闘犬センターは強かった?(8) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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紐解けば紐解くほどこの人の栄光の歴史
は、どれだけあるのだろうというほど、
後から後から出てきます。

彼の能力をねたみ、嫉妬し続けた私も、
見えないところでコツコツ努力している
姿や、一人で闘犬センターを支えていか
なければいけないプレッシャーと勝って
当たり前という周囲からの期待に答え続
けている姿を、側で見続けた結果、つい
に負けを認めるに至ります。

まあ、それには長~い時間が必要でした
けどね(笑)

第2期は西村投手の全盛期と言えると思
います。

第1期のキャッチャーは大館さんと紹介
しました。

第2期は森澤選手(現デンソー女子監督)
と山崎正宏選手
です。

これにもいろいろなことがありました。

森澤選手は西村選手の同級生で高校から
バッテリーを組んでいました。

最初のジュニアの世界選手権の時は、正
捕手として参加していますが、闘犬セン
ターには、大館さんという強打の正キャ
ッチャーがいました。

普通は実力で追い越して世代交代となる
わけですが、闘犬センターはそうではあ
りませんでした。

森澤選手を目立たさなくてはいけない場
合には、オーナー命令でその選手を使わ
なければいけなくなります。

オーナーから

「キャッチャーは森澤で行け。」

この一言で選手交代です。

選手からするとやってられないですよね。

大館さんは職場での仕事が忙しくなった
のを理由に、闘犬センターを去ります。

それからは正捕手は森澤選手で固定され
ました。

ただこれも長期間の安定ではなく、須崎
工業から山崎正宏選手が入ってくると、
オーナーが山崎正宏選手のキャラクター
を気に入って、彼をキャッチャーとして
使おうとします。

最初はいきなりキャッチャーではなく
使っていましたが、これも大変でした。

彼は最後は全日本のキャプテンを務める
までになりますが、入部当初は元気だけ
が取り柄の選手で、線も細く打力も他の
闘犬センターのメンバーからは、大きく
見劣りしていました。

彼が試合に出る時は実質8名で戦ってい
たという感じだったでしょうか。

この時代は皆若く、余力もありましたの
で、8人でも勝てるみたいな余裕があり
ました。

オーナーはついに我慢できなくなったん
でしょうね(笑)

正捕手森澤選手がいるにもかかわらず、

「キャッチャーは正宏で行け。」

の指示が出ます。

これは森澤選手としては面白くない。

インサイドワークもキャッチングも劣る
やつに、そのポジションを奪われるわけ
ですから。

西村投手もやりにくかったと思います。

どんなボールを投げても簡単に受けてく
れていた長年連れ添った恋女房がいるに
もかかわらず、気を使って投げなければ
いけない若いキャッチャーを相手にしな
ければいけない。

こんな事が西村投手の精度を上げる結果
に繋がったのかもしれませんね。

「暴れ馬」「計算できる優秀な馬」

に変貌していきます。

このあたりのことは、西村投手にしか分
からない苦悩があったのかもしれません。

西村投手が投げれば1点取ったら勝ちみ
たいな感じでしたが、平成1年の北海道
国体は違っていました。

風の強い会場での国体でしたが、毎試合
ホームランで先制されるという厳しい展
開になりました。

1回ならまだしも毎試合必ず先制ホーム
ランを打たれるんです。

3試合目くらいだったと思います。

「またか!」

「ええかげんにせえよ!」

って声をかけたのを覚えています。

実力はあったんでしょうね(笑)

追いつき、追い越して勝利して、最後は
優勝していますので。

この追い風を意識し過ぎた闘犬センター
は、この国体ホームラン0で終っていま
す。

それでも何とか勝つ方法を持っていた
強い時期だったと思います。

今日は第1期から第2期のキャッチャー
についてを中心にご紹介してみました。