メールマガジンのご紹介も37回目にな
りました。
まだまだいろいろなことが起こるのが
闘犬センターです。
それではどうぞ。
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第33号のメニューはこちらです。
■昭和63年
■編集後記
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■昭和63年
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昭和63年を迎えました。
この年の最初の高知新聞の記事は
「体協賞辞退」
というタイトルの記事から始まって
います。
「体協賞」というのは、高知県体育協会
が各競技団体から今年度活躍した、又は
優秀な成績を収めた団体、個人を推薦し
てもらった候補を、表彰委員会で審議し
て決めるというものでした。
クラブと一般男子の2冠で終わったとは
いえ、他の受賞団体、個人の成績よりも
飛び抜けて良い成績なのに、表彰されて
いないことに疑問を持った記者の方が、
体協に問い合わせて「辞退」が分かった
ということのようです。
オーナーは、
「実力からすれば、日本選手権なども
十分に取れるはず。」
「それが出来なかったのは、精神面で
特に緩みがあったのではないか。」
「今年の飛躍を期すため、日本選手権
に敗れた昨年の時点で、受賞しない
ことを決めていた。」
と語っています。
そして、記事には
「闘犬センターは不思議なチームだ。
日本選手権に勝つこと3回。昨年こそ
準優勝に終わったが、日本リーグでは
一昨年まで3連覇。そのほか全日本
一般男子や全日本クラブ男子など、
全日本タイトルは数え切れない。」
「自他ともに認める日本一の強さの一方
で、とんでもない負け方も少なくない。
チームが他の大会以上に勝ちたいと
願っている国体に、どうしても出られ
ない。」
「日本一がなぜか、四国予選の壁に阻ま
れる。昨年は県予選で敗れた。」
そうなんです、昨年は県予選も勝ててな
いんですね。
新聞の記事もありませんでした(笑)
本当に「国体」は「鬼門」でした。
記事は最後にこう結んでいます。
「チームのエースはいま海外先進地に
出向いて技術、精神力の鍛錬に取り組
んでいる。」
「そのエース抜きで、闘犬センターは
先日の県内開幕大会を制した。今年の
チームが、どうたくましく生まれ変わ
ってくるのか、注目したい。」
そうです、このころ西村選手がニュージ
ーランドに行っていました。
そして帰ってきた彼は、驚くほどの変貌
を遂げていました。
2年振りの優勝を目指す日本リーグ前節
を3勝1敗1分けと、まずまず順調なス
タートを切ります。
前節を全勝で終わったことは、最後の年
だけじゃなかったでしょうか(笑)
そして全日本クラブ大会が始まりますが、
この頃から変身した西村投手の手の付け
られないようなピッチングが始まります。
準々決勝の木暮ファミリー戦で完全試合
達成。9連続を含む17奪三振という内容
です。
ソフトボールは7回ですから21アウト
で終わります。
三振が17、内野ゴロが3、内野邪飛1
ということですので、外野にはボールが
飛んでいません。
これってすごいですよね。
そして決勝戦まで4連続完封で、4年
連続7回目の優勝を果たしています。
ただこの大会で闘犬センターには、後に
大きな事件となることが発生していまし
た。
それはまたご紹介します。
ヒントは世界選手権に出場していた
家竹選手が事前合宿中の練習試合で
デッドボールを受けて手を骨折。
そして9月、北海道で開催された全日本
一般男子ソフトボール大会の1回戦で、
金沢教員相手に再び完全試合達成。
この試合も17三振、内野ゴロ3、外野
フライ1の内容です。
やっと1本外野に飛んでいるんです。
もうバットに当たると大喜びみたいな状
態になっていました。
この大会もこのお化けみたいなピッチャ
ーに成長した西村投手の大活躍で2年連
続の優勝で終わりました。
そしてこの変身したエースの特集記事が
高知新聞に大きく載っています。
ピッチングフォームの連続写真と元全日
本監督の岡先生、日本を代表するピッチ
ャーの三宅さん、弘瀬拓生さんがコメン
トを寄せています。
そして監督の杉本さんが、
「この春にニュージーランド遠征から帰
って来てから、びっくりするほど成長
してくれた。」
「制球力、球のキレが格段に良くなって
おり、安心してマウンドを任せられ
る。」
「西村の球を打たなければならない他チ
ームの選手は、僕らが外人投手と対す
るような感じがあるはずだ。」
「あの目で追い切れない感じのドロップ
は、日本人ではバットの芯で捕えられ
ないのでは。」
と語っているほど、すごいものでした。
この変身した西村投手の存在が、日本の
男子の投手と打者のレベルを上げたのは
間違いありません。
彼にあこがれ、彼に追いつけ追い越せと
頑張るピッチャーが出てきて、彼のボー
ルを打つために努力と工夫をするバッタ
ーですね。
同じ9月の日本リーグ後節3連勝スター
トで首位に立ちます。
そして迎えた埼玉県庁戦で象徴的な出来
事が起こります。
この試合0-0で延長戦になるんですが、
西村投手は9回まで完全試合だったんで
すね。
タイブレークになって2塁に出て、なん
と2連続のパスボールで負けてしまいま
す。
これで当時のキャッチャーの山崎正宏選
手がピンチの時にドロップを投げさせる
ことを、恐がるようになりました。
そのためこの後大事なところでライズボ
ールを投げて、痛い目にあうということ
が良くありました。
この頃は杉本さんも言っているように、
西村投手のドロップを外野に運べる打者
など存在していませんでしたので、迷わ
ずサインはドロップで良かったんです。
けれどキャッチャーはパスボールを怖が
ってライズボールを要求します。
また、この西村というピッチャーがその
通りライズボールを投げるんですね。
そして打たれて、怒られるということを
何回もやっていました(笑)
また、この試合闘犬センターが1点取っ
ていれば、7回で終わっていて、西村投
手が完全試合達成だったんです。
ただ、ボールが飛んで来ない、リズムが
作れないので、点も入りません。
この前のYKKとの試合も1-0です。
負けないのでいいのですが、西村が一人
でやっている感じなんですね。
「お前、一人でやれや!」
みたいなことを言っていた頃です(笑)
日本リーグも西村投手の活躍で2年振り
4回目の優勝を飾ります。
10月念願の京都国体に出場、開会式で
は高知県選手団の旗手を西村投手が務め
ています。
そして初の国体優勝も手にします。
さらに快進撃は続いて、10月愛知県安
城市で開催された第17回日本ソフトボ
ール選手権も優勝で、これで5冠達成に
なりました。
決勝戦ではホンダエンジニアリングに対
し、15奪三振、そして5回に西村投手
がホームランを打って1-0で完封。
西村に始まり、西村で終わった1年でし
た。
仕方はないんですが、面白くない1年で
したね(笑)
今回はここまでにしますね。
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この年が日本の大エース
「西村 信紀投手」
が誕生しました。
ただこの大エースも闘犬センターでは、
まだまだ若手でしたので、チーム内では
大変だったみたいです(笑)
