メールマガジン(43) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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東京出張ですので、メールマガジンを
お届けします。

昨日登場した「弘瀬拓生選手」の闘犬
センター入部の経緯なども紹介されて
います。

それではどうぞ。

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第39号のメニューはこちらです。

■平成3年(その2)
■編集後記

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■平成3年(その2)
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平成3年4月27日付けの高知新聞朝刊
のスポーツ欄に次のような見出しが踊っ
ていました。

「ソフトボール 日本リーグへ県選抜」

「国体強化へ 闘犬センター母体に」

記事にはこう書かれています。

「県ソフトボール協会は、国体成年男子
 一部チームの強化と、県が誘致を決め
 ている平成14年国体への選手強化を
 図るため、日本リーグに闘犬センター
 を母体にした県選抜チームを出場させ
 ることを決めた。」


「国体の成年男子一部県選抜チームは、
 昨年の福岡大会で三連覇を達成。今年
 大会史上始めての四連覇を目指してい
 る。」


「これまで8月の四国予選前に行ってい
 た選抜チームの編成を早め、日本リー
 グ参加による充実した練習と試合慣れ
 で四国予選、本大会に臨もうというも
 の。」


「昨年の日本リーグ優勝の闘犬センター
 のリーグ出場権を借りる形で、県選抜
 チームが参加することになる。」


これを読むと何か画期的な試みが行われ
そうな感じもしますが、実態はそんなも
のではありませんでした。

登録メンバーは闘犬センターそのもので
あり、これまで補強で入っていた弘瀬
拓生選手を加えただけの選抜チームでし
た。

何度誘っても断られ続けた弘瀬拓生選手
を、

「これは闘犬センターじゃない。」

「県選抜チームだ。」

と言い張って加入を認めさせたそうです
が、弘瀬さんは

「闘犬センターそのものですよね。」

と何度も断ったそうです。

さらに、この決定で国体の県予選を廃止
することに成功します。

この頃県内に敵はいませんでしたが、
試合はやってみないと何が起こるか分か
らないものですので、試合をしなければ
負けないというオーナーの気持ちがこの
システムを導入した最大の目的だったこ
とは間違いありません。

何回も県予選で負け続けた過去の苦い
経験が、思いつかせた勝手なシステムで
した。

闘犬センターにとっては集中して日本
リーグと国体に集中できるシステムでし
たが、この選抜チームに入れない選手に
とっては、誰もが参加してみたい国体へ
の道が閉ざされてしまった、悪いシステ
ムでしかありませんでした。

他にも全国大会はクラブ大会や一般男子
とかもありましたが、やはり国体は県を
代表して行くわけですし、総合開会式な
どは他の大会では味わえない規模でした
から、一度は味わってみたいですよね。

予選に勝たないと行けないことは誰もが
理解していることですが、そのチャレン
ジする権利、機会もまで奪ってしまいま
したから、この時代に一生懸命ソフトボ
ールをしていた高知県内の選手にとって
は、腹の立つ内容が書かれた新聞記事だ
ったはずです。

これがこの新聞記事の裏にあった思惑で
した。

実はこの記事のことなど全く忘れていま
したので、読んだときに

「なんじゃこりゃ。」

と、この記事を読んだ当時の他チームの
関係者の気持ちが良く理解できた瞬間で
した。

これで県選抜チームとして国体強化の名
のもとに日本リーグに参加して行く訳で
すが、日本リーグにはこれまで通りの
ユニフォームで

「闘犬センター」

として参加していましたので、私達選手
に県選抜チームとしての自覚はありませ
んでした。

本当にこれでよかったのでしょうか?
良くないですよね。

そんな気持ちにさせる新聞記事でした。

今日はここまでにしておきますね。

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「負けず嫌い」のオーナーが考え出した
究極の方法が

「予選をやらない。」

でした。

ここまでやる人もなかなかいませんよね。

写真は昭和59年初めて日本リーグに参
加した「入善大会」の開会式の時のもの
になります。

初ういしい顔が並んでいます。