
前列左から2番目の岡本選手、3番目の
西田選手、そして後列左から3番目の
江口選手、5番目の梅下選手、6番目の
岩見選手は
「岡豊高校」
の出身です。
先生は「弘瀬拓生先生」です。
彼らにソフトボールの厳しさと楽しさ、
そして「勝ち方」を教えたのは、間違い
なくこの先生ですね。
岡本、江口選手は高校から、梅下、岩見
選手は日本体育大学を卒業してから、
西田選手はちょっと寄り道をしてからの
闘犬センター入りとなりました。
場数を踏んでいる者の強みなのでしょう
か、それとも元々の性格なんでしょうか、
この若者たちは「闘犬センター」という
名前に気後れすることなく、チームに
溶けこんでいきました。
怖くて、気むずかしい第1期の中心選手
が引退して、やりやすかったということ
はあったのかもしれませんが、横で見て
入る分からすると伸び伸びとソフトボー
ルをやっているようにさえ思えました。
本人たちに聞くと、入部当時は家竹監督
山崎正宏キャプテンの時代でしたので、
それはそれで気を使ったと言うでしょう
し、その後は監督は「西村監督」になっ
たものの、ベンチには「杉本さん」と
口の悪い私が居座っていましたので、
若い彼らにとっては、それなりにやりた
い放題とはいかなかったと思います。
ただ第1期、第2期の14年間で築き上
げたという闘犬センターの
「日本一というポジション」
は、揺るぎのないものになっていました
ので、試合会場や練習会場、宿泊先等で
田舎者扱いされることなど絶対にない、
恵まれた環境が整えられていました。
「まずは闘犬さんの気分を損ねることが
ないように。」
と地元の協会は気を使ってくれましたし、
「闘犬さんは一番いいところに。」
と手配していただいたこともあります。
お気遣いありがとうございました。
また、トヨタ自動車、デンソー、ホンダ
エンジニアリング、日新製鋼等という大
企業と対等以上に戦う事が出来るなんて
ことは、このソフトボールのグランド内
でしか考えられないことですよね(笑)
男子のソフトボールの一番は、闘犬セン
ターだったんです。
そんな精神的優位を持ったことも、闘犬
センターが強かった理由の一つだと思い
ます。
これが強さだったのですが、これを簡単
に手に入れたことが、この時代の弱さで
もありました。
今日はここまでにしますね。