続けた闘犬センターの、処分解除後は
どのようなものだったのでしょうか。
それではご覧ください。
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第36号のメニューはこちらです。
■平成2年
■編集後記
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■平成2年
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1年間の出場停止処分を受けた闘犬セン
ンターは、いつもの年であれば恒例とな
った、「高新スポーツ賞」受賞もなく、
静かに処分明けの年を迎えることになり
ました。
幕開けは5月足利市で開催された
「日本リーグ第1節」
になりました。
2年ぶりの日本リーグという緊張感が
あったのかどうかも記憶にありませんが、
初戦日本電装に3-2と辛勝、続くホン
ダエンジニアリングと1-1で延長9回
日没サスペンデッドになり、翌日再開し
た試合を3-1でこれも辛勝、第3戦は
豊田自動織機と対戦して2-0で勝って
います。
試合慣れしていないのか、これが実力な
のかなんとか勝ったという感じでしょう
か。
そして3日目YKK吉田工業戦は6-1で
勝利して、第1節最終戦の埼玉県庁戦を
迎えますが、やはり何かおかしい感覚が
あったのでしょう、延長11回0-1で
敗戦となってしまいます。
これで第1節は4勝1敗で単独首位発進
となりましたが、全勝で行けたはずの
2年ぶりの日本リーグになりました。
書いていて思い出しました。
私この第1節参加していません。
だから記憶がないんですね(笑)
まあ、春先は調整不足(?)で普段でも
取りこぼしてスタートすることが多かっ
たですから、普段通りと言えば普段通り
なんですけどね。
前年は出場停止ということもありました
が、闘犬センターは昭和63年の青森県
でのクラブ大会優勝を最後にクラブ大会
への出場を止めてしまいました。
闘犬センターは国体を除いて32回優勝
していますが、クラブ大会、一般男子も
この年を最後に10年間出場していませ
んので、この2つの大会に出場を続けて
いたら、あと何回優勝していたんだろう
と思ってしまいますね。
これで、仕事の調整の難しくなってきて
いたベテラン勢が、試合に行きやすくな
ったことは間違いなかったです。
「闘犬センターは国体強化のために活動
する。」
国体予選に負け続けたオーナーが考え出
した、究極の県予選突破の方法でした。
選手の高齢化と仕事場での責任が大きく
なって、試合に行きづらくなったことや、
慢性的な選手不足もあって、参加する試
合の数を減らして、選手の負担を軽くし
ようということもありましたが、予選を
しなければ負けることがないと、オーナ
ーが言い出したものです。
日本ソフトボール協会会長は辞めました
が、高知県内での発言力はまだ強大なも
のがありましたので、オーナーが一旦言
い出したら、これに反論出来る人はいな
かったですね。
これで国体予選(県)はなくなり、
補強で参加するごくごく一部の選手を除
いて、高知県のソフトボーラーの国体出
場の道は閉ざされた形になりました。
この時代になると、闘犬センターと他の
高知県内のチームとの実力差は大きなも
のがありましたので、予選をやっても
まず負けることはなかったと思いますが、
試合ですのでやってみないと分からない
ことをを恐れたオーナーが作った最悪の
ルールだったと思っています。
県内では練習試合でもしない限り、県内
のチームと試合することもなくなったの
はこの頃からですね。
さて試合はと言うと、9月に和歌山県粉
河町で開催された第三節で2年ぶりの
優勝を飾ります。
どの試合も1点差の際どい勝ち方でし
たが、結局は13勝1敗で独走しての
優勝でした。
2位の日本電装が9勝ですから、ちょっ
と抜けた成績になりましたが、それぞれ
の試合は厳しい戦いでした。
この優勝を受けて杉本監督は、
「西村投手の安定したピッチングが何
より だったが、若手選手への切り
替えの中で 優勝できたことの意義
が深い。」
「得点力がまだまだ弱く、競ったゲーム
が多かったが、ベテランのいいところ
を吸収して若手が着実に力を伸ばし、
精神的にもたくましくなってきてい
る。」
とコメントしています。
大人なので、昨年の出場停止のリベンジ
が出来たなんてことは言われてませんね
(笑)
やはり闘犬は強いと示せたと思ったら、
次の守山市で開催された全日本一般男子
で、1回戦で宿敵「山梨クラブ」と対戦
して、北投手を打てず、10三振と頑張
っていた西村投手を見殺しにしてしまい、
7回裏北投手にセンター前にサヨナラヒ
ットを打たれて初戦敗退という結果に終
わってしまいました。
この後四国予選を無事通過して、福岡国
体に出場することになるのですが、この
大会は初戦にちょっとした事件が起こり
ました。
このことは次号で詳しくご紹介したいと
思いますので、今日はここまでにします。
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1年のブランクの影響もありながら、や
はり強かった闘犬センターといったとこ
ろでしょうか。
写真はクラブ大会でもよく戦った山梨
クラブの北投手になります。
体は大きくないですが、スピード豊かな
好投手でした。
