
この人です。
闘犬センターオーナー弘瀬 勝氏です。
闘犬センターのソフトボールは、
「弘瀬 勝」
という人物そのものだったのかもしれま
せん。
そのあたりのことから振り返ってみない
と、「真意」は分からないかもしれませ
んね。
この方、エリートではありません。
高知県鏡村(現高知市鏡)の生まれで、
お父さんは名士でしたし、お母さんも
穏やかな方でした。
なぜ、こんなわがままな人がこの親から
生まれたのかなって感じでした(笑)
高校時代はラグビー部だったそうですが、
高知県のラグビーは競技人口も少なく、
レベルも高くありませんので、適当にや
っていたんだろうと思います。
ソフトボールについては全くの素人でし
たし、ソフトボールチームを持とうとし
たのも、地区のソフトボール大会に出て
負けたことから、始まったことです。
このことはこのブログにも、以前詳しく
書かせていただきました。
ですから最初の頃は
「ワシはソフトボールは素人。」
「金は出すが、口は出さん。」
と言っていましたし、実際そうでした。
チームの練習会場で、外野でボール拾い
をしていた姿を見たことがある選手は、
創部当初の選手しかいないと思います。
後に日本ソフトボール協会に君臨して、
ソフトボールのことは自分が仕切るみた
いなことを言うようになるなんてことは
想像できない、健気な姿でしたよ(笑)
「おい、社長が球拾いしゆうぞ。」
なんて気を使ったものでした。
高知の桂浜の土産物屋の社長が、生き残
って行くためにやっていたことが、
「バカと利口が喧嘩したら、バカが勝つ」
これでした。
これは自分で発見したものなのか、誰か
から教えられたものなのかは聞いたこと
がありません。
高知の有名な観光地の公園内で営業する
ためには、行政との関わりも必要になり
ます。
公務員は問題を起こしたくない、前例の
ないことはしたくない、責任は取りたく
ないということが多いものです。
弘瀬 勝という人物はこれを非常に上手
く利用して、行政と付き合っていました。
私が最初に出会った18歳のころ、私は
公務員になる時でした。
そして最初に言われた言葉が、
「山崎よ、バカと利口が喧嘩したら、バ
カが勝つがぞ。」
「お前も公務員になるがやったら、覚え
ちょけよ。」
でした。
「?????・・・・・・・」
全く言っている意味がわかりませんでし
た(笑)
今振り返ってみると、闘犬センターの
ソフトボール自体がこの精神だったと気
がつきます。
例えば日本リーグを例に取りましょう。
私たちが日本リーグに初参加した時、
闘犬センター以外のチームは全部実業団
でした。
「バカ」が闘犬センターで
「利口」が実業団ですね。
当初はポット出の高知の田舎のクラブチ
ームに対して、実業団勢が上から目線的
な態度や、発言がありました。
「お前たちみたいなクラブチームが日本
リーグに参加して大丈夫?」
みたいな感じで、余裕さえ感じられまし
た。
ところがこの「バカ」の集団は、その戦
い方も非常識でしたし、困ったことに力
もあったんですね。
リーグ初参戦で初優勝してしまいます。
オーナーのもう一つのの口癖に、
「実績は後からついてくる。」
「出来るって言うちょったらええがよ。」
いわゆる「はったり」の人生です。
日本リーグ初参戦の前年の総合選手権に
初優勝して、「実力日本一」の座につい
たとは言え、たったの1回です。
これを引っさげて「日本リーグ」参戦と
なりましたが、闘犬センターの実力を本
当に認めている人は、そう多くなかった
はずです。
ところが「はったり」の得意な闘犬セン
ターは、自分たちが日本一だと言って
「日本リーグに乗り込んできた。」
わけですね。
そうしたら、あれよあれよいう間に
「初優勝」
させてしまったわけです。
これが実績になりました。
これがまた続くことによって、その立場
が逆転していくことになります。
企業の名前を背中に背負った実業団の選
手は、腹が立っても闘犬センターのよう
にばぶれるわけにはいきません。
立場も逆転してしまいましたので、やり
たい放題、言いたい放題になってきまし
た。
私たちはソフトボールの試合中に
「バカと利口が喧嘩・・・・・」
を意識して試合をしたことはありません
でしたが、振り返ってみると、しっかり
このやり方を実践していたと思わずには
いられません。
今日はここまでにしますね。