真意はどこにあるのか?(12) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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この満面の笑顔の人物が

「闘犬センターオーナーの弘瀬 勝氏」

になります。

これは1983年の総合選手権に優勝して
初めて

「実力日本一」

になったことを記念して開催された祝賀会
の時のものです。

この頃は優勝する、いや勝つと本当に嬉し
そうに喜んでいました。

負けることが嫌いで、単純に「勝つ」こと
しか考えていなかった頃だったかもしれま
せんね。

先日の土日の2日間、久しぶりに杉本さん
と二人きりの時間の中で、疑問に思ってい
たことを聞いてみました。

「社長は何がしたかったがやろう?」

杉本さんの答えは、

「偉くなりたかったがやない。」

でした。

いわゆる「名誉欲」だったという答えでし
た。

「お金は手に入れたし、あとは偉くなりた
 かっただけやろう。」


地域の草ソフトで負けて、そのチームに勝
ちたいだけで始めたソフトボールでした
が、あれよあれよという間に、高知県ソフ
トボール協会の副会長、会長と上り詰めま
した。

そして第1回全日本クラブ大会の不手際に
つけ込んで、日本ソフトボール協会に

「組織強化委員」(勝手に作りました。)

として乗り込んでからは、トントン拍子に
出世していきました。

「副会長」になった頃には、そこそこ日本
ソフトボール協会を牛耳るようになってい
たと思います。

元々「会長職」は「名誉職」です。

高知県ソフトボール協会の会長は地元の
「国会議員の先生」でしたし、仕事と言え
ば大会の開会式での挨拶くらいでした。

時にこの開会式で、「国会報告」を始め
る困った先生もいらっしゃいましたけど
ね(笑)

日本ソフトボール協会の会長も

「日本生命」「大沢商会」「豊田工機」
どの大企業の社長などの、「名誉職」でし
たので、「副会長」になった時にはこの
「会長」を使って協会を動かしていけばよ
かったんです。

本人もこのあたりで少し迷ったみたいです
ね。

杉本さんに相談したようです。

「お杉、どうしたらええ?」

「副会長で会長を使うがもええけど、面倒
 臭かったかったら、自分が会長になった
 らええがじゃない。」


「やることは一緒やき、おまんやりや。」

これが会長就任決定の瞬間だったようで
す。

「え~、そしたら会長やることを決めたが
 は、お杉ちゃんやったが!?」


この話は知りませんでした。

オーナーは「偉くなりたかった」だけ。

「会長」「アジアの会長国」「世界の副会
長」
と続くサクセス・ストーリーを書いた
のは、実は「杉本さん」だったというこの
事実はすごいです!

全国大会に行くたびに、各地のお偉いさん
が杉本さんの前の来てはペコペコしている
姿を見て、

「あんた、何者?」

とよくからかっていましたが、今更ですが

「あんた、何者?」

ですよね(笑)

明日もこの続きを・・・

今日はここまでにしますね。