
昨日ご紹介した「大木選手」について、
元鴨田体育会・の「高木さん」から次の
ようなコメントがありました。
大木さんが闘犬センターに拉致られた
原因を作ったのは私です。
少し前に山崎さんが私の事を取り上げ
てくれた時に書きました、例の国体に
向け春野で練習してた時に、社長が来
て当時乗ってたマークⅡの後ろの席で
「相談がある。うちにもう一人ピッチ
ャーが欲しいと思いゆう。お前から見
ていいと思うピッチャーはおらんか」
と言われました。
その年だったか、前の年だったかは記
憶がはっきりしませんが、ハマモクが
全日本一般男子に出場し、有吉投手が
1回戦デンソーにボゴボコに打たれて負
けた後、弁当を食べながら中京大と何
処かが試合を見た時に初めて大木さん
のピッチングを見た時に
「えい球投げるなぁ~」
という印象が強かった事もあり、つい
「中京大の大木君が良かったですねぇ」
と言うてしまいました。
いろんな方が関わって大木選手は高知県
で、それも闘犬センターでソフトボール
をやることになったみたいですね。
中京大学ではエースとしてバリバリ投げ
ていたようですし、それはそれなりの
自覚と自信があってのことであり、場数
も踏んでいたでしょうから、いいボール
を投げていたんだと思います。
ピッチャーって練習でどれだけいいボー
ルをなげても成長しません。
やっぱり試合で打たれて覚え、試合で
抑えることによって自信もつき成長する
ものだと思います。
ですから所詮二番手のピッチャーでしか
なかった闘犬センター時代の大木投手は
たいしたことなかったんです。
登板数も少ない、出た時に打ち込まれ
自信と信頼をなくす。
これではピッチャーは成長しません。
ですから全てを自分でやらなくてはいけ
なくなった高知パシフィックウェーブ
時代に、大きく成長を遂げることになり
ました。
大木投手にとっては他のチームに入って
エースとして活躍していたなら、もっと
早く活躍できたのかもしれませんが、あ
の経験があったからこそ、あのすごい仲
間たちと出会えて、日本一を一緒に目指
せたということですから、遠回りはした
けれども、良い経験をしたんじゃないか
なあと思っています。
さて、明日から2日間大分市で開催され
る日本女子シフトボールリーグに、田中
雄二先輩と行ってきます。
昨夜もNECの浦野さんからお電話をいた
だきました。
ちょっとでもお役に立てるように、バッ
ティングピッチャーを勤めてきます。
実はぶつけないか内心ヒヤヒヤしながら
投げているんですよ(笑)
だって革ボールなんて普段投げてないん
ですからね。
日本リーグの様子は、明日から短くお伝
えしますね。
今日はここまでにします。