
「西村信紀誕生日記念シリーズ」も
今日で終了となります。
毎日これほど先輩に誉めてもらうと、
どうも気持悪いらしくて、いつもなら
シェアしてくれるフェイスブックも、
シェアしてくれなくなりました(笑)
この写真は隣に現在も
「愛媛ウエスト」
で現役で活躍しておられる
「石村選手」
が写っています。
これからも二人とも、男子ソフトボール
界の活性化に力を発揮してもらいたいと
思います。
野球でもそうですが「ピッチャー」を
する選手は、チームの中で一番運動神経
が良くて、一番野球が上手な人間がやる
というのが多かったと思います。
西村選手なんかはまさにこの代表では
ないでしょうか。
たぶん彼はどのポジションでも全日本
入り出来たと思います。
パワー、センスどれを取っても抜群の
ものを持っていました。
こんな人間が「ソフトボール」をやった
ということが、『奇跡』だったと思いま
す。
ただ彼にも何か足りないものがあったと
いうことでしょうね。
それは本人が一番分かっているのかもし
れません。
そして昨日少し名前を出しました
「大木選手」
この方です。

中京大学在学中に「全日本」に選出さ
れ、世界選手権に出場したことがきっ
かけで、闘犬センターに「拉致」され
てしまった可哀想な選手です(笑)
この選手はどうしたことかピッチャー
しか出来ませんでした。
入部してきた時には腰が悪かったこと
もあって、守備練習のときはつまづく、
よろめく、くだけるといった状況でと
ても他のポジションが守れるような気
がしませんでした。
バッティングはパワーはあるので、当
たれば飛んで行くのですが、いかんせ
ん当たりません(笑)
そして打つ格好が悪い。
私たちの持つ「ピッチャー」というイ
メージをぶち壊してくれた選手でした。
彼の持つ独特のリズム感は歌を唄わせ
てみたら、納得がいきました。
ひ、ひどい・・・(笑)
意外にソフトボールのピッチャーって、
そんなに難しくないのかもと思わせる、
運動神経はなくても体格とパワーがあ
ればなんとかなるポジションなのかも
しれないなと思ってしまう存在でした。
大木選手も闘犬センターで西村投手の
二番手(Bース)のときは、そんなに
活躍をしていません。
大事な試合でやらかしてしまうという
ことさえありました。
ただ大柄で髭面の強面の大木選手でし
たが、繊細な神経の持ち主でもありま
したね。
新聞記事を丁寧にスクラップしたり、
記録をきちんと整理して検討したりす
るという一面も持ちあわせていました。
この努力は大木選手がエースとなって
活躍した高知パシフィックウェーブで、
陽の目をみることになります。
他に頼るものがない状態になったとき
に始めて、一人で投げ抜かないといけ
ないピッチャーの大変さが実感として
分かり、しっかりとしたエースになっ
ていきました。
結果はそんなに残してはいませんが、
闘犬センター時代に、偉大な西村先輩
の姿を側で見られたことが、後の開花
に繋がったということでしょう。
まあ、あの腰の状態であれだけのボー
ルが投げられるということは、彼も
『天才』だったのかもしれません。
それを見抜けなかった私の目が節穴だ
っただけということでしょうね。
つい先日地域のソフトボール大会に
駆りだされ、ソフトボールをやってい
たら、普段の運動不足が災いして、
「アキレス腱を切りました。」
「これどうしたらいいですか?」
って電話がありました。
今は新しい施設も作ったばかりで、
入院している余裕もない状況だという
ことなので、ギブスで固定して切断部分
が自然にくっつくのを待ってみようかと
いうことになりました。
「もうお前、ソフトボールやらんろう。」
「まず、仕事、仕事。」
と他人事のようなコメントで締めくくり
ましたが、その後はどうなっているので
しょうか。
ついでと言っては失礼ですが、弘瀬拓生
さんが昨日「不整脈」の手術を受けまし
た。
一応無事成功したという報告がフェイス
ブックの方にありました。
便利な時代で、逐一本人が経過報告して
くれますので、安心はできますね。
コメントにはお見舞いの言葉が多くアッ
プされていましたが、弘瀬さんの性格を
よく知る人たちからは、
「まだ走ってはいけませんよ!」
って釘を刺されていました(笑)
この人ちょっと良くなったら、
「ちょっと走ってみようかな。」
って走りそうなんで恐いですよね。
手術成功おめでとうございます。
そして、ちょっと安静にしちょって下
さいね。
今日はここまでにします。