ものを見つけました。
1978年ですので、昭和53年の
「第24回全日本一般男子選手権」
の時の写真の中にありました。
この大会トヨタ自動車が初出場で初優勝
しているのにも驚きました。
トヨタ自動車といえば強豪で、歴史もあ
るチームだと思っていましたが、実は
闘犬センターとそんなに始まり(全国で
かてるようになった。)の時期は違って
いなかったということです。
人間の思い込みって恐ろしいですね。
珍しい写真の1枚目はこの写真です。

これ「井川さん」(元トヨタ自動車監督)
のプレーしているところです。
私がプレーしだした頃には井川さんは、
監督専任になられていましたので、プレ
ーしている姿を見たことがありません。
私が高校を卒業したのが昭和53年3月
でしたから、闘犬センターがもう少し早
く全国に出ていたら、試合していたのか
もと思うと、複雑な感覚がありますね。
ずっと年上の、言い方を変えると「昔の
人」(笑)って感じだったもんですから、
何か微妙です。
戦ってみたかったような、やりたくなか
ったような。
優勝記念の写真には、杉本さん、西村さ
ん、田中誠一さん、宮川さんなどの懐か
しい顔が並んでいます。
みんな20歳前後の若い頃ですね。
ほんの少しのスレ違いだったようです。
もう一枚はこれです。

準々決勝で対戦した「日本体育大学」と
「中京大学」の模様です。
ここで投げているのが後に闘犬センター
の左のエースになる「清水さん」です。
そして上の写真のベンチの真ん中に座っ
ているのが、「弘瀬拓生さん」になりま
す。
記録によると清水さんが6回に集中打を
打たれて降板、リリーフしたのが弘瀬さ
んみたいです。
「清水さん」は群馬の新島学園出身の
ソフトボールエリートであり、弘瀬さん
は高知の田舎の高校出身で、大学入学時
は「スリングショット」だったそうです。
この大学生活4年間でウインドミルを取
得して、一般男子でリリーフするなんて、
弘瀬さんの「負けず嫌い」の精神と、努
力を示す記録ではないでしょうか。
ただまさかこの群馬県出身の「清水さん」
が闘犬センターでプレーすることになり、
鴨田体育回でプレーする弘瀬さんと試合
をすることになるとは、誰も思っていな
かったでしょうね。
そして入部を拒み続けた「弘瀬さん」も
ついには闘犬センターのユニフォームを
着ることになるわけですから、人生とは
分からないものです。
この大会では他にも埼玉県庁で鈴木さん
(元埼玉県庁監督)がピッチャーしてい
る姿もあったようです。
これも実際投げられているところを見た
ことがありません(笑)
田舎のクラブチームが昭和54年に初め
て全国大会に長野県伊那市に行った時に
見た、この方たちはとても立派で、強そ
うに見えたものでした。
「井の中の蛙大海を知らず」
とはこのことで、こうやって事実を確認
してみると、そんなに違っていなかった
ということみたいです。
勝手な思い込みで、劣等感を持っていた
だけだったようですが、闘犬センターは
この時に「旭化成延岡」に0-4で完敗
したことで、この全国の強豪に対する
「反骨心」
を手に入れ、
「負けてたまるか」
という気持を形に変えて、実業団に挑ん
行くことになりました。
どんな形かというと、最初は相手が引い
てしまうほどの
「必死さ」
「なりふり構わずさ」
だったのではないでしょうか。
「こいつら頭おかしいがじゃない?」
と思われるほどファイトを全面に出す
プレースタイルは、いつの間にか実業団
勢の脅威となっていきました。
そして気がつけば実業団勢が、この頭の
おかしいチームの後塵を拝するようにな
てしまうのに、そんなに時間はいりませ
んでした。
今日はここまでにしますね。