しています。
ソフトボールの全国大会が続いたり、仕
事があったりで、1年に数日しかない、
「何もしない日曜日」
です。
唯一のお務めがこのブログの更新でしょ
うか(笑)
それではどうぞ。
なお、このメールマガジンは
「まぐまぐ」
で発行させていただいていて、現在は毎
週日曜日に発行ということにさせていた
だいています。
今日も最新号が発行になっていますので、
先を早く読んでみたい方は、そちらにも
ご登録いただければ幸いです。
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第40号のメニューはこちらです。
■平成3年(その3)
■編集後記
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■平成3年(その3)
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国体強化のための県選抜チームとなった
「闘犬センター」の戦いが始まりました。
新聞の表記も「闘犬センター」のまま
でしたし、選抜と言っても誰が選抜した
のかと言えば、オーナーが選抜したもの
でしたし、特に何も変わったことはあり
ませんでした。
最初の頃だけ、新聞の記事の中に
「闘犬センターを母体とした県選抜チー
ムは・・・」
という記述がありましたが、それも最後
の方は無くなっています(笑)
日本リーグは好調な滑り出しで、開幕7
連勝という、シーズン当初得意の取りこ
ぼしもなく、順調に首位を走っていまし
た。
8戦目はYKK吉田工業でした。
ここでいつもの悪いクセが出てしまいま
した(笑)
どうやっても負けることがないと思って
しまいました。
なかなか点が入りませんが、
「どうせ誰かが打つやろう。」
となんとな~く集中力を欠いた試合にな
り、また相手ピッチャーのボールが遅い
ので、タイミングも合わないという
闘犬センター得意の負けパターンです。
試合は延長10回タイブレークの末に
0-1で負けてしまいます。
この試合西村投手は20奪三振という
力投をしています。
いわゆる「見殺し」ですね。
YKK吉田工業にはほぼチャンスらしい
チャンスは無かったのですが、タイブレ
ークというシステムでは、ノーヒットで
セカンドにランナーが出ます。
そしてツーアウトからセンター前にヒッ
トを打たれて1失点。
負け投手になってしまいました。
強い相手には本気になる闘犬センターが
気を抜いて取りこぼすという典型の試合
になりました。
これも闘犬センターでした(笑)
そして7月山梨県甲府市で開催された
全日本クラブ男子ソフトボール大会に
参加しました。
闘犬センターとして最後のクラブ大会に
なりました。
決勝戦で地元の山梨クラブと対戦して、
2-3で敗れて準優勝で終っています。
クラブ大会は優勝7回、準優勝1回、
3位2回という成績でしたが、
闘犬センターを全国区にしてくれたのは
間違いなくこのクラブ大会でしたので、
このクラブ大会を開催してくれた日本
ソフトボール協会には感謝しなくては
いけませんね。
協会の思惑とは違った経緯をたどること
になりましたが、日本の男子ソフトボー
ル界に大きな影響を与え、闘犬センター
の名前を知っている人は少なくなりまし
たが、今もそこで育った選手たちが指導
者として、影響力を持ち続けていること
に少しだけ誇らしい気持ちを持っていま
す。
沖縄のコザスポーツがクラブ大会を5連
覇して、
「闘犬センターを抜いた。」
と言われていたのを見聞きして、
「俺達は負けて5連覇出来なかった訳
じゃない。」
と負け惜しみを言っていたことを思い出
しました。
出場停止というもっとひどい形で、連覇
が止まっているのにです(笑)
まあ、どこまでも他のチームの目標とさ
れるチームになっていた頃でした。
9月になって日本リーグの最終節が愛知
県の半田市で開催され、12勝2敗の成
績で優勝しました。
優勝後の杉本監督のコメントは、
「ベストメンバーで臨むことが出来なか
ったが、若手や控えの選手が十分に穴
を埋めてくれたし、西村の頑張りも大
きかった。」
「どの選手も仕事を抱えたきつい日程の
中での参加だったが、それぞれの職場
や、(県ソフトボール)協会など、各
方面の協力に支えられた優勝です。」
コメントの中に県協会という言葉が入っ
ていることが、県選抜チームとしての
活動であることがかいま見られますね。
杉本さんも気を使ってコメントしている
と思います(笑)
それで国体はというと、石川国体で優勝
して4年連続優勝を達成しています。
この国体は試合にはあまり思い出があり
ません。
と言うのも、私自身は神奈川県の専門学
に行っていて、国体に選手として出場し
ていないというのが一番の要因ですが、
それ以外にインパクトの大きな事件が
あったせいだと思います。
詳しいことは私の書いているブログ
「ソフトボールを愛する人にお届けする
ブログ」(まぐまぐ)
の選手紹介「鍋島選手」に書いてありま
すので、簡単に書きますと、
この鍋島という選手が宿舎での食事の時
に、杉本さんを怒らせてしまって、私が
石川入りした時には宿舎での夕食が無く
なってしまっていました。
杉本さんがそんなに怒ったことなどあま
りなかったので、その場にいあわせた選
手はさぞかし驚いたことだと思います。
「杉本さんは怒らせたらいかん。」
「嘘を言うてええがは、監督だけ。」
と私たちが特別扱いしていた訳を知らな
い、若い選手がしでかした事件でした。
私にとっては事件は既に終っていました
し、宿舎で食べたくもない夕食をたべる
より、毎日居酒屋さんでの夕食になった
ことはラッキーでした。
ただ誰も杉本さんに近寄ろうとしなかっ
たので、毎日杉本さんと一緒だったこと
は言うまでもありません。
この年の締めくくりも日本選手権という
ことになりました。
日本体育大学を2-0で破り、続く準決勝
はホンダエンジニアリングを6-0で撃破
して決勝戦に進みます。
決勝の相手は日本電装になりました。
西村投手が1点先制される苦しい試合に
なりましたが、2点を取って逆点して、
2-1で辛勝。
最後の大会も二連覇として、有終の美を
飾る形で平成3年を終えることが出来ま
した。
国体強化のための県選抜チームとしての
活動1年目はまずまずの成績でしたが、
これからも闘犬センターにはさまざまな
嵐が吹き荒れることになります。
それはまた順次ご紹介していくことにし
て、今日はここまでにしますね。
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どこへ行っても「事件」を起こす、闘犬
センターでした(笑)
この国体を終えて金沢から東京まで「夜
行バス」で帰ってきましたが、
「寝られない。」
「狭い。」
「時間がかかる。」
の三重苦で、二度と「夜行バス」は乗ら
ないと思った記憶がありますね。
この国体の会場に今年「マスターズ大会」
で行っていたとは、何という巡り合わせ
なのかとも思います。
ただ金沢の駅前は新幹線開通もあって、
すごく近代的になっていました。
いつかゆっくり旅行ででも行ってみた
いものです。
写真は怒らせてはいけない人、杉本監
督です(笑)
