闘犬センターイズム(8) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

ソフトボールがもっと上手になりたい、勝ちたい、テクニックが知りたい方に、カリスマたちの貴重な情報をお届けします。



最近この方「高石君」がブログを始めら
れ、私の周辺も賑やかになってきました。

ブログを更新するとコメントが飛んで来
る。

電話がかかってくる。

どうも昔の仲間、先輩、後輩にも電話を
かけたりしてしているようです。

彼なりの闘犬センターへの想いや思い出
を書いているので、面白くは読ませてい
ただいていますが、歯の浮くようなお世
辞みたいなものには、少し恥ずかしさが
伴いますね。

どこまで続くか見守ってみようと思いま
す。

さて、私の方のブログに戻りましょう。

今日県立図書館に行って収集してきた
資料の中にあった、「話題」というコラ
ムをご紹介したいと思います。

書いているのは高知新聞社運動部の方で
す。

見出しは「手本は身近に」です。

ソフトボール男子日本リーグで本件の闘
犬センターが史上初の7連覇を達成した。


先の広島国体で優勝した県選抜チームも
実態は闘犬センターのメンバーを中心に
したチームだった。


その国体決勝戦。相手は大学、高校出た
ての精鋭をそろえ、数年がかりで強化し
た地元の日新製鋼呉。


試合は両軍エースの力投で無得点のまま
延長戦入りした。


現地で取材する記者は「点が取れません。
向こうの投手は完全試合ペースです。」
と報告して来る。


電話の声は心なしか悲痛だった。

結局、走者を2塁に置いての設定試合に
もつれ込んだが、経過を伝える記者の声
は沈んだまま。


しかし闘犬センターを取材した経験のあ
る本社待機組は「これは闘犬の勝ち」と
確信した。


過去、数々の修羅場を乗り越え、大半が
世界選手権など海外遠征も経験している。


ぎりぎりの競り合いでこそ底力を発揮す
る。


案の定、設定ゲームをものにして優勝を
決めた。


この国体で県選手団全体としては天皇杯
得点で2年続きの全国最下位だった。


ここ一番の競り合いに弱いというのが県
勢の定評だが、闘犬センターはその逆。

例外中の例外だ。

しかし、決して練習環境などに恵まれて
いるわけではない。


日本リーグの他のチームが、トヨタ自動
車、住友金属といった大企業丸抱えなの
に比べ、闘犬センターは県内企業の社員
や教員らで組織するクラブチーム。


普段の練習は仕事の終わった夜間しかで
きない。


だが、短時間でも集中するから効果は上
がる。


何よりも練習は自分のためと心得ている。

県内の競技関係者の間には、施設が自由
に使えない、遠征費用が足りないなどの
不満が多い。

だが周囲への要望ばかり口にする前に、
自分たちでなすべきことがあるのでは
ないか。


目の前に、地方のクラブチームでありな
がら国内トップの力を維持している闘犬
センターという立派な手本がある。

どうですか。

この記事は1996年10月30日の記
事ですので、創部19年目の評価と言っ
てもいい記事になります。

クラブチームでありながら、遠征費用の
心配をすることもありませんでしたし、
高いナイターの照明代も気にする必要が
なかったなど、結構恵まれた環境でした。

そのお陰で多くの試合を経験させてもら
いながら、勝負強さを養うことが出来ま
した。

それも1年や2年ではなく、この時点で
19年です。

通算では25年間でしたが、この間に使
ったお金も相当な金額になっています。

クラブチームでありながらクラブチーム
ではないような環境で勝負させてもらっ
たからこそ、高知の田舎のクラブチーム
「日本一」であり続けられました。

普通ではないオーナーに振り回されると
いう、別の大変さを除けばこんな幸せな
ソフトボール環境はなかったと言い切れ
ますね(笑)

世間にも嫌われ、新聞社にも嫌われた創
部時代を知る者としては、このように他
の競技団体の手本にとまで言われるよう
になったことに感激さえ覚えます。

世の中の闘犬センターのイメージが少し
ずつ変わって行った要因でもあるでしょ
うかね。

ただやっぱり

「勝つ」

「勝ち続ける」

「強い」


が一番評価を変えていったのかなと思い
ます。

今日はここまでにしますね。