

闘犬センターの強力打線の4番バッター
「大館捕手」です。
昔話をすると、群馬教員の方からは
「館ちゃんは元気?」
と必ず聞かれるので、相手チームには
強烈な印象があったんだと思います。
私達の中のイメージでは、大館さんは
脇役なんですね(笑)
自己主張が強いわけでもなくて、少し
年上でもありました。
「ザ、闘犬センター」というイメージは
大館さんにはありませんでした。
この人の一番すごいのは、フリーバッテ
ィングでした。
この時の大館さんの打球は強くて、速く
て守っていても怖かったので、みんな
後ろに下がって守っていました(笑)
ただ試合になると、大事な時に高めの
クソボールを打って内野フライをよく
上げていましたので、いつも皆から
「館ちゃ~ん、また~↓」
って言われていました。
猛者揃いの闘犬センターで4番を張って
いたわけですから、すごいバッターなん
ですけれど、なぜかイメージはすごくな
い不思議な人でした。
それと冗談が分からない人でしたので、
ずいぶん前に言ったダジャレを、しばら
くして
「ヒロシ、あれ分かった。」
と言ってくるような人でした。
「え~。今ごろ!」(笑)
たまに高度な冗談を言った時には、最初
から大館さんに解説したことさえありま
した(笑)
「えっ、説明するが?」
「これは説明せんと、館ちゃんは何時間
考えても分からんで。」(笑)
こんな感じでした。
1985年の第14回日本選手権に2年
振り2度めの日本一になったことを伝え
るソフトボールマガジンには、次のよう
な記述があります。
「クラブ式ソフトの花が堂々と咲く」
「いかに少ない練習時間で試合に勝つか、
闘犬センターのクラブ式ソフトボール
の花がみごとに咲いたのである。」
「男子クラブ大会、日本男子リーグ、
全日本一般男子大会、そしてこの日本
選手権と出場した全日本大会のすべて
のタイトルを闘犬センターが独占した
のである。」
2年前の日本選手権初優勝の時と違うの
は、ピッチャーが清水さんから西村投手
に変わったこと。
これが全タイトル独占の大きな原動力で
あることは間違いありません。
ただ、日本のソフトボール界でクラブチ
ームが
「日本一になる」
「全タイトルを独占する」
なんてことを想定した人は誰一人いなか
った訳ですから、この記事は実は天と地
がひっくり返るようなことだったんです。
非常識が常識に変わりました。
これから先、日本の強豪チームはこぞっ
て、
「打倒、闘犬センター。」
「闘犬を倒せ。」
を合言葉に頑張ることになります。
これで闘犬センター第1期黄金時代は
一応の完成を迎えました。
闘犬センターの長い歴史とともに、西村
投手の輝かしいソフトボール人生が進ん
で行くことになります。
せっかく大館さんを紹介しましたので、
西村投手が入って来た頃の大館さんの
西村投手の評価もご紹介しておきますね。
大館さん曰く、
「最低のピッチャーや。」
でした(笑)
入部してきた頃の西村投手は球は速いけ
れど、どこに来るかも分からないキャッ
チャーとしては面白くないピッチャーで
した。
言い換えると「壁」としての仕事しか
要求しないピッチャーだったということ
でしょうか。
それまでの清水さんと私がコントロール
の良いピッチャーでしたので、配給で
相手の打線を抑えこむというチャッチャ
ーとして、インサイドワークが要求され
ました。
勝った時には喜びは倍増しますよね。
ところがこの規格外の西村投手で勝って
も、そんな気持ちにはならなかったんだ
と思います。
ただ受けていただけ(笑)
また試合は負けを知っているので、勝ち
の喜びが大きいということもあります。
贅沢な話ですが、勝っても嬉しくなかっ
た優勝というものが出てくるのが、第2
期にはありました。
それはまたご紹介します。
今日はここまでにしますね。