
どこから来たのか、コメントがポツンと
入ってました。
西川澄夫じゃありません。→澄男です。
以前選手紹介でご紹介した、西川澄男選
手からであろうと想像できるコメントで
した。
高知商業からトヨタ自動車、そして闘犬
センターという、超エリートコースを歩
まれたこの方に、縁があって最近再会し
ました。
この写真は元の所属先のトヨタ自動車と
日本選手権で戦っている時のものです。
宮川さんに絶対の自信を持っていて、自
己申告制の打順決めの時に、
「4番打ちたい人?」
という杉本監督の問に
「ハイ!」
と手を挙げ、しっかり結果を残した時の
ものです。
再会したので、
「お前、なんで闘犬センターに入った?」
と聞いてみました。
「日本選手権の帰りの電車で、オーナー
に高知に帰ってうちでソフトせんか。」
って誘われたそうです。
いました、いました、ここにも被害者が。
この当時日本選手権は大阪の難波にあった
「大阪球場」で開催されていて、宿舎は
江坂のサニーストンホテルでした。
このホテルと球場の往復に多くのチームが
地下鉄御堂筋線を使っていました。
ユニフォーム姿で乗っていましたので、今
考えるとちょっと恥ずかしいかな(笑)
時間が計算できて楽でしたし、江坂も今み
たいに都会ではなくて、駅の周りにしか建
物も多くない時代でした。
そろそろトヨタ自動車を辞めてと考えてい
た西川選手には、渡りに船の話だったよう
です。
当時の闘犬センターオーナーは勢いもあ
り、県や市にも影響力を持っていました。
誘い文句の中には、その影響力を使って、
良い就職先も見つけるというものもあった
ようです。
それが決まるまでは、闘犬センターで働き
ながらソフトボールをしていたらいいとい
うような、願ってもない話だったんでしょ
うね。
ところがこの腰掛け程度と思っていた闘犬
センターでの仕事が大変だったようです。
まず、このオーナーみたいな人に接したこ
とがありません。
たぶん事前に情報収集はしていたとは思い
ますが、その想像を大きく超えるという
か、想像の範囲を大きく逸脱したような人
だったようです(笑)
いつまでたっても就職の話は進みません
し、訳の分からないことで怒られるしとい
うことなんかがあって、約束が果たされる
ことがないままに、闘犬センターを辞める
ことになっていきました。
彼もオーナーに騙された被害者の一人です
ね。
「先輩が次々辞めていたので、自分も辞め
ないかんかなって思っていました。」
「そんな時に、誘われたので・・・」
「辞めんでよかったに。」
「誠一ちゃん(田中さん)も、太郎(山田
選手)も残っちゅうやんか。」
「残っちょったら、ええ給料もろうちゅう
ろうにねや。」
なんて会話をしたことでした。
最後は自分で決断したことでしたが、一つ
の決断が人生を大きく左右することになる
んだなあと、改めて思ったところです。
まあ、人生これからです。
西川君、頑張りましょう(笑)
福岡行きの中で杉本さんと話してして、こ
のブログの最近のテーマ
「真意はどこにあるのか?」
の答えみたいなものが、杉本さんの口から
語られましたので、明日からはそれについ
てご紹介していきたいと思います。
今日はここまでにしますね。