
闘犬センターでソフトボールをする、
これってどうだったんでしょう。
創部期からアクの強い選手の集まりで
したので、このチームではやっていけな
い選手がいたのも事実です。
最初からそんな選手しか集まってきてい
ないというのもあります。
闘犬センターから誘われても、頑なに
断った選手もいます。
それは本人の判断もあったでしょうし、
家族の反対、周囲の反対ということもあ
ったように記憶しています。
ただ覚悟しておかなくてはいけないのが、
入部してから自分の居場所は自分で確保
しないといけないということです。
それはオーナーのお気に入りであろうが
関係ありませんでした。
「戦いはまずチーム内から始まる。」
何か他の選手が持っていないもの、特徴
みたいなものがないと、無視されること
になります。
何か飛び出していないと、認めてくれな
いんですね。
誰にも負けない飛距離だとか、足が速い、
肩が強い、元気がいいでもいいのですが、
何かないと居場所がありませんでした。
プレーだけではありません。練習には必
ず参加する、人の世話が出来るなんてこ
とでも大丈夫です。
他の誰にも出来ないことをやれることが
重要でした。
闘犬センターですから、それなりの選手
の集まりですので、技術で飛び抜けるこ
とは簡単なことではありません。
私なんかは、
「練習量では誰にも負けない。」
という一点だけで、居場所を確保してい
ましたからね(笑)
みんなこの厳しい洗礼を受けて、闘犬セ
ンターの一員になっていきました。
この傾向は、最初の頃の方が強かったと
思います。
だから選手一人一人が、一国一城の主で
したし、自分が目立たないと気に入らな
いわがままな選手の集まりでした。
「試合」で「勝利」を目指している時だ
け「仲間」として協力して戦っています
が、終われば関係ない。
こんなクラブチームって変ですよね(笑)
集められたクラブチームの宿命だったの
でしょうか。
この写真の頃、第3期くらいになるとそ
んな感じも薄れてきてはいました。
いつも仲良しって感じでしょうか。
激しさも、キツさも非常に穏やか、
それでも闘犬らしさは残っていました。
私なんかと比べると優しいものですが、
言い出せばなかなか口は汚い(笑)
これは元々その要素を持った選手たちが
入部してきたのか、それともこの環境で
そだつことで、だんだん闘犬カラーに染
まっていったのかは定かではありません。
「類は友を呼ぶ」
なのか
「朱に染まれば赤くなる」
なのか。
ただこの選手たちなしで、輝かしい記録
はありませんでした。
「みんなは闘犬センターでソフトボール
をやって、良かったですか?」
なんて答えるんでしょうかね(笑)
今日はここまでにしますね。