入部とともに私の投げる場所がなく
なったことで、私はピッチャーを辞め
ます。
ただ生来の負けず嫌いですので、「負
けた」ことは認めず、オーナーが投げ
る機会を奪ったのでピッチャーをやっ
いる意味がないと、話をすり替え、
「俺はお前が嫌いやき。」
と西村君に言い続けることになりまし
た。
単純に弱者のひがみだったんですけど
ね(笑)
このムービングボール、動くボールに
ついては、思い出したことがあります
ので、明日ご紹介したいと思います。