
これが昔の
「土佐闘犬センター」です。
増築、改装を繰り返して、現在は名前も
変わっています。
店の前も舗装されておらず、売店もまだ
浜にありましたので、闘犬センターだけ
がどんと据わっていたという感じでした。
店の名前は「土佐闘犬センター」で
チーム名は「闘犬センター」でした。
なぜ土佐を抜いたのかは知りません。
何か理由があったんでしょうかね。
一回色紙かなんかに
「土佐闘犬センター」って書いたら
「チーム名に土佐はないきね。」と
奥さんに言われて、初めて気がついた
ことを、覚えています。
さて昨日の続きをしましょう。
「バカと利口が喧嘩をしたらバカが・」
を思い出したのは、先日元ホンダエンジ
ニアリングの蟹沢君と話してした時に、
彼が
「闘犬が突っ込みなら、ホンダはボケで
行こう」
と話したことがあったと、話してくれた
ことからでした。
闘犬が突っ込みだったとは思っていませ
んでしたが、言いたい放題だったことは
否定しません。
利口な実業団の先輩方に、偉そうに言わ
れた時期もありました。
それをバネにして、
「こいつらに負けてたまるか。」
「偉そうに言いやがって。」
と得意の反骨心に火をつけました。
そして勝ち続けることで、何も言えない
ようにしてしまおうとしました。
当初はソフトボールエリートに対する反
発だったんです。
あいつらを黙らせろ!
そのためには勝つことが必要でした。
技術が未熟な時には、当然「口」も武器
の一つとして大活躍します(笑)
「はったり」「はったり」でした。
すべてはそこから始まっています。
社長が桂浜でのし上がって行った手法が、
そのままソフトボール界で行われただけ
のことでした。
このことまで計算して、選手を集め、試
合をさせていたとは思えませんが、私た
ちはいつの間にか、弘瀬 勝式思考法に
染まっていっていたのかもしれません。
これが計算なら、弘瀬 勝という人物は
すごい人だと思いますが、そんな先のこ
とまで想定していたとは、思えないんで
すけどね。
短い期間にダイナミックな変化が起こり
ますが、それに対して
「即断、即決」
して対応していたら、あれよあれよいう
間にチームは
「日本一」
オーナーは
「高知県ソフトボール協会副会長」
「高知県ソフトボール協会会長」
「日本ソフトボール協会組織強化委員」
「日本ソフトボール協会副会長」
「日本ソフトボール協会会長」
「ISFアジア地区副会長」
となって行きました。
こうなってしまっては、誰も闘犬センタ
ーに文句は言えない、偉そうに出来ない
どころか、
「闘犬を怒らせてはいけない。」
というような空気になってしまいました。
すべてが前例のない、特異な状況になっ
てしまいました。
そこには、バカが利口相手に喧嘩をふっ
かけるだけではなくて、圧倒的な行動力
がありました。
「実績に勝る力はない。」
とでも言ったらいいでしょうか。
弘瀬 勝氏の非常識な行動力が、これま
での日本ソフトボール協会の中心にいた
人たちを押しのけてしまったんですね。
私たちも偉くなったオーナーの力を笠に
着たような振る舞いもしました。
このオーナー、ひいきはしました。
「闘犬センターが優先、一番」
の精神ですね(笑)
好き嫌いもはっきりしています。
明日はこの辺りのお話をしたいと思いま
す。