メールマガジン(39) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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ソフトボールがもっと上手になりたい、勝ちたい、テクニックが知りたい方に、カリスマたちの貴重な情報をお届けします。

やっと高知に帰ってきました。

台風は直撃しそうはないものの、台風の
右側に入りますので、明日の午前中は
注意しておかないといけません。

帰りが今日でよかったかもしれませんね。

ということで、台風への備えとかなにか
で時間をとられそうなので、メールマガ
ジンの紹介にさせて下さい。

すみません。

それでは、どうぞ。

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第35号のメニューはこちらです。

■昭和64年(その2)
■編集後記

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■昭和64年(その2)
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1年間の出場停止処分を受けた闘犬セン
ーの、このシーズン唯一の試合である
北海道石狩町(現在の石狩市)で開催さ
れた、国体が始まりました。

ゴタゴタの後でしたので、日本ソフトボ
ール協会の会長を辞職したオーナーは
帯同していませんでした。

その分楽なことも多かったのですが、
いちいち電話で報告して、指示、了解を
もらわなければいけないという、違う
面倒くささがありました。

我々選手には関係のない協会からは誰と
誰が来ているだとか、誰の所に行って
こう言って来いだとかの指示もありまし
たので、それをやらされていた杉本さん
は大変だったと思います。

新理事会の22名のメンバー中18名は
旧理事会と同じメンバーでしたので、
辞職したとはいえオーナーの影響力は
引き続き大きかったようです。

宿泊地の札幌入りしたチームは、前景気
を上げるためにサッポロビール園に乗り
込みます。

この時の団長は高知県ソフトボール協会
の西村皓昭さんで、受付で予約名を

「高知県ソフトボール協会」

と名乗りますが、予約がないと言われま
す。

らちがあかないので、予約をしてくれ
た桂浜に電話を入れます。

そうすると、予約は

「闘犬センター」

で入れてあるとのこと。

やっぱり私達は「闘犬センター」だった
んです(笑)

無事予約も確認されて美味しいお肉と
ビールで健闘を誓いました。

いよいよ試合開始になりました。

さすが北海道で、試合会場は4面のグラ
ンドが一か所に集まっているという素晴
らしい環境でした。

私たちのグランドは結構強い風、それも
バッターにとっての追い風が常に吹いて
いました。

それを確認した私たちは確信しました。

「この風ならちょっと打ち上げただけ
 でフェンスを越える。」


してやったりです。
間違いなくホームランの打てる会場でし
た。

まず、これが間違いの始まりでした。

自分を見失い、ホームランを狙うばかり
にバッティングを崩してしまって、結局
この国体で「高知県チーム」はホームラ
ン0に終わってしまいます。

普通に打っていたなら、5本くらいは
ホームランが出ていてもおかしくなかっ
た会場でした。

そして試合の相手以外に神経を使い、そ
れとも戦わばければいけないということ
で、集中力という意味では万全ではあり
ませんでした。

今回の騒動で敵と思ってしまった協会の
役員の姿が役員席にあれば、その方とも
戦っていましたね(笑)

「ソフトボール協会に登録のないチーム
 に登録チームが負けたらみっともな
 いぞ!」


「こら!○倉。他人の足引っ張って手に
 入れた地位は、自分も同じことになる
 ぞ。」


「気をつけちょけよ。」

等々です(汗)

いろいろなものと戦いながらの試合はと
いうと、大エースに成長した西村投手が
毎試合ホームランで先制されるという、
苦しい試合展開になりました。

打ち上げたボールが風に乗ってフェンス
を超えてホームランになるという感じで
すが、全試合打たれると最後は笑ってし
まいますよね。

「西、またか。」

そんな余裕が生まれたのは決勝戦だった
ような記憶です。

一番の苦戦は「東京都」との対戦でした。

相手ピッチャーは大蔵省の中村投手とい
好投手でした。

闘犬の西村、山形の大村、東京の中村の
3村と私は呼んでいました。

どのピッチャーも素晴らしいピッチャー
でした。

その東京都の監督は、これも今回の騒動
を主導したと聞かせれていた日本体育大
学の○奥監督でしたので、気合が空回り
したという感じでしたね。

ホームランで先制され、なかなか中村投
手を打ちあぐね苦戦が続きます。

この試合、途中で雨が強くなって試合が
中断しました。

これがヒートアップした私達には良い
気分転換になったみたいで、再開した後
何とか追いつき、逆転することが出来ま
した。

あの雨は恵みの雨でした。

試合中に相手ベンチにいる監督に向かっ
て、

「こら~!○奥。」

なんて叫んでいる訳ですから、あのまま
ではたぶん負けていましたね。

試合後そのことを杉本さんと話していた
ら、杉本さんは試合前に○奥監督と話し
をされていたみたいで、この試合は

「言われると思うで。」

って言っていたそうです。

○奥監督は心の準備が出来ていたんです
ね。

そんなゆがんだ闘争心にあふれた国体も
何とか優勝で終わり、

「ざまぁ見ろ。」

「やっぱり俺たちが一番や。」

と協会の一部の人間の陰謀で、試合の
機会を奪われたと思っていた私達の気持
ちは一旦収まることになりました。

今思い出してもと当時私達は被害者だと
確信していました。

それは最近、そうでもなかったという感
じになってきています。

けれどあれがあったお蔭で、日本ソフト
ボール協会が弘瀬勝のワンマン体制から
脱却することになりましたので、なるべ
くしてなった結果だったのかもしれませ
んね。

まあそれも、今振り返ってみて言えるこ
とですから、当時は情報もオーナーから
もたさられる一方的な情報でしたし、
何か複雑な心境になる出来事でした。

他に出場できる試合もない闘犬センター
は、これで1年の活動を終えることにな
りました。

この年の秋、高知新聞のスポーツ欄に
闘犬センター選手募集の記事が掲載され
ます。

慢性的な選手不足に苦労していたチーム
が初めて、公に選手募集とセレクション
実施するとした記事です。

確かな記憶ではないのですが、この募集
記事を見てセレクションに来た選手から
採用した選手はいなかったような気がし
ます。

記事には「運動のできる格好で。」
なっていましたが、そこはさすがに
日本一の闘犬センターでソフトボールを
やってみようという志のある人なので、
ユニフォームは着てくるだろうと思って
いました。

その期待は大きく裏切られることになり
ました。

ジャージにTシャツ、運動靴・・・

おいおい、闘犬センターを知っちゅう?

そうでした、闘犬センターを知ってしる
人であれば、自薦で闘犬でやらせてくれ
なんて言える人はそんなにいない、

ほとんどいないということに気がつくべ
きでした(笑)

強いチーム、怖いチーム、普通じゃない
チーム、ガラが悪いチームということを
忘れていましたね(笑)

今日はここまでにします。

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この方が「北海道国体」で毎試合先制
ホームランを打たれた

「西村」というピッチャーです(笑)

みんな、知ってますよね。