
昭和59年9月に熊本県で開催された
「第30回全日本一般男子ソフトボール
大会」
に優勝した時の記念写真です。
この写真の後列右端に練習用のユニフ
ォームで写っているのが、まだ高知商
業高校のソフトボール部員だった
「西村信紀選手」
です。
不本意な負け方をしたクラブ大会の後
の一般男子でしたので、気合も入って
いましたし、結果が出てよかった大会
でした。
連れて来られた高校生「西村選手」の
目には、その戦い方はどう映っていた
のでしょうか。
闘犬センターイズムの根源は
「極端な負けず嫌い」
だったと思います。
勝負の世界にいる以上、誰もが勝ちた
いと思っているでしょうし、負けたく
ないでしょう。
そういう意味では誰もが負けず嫌いな
んでしょうけど、闘犬センターはこの
負けず嫌いが極端だったんだと思いま
す。
そして田舎者のもつ「劣等感」からく
る「反骨心」が、それを増強させてい
ったんじゃないでしょうか。
少なくとも私たちはそうでした。
西村選手も同級生に「超高校級」のス
ーパースター
「有吉投手」
がいたことが良かったのかもしれませ
ん。
事情があって高校卒業後に1年間ではあ
りましたが、二人は同時に闘犬センター
に所属していました。
この時点ではやはり有吉投手に完成度で
は遅れを取っていました。
オーナーの計らいでジュニアの全日本の
エースとして投げさせてもらい、自信と
実績作りが始まります。
西村選手が「有吉に負けたくない。」と
いう気持があったのかどうかは分かりま
せんが、有吉選手の存在は意識していた
と思います。
入部当初速いけれども回転も不安定で、
コントロール良くなかった西村選手も、
研鑽と努力と類まれな筋力で、日本人離
れした「スピン」の効いたボールを投げ
るようになりました。
今でも西村選手の投げるボールを見ると、
そのスピン(回転)の質と回数に惚れ惚
れしてしまいます。
全盛期はこんなものではありませんでし
た。
練習で力を抜いて投げる西村投手のボー
ルは変化の幅は大きく、バッティング練
習にならないので、
「お前、のけ!」
「練習にならん。」
とよく言ったものでした(笑)
本当にきちんと、そして鋭くボールが回
転していました。
ピッチャーを志すものとしては、誰もが
「あんなボールが投げたい!」
と思うようなボールでした。
ただ普通の日本人では、なかなかああは
いかないものなんですね。
練習では身に付けることの出来ない、持
って生まれた身体的な特徴と、センスみ
たいなものがそこにはあるような気がし
ます。
そんな飛び抜けた存在の西村選手ではあ
りましたが、いざ試合となると「力み」
があって、投げ損ないや思ったように変
化しないなどが起こり、打たれることも
ありました。
打たれて研究し、さらに進化していく姿
がそこにありました。
ただそれを側で見ている私たちは、
「余計なこと考えんでも、お前のドロッ
プを外野に運べる打者は、今の日本に
はおらん。」
「困ったらドロップ投げちょけ!」
と怒っていましたけどね(笑)
今日はここまでにしますね。