

第3期を支えた選手たちになります。
この頃の主力は「岡豊高校」出身の選手
たちになります。
梅下、岡本、江口、西田、岩見選手など
ですね。
後は高知工業、高知商業、大正高校、
伊野商業出身の選手と、大木選手のよう
に県外から高知に来て(連れてこられて)
プレーしていた選手たちが、全国の強豪
と戦っていました。
この時代の特徴は、準優勝という成績が
多いということでしょうか。
第2期までの闘犬センターは、二位は1
回しかありません。
それも日本リーグの二位です。
トーナメントで決勝戦まで行けば必ず勝
つという勝負強さを持っていました。
ただ、1回戦負けもあったり、三位が多
くあるのも事実ですが。
取りあえずここぞという時の「勝負強さ」
には自信がありました。
この試合には負けては行けないという、
勝ち負けに対する執着心は、他のどの
チームにも負けなかったと思います。
それはこれまでも書いてきましたが、チ
ーム内に勝てなかった頃を知っているメ
ンバーがいたことが大きいと思います。
この時代の選手たちは、入って来た時に
既に
「日本一」
でした。
あまりそのことに執着する必要がなかっ
たのかもしれませんね。
それとこの時代は、国体と日本リーグし
か出場していませんので、場数を踏んで
いないことも、第1期、第2期とは違っ
た戦い方をするようになった原因かもし
れません。
平成13年、平成14年と久しぶりに
一般男子に出場していますが、準優勝、
優勝という成績をあげています。
この時代何がすごかったと言っても、
この選手達の試合前のフリーバッティン
グの飛距離は特筆すべきものがありまし
た。
試合前には取りあえず気持ちよく打って
もらって、気持よく試合に臨んでもらう
ということが一番でしたので、アップが
終われば練習時間のほぼ全部を使って、
フリーバッティングをしてました。
闘犬センターがフリーバッティングを始
めると、同じグランドでアップをしてい
た他のチームはどんどん隅に追いやられ
てしまいました。
元々はそのチームの割り当て練習会場だ
った場所の半分を借りて始めた試合前の
練習でしたが、始まってみたら闘犬セン
ターがグランドの4分の3を使っていて、
本来そのグランドを使って試合前の練習
を行うべきチームがグランドの端の方で
バント練習をしているなんていう、理不
尽なことをしていました。
日本リーグの他チームの皆さん、申し訳
ありませんでした。
ただ、この選手達は本当によくボールが
飛びました。
今のイエローボールだったらどうなって
いたんだろうと思いますね。
型にはめず、のびのびとというのは第1
期から変わらない、闘犬センターの選手
育成の方針でした。
高知県民には最適の育成方針だったので
はなかったでしょうか。
明日からはこの第3期について、ちょっ
と詳しく掘り下げてみたいと思います。